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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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ちびっこ狼の思い出 6

ちびっこ狼、あの子が大好き

 花火大会の夜、夕暮れ前には戻ってくるという母との約束を破ってしまった俺は、びくつきながら家に戻った。叱られるのは怖くて嫌だったけど、いつまでも外をうろうろしているわけにはいかないし、真夜中を林の中で過ごすような勇気もなかったから、家に帰る以外選択肢はなかった。大会が終わったか、二部があったならそのインターバルかな、打ち上げ花火の音がやんでから俺は彼に心の中でお礼と別れの挨拶を告げ、雑木林の中に戻っていった。その頃にはすっかり真っ暗で、林の中で火遊びをしていた少年たちの気配も消えていた。あの子が一緒にいてくれたことで幾分気分がましになったとはいえ、祭りの夜の常ならざる雰囲気に呑まれていたこともあり、普段より神経質になっていた俺は、尻尾を丸めながら曾祖父母の家の庭先に近づいた。庭には数人分の人影の気配と、ざわざわとした空気が満ちていた。夜になっても帰ってこない俺を心配した大人たちが捜索に出ようとしてたところだったらしい。そんなことは想像できなかった俺は異様な状況に怯えて庭の手前で足がすくんでしまった。しかしふいに照らされた懐中電灯が俺をとらえ、親戚の男の人が声を上げた。大きな声だったから俺は驚いてしまい、思わず雑木林の中に逃げ込もうとした。しかし、少し遅れて俺の名前を呼ぶ母の声に耳介がぴくんと跳ねた。
――お母さん、お母さん……!
 叱られる予想も忘れ、俺は母のもとに駆け寄り広げられた腕に飛び込んだ。あの男の子も優しかったけど、当然ながらやはり自分の母親が一番安心できる。緊張の糸がぷっつり途切れたのだろう、屈んで抱きしめてくれている母の腕の中で、俺は耳を完全に倒し、ぴーぴー鼻が鳴るみたいな甘え声を立てながら尻尾を振りたくり、母の口元や頬を何度も何度も舐めた。怖かったんだよ、寂しかったんだよ、お母さん、会いたかったよ。多分人間の姿だったらわんわん泣いていただろうな。怖いとかじゃなくて、ストレスから解放された安堵感で。母はしばらく俺に変身を解けと命じるようなことはせず、怖かったんだね、ちゃんと帰ってきて偉いね、と俺の感情に共感を示しながらなだめていた。その日は疲れていることもあり、狼の姿のまま眠ってしまったんだと思う。母に抱き上げられて家の中に連れて行かれるのを最後に記憶がぶつっと途切れている。
 翌朝、当然前夜のことを母に尋ねられたよ。ただし問い詰めたり責め立てたりするような調子ではなく、心配だから何があったか教えてというような感じで。さすが母親だけあって、高圧的に接すると俺がびびって何もしゃべれなくなってしまうってわかっていたんだろうな。俺はゆうべの出来事をぽつぽつ語った。断片的にしか話せなかったのは、あの子の存在を隠そうとしたのもあるけれど、単純に語彙が少なかったからだ。幼児は複雑な文はつくれないし、客観性という概念自体ない。
――林の中に誰かいてね、そのひとたちが花火やってたの。なんか怖くなって、逃げちゃった。そのあと大きな花火で大きな音がしてね、俺、怖くなっちゃったの。怖くて、帰れなくなっちゃって……。
 まばらな俺の話から有効な情報を抽出して状況を再構成するのは至難の業だっただろうが、母は俺が意図的に約束を守らなかったわけではないこと、狼の俺が打ち上げ花火にひどく怯えていたことは理解してくれたようで、叱られたりはしなかった。ただ、林の中にひとの出入りがあるなら、いままでみたいに遊び回るのは許可できない、夕方はやめて朝にしようか、みたいなことを話し、俺を動揺させた。
――やだやだ、俺、あそこで遊びたいよ。もう約束破らないから。ちゃんと夜になる前に帰ってくるから。ひとに見つからないように気をつけるから。昨日だって、見つからないようにちゃんとしたんだよ? だからお願い、俺、林に行きたいの……。
