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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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ランナーズ 26

 目が覚めて最初に視界に広がったのは、漆黒とは言わないが、深い闇。しかし街全体をがなり立てるように吹き荒れていた冬の嵐の気配はすでになく、部屋は静寂に包まれていた。枕元の携帯に手を伸ばしディスプレイを確認すると、デジタル数字が午前八時を示していた。すでに朝。いつもより遅い起床。眠っている間に低気圧は過ぎ去ったようだ。朝日の足音が感じられないのは、ゆうべ風雨に備えて雨戸を閉めたためだろう。さて今日はどんな空が広がっているやら。盛夏や初秋の台風の翌日のように鮮やかでさわやかなスカイブルーか、あるいは冬のどこか控えめな青空か。窓を開け外の様子を確かめたかったが、まずは灯りの確保だ。雨戸に閉ざされた室内は時間の感覚がまるで湧かない暗さで、時計がなかったら夜中と言われても信じてしまいそうだ。もぞりと布団から抜け出て壁際の照明のスイッチを押す。蛍光灯の白く明るい光がぱっと和室を照らしだす。いとも簡単に。そこではじめて、俺は昨夜は電気が使えなかったことを思いだした。そうだ、停電だったんだ。夜に停電って最悪だよな、何もできないもん。しかもかなり長かった。少なくとも二時間くらいは続いたんじゃないか。食事時でなかったことが幸いか。ここガス調理器ないし、冷蔵庫がそうそう開けられなくなるし。あとはほとんど寝るだけという段になってからの停電だったのは、昨夜の暴風雨のせめてもの情けだろうか。寝るだけならよっぽど電気は必要としないから。部屋がちょっと寒かったけれど。……とそこでふいに記憶が蘇る。そういえばゆうべ、寒いからってなんかふたりで工夫みたいなことしたような。ふたりでっていうか、赤司の提案で。ええと……確か身を寄せ合って――。
 思い出しかけ、はっとして視線を斜め下に移す。部屋の中央にはぴったりと寄せ合った二組の布団、そしてそのふたつを上から覆うようにして掛けられた面積の広い掛け布団。かたちが正方形に近いところからするとダブルではなく炬燵布団を利用したようだ。布団の真ん中より向かって右にやや逸れたところにこんもりとした細長い山が形成されている。彼はまだ夢の中のようだ。微動だにせず布団にくるまっている。窓を開けようと思っていたが、よく眠っているところを邪魔するのは忍びなく感じた。陽光は彼にとってきつい眩しさだろうし、第一雨戸はガラス戸のように簡単には開けられない。新しいマンションで立て付けも完璧だが、普段あまり使用しないパーツだから、スライド時に多少軋んだ悲鳴が上がるのは仕方がない。
 今日は休みだし、ゆっくり寝かせておいても支障はないだろう。自分はどうしようか。勝手に冷蔵庫を空けて朝食を取ることも許されているが、喉の渇きはともかく空腹はあまり感じていないし、どうせなら一緒に食べたい。トイレだけ行って二度寝しようかな。俺は寝室を出ると手洗いに向かった。電気は完全に復旧していたが、強制的な電力の中断により機械類のセッティングラリセットされてしまったのか、トイレの自動選洗浄機が何やらしゃべっていた。勝手にはいじれないので放置した。水を流すのに支障はなかったことだし。
 寝室に戻ると、布団の小山はそのままのかたちを保っていた。彼はまだ眠っているようで、起きだした俺の気配に気づいた様子はない。と、布団の上辺がかすかに動く。起こしてしまっただろうか。照明をつけたまま数歩移動し、なんとなくのぞき込んでみると、赤い髪の毛と軽く閉じられた双眸がうかがえた。夢の世界を漂っているのか、眼球がかすかに動いている。鼻頭まで布団と毛布を引き上げて、顔の上半分だけがちょこんとのぞいている寝姿は幼い印象を受ける。と、彼の頭がふるりと小さく左右に動く。鼻の頭を毛布に擦りつけるようにして。頭はすぐに枕の上で制止したが、十秒ほどすると再び同じような動作を行った。