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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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仮託の恋

「恋煩いの悩みを相談されたよ」
 青葱の緑色が混じるだし巻き卵を飲み下した赤司の口が単調に紡いだ言葉は、まったくもって何の脈絡もないものだった。
「は……?」
 弁当箱のゆかりご飯をすくい掛けていた緑間の左手の箸がぴたりと止まる。これといって変わりのない昼休みの談話室、週一程度に囲む赤司との昼食の席で言葉少なに昼食の弁当をつついていた緑間は、唐突に持ち上がったトピックに幾分困惑した。恋煩いの相談。なんだそれは。いったいどんな文脈でそんな流れになったのだ? というか、さっきまで何の話をしていた? 思い出せないということは至極どうでもいい話題だったということだろうが。
 眼鏡の下で目をぱちくりさせる緑間にさらなる情報を与えるように、赤司が再び口を開く。
「恋をしているらしい」
 主語の省略。日本語には頻繁に見られる現象だが、それは話し手と聞き手の間で動作主の認識が一致しているときだ。話一発目の文としては不適格だと、国語教師なら評するだろう。語尾が「らしい」と伝聞調になっているということは、主語は一人称ではないということだろうか。もっとも目の前に座る男のことだ、あえてぼかした言い回しを選んでいるに違いない。これは話術だ。聞き手の質問を誘発し、話題に引き付けるための。
「誰が? というか、藪から棒に何なのだよ、いったい」
「いやな、先日恋愛相談を持ちかけられたんだ」
「誰から?」
「ともだち」
 一音一音を区切り、あからさまにゆっくりと、そして短く答える赤司。そこに含まれる意図を緑間は即座に理解した。
「……もしかして、ここの?」
 左手は箸に添えたまま、右手の人差し指を自分の右のこめかみにあて、つんつんと軽く叩く。ここの、と言いながら示したのは自身の頭部だが、それが意味する本当の場所は緑間の頭ではない。
「ご明察」
 言いながら、赤司は左手で自分の左のこめかみを指さした。緑間と鏡対称になる仕草で。
 彼らの指先が示すのは、頭の中。そこにある友達とはすなわち、イマジナリーフレンドのことだ。緑間には理解も想像もできない感覚だが、赤司にはイマジナリーフレンド――空想上の友達――がひとりいる。物的な存在の証明が不可能な以上、それが事実なのか、赤司の念入りな一人芝居なのか緑間には判断がつかない。ただこれまでの《彼》とのつき合い――主に将棋の対局相手という立場だが――から、《彼》が緑間の知るいつもの赤司とは異質な存在であることは肌で感じていた。それは対局における駒の流れや配置から受ける違和感であることもあれば、前髪に触れたり脚を組み直したりというふとした動作の中に現れることもあった。《彼》は赤司と交代して体を操作することも可能なようで、多くはないが、直接言葉を交わしたこともある。赤司が最初に表現したとおり、《彼》は穏やかで物静かな態度で接してくる。口調も少し柔らかい。それが《彼》本来のものなのか演技なのかは、《彼》の実在の真偽同様不明だが。ただ、赤司があたかも見えない友人が存在しているかのように話をし、《彼》もまた赤司の友人として振る舞うことから、緑間はイマジナリーフレンドが存在するものとして彼らに接している。すべてを信じているわけではないが、否定できるだけの材料はない。存在しないことを証明するのはきわめて困難なことなのだから。
