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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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恋の空回り 5

 彼が自ら積極性を見せた代表的なエピソードを掻い摘んで語ったところ、玲央と小太郎は口元を手の平で覆いうつむいていた。あの消極と遠慮の塊のような彼が自らセックスに対し積極的姿勢を見せたのは大きな変化であり、彼らの心を打つに十分であったと考えられる。玲央は右手で口を覆ったまま、わなわなと震える左腕をテーブルにつき、猫背気味になっていた上半身を起こした。
「征ちゃん、そんなプレイまでしてるのね……」
「玲央、おまえも彼の変化に感動したか」
「ま、まあある意味感動かしら……。征ちゃんもすっかり大人になったのねえ……」
 玲央は右手を外したかと思うと、実にしみじみとした声音で呟きながら遠い目で虚空を見つめた。彼が深い感銘を受けていることはよく伝わってきたが、少々大げさというものではないだろうか。
「何を年寄り臭いことを。たかが一学年の違いだぞ」
「放っておいてちょうだい。こっちにもいろいろ心の琴線ってものがあるのよ」
 珍しいことに、玲央は行儀悪くテーブルに両肘をつくと、首を思い切り前方に傾け頭を抱え込み、両手でぐしゃぐしゃと長めの髪を乱した。美容に対し一般的な男など比にならぬほどのこだわりをもつ彼にしては奇異な行動だった。多少顔を知っている程度の他人のことであっても、ポジティブな変化というのはこれほどまでに聞くものの感動を呼び起こすようだ。しかし玲央の仕草があたかも深い悩みに抱えて煩悶する人間であるかのようにも見えたためか、小太郎は彼が落ち込んでいると解釈したらしく、励ますように、元気づけるように、彼の背をさすった。
「レオ姉大丈夫かよ?」
「え、ええ……」
 まるで二日酔いに苦しむ者を介抱するかのような手つきで玲央の背を撫でながら、小太郎がこれまた感慨深気な声音でなかば独り言のように言った。
「しっかし、まさか赤司がそっち方面でブイブイ言わせてるとはなー。……でもよぉ、そのへんだけ聞いてるとなんだかんだで充実したセックスライフを送ってるように感じるんだけど、結局何が問題なんだ?」
 あれだけの情報を提供したというのに、嘆かわしいことに小太郎には肝心要のところが伝わっていなかったらしい。僕はほんの少し失望感に見舞われつつも、この場の主題を繰り返した。
「彼に性欲を刺激される理由がまったくわからないことだ」
「はあ……性欲を刺激される理由ねえ」
 なぜか不可解そうに眉間に皺を寄せる小太郎。その横で玲央が急に面を上げ、少々非難めいた響きの混じる声で言った。
「えー、征ちゃん、そこ悩んじゃうようなとこ? 別に難しい話じゃないと思うんだけど」
 玲央の言葉は曖昧とはしていたものの、口調そのものは断定的な印象だった。家電製品の説明書のFAQに乗っている基本の質問事項だとでも言いたげな。
「なに……? 玲央、おまえには有力な仮説があるというのか」
 僕が一年掛かっても解けなかった難問の解を、玲央はわずか二時間程度の間に、それもきわめて断片的な情報から導き出したというのか。玲央は聡明な女性、いや失礼、男性だが、これほどまでの切れ者だったとは……正直彼を見くびっていたようだ。いや、けっして過小評価していたつもりはなかったのだが、能ある鷹はなんとやらというやつだろう。あるいは、高校卒業以降の彼の知識と思考力の成長率が僕の予測を上回っていたということか。やはりこの場で彼らに彼との関係を話して正解だったようだ。いや、テツヤ、おまえを馬鹿にしていたわけではないぞ? 僕はおまえの観察力を評価しているし、おまえにはおまえの視点と思考、分析があり、それもまた僕が頼りとするところだ。おまえは又聞きにしかならない玲央と違い、降旗を直接知っていて、しかもそれなりに仲がよいという立場だからな。さっそく彼とのセックスを試みたという行動力もまたおおいに評価している。
 驚く僕とは対照的に、玲央は新聞のクロスワードパズルにも値しない難易度だったいうように、はあ、と露骨なため息をついた。
「仮説っていうかね、単純な話でしょうが。征ちゃん、あなた降旗くんのことが好きだからセックスしたいと思うのよ。あ、ここでいう好きっていうのはつまり、恋してるってことね」
「恋……?」
 恋?
