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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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黒子が性同一性障害の話 1

「別れてください、火神くん」
 見るからに値の張りそうなコーヒーカップを危うく落とすところだった。
 黒子が俺にそう切り出したのは、マジバでもファミレスでもなく大学の学食でもなく、まして俺達が一緒に暮らしている部屋でもなく、少し高級な雰囲気のあるカフェの個室だった。なぜか突然、たまには趣のあるデートがしたいと言いだしたあいつが考えたコースだ。アンティークがふんだんに使われた、いかにも女性が好みそうな場所。現に客のほとんどは女性で占められており、男といえばカップルか家族の一員しか見当たらない。男ふたりで入るには相当勇気が必要な空間だ。黒子ならまだしも、俺の体格では場違いにもほどがある。店をデザインした建築家も、190のガタイがいい男が入店するなど想定していないのだろう、俺には天井が低過ぎた。さすがに常時屈まなければならないほどではないが、普通に歩いていると天井から吊るされた凝ったデザインの照明の傘がまともに額にぶつかるので、移動中は猫背を強いられる。
 黒子にここへ連れられてきたとき、足を踏み入れるのはかなり躊躇したが、犬に追いかけられる自分を想像し、思い切って入口の内側に駆け込んだ。あいつはミスディレクションを悪用するまでもなくするっと入店していた。くそ、おかげで俺がひとりで来店したみたいに思われただろう。あのときの周囲のどよめきと好奇の視線といったらなかった。店員があいつに気づいてくれなかったので、予約の名前も俺が言わなければならなかった。恐ろしいことに、カップル御用達の個室に予約が入っていた。いや、俺らもカップルではあるのだが、この店の想定の範囲外のカップルであることは断言できる。ちなみに電話予約はあいつに任せておいたのだが、なんと『火神』で予約していやがった。『黒子』にしておけよ。なんか無駄に恥ずかしかっただろうが。
 昼飯は家でがっつり済ませてきたので(あいつにデート前に腹を膨らませておくよう指示されていた)、ここでは飲み物だけを注文した。大量の食い物を頼めるような雰囲気の場所でないことは、さすがの俺も察知した。ティーカップもスプーンも砂糖の容器も、興味のある人間にとっては何もかもが鑑賞に値するであろう、意匠を凝らしたものだった。俺にとってはただの器だが。あいつは、なんかよくわからないが変にねじれたスプーンの柄を見ては、かわいいですねなんて言ってから使っていた。ほかのアイテムにも興味を惹かれるのか、室内のインテリアやテーブルの上の小物をしきりに観察していた。意外な側面を見たと思った。
 俺はとっととコーヒーを飲み干して二杯目を頼んだが、あいつはホットのアールグレイをお上品に少しずつ飲んでいた。
 ――なんでこんな場所選んだんだよ。すげえ浮いてたぞ俺。
 ――そうですね。ちょっと笑えました。
 ――自分は目立たないからって気楽なもんだな。もしかして俺をいじめたくてこんなとこに連れてきたのか? だとしたら悪質なサディストだ。
 ――違いますよ。純粋に来たかったんです、ここ。お店の外装もインテリアも、傘立てから本棚、食器に至るまで、かわいいじゃないですか。
 ――おまえこういうの好きなのかよ?