 詰まるところ、緑間はふたりの赤司と友達づき合いをしているということだ。ふたりいるといっても肉体がひとつである以上、同時に相手をする事態にはなり得ないので、特に面倒や不都合はない。彼らは記憶や感覚を共有しているから、説明の手間もない。《彼》に名前がない、正確には赤司と同じ名前であることは少々厄介だが、実際の会話においてはさほど問題となっていない。というのは、向き合うのは常に一対一のため、体を操っているほうを「おまえ」、引っ込んでいる方を「彼」ないし「あいつ」あたりの三人称で呼べばいいだけのことだから。これが第三者を交えた会話であればややこしいだろうが、赤司は《彼》の存在をほかの者には明かしていないようだった。まあ妥当な判断だろう。にわかには信じがたい話だし、証明手段もない、その上《彼》を紹介することの必要性やメリットはないとくれば、黙っておいたほうが実在の人間関係を円滑に処理できる。緑間が紹介を受けたのは、言ってみれば消去法で選ばれたというだけだ。ボードゲームの相手として。
 何にせよ、緑間は現在、赤司のイマジナリーフレンドの存在を認めている。それが究極的には赤司の一部であり同じものであることを認識しつつ。だからこのときも、そのような理解に基づいて問い返した。
「おまえな……それがどういう意味なのかわかっているのか?」
「というと?」
「……わかっていて俺に言わせようとしているのだと思うが……まあいい」
 こほん、と緑間は咳払いをひとつ挟んだあと、話を続けた。
「イマジナリーフレンドの恋とは、結局おまえの恋とイコールではないか。彼はおまえの一部なのだから」
 最初の赤司の発言は、「自分のイマジナリーフレンドから恋の相談をされた」ということだ。イマジナリーフレンドが赤司の一部である以上、《彼》の恋は赤司の感情に含まれることになる。
 緑間の指摘に、赤司はどこかおもしろそうな、挑むようなまなざしを向けてきた。
「ふむ。恋愛には弱そうだと思っていたが、なかなか鋭いじゃないか、緑間」
「いや、そこは恋愛は関係ないところだろう」
「まあそれもそうか」
 わずかに会話が途切れ、その隙に緑間はゆかりのついた白米を箸の先で小さく切り取り、口に運んだ。お嬢様みたいな仕草だな。赤司がブーメランな揶揄をする。すでに何度も聞いた言葉なのでいまさらむっとするような緑間ではなかったが。
「……で? 要するにおまえに好きな相手ができたということでよいのか?」
「それが戸惑っているんだ。彼はある人物に好意を寄せているということなのだが、俺にはまったくその自覚がない。おまえがいましがた言ったとおり、彼は結局俺なのだから、彼が好きなものは俺も好きなのだろう。実際、本や食べ物の好みなんかは似通っているしな。もちろん、相違も少なからずあるが」
 と、赤司が突然緑間の右手側に左腕を伸ばしたかと思うと、机の隅に置かれた未開封のおしるこ缶を掴んだ。そして、所有者の確認をとることなくプルタブに指を引っ掛ける。
「おい」
「まあまあ。一口だけだから」
 やはり許可を得ないまま、赤司は小ぶりなスチール缶を唇にあて、開けたてで中身の詰まったそれを緩い角度で傾けた。一度だけこくんと喉仏が上下したところで、缶は戻された。
「やはり市販品は甘味が強すぎるな。俺の好みには合わない」
「ひとのおしるこを奪っておいてケチをつけるとは失敬な」
「そう眉をしかめるな。俺にはいまいちだったが、彼の好みには合致したようだから」
「彼はおしるこが好きなのか?」
「さて? 特別甘党ではなさそうだが」
 赤司は唇に付着した甘く粘質な液体を舌先で舐めとると、一瞬眉根を寄せたあと、緑茶のペットボトルの蓋を開けた。口直しがほしいらしい。濁り加工の緑茶を二口ほど喉に流したところで、話を戻そうか、と緑間に告げる。
「彼には体がない。俺の体が彼の体でもあるといえばそのとおりだが、俺たちは対等な存在ではなく、言ってみれば俺が主で彼が従だ。彼が体を使うこともあるが、まあなんというか、賃貸みたいな感覚でね、彼にとっては肉体が存在しないほうが自然なことのようだ」
「その割にはちょくちょくおまえと交代? しているようだが?」
 緑間の言葉に、赤司はちょっと沈黙したあと、いたずらがばれた子供のように一瞬だけ舌を出した。
「……気づいていたか」
「プライベートや授業中については同じ空間にいないから知りようがないが、部活中のプレイの切り替え、あれ、彼の仕業だろう?」
「俺たちの、だよ」