 この単語を耳にしたとき、僕は正直ちょっぴり落胆してしまった。理由は不明だが玲央の恋愛脳が荒ぶってしまったのかと思ってな。恋愛にセックスはつきもののようだが、僕が彼とのセックスを語ったからといって、即座にそちらに結びつけてしまうほど彼は短絡的な人間だったのだろうかと。
 しかし内心の嘆息はおくびにも出さず、僕は平生通りの口調で尋ねた。
「ふむ、興味深い仮説だが……なぜおまえはそう思うんだ」
「だってさっきの話――防衛機制で大分記憶から消去されちゃった気がするけど――聞く限りじゃ、そうとしか思えないんだもだの。セックスそのものが目的じゃないとはいえ、降旗くんの緊張が少しでも和らぐようにアロマやらハーブティーやら用意したり、一緒に街を歩いたり、挙句一緒に過ごす時間を増やして自分といることに慣れてもらおうなんて、どう考えてもセフレに費やす労力じゃないもの」
 なるほど、玲央の耳には降旗に対する僕の接し方が、あたかも恋人同士における性的関係の維持のための努力と同質のものに響いたようだ。確かに僕の目的にとり彼の協力は欠かせず、彼と性的関係を続けることは重要課題であると言え、その意味での努力という側面があることは否めない。しかしそれは本質ではない。すでに何度も繰り返していることだが、僕の目的は彼に性欲を刺激される理由の解明だ。したがって、あらゆる努力の向かう先もまた究極的にはそこに集約されるといっていい。
「そうだな……気軽にセックスができる関係を欲するということならこのようなコストは払わないかもしれない。しかし僕はセックスの相手がほしいわけではなく、彼に性欲を刺激される理由を知りたいと思って彼との交流を続けている。すでに述べたように、かつてない難題の解決に取り組むにあたり、僕は労力を惜しむ気はない」
 目的意識の重要性を説くつもりで僕が協調的に述べている間、玲央はしかめっ面で前髪をがしがしと掻いていた。
「グダグダ言ってるけど、そこまで行っちゃったらもうそれは愛よね」
「愛?」
 愛とはまたひどく漠然とした概念を持ち出してきたものだ。性愛から慈悲の心まで、愛という単語が表す範囲は広い。
 僕が尋ね返すと、玲央が手の動きを止めてこちらを見つめてきた。
「そ。愛情よ。降旗くんを怖がらせないようにって優しく接してるんでしょ? その、具体的なセックスのとき以外も。これって征ちゃんが降旗くんを大事にしてるってことでしょ」
「彼がいなければ僕はこの謎を未来永劫解くことができないんだ、キーパーソンを失うわけにはいかない」
「じゃ、降旗くんは謎を解くための鍵という名の駒、ってこと?」
「協力者と呼ぶべきだ。駒と呼ぶには彼は不確定要素が多すぎる。僕をして扱いきれる人間ではない。何しろ彼を前にすると僕はあらゆる思考力を奪われる勢いで――」
 駒とは、完全ではないにしてもある程度用途や戦力性が決まっているあるいは使用者が把握できているものである必要があろう。僕をして一年も頭を悩ませるほどの謎の根源である彼が駒となりうるはずがない。彼の学力や知識、生活能力についてはそれなりに掴んでいるつもりだが、それらの情報も彼の不条理なほど強烈なセックスアピールの前では有効な情報として機能しない。彼は僕にとってこの謎を解き明かす鍵であると同時に謎そのものなのだ。
「うーん……やっぱなんかこう、征ちゃんらしくない言動よね。いえ、征ちゃんが堂々と他人を道具扱いするような愚かな人間じゃないことはわかってるわよ? 人材は大切にするものね。ただ……なんていうか、さっきの台詞がいかにも言い訳臭いというか、取り繕ってる感があるというか」
 玲央は僕の説明に納得がいかないというように、あからさまに眉をひそめてみせた。
「何が言いたい、玲央」
 物が挟まったような、それでいて正解はわかっているのにもったいぶっているかのような言い方をする玲央に僕はわずかに焦れた。やれやれと首を緩く左右に振る玲央の隣で、小太郎が僕に向けてピンと人差し指を向けてきた。指差しは礼を欠くからやらないよう以前も忠告したことがあるというのに……。この場は内輪だからあえて注意はしなかったが。
「つまりだな、おまえ降旗のことが好きだってこと、無理矢理否定したがってる感じがするんだよ。冷静なツンデレっつーか」
「つんでれ?」
 玲央に比べるとひどく俗っぽい単語が出てきたものだ。
「知らない? まあ俗語だからな」
