火黒、赤降前提で、黒降です。浮気ではありません。「恋とはどんなものかしら」の続きで、降旗の相談を曲解した黒子が、単身セックスのレクチャーを試みるという恐ろしい話。黒子がヒールです。コメディですが人によってはエライ爆弾なので、お気をつけください。
同じ日のほぼ同時刻に僕と火神くんがそれぞれ赤司くん、降旗くんから共通の悩み相談を受けてから十日が経ちました。降旗くんの依頼はいまだこなせていません。これも火神くんの意気地がないせいです。セックス見せるくらいいいじゃないですか、減るものじゃないんですから。こっちは赤司くんからの依頼という大変危険な爆弾を抱えているのですから、さっさと処理してしまいたいというのに。なお、赤司くんが僕に頼んだ、もとい命じた内容は、降旗くんがどのようなセックスを希望しているのか探ってほしいということでしたので、どのみち降旗くんのほうを攻略しなければならないのです。セックスを間近で見てもらうことは、具体的なイメージをもちやすくし、降旗くんが望むセックスの方向性も明確になってくるのではないかと僕は考えるのですが……火神くんが拒否するので実現できていません。ずっと話し合ったり詭弁を弄して騙したり化かしたり努力はしているのですが、なかなか実りません。ひとつの手段に固執することは、思考の硬直化を招くのではないかと感じた僕は、発想を換えることにしました。
別に火神くんと協力しなくても、僕だけでセックスのなんたるかを降旗くんに教えることはできるんじゃないでしょうか。
赤司くんの座右の銘を拝借し、僕はすぐに行動に移しました。
そんなわけである週末、僕は火神くんと同棲している部屋に降旗くんを招きました。
関係のないところはすっ飛ばして現状を報告します。
降旗くんをパンツ一枚にすることに成功しました。計画通り。さすが僕。もちろん平和的手段を用いました。知能犯です。
いまどこにいるかというと、リビングのソファの上です。降旗くんも僕も、身に着けているのはボクサーパンツだけ。その他の衣類はすべて脱ぎ散らかし、床やらソファの背もたれやらローテーブルの上やらに放り投げられています。そんな状況なわけですが、降旗くんは楽しげにけらけら笑っているだけです。高校生の頃と違わぬ少年っぽい明るい笑顔です。
「やだ、俺らすっかり脱いでるじゃん。なんだこれ。あはははははは」
「ふふ、いささか興に乗りすぎたかもしれませんね」
そう返すと、僕はいましがたまで彼と一緒に見ていたDVDを切りました。何を見ていたかって? 一目瞭然でしょう。AVです。僕は一度火神くんと一緒に鑑賞したことがある品だったのですが、二度目もなかなか楽しむことができました。いい作品でした。
便宜上AVという単語を使いましたが、実はちょっと趣が違います。正確にはセックスのハウツーものです。アメリカの。はい、洋物です。セックスの勉強とベッドでの英語が学習できる、一粒で二度美味しい仕様です。日本人向けに日本語字幕はありましたが、さすがに吹き替えはありませんでした。まあそうですよね。吹き替えなんてあったらそれこそ笑い転げているところです。字幕でも十分笑えましたが。あくまで娯楽作品なので、保健体育の教材のような堅苦しさはありません。僕はあまり英語が読めないので火神くんにパッケージおよび説明書を意訳してもらったところ、アブノーマルなセックス中毒になってしまったカップルが、ごく自然なノーマルセックスに真の愛情と快感を見出す手助けになるように、というのが製作者のコンセプトのようです。常識的に愛し合っている火神くんや僕には必要のない作品ですが、偶然見つけて好奇心でのぞいたところ、レビューが死ぬほどおもしろかったのでつい衝動買いしてしまいました。気づいたらアマゾンの精算画面がすべて終了していました。
方向性としてはお料理番組に近かったです。手順の運び方にせよ体位にせよ、いちいち無駄に解説が入り、テロップでローションの分量まで出てくるんですよ。事前に計量カップを用意しましょうなどという意味不明な忠告まで入ります。セックスに計量カップが必要だなんて……思わず台所まで取りに行ってしまいました。笑いのあまり半分床をのたうち回るようにして。ちなみに出演者は男女です。おふたりとも終始明るく楽しくセックスを堪能してらっしゃいました。この作品にはベーシックとアドバンストがあり、今回僕が購入したのはベーシックのほうです。しかし、ベーシックなノーマルセックスと謳ってはいるものの、当たり前のようにアナルセックスはありました。さすが洋物です。そろばんにおける上の玉の弾き方くらい、初歩の初歩ということなのでしょう。
