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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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恋の空回り 6

 赤司くんに恋愛シミュレーションゲームの嗜み方をレクチャーするという無理難題にどう立ち向かえばよいのか。凡庸なる僕の脳みそには少しの閃きも落ちてきてはくれません。五里霧中の中、しかし僕は赤司くんから向けられる期待のまなざしに突き刺され磔にされ致し方なく、彼の求めに応じてソフトの選定をはじめました。とはいえ僕もこのようなジャンルへの造詣は浅く、パッケージのタイトルを見たところで何ひとつ知っているものがありませんでした。タイトルやキャッチフレーズ、パッケージ裏の画面写真や説明文などから大雑把な予想が立たなくもありませんが、ほぼ経験のないジャンルのことなのでその予想もまた適当きわまりないものです。とりあえずレーティングが低い、つまりエロ要素が薄そうなものから選ぶことにしました。別にエロゲームの画面を友人と一緒に見たからといってお互い恥ずかしがるようなタマではないのですが、恋愛関連で生じるあらゆる刺激を性欲に変換してしまうような価値観の持ち主に、性的な要素満載のストーリーを体験などさせたら、それこそ永久に恋愛など理解できないと思います。よってダイレクトな性的刺激がない、あるいはあったとしてもそれ自体がメインでなさそうなソフトがよいでしょう。しかし、パッケージと説明書だけでそこまで見ぬくだけの力は僕にはありません。仕方ないので百戦錬磨の方々の冷静なご意見を参照しようと、半分書斎半分物置と化した狭い僕の私室に赤司くんを招くと、自分のパソコンを立ち上げ、インターネットでレビューサイトや攻略サイトを探し、概要だけでも目を通すことにしました。それらを参考に、初心者向けとしてもっとも妥当そうなソフトを選ぶと、まずは説明書を取り出し赤司くんに見せました。ひと通り基本設定や操作方法を読んでもらったあと、隠しキャラをのぞく攻略対象の女の子たちのイラスト及び簡単な情報の掲載された見開きページを見せました。
「ちなみに、どのキャラが一番好みですか? 顔で選んでもいいですし、スペック……もとい基本情報から決めてもいいですよ」
 カラフルな髪色に大きな目、小さな鼻、現実にはあり得そうにないカラーの制服を着た女の子たちを適当に指さしながら赤司くんに尋ねました。イラストの少女たちはどれも童顔でかわいらしく、アメリカ育ちの火神くんが見たら確実に小学生かと疑うことでしょう。一種の様式美的なデザインですので、設定年齢との齟齬を指摘するのは野暮というものなんですけどね。
 さて、我らが赤司くんの萌え系美少女イラストに対する反応はというと、
「どれも同じ顔ではないか?」
 なんとまあ情緒のない感想でしょうか。身も蓋もありません。確かにその通りですけど。
「まあきみならそうなりますよね……カピバラと黄瀬くんの容姿が同系列の価値観ですもんね……」
 僕たちが見慣れない動物の容姿を識別するのが困難であるように、宇宙人に地球人の相貌に対する感覚を理解しろというほうが無茶なのかもしれません。僕が脱力していると、赤司くんは難しげに眉をしかめ、あたかも物議を醸す最新の学術論文に相対するかのような真剣さで説明書を凝視しました。しかし視線の先には二次元の美少女たちです。なんとシュールな光景でしょうか。彼はしばし沈黙のまま悩んだあと、
「ではこれにしよう」
 右手の人差し指をすっと伸ばし、ページの右下に印刷されたキャラクターを示しました。そのキャラクターはほかの面々と違い、枠外にバストアップで小さく描かれ、名前も表示されていません。それはそうです。だってそのキャラクターは……。
「……赤司くん、このキャラは攻略できませんよ」
「なぜだ? 難易度の問題か?」
「いえ、難易度関係なく絶対無理です。だってこれ主人公、つまりプレイヤーキャラクターですよ。プレイヤーであるきみが操作するキャラです。だから攻略不可能なんです、自分を口説くなんておかしいでしょう? っていうか、そもそも男の子なんですけどこの子……」