何か夢でも見ているのだろうかと訝しく思っていると、彼は「んっ……」といかにも睡眠中らしい声を漏らしながら布団の下で寝返りを打った。そして顎をわずかに引き、毛布の縁に顔を埋めるとすりすりと緩慢に首を左右に動かす。数回顔を擦り付けたのち彼は毛布からわずかに距離を取ると、今度は額を軽く押し付け、へらっと口元を緩ませた。毛布のもふもふ感を堪能するように。赤司のイメージをぶち壊しにするとてつもなく締りのない表情だったが、そこはかとなく幸せそうでもあった。小さな子がお気に入りの毛布を抱えて眠っている姿を彷彿とさせ、妙にかわいらしく感じた。寝顔で童顔が深まるのは知っていたけれど、睡眠時の行動まで子供っぽい愛嬌を備えているとは。これまで何度も彼の寝姿は見てきたけれど、こんな仕草を見るのははじめてだ。もしかして毛布にだけ反応するのだろうか。十一月はオフが続いたから、毛布を使うようになったのは最近だし。
 普段の泰然自若とした雰囲気の彼が織りなすギャップについ見入っていると、彼のまつげが小刻みに震えはじめる。お目覚めかなと思っているうちに半開きになる。蛍光灯が眩しいのかすぐにまたまぶたを下ろし眉間に皺を寄せる。俺は光を遮るように彼の顔に自分の体の影を落とした。と、数秒すると彼の目がぱっちりと開けられる。
「あ、起きた?」
「ん……いま何時?」
 不明瞭な声。たっぷりと眠たさが伝わってくる。
「八時過ぎ」
「そうか……」
「まだ寝る?」
「いや……起きる」
 彼は右手を布団についてのろのろと体を起こし、左手で口元を覆った。あくびを隠しているらしい。隠れていない部分の表情からまるわかりなのだが。
「停電は終わったよ。いつ復旧したのかわかんないけど。まだ外の様子確認してないけど、雨は治まったっぽいな」
「そうか。あとで雨戸開けないとな」
 正座のまま彼は両腕を天井に向けて伸びをした。
「とりあえずこの部屋だけでも開けちゃおうか」
 寝起きの彼をその場に留め、俺は腰を上げて窓辺に寄るとガラス戸を開き、続いて雨戸をスライドさせ収納した。方角的に太陽の光は直接差し込まないが、いかにも雨上がりの気持ちのよい青空が広がり、朝の爽やかさを伝えてくる。俺が雨戸を戻している間、彼は掛け布団や毛布を剥がし、部屋の隅に移動させていた。寝具を乾かすためだろう。冬といえど寝汗は掻くものだから。毛布の三つ折を故意に崩して重なる面積を少なくする工夫をしている彼に、ふと思い立って尋ねてみた。
「なあ、ちょっと思ったんだけどさ」
「なんだ?」
「赤司って、毛布好きなの?」
「は……?」
 作業の手を止め、彼は不思議そうに首を傾げた。俺の意図が見えないのだろう、怪訝そうな面持ちだ。
「好きか嫌いかというより、必要かそうでないかの視点で論じるものでは?」
 赤司の困惑と指摘はもっともなもので、俺も自分で、文脈なしでいきなり毛布が好きかどうかなんて聞かれてもなんじゃそりゃってなるよな、と内心おおいにうなずいてしまった。
「や、そう言われちゃうとその通りなんだけどさ……なんて言ったらいいのかな、毛布みたいなもふっとしたものが好きなのかと思って」
「なんでまたそんな質問を?」
 まあそう問い返すかたちになりますよね。
「んー、実はさ、さっき赤司が寝てるとこちょっと見てたんだけど、なんか幸せそうに毛布を顔に擦りつけてたからさ」
「毛布に顔を擦り付ける?」
「そう……こんな感じで」
 俺は赤司の横に膝をついて腰を下ろすと、毛布の端を掴み、自分の顎や口元を擦って見せた。
「実演されても確認できないんだが」
 俺が実地で説明中であることは察しがついたようで、それじゃわかんないよと訴えるように首にわざとらしい角度をつける。漫画表現における疑問のポーズのお手本みたいだ。
「あ、そうか、ごめん。ええとね……こんな感じ」
 俺は掴んでいた毛布の端を彼の顔に近づけると、彼の頬にそっと押し付け、水平方向にこちょこちょと動かした。
「こんなふうに、すりすりというかもしょもしょというかもふもふというか」
 幼稚な擬態語を用いると、彼はますます不可解そうに眉をひそめた。