さて、なんでこんなDVDを降旗くんと一緒に鑑賞したかと言いますと……
「あははははは。あー、久々に高校のときのこと思い出した。俺らもセックスの真似事とかたいがいアホなことやらかしてたけどさー、これはねえわ。アメリカの性教育パねえ」
降旗くんに高校時代、僕たちの間で交わした数々のアホな所業を思い出し、当時に返ってもらうためです。その頃の僕と火神くんと降旗くんはまさにお馬鹿な男子高生でして、箸が転がるのもおかしい年頃そのままに、三人でセックスの真似事をしては遊んでいたものです。日向先輩に見つかってはお説教を食らっていたのは、いまとなってはすばらしき青春の一ページです。アホなDVDを見せることで昔の馬鹿っぷりを懐かしみ、久しぶりにちょっと遊びたい気分にもっていくという作戦です。これが功を奏しまして、僕が珍しく床のカーペットを叩きながら笑いを堪え、しかし耐え切れなくなって服を脱ぎ、作中の女性の真似をしはじめると、降旗くんも乗ってくれまして、気づけばパンツ一枚になっていた、というわけです。いやあ、実に楽しかったです。危うく本来の目的を忘れ、降旗くんとのセックスごっこに専念するところでした。あ、もちろん、高校生のときは服を脱ぐまではしませんでした。いまはもう大学生なので、ちょっとくらいアダルト要素を入れても不自然ではありません。そんなわけで、ごくナチュラルにお互いの服を剥ぐところまで済ませてしまいました。どうですかこの手際のよさ。自分で自分が怖いくらいです。
口を片手で覆い、いまだ治まらない笑いの間に降旗くんが言います。
「アメリカ人まじでこんなので勉強すんのかよ」
「まあ、性教育ハウツーという名の一種のジャンルみたいですから、娯楽向けにつくられているんでしょう」
ポルノというより、性的要素を含むお笑い作品だと思います。女優も男優も見目麗しかったですが、正直芸人にしか見えませんでした。
「そりゃそうだ。こんなの授業で見せられたら全員床を転げ回るって」
「そうですね。まあ色っぽい雰囲気にならないあたりがいかにも教育って感じでいいんじゃないでしょうか」
「なんもしてねえのに賢者タイム入りそうなんだけどこれ。ぷっ、はははははは、駄目だ、思い出すと笑えてくる」
「うーん、その気持ちもわかりますけが……タイム入りはもうちょっとあとにしませんか?」
いつまでも高校時代を懐かしんでいてもしょうがないというか、DVD鑑賞はあくまで手段でしかないので、ここらで本題に入ろうと思います。
僕と降旗くんは現在ソファで並んで座っています。降旗くんは普通に座っていて、床に足を放っています。僕は膝を曲げいわゆる体育座りをしていたのですが、その脚を正座に組み替えると、体を九十度回し、降旗くんのほうを向きました。
「ちょっと失礼」
それだけ断りを入れると、僕は降旗くんの裸の胸に自分の手の平をぺたりとつけました。僕たちは似たり寄ったりの体格をしていますので、降旗くんちょっと貧相だなあという感想は、そのままブーメランとして僕自身に返ってきます。なので感想は述べません。しかし、まともな目線で見れば僕たちはけっして貧相ではないと思います。僕は火神くんに見慣れてしまっているので、あれが当たり前の男性の体のように感じてしまう節があるのですが、そんなわけないですよね。あれは日本人にしては規格外です。僕たちのほうがマジョリティです。
薄めの肩も狭い胸郭もあまり割れていない腹筋も、全部普通ですよね、なんて思いながら、僕は無遠慮に降旗くんの胴体を触りました。
「くろこ……?」
降旗くんはきょとんとして僕を見つめてきます。この警戒心の欠片もない顔。ちょっぴり罪悪感を覚えないではありません。が、それに負ける僕ではありません。こっちも下手をしたら命がかかっているのですから。
「降旗くんの裸を見ると安心します。自分はけっして貧相ではないと。平均的な日本人なんてこんなものですよね。僕たち平均ですよね」
左手で降旗くんの腹筋を、右手で自分の腹部を押さえながら呟く僕に、降旗くんが首を傾げました。