 赤司くんが指さしたのは、このゲームの主人公の男子です。女性陣と比べると目がやや小さくて地味ですが、癖のない中性的なデザインなので、女の子に見えないこともありません。しかし、女性キャラクターと比べれば違いは一目瞭然……と思いましたが、宇宙人の目にはたいした違いには映らないのかもしれません。僕だって、性的二形のようなわかりやすい特徴を持たない動物の雌雄を見分けるのは難しいですから。しかし、イラストのキャラクターの性別を識別するのが困難であることはまあ理解できるわけですが、女性陣を差し置いて主人公の男の子を選んだ赤司くんの行動には、ちょっぴり引っかかりを覚えました。というのも、このプレイヤーキャラの男の子、アクや癖がなく清潔で好青年っぽく、それがゆえにどことなく漂う拭い切れない影薄感(僕に言われたくないでしょうけど)がいかにもギャルゲーの主人公なわけですが、彼の雰囲気がこう……ある人物を彷彿とさせるんですね。もったいぶる意味はないので言っちゃいますと、降旗くんっぽいのです。外見的な特徴は髪型と髪色くらいしか共通項がないのですが、直接的な見た目ではないレベルで、なんか似ていると感じてしまいます。僕の目に特殊なフィルターが掛かっているのでしょうか。でも、赤司くんの好みとしてドンピシャなのが降旗くんであるのなら、攻略対象の女の子たちを放置して主人公くんを指名してしまうのもわかるような気がするのです。容姿にはピンと来るものがないと本人はおっしゃっていましたが、無意識レベルで降旗くん系統の外見、あるいは雰囲気に惹かれるものがあるのではないでしょうか。一瞬、ボブゲのほうがいいだろうかと思ったりもしましたが、プレイヤーが男性であることを想定してつくられたゲームのほうがまだしも馴染みやすいだろうと判断し、このままギャルゲーで行くことにしました。
 主人公は攻略不可能だと言われた赤司くんは、あっさりとうなずきましたが、
「そうなのか。初見ではこのキャラクターが一番よさそうに感じたのだが」
 その声音はほんの少しだけ残念そうな響きを帯びているようでもありました。
「彼のどのへんがよさそうだと感じたんですか?」
「癖がなさそうに見える。あれこれ疑心暗鬼になったり謀略を張り巡らす労力を掛けずとも、無害な人間関係が築けそうに感じた」
 きみは人付き合いをするとき、そんなダーティな領域まで考慮しているのですか。いったいどういう世界に生きてるんですかこのひとは。生き馬の目を抜く厳しい資本主義市場の最前線ですか。まあ赤司くんですから、権謀術数がひしめき合う世界を知っていても何ら不思議ではないのですが。むしろそういう社会を体験しているからこそ、いかにも無害そうなオーラぷんぷんの善良なる降旗くんがタイプだということでしょうか。
「まあ……ギャルゲーの主人公が個性バリバリだったらやりにくいですよね。攻略キャラクターの幅も狭まっちゃうでしょうし」
 この手のゲームは主人公=プレイヤーなのですから、主人公キャラクターの人格が完全に確立されていたら感情移入しにくくなってしまうでしょう。第三者視点で眺めて楽しむというプレイヤーにとってはそのほうがいいのかもしれませんが。そのあたりのことを説明しだすと、赤司くんから小難しい質問の嵐をぶつけられそうな予感がひしひしとしましたので、適当にお茶を濁し、時間を無駄にしないためにさっさとプレイもとい学習をはじめましょうと促しました。最初の攻略キャラクターは、紹介ページの一番最初に来ていた女の子にしました。攻略サイトによれば、初心者向けの攻略キャラクターのようなので、人選としては妥当なところでしょう。このソフトはひとり攻略するのにそれほど時間が掛からないようなので、やりこみとかは無視してさくさく進めれば、複数人のパターンを見ることができそうです。赤司くんは完全なる初心者なので、まずは広く浅く見聞を深めていただくのがよいかと思われます。データ保存の関係で、プレイには赤司くん持参のノートパソコンを使っていただき、僕は斜め後ろから赤司くんのプレイ状況を見つつ、攻略サイトのチャートを追うことにしました。初プレイとしてはこの上なく邪道ですけど、僕たちはギャルゲーで遊びたいわけではなく、あくまで赤司くんに恋愛というものを少しでも理解させるために模擬体験をしていただくことが目的なので、効率性重視でよいのです。もっとも、恋シミュをプレイすることが現実の恋愛の理解に役立つのかという疑問は大問題として残っているのですが……。