「知っている。愛憎のコントロールができずちぐはぐな行動を取ってしまう自己制御能力に欠ける性格のことだろう。戯曲的なキャラクターとしては映えるだろうが、実社会では排除されやすいタイプだ。DSMの分類で直接当てはまるものがあるかは知らないが、パーソナリティ障害の一種と言えるだろう」
 DSMとは『精神障害の診断と統計の手引き』のことだ。アメリカ精神医学会が出版し、世界で広く用いられている診断基準だ。パーソナリティ障害は十種類あり、三つのグループに分けられているのだが、僕は医学や心理学には明るくないので詳細はわからない。パーソナリティ障害は乱暴に表現すれば偏った性格であり、たとえ診断基準を満たしていたとしても本人や周囲が困っていなければ治療対象にはならない。仮にツンデレがパーソナリティ障害に類する性格の一種であったとしても、それによって困る者がいないのなら問題はない。……だが、なぜ僕がツンデレと評されるのだ? 僕は自己制御には比較的長けているほうだと思うのだが。彼に対する性欲を抑えるのが困難であることは認めるが……しかしこれはあくまで僕という人格を構成する一要素に過ぎないだろう。
「さらっとひでぇ毒舌だな……さすがだぜ」
「愛憎とは違うが、確かに僕は彼を前にするとときにまったく自分をコントロールできなくなり、思わぬ行動を取ってしまうことがある。つまり、そのような点を指摘してツンデレだと?」
「え……いやー、なんか違うんだけど……」
 小太郎は額を左手の指で押さえながら小難しげに顔をゆがめた。濁された語尾に代わるかのように、玲央が口を開く。
「ねえ征ちゃん、ここはいっそ自分の中の固定観念を捨てて、自分は降旗くんのことが好きなんだって、降旗くんに恋をしてるんだって仮定のもとで考えてみない? コロンブスの卵って大事よ? いまの征ちゃんにはまったく根拠がないように聞こえるでしょうけど、私は結構自信あるっていうか、確信をもってるんだから。……小太郎、あんたもそうでしょ?」
「え? 俺? あー、まあそうだけど……」
 玲央に肘でつつかれた小太郎は、歯切れの悪い口調でうなずいた。僕は顎に手を置きしばし考えた。固定観念か……言われてみれば僕はひとつの物の見方にとらわれていたかもしれない。性欲を刺激されるということはすなわち僕は彼との性交渉を望んでいるにほかならないと思っていた。だが、一般に恋愛もまた性欲と固く結びついた概念だ。僕が感じる性欲の根源が恋である可能性が絶対にないとは言い切れまい。……が、ひとつ問題がある。
「発想の転換か……確かに一理あるな。しかし僕は恋愛には疎い人間だ。降旗に恋をしているのだと言われてもまったくピンと来ない」
 僕は恋愛という事象・概念に対する知識はもっている。だがそれは机上での学習事項に過ぎず、実際に体験したことはない。いざ立脚点を変えてみようにも、その土台さえ見えてこないのでは、分析の方針が立たない。人間の目で紫外線を見ようとするようなものだ。
 スタート地点から行き詰まりを感じて低くうめく僕に、玲央がテーブルに身を乗り出しながら質問してきた。
「降旗くん対する感情ってどんなのがある?」
「性欲だ。この一言に尽きる」
 感情とはひとつひとつ独立したものではなく、グラデーションのように広がっており、その最も濃い部分にレッテルを貼っているに過ぎないだろう。だから彼への感情がひとつしか存在しないわけではないと思う。しかし彼に対して湧き上がる性欲は圧倒的で、それ以外など砂粒のごとく微細なものに感じられてならない。
「そ、そう……。あの、それ以外を絞り出すことはできない? 一緒にいてドキドキするとか」
「それは常にしている。彼と同じ空間にあるとき、僕は常に大なり小なり興奮状態にあるのだから、当然心拍数は普段より多くなっている」
「ドキドキするってことは、つまり――」
「彼に接触する未来を全身が期待しているということだろう。すなわち性欲を刺激されているにほかならない」
「え、ええー……。……あのさ征ちゃん、真面目に答えて……くれてるわよね、征ちゃんだものね」
 玲央は僕に尋ねかけた言葉に対し結局自己完結をすると、眉間に寄った皺を指先で伸ばしながら言葉を続けた。
「じゃ、じゃあ征ちゃん――征ちゃんに限ってこういうことはないかもだけど――降旗くんの前で緊張したりしない? ただドキドキするだけじゃなくて、こう、降旗くんの前で変なことしたり失敗したりしたらどうしよう、みたいな感じで」