「おまえ……火神に裸をからかわれたのか? そんなの真に受けるなよ。あいつのガタイがおかしいんだって。それに、あいつはおまえにぞっこんなんだから、身体的特徴とか含めて好きに決まってるじゃん」
「ご心配なく。それについてはおおいに自信がありますので。それに、火神くんは僕の体を笑ったりしませんよ。小食なのには眉をしかめますが。……腕の太さも同じくらいですね、きみと僕」
今度は降旗くんの上腕を掴み、指を回してみました。さすがに中指と親指の先がくっつくようなことはありませんが、あまり立派とは言えない上腕二頭筋です。まるで鏡に映った自分を見ているようです。
「どうしたんだよ黒子? 体鍛えたいのか? ジム仲間探してんの?」
なんという純朴な発想。お互い上半身裸というか、下着一枚だけを残した姿で直接体を触っているというのに。
「……降旗くんてほんとかわいいですよね」
いけない、つい本音が漏れました。降旗くんはかわいいです。言うまでもなく火神くんもかわいいです。火神くん、僕が解剖学の古本を広げて「教養の講義で小テストがあるんです。名称を覚えたいので協力してください」なんて感じで堂々と嘘をつくと、体触らせてくれるんですよ。なんの疑いも抱かずに。かわいいでしょう? かわいいですよね!
……火神くんのことは置いておきましょう。僕が荒ぶっちゃって気が散ります。
「いや、おまえのがかわいい顔してんじゃん?」
不思議そうに首を傾ける降旗くん。だから、そういうところがかわいいんですよ。
「性格の問題です。僕はかわいげないので」
「そうだなあ、中身おっとこまえだよなあ。誠凛の頃、ときどき飛び出すおまえのぶっ飛び発言には惚れそうになってたわ」
「惚れてくれてもよかったんですよ?」
僕が冗談めかして言うと、体を起こした降旗くんが肘でつんつんと僕の腕をつつきました。
「何言ってんだよ、火神とラブラブ全開だったくせに。あ、過去形じゃおかしいか。現在進行形だよな」
「ええ、むしろ当時よりパワーアップしていると自負しています」
「いいねー、お熱くて」
「降旗くんはどうなんです?」
「俺? 俺は全然だよ。彼女とは自然消滅して、それっきり」
「いえ、彼女さんではなく……」
ちょっと恋バナに持って行こうとしたんですが、赤司くんの名前は出ませんでした。これは隠しているわけではなく、降旗くんの思考回路の恋愛領域に赤司くんが存在していないからでしょう。降旗くんは赤司くんのことが好きっぽいのですが、赤司くんの言動がアレすぎるせいで、意識の上ではいまだに恐怖の対象としての認識が大部分を占めているようなのです。赤司くんはあくまでなんか怖いセフレという立場なので、恋愛の話題を出したところで降旗くんが赤司くんを思い浮かべることはないということなのでしょう。赤司くんの最初の迫り方が最悪だったのも一因だと思います。延々性欲について語っていましたからねあの人……。
多分、ここで僕ががんばって赤司くんと恋愛というおよそ互いに不似合いなふたつの名詞を強引に降旗くんの脳内で結合させようとしても徒労に終わるでしょう。もっと手っ取り早く話を進めようと思います。
「降旗くん、少々不躾になることを先にお詫びしておきます。すみません。……単刀直入にお聞きしますが……降旗くん、きみは確かめたことがありますか?――赤司くん以外の相手なら反応するかどうか」
「へ?」
いったい何の話だとばかりに降旗くんが目をしばたたかせました。猫目が愛らしいです。
「火神くん経由できみの悩みを聞いたんです。火神くん及び僕に頼みごとということだったので、僕が聞いてもよかったんでしょう? 赤司くんとのこと。もう聞いちゃたので事後確認ですけど」
火神くんから聞いた話の内容を掻い摘んで説明すると、降旗くんはばつが悪そうにうつむき、視線を泳がせながら後頭部を掻きました。
「あ……う、うん。おまえにも言うつもりだったから、それはいいよ。っていうか、無茶苦茶なお願いして悪かったよ。あのときはどうかしてたんだ。あとでよく考えたら――いや、よく考えるまでもないけど――俺、火神にとんでもないこと頼んでたよな……なんだろ、あいつとのこといっぱい話してて、なんかテンパっちゃったのかな……」
赤司くんに精神を侵されたとしか思えない頼みごとをしてきた降旗くんですが、素であんな思考を展開するほど手遅れではないようで、冷静になればちゃんと常識的にものを考え判断できるようです。それでこそ降旗くんです。僕はほっとしました。