 それから三時間ほど、パソコンのディスプレイに映し出される萌え絵の美少女と対面する赤司くんという、とてつもなく不気味な光景が繰り広げることとなりました。かわいらしい女性声優さんの声が響く中、赤司くんはまるで将棋ゲームでもしているかのように真面目な無表情を崩しません。選択肢が出てくるとしばしば長考に入ります。それはもう真剣そのものといったように眉根を寄せて。僕の目に映る美少女絵は実は幻覚で、実際には赤司くんは将棋や囲碁のボードに向き合っているのではないかと疑いたくなるほどです。一人目こそきちんと音声で会話を聞いていた赤司くんですが、字幕を読めばそれで済むと判断したのか、二人目以降は台詞途中でガンガン飛ばし、選択肢のところでだけ時間を取るといったスタイルで進行させていました。飛ばしまくった台詞の中に選択肢を選ぶ上でのヒントが散りばめられているのですが……。文字での表示はされているので、高速ですっ飛ばしても赤司くんならきっちりとらえているとは思いますが、読解力が伴っているかは定かではありません。いえ、国語力が問題なのではなく、恋愛的な文脈を読み取れるのかという意味で。
 情緒もなくただ機械的に、それこそ学習能率を最優先に次々とイベントをこなした結果、昼前には四人のキャラクターのルートが一応終了しました。五人目を選択する前、ディスプレイに視線を注ぎっぱなしで疲れたのか、赤司くんは目頭に右手の親指と人差し指で圧を加えながら、姿勢を崩して息を吐きました。そろそろひと休みしたいようです。
「シミュレーションソフトという割には展開が単調というか、バリエーションに欠けるな。どのキャラクターを対象にしたところで、後半以降はだいたい同じような進行になる上、結末も似たり寄ったりだ」
 知ったふうに冷静なレビューをする赤司くんですが、実際のところ、彼の意見は甚だ偏ったものと言わざるを得ません。というのも、
「きみがことごとくバッドエンドルートを突き進むからです。なんで基本キャラの四人全員でヤンデレ系のバッドエンドに辿り着けるんですか。攻略サイトも見ずに。どんな確率ですか。ハッピーエンドより難易度高いですよ?」
 このひと、四人ともバッドエンドに進んでしまい、誰ひとりクリアできていないんですよ……。しかも攻略サイトによれば二種類存在するバッドエンドのうちの、より悪いほうばかり。ヤンデレルートはいわば隠し要素なので、初心者が初見で出すことは難しいはずなのですが、赤司くんはことごとくそちらに突き進んでしまいました。架空のキャラクターが相手とはいえ、どんだけデリカシーがないんでしょうねこの宇宙人。しかし彼自身は恋愛シミュレーションゲームがいかなるものなのか、自分の中にまったく規範がないものですから、あのエンディングが正規のものではない、いわゆるバッドエンドであることに気づいていないらしく、本人的にはあれでクリアしたつもりのようです。しょっぱなからこれでは先が思いやられます。いえ、それ以上に懸念が発生します。赤司くんは言ってみれば恋愛の概念が白紙状態なのですから、最初から連続してあんなルートばかりを通ったのでは、恋愛の究極はヤンデレ化とか勘違いしかねません。彼がヤンデレの概念を理解するかどうかはまた別問題ですけれど。このままだと、彼は降旗くんをとんでもない方向に引きずっていってしまうのでは……。
「あの、赤司くん……途中の選択肢によってストーリー展開や結末が変わるってこと理解してます?」
「もちろん理解している。そうでなければシミュレーションの意義がない。しかし、このソフトにおいてはほぼ一種類のストーリーしか設定されていないように思われる。欠陥品か?」
「欠陥があるとしたらそれはきみの情緒です」
 自分の恋愛力のなさを棚に上げてゲームにケチをつけるのはいただけませんよ赤司くん。
「あのですね……真面目に勉強する気あります? ミステリーやサスペンスの要素なんて微塵もない、極めてオーソドックスな学園モノなのに、ひとりも攻略できないとかあり得ないですよ……」
 別に難しいゲームでもないのに。説明書片手に僕がため息をつくと、赤司くんは堂々たる真顔で言います。
「攻略情報が足りない」
「具体的にどんなステータス情報がほしいんですか?」
 攻略サイトを見るに、表示されない隠しパラメータは存在するようですが、それはやりこみ要素をコンプリートしたりバッドエンドルートに進むために意図的に操作するものであって、何も気にしなければ普通は正規のエンディングに辿り着くみたいなんですけど。
「まず基本項目として知力、体力、従順性、訓練性能、自立性、問題解決能力……」
 自分が必要とする情報の項目をつらつらと挙げだす赤司くん。とてもではないですが、恋愛シミュレーションゲームのステータスに必要とされる項目とは思えません。特に訓練性能が意味不明です。いったい何を訓練すると? このゲームに調教要素はないはずですが……もしかして赤司くんの願望ですか?