「それもまた常に存在する。というのも、彼は他人に気を遣いすぎるきらいがあり、僕のちょっとした言動の変化をつぶさに察知し、その原因が自分ではないかと絶えず不安を感じてしまう様子だからだ。失敗とはつまり基準から外れる行動であり、大げさな表現にはなるが、一種の異常事態と言える。そのような状況が生じれば彼はたちまち不安に駆られ、萎縮してしまうだろう。よって僕は自己の言動には細心の注意を払っている」
「ええっと……降旗くんを怖がらせないために?」
「若干語弊はあるが、そのような感じだ」
「……やっぱり征ちゃん、降旗くんのこと好きでしょ」
「なぜいまの話がそうつながる」
「いや、なぜって聞かれてもねえ……むしろそれ以外の解釈のほうがこじつけになる気がするんだけど」
 玲央の結論は飛躍しすぎている。なぜ僕が彼と接するに際し慎重を期すことをもって恋愛感情の存在を指摘できるというのか。僕にはさっぱり理解できなかったが、玲央は頑として己の主張を譲らなかった。僕は納得できない一方で、玲央の仮説を否定することもまたできなかった。というのも、僕は恋愛に疎いため、玲央の言い分のどのあたりに矛盾点などがあるのか、具体的に指摘することができなかったからだ。知覚できないものを確定的に否定することは難しい。いま、もしかしたらこの部屋の中には十万ヘルツという高い周波数の音――超音波――が発生しているかもしれない。しかし人間の可聴域を大きく超えるその音を、何の道具もなく耳だけを頼りにして我々が認識することはできない。しかし、聞こえないからといってその周波数の音波が存在しないとは言い切れまい。もちろん、存在すると言うこともまたできない。だから僕は自分が彼に恋をしていると否定することも肯定することもできず、玲央もまた僕にそれを納得させるだけの論理的な材料はもっていなかった。結果として僕たちは堂々巡りになった。
 巡る議論は負のスパイラルというよりもむしろメビウスの帯で、根負けしたわけではなかろうが、やがて玲央のほうが両手を軽く上げて頭の横でぞんざいに振ると、ひときわ大きなため息とともに議論の放棄を呟いた。
「あー、駄目だわこりゃ。私もうお手上げ。小太郎、タッチタッチ」
「ええー? レオ姉がお手上げなら俺なんてなおさら無理だって。俺、ふたりが何言い合ってんのかさっぱりだったもん」
「安心して、私も半分以上わからなかったから」
 玲央に一方的に後任に指名された小太郎だが、彼自身の言う、玲央が無理なら彼にも無理という言葉は僕も同意するところだ。彼を軽んじるつもりはない。しかし玲央のほうがより頼りになるというのは、この場にいる者たちの共通の交友関係の中では一致した見解であると思われる。
 小太郎は困り果てたように手の平で頬を何度か擦り、あー、うー、と意味を成さない母音を間延びさせたあと、質問を繰り出した。
「でもさー赤司、おまえと降旗ってかれこれ一年くらいのつき合いなんだろ? なのに降旗はいまだにおまえの前でガチガチに緊張して、扱こうが舐めようが吸おうがたたねえのかよ?」
「うんともすんとも言わないわけではないが、反応は極めて鈍い」
「そいつ、おまえの前じゃなくて、ひとりでオナニーって状況ならたつんだっけ?」
「そのようだ。確認したことはない、というかしようがないのだが。彼は僕がいるという状況下において反応しづらいのだから。どうやら遠隔地にいて音声だけという状況でも難しいようで、何度か電話を媒介に音声に寄る相互マスターベーションを試みたが、彼は悲しげな声でごめんと繰り返すばかりだった」
「テレフォンセックスもやってんのかよ……。や、いいけどさ。でも、電話ならいくらでも演技しようがあるってのに……。降旗……不器用なんだな」
「もっとも、電話での自慰は互いにもの足りず、特に彼は次に直接会ってセックスを行うとき『電話でも気持よかったけど……でも、せ、征くんに触ってもらったほうがずっといいや。ね……征くん、俺、きみに触ってほしいよ……』と本人比で積極性を見せ――」
「やめてくれ、聞きたくない! 脱線しまくるからそれはよせ! っつーかなんでそんな声真似うまいの!?」
「臨場感を伝えるためだ。僕はこの件に関し努力は惜しまず、妥協するつもりもない。おまえたちに必要な情報だと判断すれば、それらをできるだけ正確に詳細に伝えるべきだと考える」