「……こんなことしてるのか?」
「うん。実際に動いてるのは毛布じゃなくてきみの頭だけど」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。毛布にほっぺすりすりさせててさ、そのときの顔がすげー幸せそうなの。寝ながらだけど。だから毛布っていうか、毛布みたいなものの感触が好きなのかなって思って。それとも、なんかいい夢見てた……とか?」
 たとえば巨大なテディベアに抱きつく夢とか。……と自分で考えておいて、それは成人男性にとってすてきな夢に該当するのだろうかという基本的な疑問がよぎった。案外そういうのが好きな男は結構いそうな気もするけれど。
 俺としては赤司の珍しい姿を見たことをちょっと話題にしてみた程度の気持ちだったのだが、赤司は何やら考え込むようにうつむいて沈黙に陥ってしまった。そしてぼそりと一言。
「……まじでか」
 彼にしてはくだけた言葉遣い。ついぽろっと出てしまった感が伝わってくる。
「え……な、なんか落ち込んでる?」
 毛布の前で、彼は目に見えて肩を落とし首を下げ、はあぁ……と重々しいため息をついた。いったいいまの会話の流れのどこにそんな深刻になる要素があったというのか。予想外の反応にうろたえる俺に、彼が口早に言う。
「ひどい、そんなところ見るなんて。僕を辱めて楽しいか?」
「いや、そう言われても……別に観察しようって腹だったわけじゃないし。偶然目撃しただけだよ」
「光樹のいじわる」
「え……えー……」
「いじわる」
「えっと……」
「いじわる」
 これは……遊ばれてる? 最初こそ不機嫌な響きを帯びていたが、その後の短い言葉はやや芝居がかった大仰さがあり、またそれを隠そうともしていない。
「そんなへそ曲げるようなことかな……」
「きみだけ僕の恥ずかしい姿を見るなんて不公平だ」
 むぅ、と使い古された誇張表現を実演してみましたというふうに頬を膨らませる。やっぱりこれ、遊んでるよな。会話遊び。つまり、別に腹を立てているわけではないということだろう。
「や、別に恥ずかしくないと思うけど……かわいかったよ?」
 遊びを仕掛けてきた彼だが、俺の頭が即座にウィットの利いた答えを弾き出せるはずもなく、ただ思ったままのことを率直に述べるだけだった。
「かわいいとかひどい。それは褒め言葉じゃないぞ光樹」
「えー……? きみがそれを言っちゃうの?」
 ひとにキティグッズ押し付けてかわいいとかのたまってたくせに。やっぱりあれは遠回しな罵倒だったのか? いや、そんなひねくれた解釈を本気でしたりはしないが。赤司の発言はまあなんというか、年頃の男の子的な心境によるものなのだろう。もっと言えば、そういった子供じみたやりとりを楽しむ大人の遊びだ。くだらないことをするなあと呆れつつ、そのくだらなさに愛嬌を感じる。あの赤司がこんなことをしているかと思うと余計に。天然なのか計算なのかは知らないが、彼は自分を魅力的に見せる術を心得た人間だとつくづく思う。ひとはギャップに弱い生き物なのだ。
「そうだ、公平を期すために、光樹、きみももふもふしよう」
「は?」
 へそを曲げていた彼が唐突に妙な提案をした。今度は俺がなんのこっちゃと首を傾げる番だった。具体的に何をするというのか。訝る俺に彼が左手を伸ばし、顔の位置を探る。頬をとらえると、続いて右手で掴んだ毛布の端を俺に押し付け、先ほど俺がやったように左右に小さく動かした。
「ほら、もふもふ」
「わ、わかったよ……」
 俺は赤司に言われるがまま、毛布に自分の顔を擦り付けた。
「ちゃんともふもふしたか? ごまかしてない?」
「したよ」
「ほんとに?」
「したした」
 と、赤司は手を引っ込めると、俺の頬に触れさせていた部分の毛布に鼻をうずめ、くんくんとにおいを嗅いだ。
「うん、したみたいだね」
 いや、さすがにあんなちょっとの接触でにおいなんてつかないと思うけど。少なくとも人間の嗅覚で感知可能なほどには。
「赤司ー……そんな、犬猫じゃないんだから」