 これまで直接確認したことはなかったが、《彼》は緑間との会話や対局以外の時間にも、しばしばもうひとりの赤司征十郎として出現していた。そのときの口調や態度は赤司のそれと同じだが、《彼》の存在を知る緑間には、仕草や目線の配せ方に現れる小さな差異から《彼》のにおいを感じることがあった。それはコートの中における動きにおいて如実に現れ、事情を知らない者たちからはプレイスタイルの切り替えスイッチのように認識されていた。
「それにしても、気づくとはさすがだな」
「いや、イマジナリーフレンドの話をおまえから聞かされていなければ、単なるスタイルの意図的な変化としてしかとらえなかっただろう」
「別にあれとて、言ってみれば単なるスタイルの切り替えなんだけどな。使っている頭も体も、まったく同じものなんだから」
 合間に弁当の残りを口に運びながら、赤司が説明を続けていく。
「部活での動きを見てもらえばわかるとおり、彼は肉体を操作すること自体はなんら問題なく行える。ただやはり、自分のものではないという感覚は拭えないようだ。……いや、これはいささか正確ではないな。要は主である俺がそのようにコントロールしているということだ――彼に対し、『おまえは架空の存在に過ぎない』と」
「彼はそのことに不満を抱いているのか?」
「いや、特には。彼は俺が望んでつくり出した俺だけの友人だ。だから、俺を困らせるようなことはしないよ」
「おまえたちの望みは同質であるということか。では仮に、彼が普通の肉体ある人間として過ごしたいとおまえに言ったとしたら、それはおまえがそう望んでいるということになるのか?」
 イマジナリーフレンドへの人格の転嫁は、起こり得ない話ではないらしい。はじめてその存在を明かされたときに緑間が感じた危惧――体をのっとられること――は、珍しいが絶無ではないという。もっとも、そこまでいくとただの架空のお友達では済まず、病的な領域になってしまうのだが。
 久しぶりに感じる危機感に表情を険しくする緑間の前で、赤司は特に動揺は見せず、緩い調子で答えるだけだった。
「まあ、そういうことになるんじゃないか?」
「軽いな」
「彼を信じているから。とはいえ、おまえが彼の存在に気味の悪さを感じたり、悪い想像を掻き立てられてしまうのは致し方のないことだと思うよ。わからない人間にはとことんわからない感覚だろうから。でも、あまり気味悪がらないでやってほしいな。彼もまた俺の大切な友人だし、彼もおまえには感謝とともに友情を感じているから。彼には、俺以外の友達といったらおまえしかいないわけだしね」
 緑間はぴくんと片眉を動かした。《彼》が自分に感謝や友情を抱いていると聞かされると、《彼》に対して疑念を抱くことにいささか罪悪感を覚えてしまう。
「しかし、なぜまた恋愛相談なんかされたのだ?」気を取り直すように緑間が質問を紡ぐ。「そういう話が出たということは、おまえが無意識であるにせよ、その……おまえの中に恋愛感情が生じているということなのだろう? 全然心当たりがないのか?」
「そうだな。憎からず思っている相手ではあるよ。ただ、恋愛的な意味で好きだのなんだのという意識がまったくないから、彼から相手の名前を聞かされたときには驚いたよ。冗談ではないかとずいぶん疑ってしまったが……どうやら本気のようだ。聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい、いろいろしゃべってくれたよ――彼がそのひとのことをどう思っているのか。といっても、やっぱりそれは他人の恋バナを聞かされているような感覚で、相変わらず俺自身にはなんら自覚が生じないのだが」
 ちょっと照れたような気まずいような、珍しい表情が赤司の顔に浮かぶ。それはそうだろう、《彼》の惚気話はすなわち赤司の持つ感情の一端と言えるのだから。
「体のない彼には恋心へのアクションを起こす術がない。まあ、いまの俺たちの関係からすれば、彼が俺に無断で誰かに告白するなんてあり得ないのだが。だからここは俺が一肌脱ぐべきかどうか迷っている」
「なんだか友達の恋を応援するみたいに聞こえるが、それってつまり、おまえが自分の恋をどう扱おうか迷っているという意味ではないのか?」