「たゆまぬ努力の賜物がコレかよ……」
 小太郎は何を思ってかテーブルに額を自ら何度もぶつけるという奇行を繰り返したあと、むくりと顔を起こした。
「ええと……どこまで話したっけ。……ああ、そうか、セックスのときの降旗の様子か。そいつって、昔つき合ってた女子とはやれてたってことだっけ?」
「らしい。聞いてもあやふやな態度と回答しか返ってこないので断言はできないが」
 あまり情報価値はないであろう僕の説明に、しかし小太郎は口元に拳をあてながらふむふむと小さくうなずいた。
「降旗さー、無理してんじゃねえか?」
「無理、とは?」
「つまり、ほんとなら性的志向として男は受け付けないのに、無理してがんばろうとしてるんじゃないかってこと。そいつ元はノンケなんだろ? 口ではいいって言ってて、実際本人もそのつもりではいるけど、無意識に体が拒否っちゃってんじゃね? 女と違って、男の体は素直だからな」
 小太郎の言葉は僕にとって雷鳴と閃光に等しかった。僕は部屋全体に稲妻が走るのを見た気さえした。また、遅れて不穏な轟音が響いたように聞こえてならなかった。
「なんだと……つまり彼と僕の間には合意が成立していないと……?」
 小太郎が示唆した可能性に僕は目を見開き打ち震えた。セックスの合意については毎回欠かさず彼に意思確認をしていたのだが……それらがすべて僕の思い込みによる一方向の解釈に過ぎなかったというのか? なんということだ……。
 全身を戦慄かせる僕を気遣ってか、小太郎がテーブルに身を乗り出しぽんぽんと励ますように肩を叩いてきた。
「や、そんな慌てんでも。成立はしてると思うぜ? 世の中じゃ、セックスにOK出したものの緊張やら何やらで体が反応しないなんてケース、そう珍しいもんでもないだろうし。まあ、強引な迫り方だったなーとは思うけど……」
 何やら慰めの言葉を掛けてくれていたようだが、それらは聞こえてはいても僕の意識にはなんら響きはしなかった。僕は震える自分の両手を見下ろしたまま、狼狽に揺れる声で独り言のように言った。
「だとしたら由々しき事態だ。合意なきセックスはセックスではない。いますぐ彼に真相を問いただし、今後の方針を――」
「落ち着いて征ちゃん! 駄目よ、いきなり問いただしたりしたら。その子の性格じゃますます萎縮しちゃうって」
「携帯……携帯はどこだ?」
 僕は体を捻って腕を伸ばすと、携帯を取り出すべくベッドの側面に立てかけられていた鞄を掴んで開けようとした。しかし、振戦の止まらない手では金具ひとつ満足に解くことができずにいた。
「赤司、それ俺の鞄だって。いくら漁ってもおまえの携帯は出てこねえよ」
 そうか、開けにくいと思ったら小太郎のものだったのか。どうりで普段と勝手が違うはずだ。
「僕の鞄はどこだ?」
 僕は立ち上がって箪笥の前に移動すると、膝を折ってしゃがみ込み一番下から順に開けていこうとした。小太郎の部屋の家具に自分の持ち物が収納されているわけがないのだが、焦燥に駆られた僕はすっかり取り乱し、見当識を失っていたようだ。
「落ち着け、箪笥の中にあるわけねえだろ。腰ポケット腰ポケット」
 小太郎が自分のズボンのポケットを指さして示した。
「ここか!?」
 小太郎の指摘に反応し、僕は彼に飛び掛かると、彼のズボンに指を突っ込もうとした。途端、彼の喉から悲鳴が上がる。
「うお!?……ちょ、やめろ、俺のポケットのわけねえだろ。おまえの腰ポケットだよ。さっき自分で仕舞ってただろうが」
 と、小太郎は余裕のある動作で僕の腰に左腕を伸ばすと、右側のポケットから携帯を引っ張りだした。目の前に掲げられた見慣れた機体に、僕の頭にわずかな平静が戻ってきた。
「あ、ああ……そうだったか」
 ほっとしながらそう呟くと、僕はすぐさまアドレス帳を開き、降旗の番号を探した。が、玲央が慌てふためいた声を上げながら僕の両手首を掴んで制止した。
「待って待って! いきなり電話はやめておきなさいって。まずは落ち着いて話せる場を設けなきゃ」