 視覚以外が常人より鋭いとはいえ、嗅覚細胞が犬レベルになるなんてことはない。だからこの行動はただのパフォーマンスにすぎないだろう。そんな確かめ方せんでも。呆れて脱力する俺の前で、彼はなおもすんすんとにおいを嗅いでいた。俺そんな体臭きついのか? ちょっぴり不安になり、なんとなく自分の上腕を左右交互に嗅いでしまった。自分のにおいだからか、特に何も思わなかったけれど。
 布団を意図的に広げた寝室をそのままにし、それ以外の部屋の雨戸を開けたあと、洗濯機を回し朝食の支度をする。彼に頼まれ冷凍庫を確認したが、氷が溶けて再凍結した形跡はなかった。寒い季節ということもあり、冷食や冷凍保存の生鮮食品の劣化は免れただろう。それでも一応早めに消費してしまいたいということで、朝食にはゆうべの残りのおかずに加え鯖の塩焼きが登場することになった。IHコンロの前に立つ赤司は、残り物の里芋とイカの甘辛煮と味噌汁を温めつつ余ったコンロで鯖を焼き、その隣でサラダの用意をしている。手分けして行うほどの仕事はないし、スペースや物の配置の都合からひとりのほうが作業効率がよい場合が多いという理由もあり、頼まれない限りは手伝わなくていいという暗黙の了解があるので、俺はダイニングの食卓から居間のテレビをぼんやり眺めていた。洗濯は洗濯機がやってくれているし。昨晩の嵐についての話題もそこそこに、テレビ局は通常運営だった。なかなか激しい風雨だったが、目立った被害は出なかったようだ。と、アナウンサーの明瞭な発音に紛れて電子音が届く。携帯の着信音。俺のものではない。聞き覚えのある旋律は赤司の携帯の音だ。電話ではなくメールの受信だろう。音源を探して視線を回すと、ローテーブルの上の小皿に置かれた携帯が点滅していた。
「光樹、代わりに確認してくれないか」
 料理やテレビといったさまざまな生活音に紛れていても自分の携帯の着信音は聞き取ったようで、フライパンの前でターナーを構える赤司がそう頼んできた。鯖の焼き加減が大事なところにきているようだ。
「いいの?」
「ああ頼むよ」
「見ちゃって大丈夫?」
 覗き見にあたるようなことをする気はないが、念のため確認する。
「仕事関連なら、それとわかるタイトルがついていると思う。まあそっちの携帯に送られることは少ないんだが」
 それだけ答えると、赤司はターナーを持つ右手を慎重に動かしはじめた。これ以上は声を掛けないほうがよさそうだと判断し、俺は彼の頼み事を叶えるべく腰を上げ、テーブルの上の携帯を手にとった。赤司は確認してくれと言っただけなので、俺がすべきは発信者と、付いていれば件名を伝えるくらいだろう。うっかり本文を開けたところで怒られたりはしないと思うが。彼はマンションの管理者だから、ゆうべの停電の件で何か連絡や問い合わせでも来たのかな、となんとなく予想していたのだが……。
「……あ」
 母音に濁音がつきそうな声が思わず漏れた。
「どうした?」
 魚を無事にひっくり返したのか、フライパンの蓋を閉め、赤司が尋ねてくる。俺は、何かまずいことをしたわけでもないのだが、ばつの悪い気持ちに見舞われながら彼の携帯が受信したメールを報告した。というのも、
「えと……黄瀬からなんだけど……タイトル、ハッピーバースデー、だって。あともう一件、桃井さつきさんからも。同じく、お誕生日おめでとうって」
 着信メールは二件で、そのどちらもプライベートなもの、そして件名こそ違うがまったく同じ用件だったのだ。バースデー。誕生日。ディスプレイに表示された日付も合わせて気づく。今日は赤司の誕生日なのだ。黄瀬はすぐにあの黄瀬涼太だとわかったが、桃井さつきという明らかな女性名のほうはピンと来なくて、もしや恋人なのではと一瞬勘繰った。しかしどこかで聞いたことのある名前のような気がして、もしかしてキセキの世代の関係者なのか? と思ったところで、『テツく~ん』の声が記憶に蘇った。そうだ、これはアレだ、桐皇のマネージャーだった桃井さんだ。女の子はやっぱりこういうのマメだよな、と偏見だと自覚しつつも思ってしまう。黄瀬はまあ……個人の性格としてマメそうだ。
「……ああ、マメだな、ふたりとも」
 小さな苦笑を漏らしつつも満更ではなさそうな表情。どこか申し訳なさそうな色がうかがえるのは、これから俺から出る発言内容を予測してのことだろうか。