「突き詰めればそうなってしまうのだが、現状俺に自覚が存在しないのだから、俺としては他人の恋に干渉しているような気分なんだ。どうしたらいいかな、緑間」
「そんな相談をされてもな……。当事者であるおまえが持て余している問題を俺が解決できるはずないだろう。だいたい俺はその手の話題には疎いんだ、知っているだろう」
「知っているというか、見た目の印象を裏切らず、って感じだな。おまえと恋バナをすること自体、これがはじめてだと思うし」
「そういえばそうだな」
 珍しいこともあったものだ、とふたりで真顔を突き合わせる。と、赤司が腕時計を確認した。休み時間の残りを気にしているようだ。確か赤司のクラスは次の時間、教室移動があると言っていた。
「俺としては、このまま何もアクションを起こさないでおくべきだと思うんだ」
 腕時計の位置を直しながら赤司が言う。
「相手に何も知らせない、という意味か?」
「そうだ。それがもっとも無難で、そして最良の選択だと思う」
「その根拠は?」
「叶わぬ恋だから」
「何も行動を起こさないうちからそう決めつけてしまうのか」
「なんだ、不満なのか?」
 いつの間にか昼食を済ませていたようで、赤司が弁当箱をランチボックスに片付けはじめる。緑間ははっとして自分の弁当箱に視線を落とした。白米が乾きはじめている。しかしどうにも箸を進められる雰囲気ではない。午後の授業と部活のためにも、きちんと食事はとっておきたいところなのだが。
「いや、不満とかいう問題では。他人の恋に口を突っ込むほど野暮でもなければ経験者でもないのだよ。ただ……少し意外に思った」
「何が?」
「おまえが何もせずに諦めてしまうことが」
 本当にそれがおまえの本意なのかと緑間が怪訝そうな面持ちをすると、赤司がふふっと笑いながら肩を軽く持ち上げた。
「恋はひとを臆病にさせるものらしい。文学の世界でも語り尽くされているだろう?」
「だが、こうもあっさり『何もしない』という結論を出してしまうのはおまえにしては不自然な気がするのだよ。どんな相手なのか知らないのに無責任なことは言いたくないが……おまえが望んで手に入らないものがあるとは思えなくてな。無論、無償でそれが実現できるという意味ではないが」
「手に入れるばかりが恋の成就のかたちでもあるまい。ただ想っていられれば幸せというケースもあり得る。仮に恋という感情が肉欲から切り離された形而上学的な概念だとするならば、いわゆるプラトニックラブこそが真の恋愛ということになるだろうし、そうだとすれば、片想いはその究極のかたちと言うこともできる」
 小難しい表現で発言をこね回す赤司に、緑間が珍妙な生き物を目撃してしまったかのような表情になる。
「……案外ロマンチストなのか?」
「男はロマンチックな生き物だろう」
「なんというか……説得力がないのだよ」
 はぐらかすような赤司の言葉にぽりぽりと頬を掻いていた緑間だったが、ふいに脳裏をよぎった可能性にはっと目を見開くと、わずかに声のボリュームを下げた。
「もしかして、告白などをしたら立場的にまずい相手なのか?」
「たとえば?」
「その……この学校の女性教諭とか、人妻とか」
 内気な女子のようにもじもじと言いにくそうに例を出す緑間の前で赤司は数秒ぽかんとしていたが、すぐに気を取り直したかのように肩をすくめた。
「……ああ、おまえは年上の女性が好きなのか」
 なぜか納得したふうに首をうなずかせる赤司。
「おまえにたとえばと聞かれたから、もののたとえとして挙げただけなのだよ」
「だからってそのチョイスはなあ……。さらっと人妻とかいう単語が出てくる中学生って、なんかヤだな。怖い」
「さらっと形而上学的とかいう単語を持ち出す中学生も相当イヤなのだよ。気持ち悪い」
「まあ否定はすまい」
 ささやかなけなし合いのあと、赤司がすっと目を細める。
「しかし緑間、おまえ存外鋭いな」
「え……まさか、ほんとにその手の女性のことが……?」
「いいや、違う。その手のジョセイじゃない」
 ジョセイ、に不自然な強調をつけて赤司が答える。目をしばたたかせる緑間が赤司の発言の含蓄を読み取るよりも先に、本人があっさりと正解を告げた。