「ちょっと待ってください! これ、架空とはいえ人間相手の恋愛ゲームですよ? わかってますか?」
「無論承知している。僕がいかに人間の美醜に疎くとも、人間をモデルにした絵を他の動物や無機物と取り違えたりはしない」
「は、はあ……。でも従順だの訓練だの、それってまるっきり犬の躾本に出てきそうな項目じゃないですか。そんなもの知って何になるというのですか」
 赤司くんはこのゲームを使役犬育成シミュレーションだとでも思っているのでしょうか。彼の求める項目だけ聞くと、女の子と恋愛するよりは警察犬や介助犬を育てたがっているように思えてなりません。
「人間関係構築において重要なパーソナリティ情報だろう。これらの特性の強弱によって、相手への対応が変わってくる。日常行われる細々とした交渉事――交渉というと大げさだが、要は頼んだり頼まれたり引き受けたり断ったりといった事柄だ――は、対象者の性格特性がこちらが取りうる戦略に大きく影響を与えるものだ」
 またしても難しいだけで意図のよくわからないことをしゃべりはじめました。彼は企業の採用担当者にでもなりたいんでしょうかね。
 僕はこめかみを左手で押さえて頭痛に耐えると、自分のノートパソコンを赤司くんのほうへ向けました。
「きみは一度お手本として素直なハッピーエンドルートのケースを見たほうがいいと思います。でも赤司くんの価値観と思考回路では数十時間に及ぶ試行錯誤が必要そうなので、邪道ではありますが全面的に攻略サイトを参照してしまいましょう。それがベターです。ゲームで遊ぶのが目的ではないのですから、時間短縮だと思って割り切ったほうがいいです。きみのパソコンがうちでネット接続できるかわかりませんので、僕のをお貸しします。どうぞ、これ使ってください。このソフトの攻略サイトも出しときましたんで」
 今後の方針を提案すると、赤司くんはそうかと一言だけ言って納得を示してくれました。僕は、ちょっと昼食の準備を、と告げて腰を上げると、廊下に出ました。途端に漏れる深いため息。疲れました。それはもうものすごく疲れました。異星人と会話するのは異文化交流の百万倍は難しいと思われます。
 時刻はそろそろ正午を回ろうかというところでした。昼食の準備などと赤司くんには言ったのもの、実際の担当者は僕ではなく火神くんです。僕が赤司くんの接待で付きっきりになっている間、火神くんは全面的に家のことをやってくれていたようで、ベランダには洗濯物が吊るされ、布団も干されていました。現在は料理中のようで、台所からおいしそうなにおいが漂ってきます。僕はトイレを済ませたあとキッチンに行くと、冷蔵庫をあけて麦茶を取り出しました。そういえば赤司くんにお茶を出していませんでしたが、ギャルゲーに夢中……いえ、恋愛の勉強に没頭しているので放置しても大丈夫でしょう。
「おー、黒子、お疲れさん。赤司の野郎、順調に学習? は進んでんのか?」
 鍋からお玉を出し、小皿に汁を少量注いで味見をしながら火神くんが尋ねます。無言で小皿を僕のほうに寄越して。
「……正直、火神くんに古典の基本単語を覚えさせるほうがまだ楽かもしれない、といった印象です。あるいは僕が数学の行列を理解するか」
 小皿を唇にあて、赤く色づいた煮汁を口内に流し込みます。何をつくっているのかは知りませんが、トマトの酸味が聞いていておいしいです。トマト缶を使ったようです。
「それはひでぇな。どんだけ恋愛オンチなんだよあいつ」
「はあぁ~……火神くん、僕もう疲れました、赤司くんの相手するの。代わってくれませんか? 昼ごはんは僕がつくりますので」
 キッチンまわりを見るに概ね昼食のかたちはでき上がっているのですけど、ぼやきついでにそんなことを言ってみました。
「そいつは二重の意味でお断りだな」
「なんでですか、ひどい」