「ごめん……聞いてたのにすっかり忘れてた」
 一ヶ月と少し前、風邪をひいた赤司と電話口でしゃべったとき、彼は俺の誕生日を祝ってくれ、その流れで俺が彼の誕生日を尋ねた。おめでとうくらいは言いたい。期待しないで楽しみにしておく。確かそんなやりとりが交わされた記憶がある。電話のあと、カレンダーに印をつけておいたのだが、月を切り替えたときから付いていた赤丸は背景と化していたようで、完全に失念していた。うわあ、俺の馬鹿。胸中で罵ると同時に、「記憶に自信がない」と予防線を張っておいた自分のしたたかさと情けなさに朝からちょっぴりへこんだ。
「いいよ、僕も一度は忘れてて、そのあとたまたま思い出しただけだから。プレゼントも用意していなかったし」
「プレゼントかぁ……最初は何か用意しようと思ってたんだけど、まだ日があるからいいやって思ってるうちに忘れちゃったんだよなあ……。はあ……先延ばしはいけないってことだよな」
 赤司からはプレゼントをもらっていないし期待もしていなかったが、物々交換が目当てではないので、気持ちのひとつとしてちょっとしたものを用意するくらいはしたかったし、そのつもりもあった。しかし他人の誕生日プレゼントを考える機会なんてそうないので、何にしたらよいのかわからず、考えているうちになあなあになってそのうち忘却に追いやられてしまったのだ。赤司が何も贈らなかったのは、俺が忘れたときに気に病まないようにとの配慮に基づいてのことだったんじゃないのかとちょっと思ってしまった。もらっていたらさすがに忘れなかったかもしれないが、同じくらい、もらっていても忘れていたという可能性も否定できない自分がいる。
「では、なんなら一緒にまとめて買いに行こうか、誕生日プレゼント」
 少々落ち込みモードの俺を気遣ってか、赤司がそんな提案をする。
「一緒に?」
「どうせなら、お互いのほしいものを贈り合ったほうがいいだろう?」
「ま、まあ、そうかも?」
 つまり一緒に買い物に行って、俺が赤司の誕生日プレゼントを、赤司が俺の誕生日プレゼントを購入するということか。互いに本人の意向をその場で聞きながら。
「相手が何をほしがっているのか考えもせず、合理性という名の口実にかこつけてこういう安易な提案をするのは無粋というものかな?」
 難しい言い回しだが、要するに誕生日プレゼントを考える努力を最初から放棄するのはよくないことかと聞いているのだろう。
「え……そ、そんなことないよ。ていうかそのほうがいい。俺も、そういうの考えるの得意じゃないし」
 彼女とつき合った最初の誕生日とか行事とかなら相手の性格によっては情緒がないとか愛が足りないとかで怒られるかもしれないが、男友達の間でそれはよっぽどないだろう。もっとも、男の幻想を裏切り女性にも合理主義者は多いので、この手の提案を歓迎するタイプも少なからずいるに違いない。
「そうか、それはよかった。何かほしいもの、あるか?」
「ほしいもの……うーん、いざ聞かれると困るな……。赤司はなんかある?」
 ぱっとは思いつかなかったので、つい相手に質問を転嫁してしまう。
「きみにこれといった要求がないなら、僕からひとつ提案してもいいか」
「ん? 何?」
「IHコンロ。卓上のやつ」
「IH? 新しいのほしいの?」
 この家のキッチンには建設時点での最新式と思われる電磁調理器が備え付けられているし、卓上タイプも一台所有されているはずだ。一人暮らしであることを考えるとこれ台数を増やす必要性はなさそうだから、壊れちゃったのかなと首を傾げていると、
「いや、うち用のじゃなくて。きみの家に一台」
「え、俺に?」
 赤司の言葉に今度は目をぱちくりさせることになった。
「ああ。結構前だが、ほしいと言ってなかったか? まだ買ってなかったと思うが」
 そんな希望を赤司の前で話したことがあっただろうか。食べ物や料理の話はよくするので、普段の会話の中でぽろっとしゃべったこともあったかもしれないが、ものすごくほしいんですとばかりに意気込んで語った記憶はない。ここで彼が嘘をでっち上げる意味はなさそうだから、俺がそんな話をしたというのは事実なのだろうけど。