「まさかの同性愛だよ。びっくりしちゃった」
 はあ、と呆れたようなため息とともに赤司が椅子の背もたれに上体を預けた。キ、と木材と金属の擦れる音がかすかに響く。いつもどおり涼し気な表情を崩さない赤司だが、びっくりしちゃった、という彼にしては幼い印象の言葉遣いが、当時の感情を物語っている。しばし忘れていた瞬きを取り戻すかのように何度か素早く目をぱちぱちさせてから、緑間がのっそりと呟く。
「それは確かに……びっくりするな」
「だろう? 彼にこの話をされたときの俺の驚きと混乱たるや、想像に難くないだろう。だってそれってつまり――俺が同性に惚れていることを意味するじゃないか。まったく、参ってしまったよ」
「驚いているということは、これまで全然そのような自覚がなかったということか」
「いまもないよ。オナニーのおかずはきれいなおねえさんだし」
 何気に思いもよらぬ新情報が飛び出したが、生憎この場で赤司の相手をしている緑間が食いつくような話題ではなかった。
「まあ相手が同性というのはびっくりだが、おまえがそこまで引っかかりを覚えるというのもなんだか意外なのだよ」
「意外ということはないだろう。うちは保守的な家庭だぞ」
 赤司が自嘲気味に軽く左腕を広げて肩をすくめさせた。
「戸惑っているポイントは家庭の問題なのか」
「いや……そんな先のことまで考えていない。単純に、相手が同性であることにショックを受けている。ああ、なんで気づかせてくれてしまったんだ、我が友よ……。世の中には知らないままのほうが幸せなことだってあるというのに……」
 赤司は左腕を持ち上げ額に手の甲をあてると、ヨヨヨ、といかにも演技っぽく嘆いてみせる。本当に困っているのかこいつは、との呆れを呑み込みながら緑間が尋ねる。
「おまえは自分の中の恋心にまったく気づいていなかったというが、彼がおまえに相談したということは、すなわち彼がおまえに恋愛感情を指摘したということになる。それって、おまえがその恋を無視したくないと思っていたから、ということにはならないか?」
「痛いところを突いてくるな。そうだ、俺もそれは思った。だが、それ以上のことは俺にもわからないよ。気づいてどうしろというのか、どうしたいというのか……弱ってしまうよ、まったく」
 うつむき加減にぼやく赤司の声はどこか力ない。この男にも迷いや戸惑いを感じるときはあるのか。緑間は場違いにもそんな感想を抱いた。
「おまえでもそうやって悩むことがあるのだな」
「それはそうさ。結局のところ、同性への恋なんてそのほとんどは実らないものなんだから。それどころか、伝えることさえ許されない。何も言わなければずっと友人知人のかたちで良好な関係を続けることができたかもしれないのに、伝えてしまったら大半がそこで終了、恋の終わりとともにそれまでの関係まで失ってしまう。殊に男は女性よりホモフォビアの傾向が強いからな、そういった感情を持ち込むことをひどく嫌がるものだ」
「冷静な分析だ」
「だから何もしないという結論に達したというわけだ」
 合理的な選択だろう? 上目遣いに赤司が問うてくる。同意を欲しているのか、あるいはただの主張か。
「賢明な選択だと思うが……おまえが最初から勝負を捨てる、いや、その舞台にさえ上がろうとしないケースを目の当たりにすることがあるだなんて思わなかった」
「無粋だな。恋愛は勝負でもゲームでもないのに」
「それはそうだが」
「俺が行動を起こさないのがそんなに不思議か? 俺だって人の子だぞ。失いたくないものくらいある。……こういうのは論より証拠かな。緑間、ちょっと耳を貸せ」
 と、赤司は椅子の上でわずかに尻を浮かせ、机に肘をついて上半身を前方に倒す。耳打ちしたいことがあるということだろう。緑間もまた、長身を猫背気味に屈めて彼に顔を近づけた。その左耳に、赤司は口を近づけると、ほとんど吐息みたいなささやきに言葉を乗せた。
「好きだよ、真太郎」
 そよ風よりも弱い響きは、しかし確かに緑間の鼓膜を揺らして内耳に届いた。物理的な振動だったそれが神経を伝い脳に達し言語として認識されたところで、緑間は目を見開き、そして硬直した――こいつはいまなんと言った?