 料理不精の僕がせっかくやる気をみせているというのに。唇を尖らせる僕に、火神くんが鍋に味塩胡椒を振りまきながらため息をつきます。
「あのな、俺はなんかよくわからんけど赤司にライバル視? みたいな扱い受けてんだぞ。一緒の空間にいるだけで気まずいわ。俺もともとあいつ苦手だし、第一やつの日本語は俺には難しすぎる。ときどき本気で、日本語でも英語でもない別の言語しゃべってんじゃねえかって思うぜ」
「使用言語が日本語なのは確かですけど、発言内容が意味不明なのは同感です。何なんですかねあのひと、やっぱり大宇宙的な何かと交信したり、地球上の生物には感知できない電波でも受信したりしてんでしょうか……」
 なんていうか、何を言っているのかはわかるけど何を言いたいのかがよくわからない、みたいな感じなんですよね、赤司くんの語りって。
「あとそれから、客人に出すメシがゆで卵三昧っていうのは俺の中の良識が許さん」
「えー、そんな客人なんて丁寧な扱いしなくていいですよ。ただの災いですよアレ」
「災害の根源みたいな存在だとしたら、なおのこと丁重に接する必要があるだろうが」
「なるほど、ゲストをもてなすというよりは疫病神に供物を捧げる感覚ですか」
 その感覚はよーくわかります。朝っぱらから傍迷惑な来訪をしてくれた望まれざる客たる赤司くんですが、無礼な待遇をするのはあまりに恐ろしいというものです。とにかく何事もなく平穏にお引取り願いたい次第です。
「ところで、何つくってるんですか?」
 二人暮らしのアパートにはおよそ不似合いな寸胴鍋をのぞき込むと、トマト色の液体が一面に広がり、茶色っぽい小さな具材が浮かんでいました。
「チキンピラフに、大豆と野菜のトマト煮込み、それからまあ適当にサラダでも。和風の煮物とかだと難癖つけられそうだから無難に洋食にしといた。口に合わなくても『そういう料理だから』で言い逃れしやすいだろ」
 料理上手な上に機転の利くことです。僕はよい彼氏を持ちました。普段ならここでさりげなくいちゃつくのですが、災厄が我が家に居座っている現在、そんな気分にはなれないのが残念です。きっと火神くんも内心、気が気ではないのだと思います。貧乏ゆすりとは違いますが、落ち着かない様子でスリッパの内側でつま先をトントン上下させています。
 炊飯器が終了の合図を鳴らしたので、僕は赤司くんを呼びに私室へ向かいました。彼はたいそう熱心に画面を見つめ、必要に応じてメモを取っている様子でした。降旗くんに対する感情を解明したい一心で勉学に励むその姿にちょっぴり胸を打たそうになりました。学習教材がギャルゲーでなければ。
 食卓では、僕の椅子を赤司くんに譲り、僕は踏み台に使うパイプの丸椅子に腰掛けました。火神くんと赤司くんが向かい合い、僕はふたりの間というか側面の辺に陣取っています。普段テーブルマナーなんて特に気にしない僕たちですが、今日はやけに静かで、陶器がぶつかる音があからさまに少ないように感じられます。食事をする人数は一・五倍だというのに。
「どうです赤司くん、火神くんの料理、おいしいでしょう?」
 僕はピラフをしっかりと飲み込んだあと、上品にスプーンを使う赤司くんに顔を向けました。彼はいつもの感情のうかがえない表情のままでしたが、
「ああ、うまいな。話には聞いていたが、腕は確かなようだ」
 火神くんの料理の腕は認めたようです。よかったですね火神くん。内心結構びくびくしてたでしょう? 赤司くんの機嫌を損ねないかって。ちらりと火神くんを見やると、彼はリアクションに困ったようで、ぶっきらぼうに短く答えます。
「そりゃどうも」
「しかし……」
「ん? どした?」
「降旗の手料理に味が似ている」
「うぇ!?」
 赤司くんの言葉に火神くんが口に運びかけたピラフを危うく吹き飛ばしそうになりました。赤司くんの指摘は気のせいではなく事実だと思われます。というのも、降旗くんは火神くんに料理を習っているのですから、本人の好みに合わせた調味料の調整などはあったとしても、ベースが似通るのは自然なことです。