「確かにあればいいなって思ってたけど……でも、もらうにはちょっと高いかも?」
 値段の相場はわからないし品質によって価格の幅も大きいだろうが、安い家電ではないと思われる。
「そう言うと思った。……じゃあ、お金を出し合うというのはどうだ?」
「お金を出し合う?」
「そう。一台買って、それを互いのプレゼントということにするんだ」
「でも、俺がもらっちゃったらきみへのプレゼントにはならないような」
 彼は俺の家に一台という言い方をしていたし、彼の自宅にはIHが揃っているから、彼が所有しても仕方ないということは理解できるが、それでは俺が得するだけで、彼にはメリットがないような。それはさすがに悪いよと言おうとしたのだが、
「僕にも使わせてくれればいい。きみの家で」
「え?」
「きみの家に泊まることのほうが多いから、きみの家にあったほうがいいだろう。うちは備え付けも卓上も一式揃っているし」
 彼が先手を打ってきた。
「ええと……それって、きみが俺の家で料理するってこと?」
「そうしたいところだが、ほかにもいろいろ専用の器具がいるんだな、これが。だから平日に夕飯をつくって待っていることは難しい。他人の家で何かあったらまずいからね。一緒に料理するときの選択の幅は多少広がるかもしれないが。でも、卓上コンロを提案した一番理由は……鍋」
「鍋?」
「これからの季節、鍋料理がおいしいだろう?」
 彼がふわりと楽しげに笑う。
「鍋を囲むの、結構好きなんだ。だからきみと一緒に食べられたらと思って。まあ具材の位置がわからないから、きみにいろいろ頼むことになってしまうと思うが」
 うちで鍋をやりたいから卓上コンロを購入しようということらしい。これから寒さがますから鍋料理の機会も増えてくるかもしれないが、毎回鍋はさすがにない。春が来るまでの間、ふたりで鍋を囲む回数なんて限られてくる。その数回のために俺がコンロを所持する……やっぱり彼にあまりメリットがないのでは。良識が彼の提案に安易にうなずくのをためらわせる。どう答えようかと俺が迷っていると、
「駄目かな……? きみの手を煩わせてしまうだろうから、無理にとは言わないが」
 ちょっぴり寂しそうに赤司が眉を下げる。う、その顔は反則ですよ赤司さん。そんなふうに言われたら、
「だ、駄目じゃないよ。きみがそれでいいなら、その……一緒に料理したり、鍋したりしよ?」
 OKするしかないじゃないか。どう考えても彼の手の平で踊らされているのだが、わかっていても踊らざるを得ない。
 俺の返事に、赤司は満足気ににこりとした。昔の印象に反して彼が意外と表情豊かなことはこの数ヶ月で知っていたが、普段の平静で澄ました顔がポジティブな表情を帯びる瞬間にはいまでもどきっとしてしまうことがある。
「じゃあそうしよう。いつ買いに行こうか」
「もう年の瀬だから、どこも混み合ってるよなあ……」
「初売りは避けたいところだな。どのみち正月は忙しいからそうそう出かけられないが。通販という手もあるが、実物を触らないと使いやすさがわからないし」
 急ぐようなことではないし、年内はインターネットの情報で各自ゆるりと品定めでもしようということになった。
 朝食の準備が整い、平日より遅い食卓につくと、一旦は誕生日の話題が途切れた。しかし俺は頭の中で先刻の話を反芻させていた。赤司は俺が誕生日を忘れていること、そしてあとで思い出したら忘れていたことを気に病むだろうことを予見して行動していたのではないか。おそらく先月の俺の誕生日のときから。邪推にすぎないし、本人は過大評価だと一笑に付すかもしれない。だが彼ならそれくらい何でもないことのように仕組んでやってのけてしまう気がする。それでいて、手の平で転がされているようで落ち着かないなんて気分にはならず、むしろ通常運転なんだろうなと安心感さえ覚えてしまう。ただ、ちょっぴり悔しいというか敗北感みたいなものは感じる。お互いに誕生日を祝うという建前だが、結局俺のほうからは何ら能動的に働きかけていないな、と。……ん? 俺のほうから?