 固まっている緑間をよそに、赤司はさっと身を引いて椅子に戻ると、背もたれに背をあてゆったりと脚を組んだ。
「さあ、俺にこんなことを言われて、おまえはいままでどおり俺に接することができるかな?」
 普段と変わらない、余裕と自信に満ちた声音。ついさっきまでの悩める態度はなんだったのかと言いたくなるくらい、赤司はいつもどおりだった。
 またからかわれた? 即座に疑う緑間だが、彼のささやきの余韻が燻る耳の奥が妙にくすぐったく感じて気になり、不快感を表すことにまで気が回らない。反射的に左耳を抑えそうになった左手をとどめ、ごまかすように眼鏡のツルに指先をあて位置を直す。
「……なるほど。確かに、伝えにくいというおまえの言い分もわかるな。この上なく説得力のある実践説明だった。おまえの判断は正しいと思う」
 赤司の主張に理解を示す緑間だったが、赤司のほうはほんの少し不満気に苦笑しながらゆるりと首を左右に振った。しかし、それ以上話題を続けることはせず、これでおしまいとばかりに脱力した息を吐いた。
「はあ……しゃべったらすっきりした。なんかとんでもない爆弾を胸に抱えているみたいな気分で落ち着かなくて、誰かにしゃべってしまいたかったんだ。ただ、トピックがトピックなだけに、誰でもいいとはいかなくてな、彼の存在をすでに知らせてあるおまえを話し相手に選んだというわけだ。変な話につき合わせてしまったな」
「いや……」
 赤司が自嘲の笑みを浮かべながら顔を上げると、緑間はさっと視線を逸らした。赤司はそれに構うことはせず、もう一度腕時計に視線を落とすと、ランチボックスとペットボトルを掴んで席をたった。
「いつもより早いが、そろそろ引き上げるとするよ。次の授業、理科室に移動だから。じゃあまた、部活で」
「ああ」
 ぞんざいにひらひら振られる赤司の手を、緑間は見送ることなく、左耳に手の平をかざしたままぼんやりその場で視線を泳がせていた。
――好きだよ、真太郎。
 その言葉は説明のための例として用いられただけのものにすぎない。それはわかっている。だがその甘やかなささやきがいまも耳の奥に留まり渦巻いているような錯覚がある。そろそろ予鈴も近づく頃だというのに、昼食はいまだ残っていた。

*****

――勝手に僕を口実に使った挙句僕の真似までするとは、少々ひどくないか?
『悪い悪い。でも、ああでもしないとあいつ無自覚のままだったと思わないか? 見た目通り恋愛沙汰には鈍いし疎い』
――気づかないままそっとしておいてやるのが優しさだと思うが。ひとたび意識すれば嫌でも悩むことになる。
『俺が優しいとでも?』
――……いや、性悪だ。それもとびきり。
『いい分析だ。さすが我が友』

 

 




 

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