彼は飼い主に叱られたペットのようにしゅんとしながら、こちらを明らかにうかがう声音で聞いてきました。
「黒子ごめん、怒ってる?……だよな、あんな変な頼みごとしたらな。呆れてる? ほんと悪かったよ。このとおり、許して。もうあんな非常識なこと言ったりしないから、な?」
ぱん、と顔の前で合掌して謝る降旗くん。仕草が子供のようです。
「いえ、怒ってなんていませんよ。悪いのは赤司くんなんでしょうし。残念ながらお説教をかます勇気は僕にはありませんけれど。っていうか、そもそも説教が通じる相手じゃないですしね」
僕が赤司くんの非について言及すると、
「か、火神がなんて言ったかわかんないけど、赤司は悪くないよ? 俺がひとりでおかしいことになってるだけで。あ、赤司に言われてあんなお願いしたわけじゃないし……」
即座に降旗くんがフォローに入りました。火神くんから聞かされてはいましたが、ほんとに即かばってくるんですね、赤司くんのこと。
「わけのわからない理由できみに関係を迫ったのは赤司くんでしょう」
「う……さ、最初はそうだったけど……い、いまはそういうわけでもないし」
「いまの関係に満足していると?」
「え? あ、いや……な、なんて言ったらいいんだろ……」
「満足していないから火神くんに思い切った相談しちゃったんでしょう? 赤司くんとのセックス」
「そ、それは満足してるよ! あいつ上手だし、丁寧だし、優しいし!」
力の入った主張ありがとうございます。聞いていたとおり、降旗くん、赤司くんとのセックスまったく嫌じゃないんですね。むしろ好きなようです。
しかし僕は容赦なく畳み掛けます。
「でも、困ってたんでしょう?」
「それは、俺が……」
「赤司くんにびびっちゃってるということでしたね」
「あの、誤解あるといけないから言っとくけど、赤司がなんかまずいことしてくるわけじゃないからな? 俺がひとりで勝手にびびっちゃってて、それで……」
「しかし、そもそも高校時代にトラウマの種を撒いたのは赤司くんなんですから、きみが申し訳なさそうにすることはありませんよ」
悪いのはあくまで臆病な自分だと言い張りながら、降旗くんは力なくうなだれました。僕は彼の頭をよしよしと撫でました。普段火神くんにやってもらっているみたいに。ひとに頭撫でてもらうのは気持ちいいです。
「実はですね、今日こうして降旗くんをお招きしたのは、きみの相談内容について、別の角度から解決というか、ひとつの切り込みを入れたいと思ったからです」
僕の言葉に、降旗くんが顔を上げます。ちょっとだけ期待の色がうかがえます。
「何かいいアイデアがあるのか?」
「その前にひとつ確かめたいんです。さっき言ったことなんですけど……きみって、赤司くん以外の人と寝たことありますか? 男女は問いません」
「な、な……」
その質問に、降旗くんは言葉を失って固まりました。こんなことを尋ねた僕ですが、実を言うと彼が女性経験があるのは察しています。二年ほど前まで、同学年の女の子と交際していましたから。大学生なので、ひと通り大人としてのおつき合いをしていても別段おかしくはありません。
「からかうつもりはないし、言いふらしたりもしません。ただ、必要な情報だと考えたので尋ねているんです。正直にお答えください」
「あ、あるよ……」
「相手は女の子ですか?」
「そりゃそうだよ」
「それは普通にできたんですよね?」
「う、うん……まあ。あんまうまくなかったと思うけど……。っていうか、うん……下手だったよ……」
当時を思い出したのか、降旗くんはげっそりした表情になりました。
……もしかしなくても、初回は緊張しすぎてたたなかったんじゃないでしょうかね、降旗くん。普通の男性でも慣れていないとあり得ることなので、緊張しやすい性質の彼ではなおさらです。
「ええと……多分二年くらい前につき合ってた彼女さんですよね。女性の経験はその方だけ?」
「うん。女性の、っていうか、トータルでその子だけだよ」
「男性は赤司くんだけですか?」
流れの中でさらっと尋ねてみましたが、降旗くんの頬には途端にさっと朱が差しました。
「あ、あ、当たり前だろっ。俺別に、ゲイってわけじゃないんだし……。説得力ないってわかってるけどさ」