 俺は拙い言葉で子供なりに必死に懇願した。だってあの時間にあの場所に行けなくなってしまったら、きっともうあの子に会えなくなってしまう。俺たちの間では夕方にあの場所で落ち合うことが暗黙の了解になっていたし、狼の俺は変更を告げる手段を持たない。彼に会えないなんて嫌だ。俺は母に、朝だとこれから暑くなってくるから毛皮姿だとつらい、とかなんとか、たいしてよくもない子供の頭を最大限に回転させ、それらしく説得を試みた。最終的に母は俺の熱意に負け、これまでどおり夕刻に林で遊ぶことを許してくれた。これまで以上に気をつけるようにと念押しして。前日の行方不明騒動は祭りの夜というイレギュラー要素があったからであり、そうでなければ俺はちゃんと約束通り日暮れ前に戻ってきただろうと母は信じてくれたのだった。まあ、俺があまりに必死だったから、下手に抑圧すると無許可で外に飛び出してしまうのでは、と想像してのことかもしれないが。
 それから数日は、何事もなく過ぎていった。思えばこの期間が一番幸せだっただろう。あの子の優しさを心底実感した上で、何も考えずただ無邪気に遊ぶことができたから。
 ある日の昼下がり、親戚のお古の子供用プールで水遊びをするついでに母に体を洗われた。もちろん狼のほうを。最近野山を駆けているせいか、被毛が埃っぽいと母に指摘されたのだ。俺臭い? 臭い? 狼の自分の体臭を心配する俺に、臭いわけじゃないけどちょっと汚れちゃってるから、と母が説明した。むやみに濡れるのは好きではないが、涼をとる目的や体を洗う必要性があれば自分から濡れに行くたちなので、臭かったり汚かったりしたらあの子に嫌われちゃうかもと懸念した俺は、おとなしく母に犬用のシャンプーで洗われた。汗を掻けない体に流水は気持ちがよかった。母から少し離れてぶるぶるっと体を震わせ水気を飛ばしたあと、縁側に戻って扇風機の風を受けた。母が俺の乾いた毛並みに鼻を押し付け、いいにおいね、と微笑む。よかった、俺いいにおいなんだ。安心すると同時、清潔になり石鹸のさわやかな芳香を纏ったことでわけもなく自信が湧いてきた。いいにおいがすればあの子も褒めてくれるかな、なんて。
 夕方、俺はいつものようにあの子に会いに行った。彼はすでに林の入り口で俺を待っていて、俺の姿を見つけると、いままでで一番勢いよく腕を大きく振った。もちろん俺は大喜びで彼に駆け寄った。
「よかった、元気そうだね」
 彼は花火大会の夜のことを心配してくれていたらしく、俺がいつもどおりの様子であることにほっと胸を撫で下ろした。
「あのあとちゃんとおうち帰れた? おうちのひと心配したでしょ」
――うん、帰れたよ。ちょっと大騒ぎになっちゃってたけど……。
「ごめんね。僕たちは花火楽しいけど、きみには怖いんだよね」
 僕たち、というのは人間を指してのことだろう。彼が謝るようなことでもないのにね。
「きみが大丈夫そうで安心した。よかった」
 にこ、と嬉しそうに、そして優しげに彼は微笑んだ。
――うん、もう大丈夫だよ。こっちこそ、心配させちゃってごめんね。
 俺は彼の頬にマズルを寄せると、すり、と軽く頬擦りをした。
「きゃ……おひげくすぐったいよー」
 そんなことを言いつつ、彼は顔を離すどころか逆に自分から俺に顔を擦り付けてきた。彼の腕が俺の首に回り、きゅ、と抱き寄せられる。と、彼が俺の首輪のあたりに鼻をうずめた。息を大きく吸っているのが背中の動きから見て取れた。
「シャンプーした? いいにおいする」
 あ、気づいてくれたんだ。
――そうだよ、お母さんが洗ってくれたの。洗ったばっかだからきれいだよ!
 間近にある彼の顔をぺろんと舐める。彼はふふっと小さく笑うと、きれいになってよかったねと俺の首周りを撫でた。せっかくシャンプーできれいでいいにおいになったことだし、もっといっぱい触ってほしくて、俺はくるりと回りながら彼に胴体を押し付けた。俺が尻と尻尾を向けると、彼は俺の太腿や胴の毛をわしゃわしゃと掻き回した。毛を逆立てるように肩のほうへと手が移動し、左右から首を挟み柔らかく揉むように手を動かす。
――んー、きもちいー!