「ええと、それは……」
「というより、彼の味付けが火神の料理に似ていると言ったほうがいいのか。彼に料理を教えているのだろう?」
「お、おう……たまに、な。……く、黒子も一緒にな! 男の料理教室ってのも楽しいもんだぞ? 三人だと、黒子もやる気を出してくれやすいし」
 火神くんが慌てながら可能な範囲で必死に取り繕います。僕も一緒に、という点を強調して。それはそうでしょう、火神くんにとっては死活問題になりかねない話題なのですから。赤司くんは降旗くんが火神くんといるだけで恐ろしくやきもちを焼くのです。一緒に料理をしているという状況を想像されたら、とんでもないジェラシーと殺気が飛んでくることでしょう。しかし赤司くんから見ると僕は安全パイらしいので、僕も一緒であることを付け加えておけば、嫉妬も抑えられると思われます。
「黒子が普段からもうちょいやる気出してくれると俺としてはありがたいんだけどなー。その点降旗はおまえにちょっとでもうまいもん食わせてやりたいって心意気でがんばってるんだろ?」
 ちょっと火神くん、僕をさらっとディスらないでください。そりゃ、料理不精なのは事実ですけど……。
「心意気いかんは僕には判断しようがないが、素材を無駄にしないよう、研鑽を重ねていることは理解している。同じ食材から調理されるのであれば、より舌を楽しませる味に仕上がったほうがよいのは明白だ。たゆみない努力は敬意を表するに値する」
「頼むからもうちょっと日本語のレベル下げてくれねえか」
「火神くん、がんばって。赤司くんは通常運転です」
 赤司くんから直接に間接に受けるプレッシャーのせいか、火神くんにしては食べの悪い昼食が終わり、食後の一服となりました。火神くんはアメリカンコーヒー、僕と赤司くんは梅昆布茶です。この塩気がたまりません。バニラシェイクを飲む合間にちょくちょく口に含むと、味覚がリセットされてより一層バニラの味を楽しむことができるという優れものです。同時に含むと口の中がちょっとした惨事になるのですが。
「赤司くん、恋愛シミュレーションソフトからの収穫はありましたか? さっきは文句ばっかり言ってましたけど」
 僕が尋ねると、赤司くんはそこはかとなくじじむさい仕草で梅昆布茶をすすったあと、
「テツヤのアドバイス通り、攻略サイトに記載されている『正規ルート』の手順を再現するかたちでストーリーを進行させた。どうも、プレイヤー側の趣味や意図にかかわらず、対象キャラクターごとに設定されたそのキャラクターの好みや関心に対応する選択肢を選ばなければならないようだ」
 なんか妙に現実的というか、ゲームを楽しむためには捨て去るべき視点でものを語りはじめました。
「ま、まあシステム的にはそういう処理なんでしょうね。AIが搭載されているわけじゃないでしょうし」
「思うに、このシステムには、シミュレーションソフトを開発した者の教訓的な意図が含まれているのではないだろうか」
「は、はあ……。何が含まれていると思ったんです?」
「自分よりもまずは相手の意志を尊重せよ、と。良好な人間関係の構築過程においてはときに自己を抑圧することも必要であるということではないだろうか」
「なんか大仰な表現使ってますけど、要するに、相手に調子を合わせて仲良くしようってことですよね。……はい、その通りです。仲が深まれば自分をさらけ出すことも必要ですが、最初の取っ掛かりからそんなことをしていてはただの自己チューなうざい人です。媚、ぶりっこ、おべっか……悪い言葉を使えばそうなりますけども、それこそが自己アピール力なのです。そして恋愛にはそのようなアピール能力が重要なのです」
「つまりテツヤは相当猫をかぶった上で火神を籠絡したということだな。うむ、実に納得のいく話だ」