 その後は彼ら――主に玲央――の忠告に従い、とりあえず電話は控え、また文面によっては誤解の生じやすいメールでの話し合いも避け、後日降旗と直接会って話し合う場を設けるという方向に決まった。多少時間をおけば僕の頭を支配する焦燥も治まるだろうとの計算もあっただろう。しかしそのときの僕はすっかり気が急いていて、そのまま小太郎宅に泊まらせてもらったもののなかなか寝付けなかった。翌朝もひどく気がそぞろで、午前中の高校の練習はなんとか指導できたものの、集中力の欠如がひどくこのままでは失態を晒すのも時間の問題と思われた。玲央たち及びバスケ部の責任者に相談したあと、急用ができたということにしてもらい(嘘とは言い切れまい)、僕は予定より早く京都を発つことになった。一刻も早く彼に会って話し合わなければ。僕は逸る気持ちを抑えながら駅に向かった。

 予想外に早くこちらに帰ってきたと思ったら、そんなろくでもない理由だったんですか。急用と曖昧に濁したっぽいですが、ドタキャンというか途中キャンセルされた洛山の関係者の方々も、まさかあのキセキの世代の統率者と言える赤司くんが恋わずらいをトチ狂った方向にこじらせまくっておかしくなっているなんて夢にも思わないでしょうね……。
 しかし葉山さんはとんでもない爆弾を落としていってくれたものです。降旗くんが本心では嫌がってるかもって……多分現状でもっとも危険レベルの高いNGワードではないでしょうか。
「あの……もしかして、ゆうべ降旗くんと合体するのをものすごくためらっていたのは、彼が本心では合意していないのかもしれないと思ったからですか?」
「そうだ。昨日は彼のところを突然訪れたものの、本来はセックスするつもりはなく、彼に事情聴取するつもりだった」
 ああぁぁぁぁ……やっぱり! ってか事情聴取って何事ですか。そんな態度で接したら降旗くんがますます萎縮しちゃいますよ。本当にこのひとは色恋沙汰に関しては残念な思考回路しかもっていないんですね……。
 セックスにおいて赤司くんが大変慎重で紳士的であるということは降旗くんから何度も聞かされていたのですが、それにしたってゆうべの用心深さは異常だと感じました。その原因は、葉山さんに指摘された「降旗くんが本心では拒んでいるかも」という疑惑に赤司くんが取り憑かれていたことだったようです。ゆうべ起きた一連の事件は葉山さんが発端と言えなくもありません。僕の浅慮な計画も原因の一端であることは否定できませんが……。しかし、葉山さんや実渕さんだってまさか赤司くんがこれほどまでに恋愛方面において無能を極めているなんて想像していなかったでしょうから、彼らが悪いわけでもないでしょう。タイミングが悪いってこういうことを言うのでしょうね……。
 ああ、でもやっぱりぼやかずにはいられません。なんてことしてくれたんですか葉山さん……おかげで降旗くんは数時間に及ぶ無自覚焦らしプレイに苦しめられた挙句、あんなに望んでいたのに結局セックスしてもらえなくなってしまったんですよ!? いえ、葉山さんに悪気がなかったのはわかります。僕や火神くんだって、はじめて降旗くんサイドの話を聞いたときは途中でそのような疑問をもったものです。彼らは僕たちと違い降旗くんを直接知らないのですから、降旗くんがどれだけ赤司くんにぞっこんなのか、予想できなかったでしょう。……というか、赤司くんの口から飛び出す数々の情報を聞いたら、いったいこの宇宙人のどこに惚れる要素があるんだ? って純粋に疑問に思いますよね……。洗脳、調教、あるいはストックホルム症候群くらいしか理由づけできる気がしません。実際に調教はしちゃったみたいですし。ゆうべのテレフォンセックス様子を聞いた――赤司くんのハーレクインフィルターを通じてですが――とき、降旗くん、たいしてためらうことなく素直に応じちゃうんだなー、とちょっと意外に感じていたのですが、前々から経験を重ねとっくに調教済みだったと考えれば納得です。この一年、降旗くんとは普通につき合っており、特に異変を感じたりはしていなかったのですが……僕たちの知らない間に彼は遠い世界へと旅立ってしまっていたのかもしれません。その悲しみと寂しさに、火神くんは両手で顔を覆ってうつむき、「ああー……降旗が……」と力ない声で繰り返しています。僕もまたなんとも言えない喪失感を火神くんと共有したいところですが、僕にはまだ、目の前にいる異星人の相手をしなければならないという崇高な使命が残っているのです。小金井先輩への交渉はひとまず置いておいてくれるようですが、現在赤司くんの頭を悩ませている主題――降旗くんとのセックスにおける合意性の是非――はなんら解決されていないのですから、僕たちはまったく心を休めることができません。火神くんは元から赤司くんが苦手な上、勝手にライバルのオス認定されて嫉妬の殺気を飛ばされてしまうような立場ですから、赤司くんの相手を押し付けるのはいくらなんでも非情というものです。ここは僕ががんばるしかないでしょう。神は僕に何の試練を与えたいんでしょうか。