 俺は尻尾を振りながら、寝床をつくりたい犬のような動作でその場で何度かくるくる回転した。特におもしろい動きではなかっただろうが、彼は楽しげにきゃっきゃと無邪気な笑い声を立てた。おなかのほうも触ってほしくなって、俺は洗ってもらったばかりであることなんてお構いなしに、分解されかけた落ち葉の混じる黒い腐葉土の上にころんと身を倒し、仰向けになった。彼は右手で俺の腹を、左手で顎の下や首を撫でた。俺は彼の左腕にじゃれつくように自分の両前足を絡めた。親が相手ならここで手を甘噛みするのだが、さすがのそれは自重した。万一怪我をさせてしまっては事だし、肉食獣の牙は人間の犬歯など比べものにならな鋭さだから、幼児の薄い皮膚は表皮くらいなら簡単に破れてしまいかねない。傷がつかないまでもミミズ腫れを起こすのは目に見えている。俺は軽くかぷっと行きたくなる衝動をこらえながら、代わりに彼の手を舐めた。手が唾液だらけでべたべたになっても、彼は気にすることなく笑顔で俺に触ってくれた。段々テンションが上がってきて、仰向けの状態で四肢を天に向けて伸ばし、ばたばたと緩く暴れさせた。内側に屈曲した尻尾が後ろ脚の下でふりふりと揺れる。たばつく右の後ろ脚がうっかり彼の顔を蹴ってしまうと、彼は嬉々とした声音で「やったな~」と言いながら俺の顔の側面をごく弱い力でぺちんと叩いた。撫でるのと変わらないくらいの優しいタッチだった。俺は負けじと体を起こすと、前脚で彼の肩から胸にかけてをぺちぺちと叩いた。俺が彼の胴を跨ぐようにして乗り上げると、今度は彼が俺の胴に手を当てゆっくりと押し倒して仰向けにひっくり返す。喧嘩なんて乱暴なものではなく、まあなんていうか、男の子同士のちょっと激しいスキンシップってところかな。お互い興に乗っていたのだろう、土汚れが体や衣類に付着するのなんて気にも留めなかった。俺は仰向けてばたばたしていたかと思うとひょいっと身を翻して立ち上がり、彼の回りをぐるぐる回りながら体を押し付け、撫でて撫でてとじゃれた。彼も右に左に回りつつ、俺の毛並みに指を沈ませたは梳いてくれた。何がどうということもないじゃれあいなのだけど、やっている間は本当に楽しくて、そしてとても幸せだった。彼が触ってくれて、また自分も思うまま彼に体を引っ付けることができて。
 ひとしきりはしゃぐと俺は熱さにちょっぴり参ってしまい、体を横たえたままへっへっと舌を出し呼吸を早くした。ちょっと休憩。そう言って彼は俺の背を撫でて労った。その手がまた嬉しくて、俺はこてっと脚を開いた。ねえねえ、おなか触ってよ。
「ちょっと疲れちゃったね。毛皮着てると暑いよねえ」
 地面にぺたんと座った彼は、俺を見下ろしながらゆっくりと腹部を撫でた。目が合うと、彼はへへっと笑い、手の平をこちらに向けた。俺もまた右前脚を差し出し、いつものタッチ。続いて彼が俺の前脚の先を握る。握手。
「おててぷにぷにしてるね。あ、手じゃなくてあんよか」
 彼が親指で俺の肉球を軽く押す。その感触が気に入ったのか、彼は十秒くらい、俺の足の裏をしげしげとのぞき込みながら肉球に触れていた。
「ぷにぷに!」
 やけに上機嫌に彼が言う。よっぽど気持ちよかったのかな? 独特の弾力があるから、触ったことがないひとにとっては興味深いのかもしれない。
「あ、あんまり触ったら駄目だよね。ごめんね、ありがとう」
 彼は気を遣ってくれたようで、俺の前脚を離した。
――そんなことないよ。ぷにぷに気持ちよかった?
 きみが喜んでくれたなら嬉しいよ。そう伝えるつもりで、俺は体を起こしてお座りをすると、彼の顔を下からのぞくようなかっこうでマズルを近づけ、口元に舌を這わせた。ふふふ、とくすぐったそうに彼が笑う。
「ねえねえ、僕のこと、好き?」
――好きだよ! 大好き!