 ――はい、好きです。かわいいと思います。
 ――若い女ならわかるが、おまえが好むとはな。
 ――そりゃ、好みもしますよ。ふふ……。
 主に俺の文句がメインの会話だったが、あいつの受け答えにはいじわるっぽいところはなく、本気でここを訪れたくてデートコースに選んだのだろうと思えた。正直理解不能なセンスだが、あいつが楽しそうなので、あいつの好きにデート場所を選ばせてよかったと思った。
 ――おまえにこんな趣味があったなんて知らなかった。一緒に暮らして結構長いけど、知らないことってまだまだあるんだな。
 揶揄する意図はなかった。純粋に、あいつの意外な趣味に驚き、新鮮さを覚えてのことだった。新しい面を発見できたことのささやかな喜びが、入店時の気まずさから来る不機嫌をすっかり払拭していた。俺って単純だ。
 しかし俺のそんな言葉をどう受け取ったのか、あいつは他人にはわかりにくい表情を少し歪め、ティーカップを皿に置いた。そして居ずまいを正しまっすぐ俺を見てきた。いきなりなんだとこちらが身構える前に、あいつは「今日ここへ来たのは、大切なお話があるからです」と前置きした。よい予感はしなかった。
 そしてあいつは言ったのだ。
 別れてください、と。

*****

 まさかデート中にそんな話を切り出されるとは予想だにしていなかったので、俺はおおいに混乱した。俺たちの仲は至って良好だったはずなのに。どういうことだとあいつに詰め寄るよりも先に、なんでこんな発言が飛び出るんだ、何かあったのか、俺は何かまずいことをしたのかと不安になり、あいつとこういう関係になってから今日までの記憶が頭の中で無制御に蘇ってきた。走馬灯ってこういうののことを言うのだろうか。だとしたらやばいじゃん。俺死ぬのか?

 あいつとは、出会ってから一年くらいはごく普通の……まあ仲がいいといっていいレベルの友人だった。そこにバスケにおいて最高の相棒という要素が加わる。というよりこちらがむしろ主体かもしれない。
 最初のきっかけは二年に上がって間もない頃、春の終わり。日付は忘れたが、四月後半、気圧だかなんだかの影響で、気温が七月並に上がった日があった。水分補給には十分気をつけているものの、この一時的な異常気象は予想外だった。ほとんどの部員が脱水で次々とばてていった。体が資本なのに練習で健康を害していたら元も子もない。カントクもさすがに無理はさせなかったので、患者が出ることはなかった。今後の作戦の都合上、黒子はほかの少数のメンバーと一緒に別メニューに取り組んでいた。その日の部活動であいつのパスを取る機会はなかった。
 体育館の鍵当番だったので、上がるのは俺が一番遅かった。遅くまでいられるのをいいことに、ひとりで少しだけ練習をした。オーバーワークがカントクにばれたらあとで、いやその場でシめられると理解しつつ。
 すでに夜と言っていい時刻になっているのを確認し、体育館と用具室を施錠して部室へ戻った。室内は暗かった。俺以外残っている部員なんているはずもないのだから当然だ。部屋の明かりをつけロッカーを開け新しいタオルを取り出す。すっかり汗みずくだったので、上半身裸になり、練習着を椅子に放り投げた。むっとした室内の温度と湿気が不快で窓を開ける。まだ暦の上では春だったので、真夏の夜のような蒸し暑さはない。日中の暑さに比べるとずいぶん涼しかった。あまり体を冷やすのはよくないとわかっていたが、晩春の清涼な夜風が気持ちよくて、しばらく外気に当たっていた。そうしてしばらく突っ立っていたわけだが、練習時の気合いがすっかり抜けたのか、いまさらのようにどっと疲労が押し寄せてくるのがわかった。ふう、と息をついて、俺は窓辺にずるずると座り込んだ。膝が笑うくらいだったが、納得いくまで体を動かしたあとの疲労感は心地のよいものだった。もうしばらくここでだらけているか、と考え身長相応の長い手足を床に放りだそうとしたそのとき、何かが右手に触れ、
「ん……」
 小さく人の声がした。誰もいないはずなのに。
 俺は一瞬、何か人ならぬものの気配があるのかと身構えたが、すぐに心当たりがついた。
「黒子?」
「う……ん」