「ともあれ、実渕さんが赤司くんに降旗くんへの恋愛感情を指摘してくれた、というわけですね」
「玲央の仮説によれば僕は降旗に恋をしていることになるらしいが、僕を納得させるに足るだけの説得力があったわけではない。先ほどおまえたちに聞いたような恋愛に関する質問や解釈の応酬が繰り広げられたが、僕はますます混乱するばかりだった」
「多分実渕さんも相当混乱したと思いますよ、赤司くんの恋愛論理学には」
 赤司くんは降旗くんへの恋愛感情に甚だ懐疑的であり続けているようですが、僕たちに質問をしてきたということは、一応実渕さんの提案通り、発想を転換して恋心を解釈の選択肢に含める方針ではあるようです。
「僕は恋愛感情というものに造詣が深くない。よって彼らの話を理解するのは困難だった。辞書的な知識はあれど、感覚的な基礎知識が欠如しているのだから、理解力以前の問題だ。フランス語で行われる講義を受けるのに肝心のフランス語を知らなかったら内容を理解することはかなうまい。やはりここは恋愛の理解からはじめるのが妥当だろう。問題解決に複数の選択肢があろうとも、それらを同時並行で行うのは机上の論理パズルならともかく現実の問題に対しては困難だし逆に効率が悪い場合さえある。よって現在取り組むべき優先課題は僕が降旗に恋をしているのか否かを見極めることで、その前段階として恋愛に対する造詣を深めたいと思っている。小金井の件はひとまず保留だ。名前と顔がどうにか一致する程度の相手と交渉の舞台に上がるのは容易ではないし、そこに至るプロセスも多いと思われる。まずは自分の内的問題から手をつけるのが賢明だと判断した。この難題の根幹に関わる可能性もあるしな」
 なんでいちいち小難しい言い回しにしなきゃ気がすまないんですかねこのひとは。火神くんと赤司くんがわかりあうには、大前提である言語の壁が厚すぎると思われます。まあ、火神くんはすでに僕におまかせモードに入ってしまっているので、気にする必要はないのですが。僕だって、赤司くんの発言をほかのひとにわかりやすく通訳するのは無理ですし。
「しかし……赤司くんが恋愛感情を理解する方法ですか……。すみません、僕にはまったく方策が思いつきません、残念ながら。僕が無理なら火神くんも無理だと思いますし」
 恋愛は概念であり感情であるのですから、はっきりと定義できるものでも説明できるものでもないのです。この世の人間の数だけ解釈が存在すると言えるでしょう。しかし赤司くんはとかくきっちり定義や線引きを欲します。こんなひとに恋愛講釈を行わなければならないなんて、囚人に穴掘りと穴埋めを繰り返させるよりも残酷な仕打ちではないでしょうか。
「案ずることはない。幸い小太郎が、恋愛のシミュレーションシステムが組み込まれているというソフトを貸してくれた。それらを利用し、これから学習に励みたいと考えている」
 さっそく気を重くする僕とは対照的に、赤司くんは朝日の昇る方角を見つめる大昔のドラマの登場人物のように前向きな様子です。
「恋愛のシミュレーションシステム?」
 なんか……嫌な予感が胸を突いたのですが。
 赤司くんはテーブルの下に置いた自分の鞄を取り出すと、ファスナーを開け隙間に手を突っ込みました。
「ああ。小太郎は恋愛の研究に余念がないらしく、豊富な学習ソフトを有していた」
 言いながら取り出したのは、薄っぺらいプラスチックケースが五、六枚。無造作にテーブルに置かれたかと思うともう一度同じ動作を繰り返し、同様の形状のものをまたしても数枚取り出しました。カラフルな彩色にポップな文字、コントラストが目にきついアニメ塗りをされたデフォルメのかわいらしいキャラクターたち。たとえ個々に見覚えがなくてもパッケージの雰囲気から、それらが何であるのかは容易に察せられました。
 恋愛シミュレーションゲームです。
 略して恋シミュ……でいいのでしょうか。
 確かに恋愛のシミュレーションシステムが組み込まれたソフトです。赤司くんの言葉は何ひとつ間違っていません。ええ、これらは正しく恋愛のシミュレーションシステムが組み込まれたソフトです。そういうソフトなんですけど……!