想定内の、というか想定どおりの答えなので大丈夫ですよ。ここで、実は赤司くん以外にも経験があるとか言われたら、僕は死んでいたかもしれません。心臓発作で。
「次の質問は想像で答えてもらうことになりますが、まああまり深刻にならないでください。……あの、赤司くん以外の男性には反応すると思いますか、きみの息子さん?」
「え?」
僕がついっと視線を下方へ移動させると、つられて降旗くんも目を動かしました。目線の先には降旗くんのボクサーパンツ。目的物はその内側ですが。
固まっている降旗くんに、僕がはっきり告げます。
「まあ端的に言ってしまうと、赤司くん以外の男の人と寝られると思うかどうかってことです」
「ちょ、な、なんだよその質問……」
「仮定の話です。想像で答えてください」
「そ、そんなこと言われても……考えたこともないんだけど」
そうですかそうですか、つまり赤司くんしか考えられないと。
このあたりで、降旗くんの無意識の心中が火神くんが推測したとおりだということに、僕も確信を抱きました。降旗くん、赤司くんのこと好きですよね。が、僕や火神くんがそんなこと理解しても、肝心の当事者たちがまるで気づいていないのですから困ったものです。いえ、気づかないままお互いの世界の中にいてくれれば何も問題はないし僕だって干渉する気にはならないのですが、僕らを巻き込みはじめましたからね、このバカップル。
「きみの悩みを聞いたところによると、どうやら赤司くんが怖くてたたない、みたいな感じだったので、彼以外ならいいのかなー、なんてちょっと思ったんです。まあ多分そういう次元の問題じゃないんでしょうけど……一度確認しておいたほうがいいのではないかと」
「何を?」
「赤司くんが相手だから駄目なのか、男性相手だから駄目なのか。降旗くんは、赤司くんに強引に迫られて現在そういう関係になっちゃってますけど、本来の指向はストレートでしょう? そこを無理しているから受け付けない可能性だってあるわけです。その場合は相手が赤司くんだからという理由じゃなく、男性だから無理だってことになるじゃないですか。そうすると悩みの根幹が全然違ってくるわけです。ここははっきりさせといたほうがいいのではないかと思いまして」
降旗くんにはこう説明したものの、正解はどちらでもないと内心思っていました。赤司くんの第一印象の悪さと普段の言動の奇抜さのせいで降旗くんが赤司くんにびびっているのはいまでもあるとは思います。が、降旗くんが緊張しがちになる原因は怯えが第一ではない気がします。男性の降旗くんにこんなたとえを用いるのは申し訳ないのですが……心境としては、女の子が好きな男の子の前でポカしないか心配して硬くなってしまうのと同じような現象ではないかと。赤司くんは手の付けられない変人ですが、数々の卓越した能力をもった奇才であるのもまた事実です。普通の人なら会話するだけでも気後れしてしまうというものです。一般人だと自認する降旗くんにとっては、そういった意識がどうしてもついて回ってしまうのでしょう。それに加えて、一緒にいてどきどきするというのもあると考えられます。惚れた相手がそばにいるなら当然の反応です。問題は、降旗くんの頭では、ときめきのどきどき=恐怖のどきどき、という解釈しか成り立たないことです。火神くんが指摘したとおり、逆吊り橋の恋になってしまっているのでしょう。これを放置した場合、降旗くんが赤司くんのことを好きになればなるほど、本人の認識では恐怖感が増大し、ますます緊張がひどくなるという事態を招きかねません。悪循環に陥る前になんとか自覚を持たせて、もうちょっと健全な意識で関係を結んでほしいところです。ネジの飛びまくった宇宙人な赤司くんに恋愛感情を説くよりは、常識人の降旗くんに自分の感情を正しく認識してもらったほうが早いと思いますし。
僕の提案に対し、降旗くんはとんでもないというようにぶんぶんと首を横に振ります。
「確認しろって……まさか、ほかの男と寝ろっていうのか!? 無理だよ! 絶対無理! 考えるだけで恐ろしい!」
「赤司くんからは、特にそういった行動制限は掛かっていないのでは? 恋人でもないのに束縛するのもおかしな話ですしね。きみも特に赤司くんに対しそんな要求はしていないでしょう?」
操立てする意味なんてない関係でしょう? ほかに相手がいる可能性は常にあると思いますが?