 照明の下だというのにまったく気づかなかったが、なんと真横に黒子が仰向けで転がっていた。タオルを目元に掛けているが、一度存在を認識さえしてしまえば、黒子であることは一目瞭然だ。出会って一年、いい加減こいつのうっすい存在感にも慣れて反応できるようになったと思っていたのだが、油断しているとこのありさまだ。俺もまだまだだったか、と妙な感想が胸に湧く。下手をしたらこいつを置いて帰って、一晩部室で過ごさせるところだった。俺が気づいたのは幸いだった。
 声は多少聞こえたものの、ほとんど動かない。もしかして熱中症で倒れたのかと思い頬や首に手を当てたが、体温は正常だった。体力のないあいつのこと、帰る前に一休みしようと寝転がって、そのままぐっすりというコースをたどったのだろう。体温に関しては、先刻まで練習をしていた俺の手のほうが熱かった。床のささやかな冷気に冷やされたらしい身体はひんやりとしていて、触るとこちらの熱が奪われ、気持ちよかった。
 おお、これはいい――そう感じるままに、ついあいつの服の裾をめくって脇腹や腹筋のあたりに手を這わせた。あいつは疲れきっているのか、まったく反応しなかった。何の気はなしに無遠慮に触っていた俺だが、やがて変に体が熱くなるのを感じた。
 ――やべ。
 まあ、なんだ。端的に言うと、たっていた。若い男というか、少年らしいことに。
 練習にせよ試合にせよ、強度の運動で体に負荷をかけたあとは、逆に神経が高ぶるのか、こういう反応に至る場合がある。いまにして思えば、あいつの体をべたべた触っていたことが最大の原因だったと考えられるのだが、このときはそんな発想はなかった。俺も純粋というか鈍感だったものだ。
 あいつから手を離し、自分の股間を確認すると、割とのっぴきならない感じになっていた。どうするんだこれ……。
 ひとりきりなら仕方ないと割り切って、部員のみんなに心の中でごめんと謝ってから、鎮火活動に取り掛かるのだが、いまは横にあいつがいる。しかもいつの間に腕を上げたのか、俺のハーフパンツから飛び出したウエスト調整用の紐があいつの指に絡んでいた。それも結構しっかりと。どうするんだこれ。詰んだか俺の学生生活。
 とりあえずトイレに駆け込むのがいいかと判断し、あいつの手を引き離そうとするが、うまく取れない。あいつの少し冷たい手をいじっているうちに、下半身はますます反応していった。
 なんかもう、限界かも。
 そう感じた俺は、開き直ることにした。早く帰ろう。そのためにはさっさとこの状況を打破しよう。可及的速やかに。
 そういうわけで、あいつが横に寝ているというスリリング極まりない夜の部室で、ひとり処理に掛かった。声は極力抑えたが、多少は息が上がる。あまり時間を掛けるわけにはいかない。とっとと済ませよう。
 そう思った矢先、もぞ、と体の横で何かが動くのを察知した。
「く、黒子……」
「か、がみ……くん?」
 いつの間にか目を覚ましたあいつが、寝がえりを打ちつつ呆然と俺を見ていた。俺は一気に体温が下がるのを感じた。しかし下半身の熱は例外のようだった。
 とてつもなく情けない格好で、俺はうろたえた声を出した。
「あー、その、なんだ……な?」
「ええと、すみません、僕……出ていきますね」
 急に立ち上がったことで低血圧を起こしふらついたものの、あいつはバランスを崩した体でどうにか立ち上がり、出入り口へ向かおうとした。
「待て!」
 思わず腕を掴み、静止する。あいつは振り返らないまま、俺よりも慌てふためいた声で、珍しく叫んだ。
「だ、誰にも言いません! っていうか僕、何も見ていません!」
「いやいやいや、見ただろう」
「見てないです!」
「いや、見てたって。ばっちり目ぇ合っただろ」
 疲労でよれよれのあいつの体を強引に引き寄せ、床に座らせる。あいつはおっかなびっくりといった調子で、俺の前で委縮気味に座った。当然前に出ているあれは見えている。俺はなかばやけっぱちな気分で、がしがしと頭を掻いた。
「あー、変なとこ見せて悪かったよ。でもおまえも男なんだから、どーにもならねえときくらいあるだろ?」
「でも、だからって、部室でなんて……。まさか以前からしてたんですか、ここで!?」