「なに失礼なこと言ってくれてんですか」
 赤司くんにしてはまともな観点で分析してくれたと感心したのも束の間、なんとも失礼なことをのたまってくれました。籠絡とは失敬な。僕は正攻法でぶつかって火神くんのハートを掴んだのです。甚だ心外な言い草ではありましたが、ここで脇に逸れて本題を見失っても本末転倒ですので、さっさと話題を戻すことにしました。なお火神くんは例によって赤司くんの話をいまいち理解できずにいますので、先ほどの発言の意味もよくわかっていないと思われます。うん、問題ありません。
「しかし、自分の主張を抑えてでも相手に協調的な態度を取ろうと思うことが恋愛の基礎だと言うのなら、僕はやはり降旗に恋などしていないことになる」
 そりゃきみは基本的に自分の意見を通すことを目的にしているでしょうからね。
「まあ、赤司くんは支配者気質ですからね……。でも、降旗くんのために何かしてあげたいって思うことも、全然ないんですか? 現に降旗くんの家にお泊まりするときには、料理してあげてるんですよね?」
「料理は僕も食べるから、別段彼のためだけというわけではないぞ」
 これが緑間くんあたりの発言なら、はいツンデレおいしいおいしい、で済ませられるんですけど、赤司くんですからね……。この言い方からすると、降旗くんのためという側面があることも認めている感じですし。
「おまえよー、降旗んちに泊まってくとき、弁当つくってやったりしてんだろ? わざわざ早起きして。降旗喜んでたっつーか、ありがたがってたぜ?」
 コーヒーのマグカップをテーブルに置きながら火神くんが口を挟みます。そういやそんなエピソードもあったんでしたっけ。確か火神くんが降旗くんから直接聞かされ、僕は火神くんからの報告というかたちで聞いたのだったと思います。
 火神くんの指摘を受け、赤司くんがぎょろりと彼のほうへ視線を向けます。
「……彼から聞いたのか?」
 地に響く低い声。うわー、露骨にジェラってますよこれ。赤司くんは降旗くんと火神くんが自分の知らないところで口をきくだけでもおもしろくないみたいです。
「お、おう……。会話の中でたまたま、な」
「一宿一飯の恩義という言葉を知っているか?」
「いっしゅくいっぱん?」
「火神くん、相手にしなくていいですから。どうせ意味のない説明が待ち受けているだけです」
 案の定、赤司くんの長ったらしい説明がはじまりました。例によって聞く者を置いてけぼりにしっぱなしの語りですが、どうにかこうにか読解力を働かせて要約すると、赤司くんは降旗くんとのセックスにおいて納得のいくかたちを常に模索する努力を怠っていないというような内容でした。赤司くん的には精一杯がんばっているのだと思いますが、多分降旗くんのほうが相当譲ってくれてるんじゃないでしょうかね。降旗くんの性格では赤司くんに逆らうのはもちろん、おいそれと意見を言うことも難しいでしょうし、それに加えて降旗くんのほうにも、赤司くんにリードしてもらったほうが安心、みたいな心情がある気がします。依存というより性格的な適性の問題として。必ずしもフィフティ・フィフティであることが関係性の安定や安心感につながるわけでもないですしね。赤司くんは本来、平等と序列のバランス点を見極めることには長けているはずなのですが、どうも恋愛性愛となるとこの感覚が働かなくなるようで、独り善がりの公平性に妙なこだわりをもってしまうみたいです。まあ第三者の視点からすると、最初から赤司くんの押せ押せ攻勢に降旗くんがたじろぎながらも適応していった、といった印象なんですけど。しかし赤司くんは赤司くんで、無意識であれまめまめしく降旗くんに尽くしちゃっているので、降旗くんが一方的に損をしているわけでもないでしょう。