「僕も好きだよ。きみが大好き」
 テンションが上ったのか、彼はキャーと子供特有の高い声を出しながら俺の体にがしっと腕を回した。抱き締めた体勢のまま、彼がじぃっと俺を見つめる。そして、秘密の合言葉でもささやくように告げる。
「僕、きみのこと大好きなんだ」
 直後、ちゅ、という音が聞こえた。一瞬何が起きたのかわからなかった。続いて彼の人差し指が俺の鼻先に当てられる。静かに、のポーズみたいに。そこはいましがた小さな音が聞こえてきたところだった。
「へへ。これねえ、大好きなひととするんだって。きみはわんちゃんだけど、でも、大好きだから、いいよね」
 照れくさそうな言葉のあと、再び同じ音がする。目線の高さを俺に合わせた彼が、にこにこ笑っている。
「ちゅー?」
 言いながら、首を傾ける彼。その愛らしい仕草につられるようにして、俺は鼻先を近づけ、舌は出さずにちゅっと彼の唇にマズルの先っちょを当てた。すると彼は再び俺を抱きしめ、キャーと小声で叫んだ。当時は純粋に彼が喜んでくれて俺も嬉しいと感じただけだったけれど、いま思い返すとえらくかわいい子だったと思う。犬とちゅーして照れたり喜んだり。小さな子だったのだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、すごく純真でさ。……おい、おまえらなに身悶えてんだよ。ちょっと、先輩たちまで……。いやいや、告白とか初キスとか、そういうんじゃないですって。だって俺、狼だったんですよ? 向こうも俺の正体なんて知らず、どこかのワンコだと思ってたんだし。キスって言っても俺がくっつけたのは鼻の下のあたりだったんだし。さすがにこんなのノーカンでしょ、ノーカン。……そりゃ、あの子にちゅーってやってもらえて嬉しかったし、甘えて口元をぺろぺろすることは普通にあったんだけど。でも、あくまでイヌとしてだからな?
 でもまあ、あの子に好意を寄せてもらえてすごく嬉しかったというのは素直に認めるよ。このあと、握手とタッチに加えて、だいすきとちゅーが挨拶に加わったんだ。前脚と手を合わせたあと、お互いに顔を寄せて、
「だいすきー」
――だいすきー。
「ちゅー」
――ちゅー。
 って口と鼻下をくっつけてね。それから彼がきゅっと俺を抱きしめ、俺は前脚を片方上げて彼の胴に巻きつけ、抱擁の真似事をするんだ。ラテンの女の子同士が挨拶するみたいな感じって言えばわかりやすいかな。……だから身悶えないでくださいってば。そりゃ小さな子と動物の子が戯れているシーンがかわいいというのはわかりますけど……登場人物が自分だと思うとなんか恥ずかしいんですって。おい黒子、火神に頭突するのやめてやれよ。なに興奮してるんだか……。
 なんか恐れ多くも萌えてくださっているところ水を差すようで悪いんだけど……何度か言っているように、彼との楽しい時間は長くは続かなかったんだ。もともと俺自身が長野の人間ではなく、夏休みにあたる時期に親戚宅に世話になっている身だということもあったんだけど、実は彼のほうも同じような事情を抱えていたんだ。
 花火大会から数日は穏やかで幸せなひとときの繰り返しだったのだが、ある日の夕方、いつもどおり彼に会って遊んでいたのだけれど、帰り際、彼の雰囲気ががらっと変わった。それまでの楽しげな空気が一変に、重々しさが落ちてきた。なんだろう、いつもと違う。何かあるの……? 知性が未熟な分、子供の心は敏感だ。挨拶しようとお座りした俺は、深刻そうな彼の顔を見つめたまま固まってしまった。彼はしばしの沈黙ののち、ゆっくりと口を開いた。彼が話した内容の詳細は覚えていない。呆然としてしまっていたから。
 彼が言うには、彼はもともとここに住んでいる人間ではなくて、東京という遠い街から夏の間だけ遊びに来ているということだった。そして、その滞在期間は明日で終わりだと。明日を最後に、俺とはもう会えなくなってしまうと。
 俺もまた東京の住人ではあるのだが、幼い俺にとって自分の住んでいる場所といったらもっぱら住所の下のほう――町名とか区画名とか――であり、東京という地名がどこを指すのかわかっていなかった。当然頭の中に日本地図なんてなく、東京と長野がひっついているくらいのイメージだったかもしれない。
 俺にわかったのは、彼が明後日にはもうここにはいないこと、そして俺はもう彼と会えないこと。狭い世界に生きる幼児には、もしかしたら東京のどこかで会えるかも、という発想は出て来なかった。
――どこかに行っちゃうの? 会えなくなっちゃうの? 嫌だよ! そんなのヤだ!