 信じられない、というようにあいつが目を見開く。ひどく動揺した様子だ。びっくりするのはわかるが、なんか汚いものを見るような視線を感じて、ちょっとおもしろくなかった。
「んなわけねえだろ。緊急事態だったんだよ。なんつーの? 疲れすぎるとかえって元気になっちまう、みたいな? 今日はたまたま運が悪かったんだよ。普段からこんな場所を問わずなんてことはねえ。でも、おまえもそういうことあるだろ?」
「いえ、僕は、そんなこと……」
「ほんとか?」
 潔癖症の女子みたいなリアクションをするあいつに、ちょっとしたいたずら心を刺激され、俺はあいつの股間に手を伸ばした。
「や……っ!」
 あいつはびくんと体を硬直させた。手に伝わってくる感触は、予想通りのものだった。
「なーんだ、やっぱ反応してんじゃん」
「か、火神くん……」
 あいつは泣きそうな目で俺を見た。怯えたようなその表情に、悪いことをしているような気がした。いや、実際悪いことをしていたのだが。
「んなうろたえるなって。ただの生理現象だろ」
「あっ……ちょ、か、火神くん……」
「あ、悪ぃ……」
 手を離そうとしたら、痛んだ爪の先がズボンの繊維に引っ掛かり、布を引っ張るかたちになった。結果的にあいつは予期せざる刺激に見舞われることになったのだった。あいつは震える手で俺の手を掴み、離れさせようとした。力は全く入っていない。
「や、やめてください、僕はそういうのは……」
「でもこのままだと帰りにくいと思うぞ?」
「トイレに行ってきます。そのまま帰りますので、さようなら。お疲れ様でした」
 あいつはのろりと中腰で立ち上がろうとした。しかし、その手を再び俺が取る。あいつは困惑しきったまなざしを向けてきた。その表情に一抹の罪悪感を覚えつつ、毒を食らわば皿までと自分に言い聞かせ、
「待てよ。なあ、お互いこうなってることだし、その……ここは共犯といかねえか?」
 あいつの耳元に唇を寄せそう囁いた。
 完全に状況に呑まれ冷静な判断力を失っていたあいつは、俺に誘導されるがまま、俺の提案に乗ることになった。
 せっかくなので――というのもおかしな話だが――互いの手を交換して抜き合った。あいつは完璧にびびっていて、ほとんど手なんて動いていなかったが、あいつと部室でこんなことをしているという背徳感に似た感覚が背筋を走り、いままでにない興奮を覚えた。一方のあいつは戸惑いに顔をくしゃくしゃに歪めていた。いまにして思えば嫌悪や拒絶も混ざっていたと思うが、そのときはあいつの小さな喘ぎ声や浅い呼吸音ばかりに気を取られてばかりいた。
 とりあえず互いに満足したあと、幾分すっきりした頭で相手を見ると、あいつは声もなくぼろぼろと涙を流していた。さっと全身の血の気が引く音がした。なんだかレイプしてしまったような気になった。俺は、呆然としているあいつの衣服を整え制服の上着を着せると、ごめん、ごめん、すまなかったと謝り倒しながら、あいつの手を引いて校外へ出た。このまま家に帰したら大変なことになるような気がして、あいつの許可を得ないまま俺の自宅に連れていった。手を引かれるままぼんやり歩いていたあいつは素直に部屋の中まで入って来たが、そこが俺のアパートだとようやく認識すると、再び狼狽し、あたふたしながらドアへと踵を返した。
「黒子!」
「帰ります」
 そう断言したものの、足取りは覚束ず、いまにも転倒しそうだった。危ないと感じあいつの腕を背後から掴むと、あいつは完全に怯えて体を固くした。
「待てよ、待てって。……さっきは悪かった。もうしねえから、ちょっとここで落ち着いていってくれ。飯、つくるからよ」
 見下ろすかたちでは恐怖を煽るかと思い、俺は膝立ちになってあいつの前に回ると、両手を取ってできるだけ優しくそう話しかけた。あいつが何を思ったのかはわからないが、ともかくあいつは頷くと、ローテーブルの前に座っておとなしく待っていた。