言外にそう指摘すると、降旗くんは一瞬はっとしたように目を見開いたあと、泣きそうな顔で弱々しく呟きました。
「い、言ったことも言われたこともないけど……」
うーん……きっと自分が赤司くん以外と関係をもつことを考えたこともなければ、赤司くんが自分以外とどうこうということも想像したことがなかったんでしょうね。ショックを受けた様子がかわいそうです。いえ、僕の述べた邪推は言ってみればちょっとしたいじわるなので、ふたりがそんな奔放な行動を取っているとは思っていないのですが。だってこのひとたち、明らかにラブラブじゃないですか……。自覚がないだけで。
「まあ、降旗くんが積極的に男性をお誘いできるとは思いませんよ」
「当たり前だろ。絶対無理だって。俺も無理だし、相手だって見つからないだろ」
「いえ、きみはそれなりに需要あると思いますよ?」
「なくて結構!」
これはお世辞ではなく、あると思います。彼をひとりで変な界隈に立たせたくはないですね。
「でも確かめたほうがいいと思うんです。これ、割と前提条件になると思うので」
「いや、だから無理だって」
「そんな頭ごなしに否定しなくても。試す価値はあると思いますが? それに、わざわざ相手を探さずとも、方法はありますよ」
「な、なんだよ……」
僕は降旗くんの体に乗り上げるようにして脚を跨ぐと、彼の体の横に手をつき、ずいっと顔を近づけました。突然の接近に驚いた降旗くんですが、それ以上の危機感はもっていない様子です。……困ったものです。
「この状況で理解できないんですか?」
「は?」
なんのこっちゃと口を薄く開いている降旗くんに、僕は苦笑を禁じえませんでした。
改めて言いますね。
僕たちほとんど裸です。パンツ一枚です。この布を取っ払ったら本当に生まれたまんまの姿です。そしていま、降旗くんは僕に体半分ほど伸し掛かられています。体格はほぼ同じ。筋力も同じくらいでしょう。どちらが有利な体勢かは火を見るより明らかです。なお、このソファのアームは蓋になっていて、開閉ができます。その中には当然、火神くんといちゃつくために必要なグッズを仕込んであります。このあたりを降旗くんにお見せしたことはありませんが。
さあ、条件と状況は整いました。
あとは僕がいかにがんばれるかに掛かっています。
僕は空いているほうの腕を持ち上げ、人差し指を自分の顔へと向けました。
「ここにいるじゃないですか――相手」
「へ?」
きょとんとする降旗くんに、僕は自分でも珍しいと思えるくらいのいい笑顔をつくって見せました。
「ご存知に決まっているのですが――僕は男性経験ありますよ。っていうか男性しかありません。人数的には火神くんオンリーなので経験豊富と言っていいのかはわかりませんが、回数経験なら自信あります。シチュエーションもいろいろ試しました。まあでも、今日は降旗くんはじめてですのでオーソドックスにソファでしましょうね。ほんとはベッドがいいんでしょうけど、火神くんと僕で普段からあれこれやっちゃってますから、寝室だと僕のほうが不必要に盛り上がっちゃいそうなので、自粛します」
と、僕は降旗くんの頬に左手を添えました。親指の腹でつっと肌を撫でます。彼はびくりと肩を震わせました。
「く、黒子!?」
「自画自賛するのは恥ずかしいですが、うまいほうだと思いますよ? 火神くんをあんあん言わせられるくらいには。まあ、僕があんあん言う声のほうが大きいんですけど」
「ちょ、え、おい……黒子!?」
騒ぎ出す降旗くんの声を無視し、僕は彼の胴に跨ります。ずる、と彼の体が下方へずれ、いよいよ仰向けになりました。僕は彼の頭の横に手を置き、完全に覆いかぶさるようなポジションを取りました。
「降旗くんは赤司くんに抱いてほしいと思ってるんでしたっけ? 僕も八割方ネコなんですが、一応どっちもできるので問題ありません。数日前に火神くんを抱いたところです。タチも下手ではないと思います。降旗くんは火神くんより大分軽いので、僕のほうも楽でしょうね」