「あ、そうだ、赤司」
 ひとつ重要な点に気づき、俺は口の中のご飯を飲み下したあと赤司に声を掛けた。
「なんだ?」
「誕生日おめでとう」
 俺の祝いの言葉に、赤司が端を持ったままきょとんとする。
「また?」
「いや、これがはじめてだよ。さっきはメールの件名読んだだけで、俺からは何も祝ってなかったから」
 そう、誕生日やプレゼントの件を話し合ったものの、肝心の『おめでとう』はまだ伝えていなかったのだ。危うくこのまま流すところだった。何も用意できなかったしそれ以前に忘却の彼方だったわけだが、せっかく当日を一緒に迎えることができたのだから、その日のうちに言うくらいはしておきたいじゃないか。
「そうだったか。……ありがとう」
「これでまた同い年だね」
 同学年だから意味がないが、俺のほうがちょっとだけ年上なんだよなー、なんて思うと、年下の子の誕生日を祝ったような気持ちになり、ほんのり微笑ましく感じる。何気ない言葉だったのだが、彼はおもしろくなかったのか、そのあとしばらく何も言葉を発せず黙々と食事に専念した。傍からはわからない地雷でも踏んでしまったのかと俺は焦ったが、デザートのヨーグルトを出してくれたときにはいつもどおりの調子で、フルーツソースはマンゴーとベリーのどちらがいいか尋ね、俺がベリーを頼むとじゃあ僕も愛想よく返した。単に食事に集中したかっただけのようだ。最近は俺のほうもあまり気にしなくなったが、やはり食べこぼしなどには注意しているだろうから。
「そういえば、誕生日からするときみのほうが少しだけお兄さんということになるな」
 明るい紫色をしたベリーミックスのソースが描くマーブルの美しいヨーグルトを口に運びつつ、赤司が小声で呟く。
「……ん? うん、まあそうだね。一ヶ月ちょっとなんて誤差の範囲だけどさ。これが三月四月だったら学生のうちは大違いになっちゃうけど」
 同学年相手に年上か年下かを問うことはまずないと思うのだが。早生まれの子はたまにネタにされたり自らネタにしていたりということがあったけれど。気にするようなことかなと疑問符を浮かべていると、
「……レース、もうちょっと時期をずらせばよかったかな」
 またしても独り言のようにぼそりと言う赤司。
「風邪、そんなにつらかった? 季節の変わり目だったもんなあ」
 急に寒くなったり和らいだりと調整の難しい時期だったので、一度体調不良に陥ると厄介だったかもしれない。そう思っての発言だったのだが、赤司はこちらに顔を向けてスプーンを持ったまましばし動きを止めたあと、
「きみっててんね……いや失礼。なんでもない」
 ふ、とため息にも似た吐息を漏らし、気をとり直したように顔をうつむけると、ガラスの容器に半分ほど残った薄紫のヨーグルトを征しに掛かった。

 

 

 

 

 

 

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