 飯を食ったあと、改めて謝り倒す。殊勝な俺の態度にあいつのほうが恐縮したようで、もういいです、とあっさり答えた。もっともその後、火神くんは若い男の子ですし、仕方がない面もあるのかもしれませんが、部室でああいうことをするのは感心できません、と月並みな説教を食らうことにはなった。あいつがいつもの調子に戻ったことに俺は心底安堵した。その後ちょっとだけ、その手のことを話題に出すことが許された。どうも黒子は、世間一般の男子高生のイメージからはかけ離れたところにいるようで、最低限の処理しかせず、興味も薄いということだった。アセクシャル気味なんでしょう、と本人はしれっと言った。その言い方があまりに淡泊だったので、でもさっきは反応してたじゃないか、と俺はまた掘り返すようなことを言ってしまった。あいつは、それはきみが……と何やら言いかけたが、すぐに顔を紅潮させて黙り込んでしまった。俺はもう一度、悪かったよと謝って、それ以上の会話は慎んだ。あいつは再び、もう帰りますと言って、今度こそ本当に出ていった。夜遅いこともあり心配だったので、帰宅したと思われる時間にメールを送って安否を確認した。メールは事務的ながら返って来た。
 翌日以降の関係が何か変わったかというと、特にそんなこともなかった。俺たちはいままでどおりの学校生活を送り、バスケに没頭した。
 しばらくして町がすっかり夏模様になった頃、連日練習試合が組まれた。くたくたに疲れた最終日、試合場所は俺たちの高校で、一番体力が残っていた俺が施錠を任される羽目になった。まったくなんで俺が、と胸中でぼやきながら部室に戻った。扉を開くと、お帰りなさい、お疲れ様でしたという労いの声が飛んできた。あいつがひとりで俺を待っていたのだった。制服を着てはいるが、暑いためか、ボタンは全開で、下にはインナーもTシャツも着ていなかった。更衣室ではよくある姿だが、日の暮れた時間にあいつとふたりきりの部室という状況は、あのときのことを俺に思い起こさせた。意識した途端、顔が、いや、全身が熱くなった。俺は椅子に座るあいつのそばへそろりと寄ると、上体を屈めあいつの肩に手を置き、耳元で言った。なあ、したくなっちまったんだけど、と。あいつはわかりやすく体をすくめたが、すぐに澄まし顔を向けてくると、部室じゃ駄目です、家に帰りましょう、と答えた。着替えて荷物をまとめると、言葉も交わさず、暗黙の了解のようにして俺の部屋にふたりで向かった。ベッドにも上がらず床の上で、あの日の部室でやったようなことをまたやらかした。今度はあいつの意識もはっきりしていた。終わった後も冷静なものだった。まるで整理体操の一環であるかのように。実際のところ、そんなようなものだったと言えるかもしれない。
 二度あることは三度あると言うが、そのとおりになった。俺たちは部活や試合や練習の後、毎回ではないが、こうやって俺の部屋で互いを鎮め合うようになった。いや、あいつはその必要がなかったようだが、誘えばつき合ってくれた。そしてそんなことをしていれば弾みが生まれることもあり得るわけで……あるとき、処理するだけでは満足できず、あいつにその先のことを迫ってみた。もちろん、百パーセント性欲に突き動かされてのことではなく、ものの試しみたいな感覚で言っただけだ。あいつはそわそわと視線をさまよわせながら葛藤している様子だったが、やがて小さな声で告げた。わかりました、でも、優しくしてください、はじめてなんです、と。その初々しさにたまらなくなって、結局あいつの願いはあまり叶えられなかった。しかしあいつが非難してくることはなかった。キスをしたのはそのときがはじめてだった。

 ……思い返せばなかなか爛れた馴れ初めだ。好いた惚れたの世界ですらなかった。若気の至りにしてもひどいものだ。こんなスタートからよくもまあ、改めて告白してつき合って、なんて流れになったものだと思う。あまつさえ、大学進学を体のいい口実にしてルームシェアという名の同居生活(事実上の同棲だ)を送るようになるなんて。
 なんだか都合のよすぎる展開だった気がする。だとすると、その反動がいまになって来たというのか。あいつとベッドでたっぷりコミュニケーションを取ったのはつい昨日のことだ。バカップルと罵られても納得するくらい、仲良くいちゃいちゃしていたというのに。それがなんで、昨日の今日でこんな深刻な話が持ち上がっているんだ?