「あの……誰かに協調的な態度を取るということは、別に自分を犠牲――っていうと大袈裟になっちゃいますけど――にしなければならないって意味じゃないですからね? なんかゼロサムゲーム的に考えてませんか? お互い歩み寄って妥協点を探すことのほうが重要だと僕は思います」
 方向性が狂っているだけで、赤司くん自身には相手の意志を尊重する意志があるのですから、目指すべきはふたりが自分の中の感情を適切にとらえた上でコミュニケーションを取っていくことではないでしょうか。僕の言葉に赤司くんはふむと小さくうなずきます。
「確かに現実の人間関係においては妥協もときに必要かもしれない。しかしより好ましいのは止揚だろう。互いの意見を出し合いより高みを目指すことができるのなら、それは妥協よりさらに価値あるものだと考える。僕は彼との性的関係においてそれを念頭に交渉を繰り返してきたつもりだ。たとえば、性的接触をもつようになって間もない頃、彼は性器に触れ合うことはどうにかできても、少し手を伸ばして後ろに触れようとすると途端に――」
 ま・た・で・す・か!
 またハーレクインですか! いい加減にしてくださいこの色ボケ! 何回やらかせば気が済むんですかっ! ていうかそのエピソード、つい数時間前に聞いたばっかな気がするんですけど!? 降旗くんがはじめて後ろに指を挿入するのをOKしてくれたときの話ですよね? 今朝、京都滞在中の話の中で語ったばかりじゃないですか、やめてください。それ、京都で洛山の先輩たち相手にも語ったんでしょう? この二、三日の間に三回も語る気ですか? 降旗くんが指挿れOKしてくれたことがよっぽど嬉しかったんでしょうね……ここまで来るともう自慢話にしか聞こえません。いえ、彼のハーレクインは突き詰めればすべて自慢話なのだと思います。恋を知らずに人生を過ごしてきた反動か、現在の降旗くんとのリア充ライフが楽しくて仕方ないということでは。
「僕の言葉に彼はしばらくの間うつむいたまま何の反応も返さなかった。しかし僕が沈黙を保っていると、やがて彼の首が小さく動いた。かすかな動きでしかなかったが、それは確かにうなずきだった。
『いいのか』
『う、うん……いいよ。さ、触って……?』
 彼は僕の左の肩口に額を押し付けると、僕の右手首をやんわりと掴み、ゆっくりと自分のほうへ引き寄せ、その腰に触れさせた――」
「赤司くん、その話は今朝聞いたばかりだからもういいです! ていうかお願いだからもうやめて! ほんとお願いします!」
 僕は必死にお願いしました。火神くんに至っては鼻からコーヒーを流しながら無言で懇願していました。下々の意見の重要性を知らないではないはずなのですが、恋の病に冒された赤司くんは、自身の内側に渦巻く衝動に突き動かされるようにして、降旗くんとのめくるめく官能の体験談を語るのをやめられないのでした。その姿は本当に熱に浮かされているかのように感じられました。ああ、本当に病気なんだな……。納得すると同時にむくむくと同情心が湧いてこないではありませんでした。だからといって僕たちの精神的苦痛が軽減されるわけではないのですけれど。
 語り出したらそう簡単には止まらないことはこれまでの経験から重々承知しています。もう本人の気が済むまで放置するよりほかないのかもしれません。僕と火神くんはもはや諦めの境地に近いところまで到達していました。しかし、いったいいつになれば僕たちはこの災厄から逃れられるのでしょうか。もともと一神教的な意味での神は信仰していませんが、もはや八百万の神も存在しないような気になってきました。いえ、疫病神的なものなら存在を信じるに値すると思いますが。でも、そんなもの信仰したくないですよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

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