「何言ってんだおまえ!?」
「ん? 僕が降旗くんを抱くって言ってるだけですよ?」
「え、え……えぇぇぇっ!?」
「逆がいいならそれでもいいですよ。ウケのが気持ちいいのでお勧めですが」
無防備が過ぎる降旗くんも、ここに来てようやく事態の危うさを呑み込んだようで、僕の二の腕あたりを掴むと、いやいやと首を振りながら押し返してきました。しかしたいした力は入っていません。混乱しているのと、体格も筋力も優れていない僕に乱暴なことをするのがはばかられるのでしょう。パワーは互角だと思うので、体重を掛けられる分、僕のほうが優位に立っていますけど。
ふふっといたずらっぽく笑いかけると、降旗くんはびくっと体を小さく痙攣させ、怯えに揺れる瞳で僕を凝視しました。もしかして、抵抗を自粛しているわけではなく、怖くて力が入らないのでしょうか。なんだかとても悪いことをしている気分です。僕のほうも、馬乗りになっているだけで、力で押さえつけるようなことはしていないんですけどね。さっきから口をぱくぱくさせていますが、言葉は出ません。かわいそうに、怯えるあまり声帯を震わせる方法も飛んでしまっているようです。……ひょっとして、それなりの回数をこなしていると思われる赤司くんとのセックスでも、過度の緊張に陥るとこんな反応になったりするのでしょうか。だとすると……赤司くんが降旗くんを抱けないのもわからないではありません。これは見ているだけでかわいそうですよ。こういうのはAVやフィクション作品だったら楽しいかもしれませんが、現実のお相手がこれではつらい。……こういう状況を楽しいと思わず手を出せないということは、やはり赤司くんのほうも降旗くんが大事なんじゃないですかね。好きな相手がセックスでこの調子だったら、悩みもしますよ。
……まあ、僕はやりますが。かわいそうですけど。しかしやらねばならないときというのはあるものです。
降旗くんの頭上にあるソファのアームの開閉部に手を伸ばし、中からビニールに入った黒い布を取り出します。
「アイマスクを用意しましたので、これをつけてください。僕を見るより、赤司くんとしているところを想像したほうが盛り上がるでしょう?」
ちょっとした目隠しです。簡単にずらせるアイマスクを提示するあたり、僕が紳士的であるのはおわかりいただけると思います。降旗くんの前に差し出しましたが、完全に硬直してしまっているので、仕方なく僕が勝手に彼の目にアイマスクを当てました。さすがにびっくりしたのか、少しだけ声が漏れます。
「や……くろ……」
「僕がしっかりきっちり手ほどきいたしますね。大丈夫、これはただのリハーサルです。僕がきみに本気で迫ることなんてないのでご安心を。きみが希望したレクチャーとは異なるかたちにはなりますけど……見学より実践のほうがきっとためになりますよ? ね?」
耳元に唇を寄せあやしくそうささやくと、僕は降旗くんの前髪を上げ、額に軽く口づけを落としました。
いやあ、我ながらいいヒールいいヒール。褒めてください火神くん、僕すごくがんばってます。
だってですよ? 僕、本来はネコなんです。向かないんですよ、抱くほうは。いま気合を入れてセックスのイメージングをしているのですが、浮かんでくるのは火神くんに抱かれる自分の映像ばかり。このような雰囲気の中でまず第一に思うのは、火神くんに抱かれたい! ということです。
しかし降旗くんもまたネコのようですし、こんな状態ではとてもとてもひとを抱くなんて無理だと思われます。だから僕ががんばるしかありません。
抱ける、僕は降旗くんを抱ける……!
そう自己暗示を掛け、僕は指先を降旗くんの鎖骨の上に置き、ゆるゆると何度も左右に往復させ、そのラインをなぞりました。
まあ、やれるところまでやってみたいと思います。