「赤司くん……これがどういうものかわかってます?」
「恋愛シミュレーションソフトだろう」
「な、何も間違ってはいないのですが……多分根本的に誤解が生じているのではないかと」
 ちょっと見せてもらっていいですか、と断りを入れてから、僕はテーブルの上に崩して重ねられた十枚前後のゲームソフトを両手にそれぞれ一枚ずつ取りながらパッケージを見下ろしました。
「まだあるぞ。全部で三十枚ほど借りたと思う」
 と、赤司くんはさらに二十枚くらいを鞄から出しました。だいたいパソコンゲームのようですが、据え置き型コンシューマ機のものも少数ですがあります。
 ギャルゲー、美少女ゲーといった男性コンシューマーを対象にしたソフトだけでなく、女性購買層をターゲットとした乙女ゲー、果てはボブゲなんてものまで混ざっているのですが……これ全部葉山さんの趣味なんでしょうか。だとしたら個々のソフトそのものより、このジャンルそのものを愛しているということになりそうです。僕はこの手のゲームを嗜みませんのでよくわかりませんが、そんなにおもしろいのでしょうか。
 中古のゲーム売り場のラックでも漁っているかのような心境で、なかば圧倒されながらパッケージ裏の発狂気味の説明文を読む僕に、赤司くんが尋ねます。
「テツヤ、おまえはこのようなソフトを用いた経験があるか?」
「え? いえ、恋シミュは特に……」
 まったくやったことがないわけではないのですが、手を出したのはダウンロード版の『はーとふる彼氏』くらいです。おおいに楽しめましたし不覚にも鳥類に萌えてしまったのですが、あれだけをもって恋愛シミュレーション系のゲームの経験があると言ってよいものかどうか……。お相手は架空の鳥さんたちですので。
「そうか。しかし僕よりは恋愛というものへの理解が深いだろう。僕は帰りの新幹線の中で何枚か試しに起動させてみたのだが、」
「新幹線の中でプレイしちゃったんですか!?」
 ちょ……え、ええっ!? 何やってんですかきみは!? 新幹線でギャルゲー!? もっと自分のキャラを顧みてくださいよ! 残念なイケメンにもほどがありますよ!……いえ、ここまで突き抜けていたら逆にかっこよくさえありますね。
「ああ、高校生向けの練習メニュー等の管理のためにノートパソコンを持参していたからな。東京までは時間が掛かるし移動中は暇なので、時間を有効に活用しようと思った。しかし、やってみたのはいいのだが、どうにもシステムをよく理解できない。説明書を読むに、架空のキャラクターの性格に関する情報を収集し、個々の人物にマッチしたアプローチを行うことで、最終的に操作キャラクターと任意の対象キャラクターが性交渉を行うことが目標らしいのだが、画面上で確認可能な各キャラクターのステータス? を見ても、僕がほしいと思う情報が載っていないんだ。これでは方向性を定めることさえ困難だ」
 性交渉を行うのが目標って……いきなり十八禁に手ぇ出しちゃったんですか!? 新幹線の中で!? ちゃんとレーティング確認しましょうよ! いや、赤司くんは恋シミュの意味なんてわかっていないというか、ゲームというより学習ソフトの一種だと思い込んでいるのですから、年齢制限が存在するかもという発想自体なかったんだと思います。いやしかし……無知って恐ろしいですね。アホなのかと疑うほど頭の中ピュアピュアなのに、現実にやっていることは公共交通機関で十八禁ゲームのプレイという迷惑行為なんですから。まあ、恋のひとつもしたことのない純情以前の問題の童貞(まったく意味がありませんが)のくせして、降旗くんとフェラや愛撫を楽しみまくっている上に彼をちゃっかり調教して虜にしてしまうような驚異的な人物ですもんね……。さすが赤司くん、僕たちにできないことをいとも簡単にやってのけてしまうようです。そこに痺れも憧れもしませんけども。いやほんとに。
 とはいえ、いまの話からして危ないスチルが出現するようなところまで進行しているとは思えないので、もし隣に座った乗客がいたとしたら少々眉をひそめられた顔しれませんが、公序良俗に反するような行為というほどではなかったと思われます。ていうか赤司くん、この調子だと導入からしてつまずいてたんじゃないでしょうかね。キャラクターのステータス表示に文句つけてるくらいですから。
 赤司くんは腕組をしながら、小太郎に初心者向けのものを確認せねば、とかなんとかぶつぶつ言っていましたが、ふいに視線を上げて僕の顔をとらえたかと思うと、
「よってテツヤ、僕にこれらのシミュレーションソフトの有効的な使い方を教えてほしい」
 なんかご指名をいただいてしまいました。
 え……ソフトの有効的な使い方を教えろって……。
 赤司くんに恋シミュのプレイ方法やら攻略やらを伝授するんですか!? 僕が!? 嫌ですよ! それなんていう無理ゲー!?
 とんでもない要求に驚愕し戦慄した僕は、思わず助けを求めて横に座る火神くんのほうを振り向きました。僕が動く気配に反応し火神くんもこちらに視線をくれました。そして一言。
「これスポーツのゲームか? バスケも入ってんのか……?」
 そう尋ねてくる火神くんの左手にあるプラスチックケースには、野球やサッカー、陸上などのいかにも学校といった感じのロゴの入ったユニフォームを身につけ、少女じみたきらきらしさをまとう少年たちがプリントされたパッケージが。
 火神くん……それは多分乙女ゲーです。もしかしたらボブゲかもしれません。いずれにせよ残念ながらきみの期待するゲームはそこには含まれていません。
 ああぁぁぁぁぁぁぁぁ……ここにもまたピュアっ子がひとり。火神くんのかわいらしいボケには正直癒されましたけど……でも、僕はそろそろ体力精神力ともに限界です。僕はもう十分がんばったと思います。ネグレクトしたって誰も僕を責められないでしょう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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