 何の前兆もなく別れ話を持ちかけたあいつを呆然と見つめながら、俺は震えそうになる声をなんとか自制した。
「もしかして、好きな女がいる……とか?」
 あいつが別れたがる理由として最初に思いついたのがそれだった。ショックはあるが、嫉妬は感じない。なぜなら、女性と競うなど詮無いことだとわかるからだ。あいつは、俺が好きだと告げたときそれに応えてくれたが、多分同性愛者というわけではない(それに関しては俺自身も同様だと思っているのだが)。だからあいつに好きな女の子ができたとしても、それを不誠実だと罵ることはできない。より自然な方向に落ち着いたと感じるだけだ。それに――これは俺の価値観にすぎないのだが――相手が女性なら、別にこのまま俺との関係を続けてもいいのではと思ってしまう。同性とつき合うことと異性とつき合うことは等価ではないと感じている自分がいる。ポリガミー主義のつもりはないのだが、両立させることも可能なのではないかと思ってしまう。……ああ、そんなふうになりふり構わず考えるくらい、俺はこいつと別れたくないのか。
「なあ、もしそうだったとしても――」
 それが即別れる理由にはならないんじゃないか。
 そう言いかけたところで、あいつが遮った。
「いいえ、そういうわけではありません。僕がいままで恋したのは、きみひとりだけです」
 きっぱりと否定された。しかもちょっと嬉しいことも言われた。
 あいつの双眸はまっすぐ俺をとらえている。昔から変わらない、おとなしいながら意志の強いこいつの目だ。
「俺、なんかまずいことしたか?」
「いいえ、何も。きみはすばらしい恋人です。この先、きみのような人に出会うことはないのではないかと思えるくらい」
「なら、なんで……」
 なんかすごく情けない。フられる男の惨めさってすごい。
 取りつく島もなく否定を連発するあいつは、失望に打ちひしがれる俺から少し視線を外した。
「僕のせいです。すべては、僕の問題なんです――」
 いままでより一層深刻なトーンになった。
「僕、きみに隠していることがあります」
「隠し事?」
 いったい何だというんだ。聞きたいが、聞くのが怖い気もする。
 自然、俺は目つきが険しくなったことだろう。それでもあいつはもう一度まっすぐ、真摯な瞳で俺をとらえた。
「ごめんなさい、火神くん。僕、間違って男に生まれてしまったみたいです」
 ……はい?
 人生で一番、自分の耳を疑った瞬間だった。
 いったい俺は何を聞いたのだと、混乱にすら至らないところで自問していると、あいつが畳みかけてきた。
「僕、本当は女の子なんです」
 ……なんだって?