 俺は落ち着かない気持ちになり、立ち上がってあたりをうろうろ歩き回った。特に意味のない行動だが、ざわざわする心を持て余してしまったんだろうな。彼は何かをぐっとこらえるように奥歯を噛み締めていた。そして、そわそわと動き回る俺に近づくと、地面に膝をつけて姿勢を低くし、俺の体を抱き締めてきた。腕の力はいつもより強く、またいつもみたいな優しげなものではなく、縋りつくような切なさを感じた。
「ずっと一緒にいたいよ……」
 彼の顔が俺の首元の埋められる。ぐず、と鼻をすするような音がした。
「寂しいよ、きみと会えなくなっちゃうの」
――俺だって寂しいよ……! 嫌だよ、きみに会えなくなっちゃうなんて。俺、ずっときみと一緒にいたいよ! 一緒に遊びたいよ! なんでどこかにいっちゃうんだよ……。やだよ、寂しいよ……。
 少しの抱擁のあと彼が俺の体を解放した。彼の体温が遠のいたことで俺はますます寂しくなり、また突然伝えられた、彼がどこかへ行ってしまうという未来を受け入れられず混乱した。
――どうしてどうして。なんで遠くに行っちゃうの? せっかく仲良くなれたのに……。
 自分もまた短期滞在者にすぎないのだから、どのみち俺たちはどちらかが「置いていくほう」でもう片方が「置いていかれるほう」という関係になるしかなかった。だから彼を責めるのはお門違いというものだ。しかし幼い俺に、個人やその家族の事情、物事の因果などに思考が及ぶはずもなく、ただ彼がいなくなってしまうことが悲しくて寂しくて……でも彼に怒りをぶつけるのはおかしいと思う程度の判断力はあって、ぐるぐると胸中を巡る激しい感情のやり場がわからなくて苦しくなった。
――寂しいよ、寂しいよ。行っちゃわないでよ。
 物言えぬ狼の俺は、言語に代わる感情の発露として遠吠えを選んだ。顎を持ち上げ喉を伸ばし、イエイヌのそれよりも高く物悲しげに響く声。本来なら仲間とコミュニケーションを取るためのものだが、このときの俺にとっては、ただただ悲しみを表現するための手段だった。狼の姿で彼と出会ってからこっち、言葉がしゃべれないことをこんなにもどかしく思ったことはなかっただろう。もし話すことができたなら、どこに住んでいるのか聞いたりこちらから住所を伝えたりできただろうに。でも、狼の姿をしていたからこそ彼とこんなかたちで親しくなれたのだから、彼との遭遇が変身中で会ったことを悔やむのはおかしな話だ。それは出会いのすべてを否定することになるのかもしれないのだから。変身を解いて彼と会話を交わしたいという考えがよぎらなかったとは言わない。しかしそれはやってはならないことだし、タブー以前に怖くてできなかった。だって彼は狼の俺と出会い、時間を重ね、狼の俺を好きになってくれたんじゃないか。その狼――彼はわんちゃんだと思っていたわけだが――が実は人間でしたなんて、彼を驚かせてしまうに違いないし、もしかしたら怖いとか気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。彼の優しい心を信じてはいたけれど、それが子犬に寄せられたものであることは当時の俺も理解していた。自分のような変身体質がひどく珍しいもので、隠しておかなければならないものだということを物心ついた頃から言い聞かされており、自分も堅くそれを信じていたというのもある。いまはもう頭も成長して判断力もついたから、子供のときほどびくびくはしなくなったけど、それでも夏合宿でみんなに変身のことがばれたときは、それはもう絶望的なほど怯えていたんだぜ? え、言われなくてもわかってるって?……まあそうだよな、人間、根っこの部分の性格はそうそう変わらないもんな。
 ともあれ、さまざまな要因から俺は彼と言葉を交わすことができず、再会の望みのないまま別れの日が訪れるのをただ漫然と待つしかなかったということだ。
「明日が最後だよ。だから絶対来てね。待ってるから」
 別れ際に彼が強い期待を込めてそう言った。
――来るよ、絶対来る。
 俺は尻尾を振ることで返事に代えた。俺から彼に言葉を発することはなかったけれど、それでも確かに、俺達の間には別れの日をともに過ごす約束が結ばれたと感じた。
 俺は悲しくて遣り切れない気持ちを抱え、斜面を下り家に戻った。人間の姿だったらきっと耐え切れず泣いてしまっていただろう。涙がこぼれるのが嫌で本当は狼のままで過ごしたかったが、母に不審がられて明日の外出を禁じられても困るので、夕飯の時間には人間に戻った。気分は沈んでいたけれど、具合が悪いのかと思われたらそれはそれで明日出かけられなくなってしまうかもしれない。そう考えた俺は、子供にできる精一杯の強がりでいつもどおり振る舞った。
 落ち着かない気分のまま、それでも夜布団に入ればいつの間にか眠っていた。
 翌日は朝から雨音に包まれていて、雲に日差しの遮られた表は陰気なくらい薄暗かった。
 よりによってあんな天気になってしまうなんて。たとえ普段と変わらない快晴だったとしても、彼と俺の別れは否応なくやってきただろう。けれども、まさかあんな別れ方になるなんて……悪いのは天気であってほかの誰でもないのだけれど、でも俺は彼に謝らずにはいられない。あんなことになっちゃってごめんね、と。

 

 

 

 


 

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