「女の子……? 女? え、え、ええ!? お、お、女ぁ!? い、いやでも、おまえ……。俺、おまえと結構長くつき合ってて、その、あっちのほう……ついてた、よな……?」
 俺が知る限り、黒子は男だ。こいつがおしめをしていた赤ん坊の頃の両親を除外すると、俺が一番そのことを知っている。成人したこいつの体をもっともよく見て触って知っているのは俺だろうから。ともすれば、本人よりも見ているかもしれない。
 思わず椅子からずり落ちかける俺に、あいつは困ったような笑みを向けた。
「はい、きみもご存じのとおり、僕は男性の体をしていて、男性としての生殖機能を持っています。それは間違いありません。でも、心は女性なんです。メディアなんかで有名になってるから、聞いたことあると思いますが……性同一性障害って言ったら、わかりますか?」
「え、ええと、オカマさん……とか?」
 なんか違うと思ったが、具体例が思いつかないので、近いと思える領域の単語を言ってみた。なんとなく敬称をつけてしまった。
「人によりけりですが、ああいった人たちはお仕事でやっている場合もありますので、同じカテゴリにするのは乱暴でしょう。僕は……そういうのではありません。そういう呼び方をされるのも、歓迎はできません」
 そう言ってあいつは、申し訳なさそうにうなだれながら説明をはじめた。
 話によると、こいつは生物学的には完全な男で、自意識の上では女という、MtFの性同一性障害であるということだ。昔から強烈に自分は女だと意識していたわけではないが、自分の体に何とも言えない違和感を感じ続けていたらしい。女物の服装や化粧に強い興味や執着はなく、目立つほど露骨な女性的趣味もなかった。これは実際の女性の間でも個人差が大きいことなので、不思議ではないのかもしれない。自分を女だと認識したうえでボーイッシュな服装や振る舞いを好む女の子というのはいるだろう。
 だが思春期になってその違和感が大きくなり、男の性に対して、つまり自分の体の性的な部分に関して、ある種の恐怖や嫌悪を抱くようになった。まだ自分の心が女性であるとはっきりわかっていたわけではないので、生理が来ないことをおかしいと思うことはなかったという。ただ男であることを不思議に感じることはあったらしい。しかしそれでも激しい齟齬は意識されなかった。なぜ自分の体は男で、諸々の性的な処理が必要なのだろうと疑問に思ったものの、世の中には性的な方面に潔癖ないし無関心な性質の人間もおり、自分もそういうタイプなのだと考えていたようだ。
 何かがおかしいと感じながらも平均的な男子として十代を過ごし、大学で交友関係の幅と質が広がったことで、トランスジェンダーの世界を知った。そこでようやくあいつは、本当の自分の姿を見つけられたという。すなわち、自分の心が女性であるということ。
 テーブルの上で手を組み、視線を落とすあいつの顔には苦悩の色が窺えた。
「だましているつもりはありませんでした。自分の心が本当は女性だとはっきり意識できたのは、大学に入ってからのことで……その頃にはすでにきみと一緒に暮らしていました。そうなってはじめて、僕は女性としてきみのことが好きなのだと理解しました。僕のきみへの恋愛感情は、女性が男性に向けるそれと同じだったわけです。僕は、女の子の気持ちできみに抱かれていたんです。すごく後ろ暗い秘密を隠しているようで、今日まで言い出せませんでした。これまで黙っていて本当に申し訳ありませんでした。……ごめんなさい、もうきみとは一緒にはいられません。だから……僕と別れてください。いままで幸せな時間をくれて、ありがとうございました。さようなら……火神くん。最後に一言だけ許してください。……きみのことが大好きでした」
 一方的にそう告げて――俺は何も言えず固まっているだけだった――あいつは俺の側に置かれていた伝票をさっと取ると、早歩きでボックス席を出ていって、そのまま戻ってくることはなかった。俺は追うことはおろか、席から立ち上がる気力さえなかった。
 処理しきれない情報に混乱する頭でどうやって帰ったのかはわからないが、日が落ちる頃、俺はアパートに着いていた。あいつの姿はなかった。バッグと衣料品がいくつか消えていた気がするが、ほとんどは、今日出かけたときのままだった。夜になってもあいつは帰って来なかった。次の日も、その次の日も、二年という月日をともに過ごしたこの部屋へ、あいつが姿を現すことはなかった。

つづく


 

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