とんでもない発想と理屈により降旗くんのみならず小金井先輩にまでセックスを迫ろうとしている赤司くんを前に、僕と火神くんは頭を抱えつつ戦々恐々としました。わかっていたことですが、やはり彼の脳みそは常人の壁などとうの昔に破壊していた、いえ、元々存在しなかったのだと考えられます。なんでそんな残酷なことを真剣に考えられるんですかこのひとは。赤司くんの中では、降旗くん系統の容姿に反応して性欲を刺激されているのか見極めたいという、無茶苦茶ではありますがまあ一応わからなくもない理由が存在するのですが、これを降旗くんが知ったら大ショックに決まっています。無意識とはいえ恋焦がれている相手が堂々と浮気、二股を行おうとしているからというのはもちろんとして、彼はいまだ赤司くんとセックスできていないのです。僕たちの見解ではどう見ても悪いのは赤司くんのほうなのですが、降旗くんの性格からすると、自分に問題があって赤司くんが手を出してくれないのだと解釈してしまう可能性があります。その場合どうなるかというと、降旗くんの中で赤司くんのやろうとしていることはあたかも「自分がなかなかセックスできないでいるから、愛想を尽かした征くんが別の相手のところに行こうとしている」ように感じられてしまうのではないでしょうか。僕たちの目には相思相愛に映るおふたりですが、本人たちの認識ではあくまでセックスを楔としてつながっている関係なのですから、もし何かの間違いで本当に赤司くんが降旗くんとはセックスせず小金井先輩とはセックスする、なんて状況を引き起こしてしまったら、降旗くんはもう立ち直れないレベルのダメージを受けると予想されます。もし降旗くんが赤司くんにベタベタに惚れていなければ、どうせ怪我するのなら傷の浅いうちに……ということでこのような残酷な手段によって強引に引き離してしまうという選択肢もあったかもしれませんが……。ここまでひどい現状(概ね赤司くんのせいなんですけど)を目の当たりにしていると、赤司くんはともかくとして降旗くんは別れて新しい相手を探したほうが幸せなのでは、とさえ思えてくるのです。
……いえ、やっぱり駄目です。仮にこのプランを実行に移した場合、確実に小金井先輩が犠牲になるのですから。そして降旗くんと小金井先輩の関係もぎくしゃくどころかボロクソになりかねません。小金井先輩がセックスを求められてほいほい応じてしまうような性格とは思えませんが、降旗くんだってそんなタイプではないものの気の弱さから応じてしまい、挙句実際に交流を重ねていくうちに赤司くんにメロメロになってしまったのですから、小金井先輩が降旗くんの二の舞になる可能性は否定できません。また、赤司くんが魅力的な人物、他人を魅了する能力を持って生まれた人間(僕は常々宇宙人だと疑っているわけですが)であることは認めざるを得ないところです。この三人が泥沼の三角関係を繰り広げるところなんて見たくありませんし、そうなった場合、現状から鑑みて僕と火神くんが巻き込まれる可能性は大いにありますから、被害を未然に防ぐという意味でも赤司くんの計画を放置するわけにはいきません。
「ええっと……小金井先輩の連絡先って、急を要する件ですか? アドレス登録したの高校時代なので、いまもそのアドレスを使っているかどうか自信なくて。そう連絡取り合うこともないですし。確認に少々お時間をいただくことになるやもしれません」
「いや、いますぐ必要というわけではないから構わない。聞いてみただけだ」
「そ、そうですか」
よ、よかった。この場ですぐ赤司くんに小金井先輩の連絡先を教える必要はないようです。多少なりとも時間を稼げれば何らかの対処法を考案できるかもしれませんので、とりあえず首の皮一枚つながったといったところでしょうか。ほっとしている僕たちに、しかし赤司くんは、
「ただ、いずれ尋ねるかもしれないから、早めに把握しておいてもらえると助かる」
即座に釘を刺してきました。柔らかい言い回しですが、要は可及的速やかに小金井先輩の連絡先を入手しろという命令にほかなりません。具体的な行動に移る際の初動を早め早めに行なっていきたいという考えに基づいてのことだとは思いますが。まあ即時被害を免れただけでもよしとしましょう。
「ところで、実渕さんや葉山さんは何も言わなかったんですか? その、きみが小金井先輩とセックスしようと言い出したことについて」
赤司くんの無茶苦茶な言い分はまったくもって褒める要素などないのですが、実渕さんや葉山さんが彼に洗脳され……もとい心酔しきっていたとしたら、彼の背を後押ししてしまったと考えられなくもありません。しかし先ほどの赤司くんの話によれば、このふたりは赤司くんが言い出したとんでもない計画に驚いていたような印象です。相手は赤司くんですから止めることは難しかったかもしれませんが、赤司くんは他人の意見を片っ端から聞き入れないような駄目な独裁者ではないので、おふたりが反対案というか計画のデメリットを指摘することはできなかったのでしょうか。まだ報告の途中ということもあり、僕はそのときの状況の詳細及び続きを求めるつもりで尋ねました。赤司くんは難しい顔で腕組みをしながら、ふむ、と小さくうなずきました。
「僕のアイデアの意図や理由が理解できないようだったから、とりあえず掻い摘んで僕と降旗の関係性を説明することにした――」
僕が降旗が性的関係をもったことへの背景事情については、テツヤ、おまえに以前話した内容とほぼ同じだ。もちろん表現の違いや時系列の前後はあったが。僕がひと通り話し終えた頃、ふたりはどういうわけか頭痛を感じている様子だった。玲央は以前片頭痛持ちだと言っていたからそのせいかもしれないが、頭痛とは縁のなさそうな小太郎までも、こめかみを襲う痛みの拍動に耐えるかのように、額を両脇から押さえ眉根を寄せて目を閉じていた。
「えー……つまり征ちゃんは降旗くんに性欲を感じていて、その理由が知りたいから彼とセックスするようになって、その関係がかれこれ一年くらい続いてるってことでいいのかしら?」
僕が語った内容を玲央が簡潔にまとめ聞き返してきた。さすが玲央は聡明だ、要点をきちんと押さえ、それでいて無駄のないまとめ方だった。これならば小太郎の頭にも整理されて入っていくことだろう。
「そうだ、謎の解明に一年も取り組んでいるというのにいまだに成果どころか糸口さえ掴めずにいる。現時点における人生最大の謎といっても過言ではあるまい」
「で、解明のための努力は惜しまない姿勢で、そのためには小金井くんに協力を仰ぐことも辞さない所存だ、と」
玲央のコミュニケーション能力の高さはこのような優れた読解力、理解力に裏打ちされたものだということは、この話を聞いているだけでもわかるだろう。
「そうだ。そうと決まれば動きは早いほうがいい。まずは連絡先を知らなければ。誠凛出身者で現在僕が交流を持っているのは降旗とテツヤ、間接的に火神、か……テツヤはあれでいい加減なところがあるから、降旗に問い合わせるのが妥当か。彼は結構マメだから、あてにできそうだ」
僕は迅速に行動を起こそうと、小太郎から回収したあとローテーブルの上に置きっぱなしにしてあった携帯を手に取り、アドレス帳から降旗の番号を呼び出した。それほど遅くはない夜の時間帯なので、彼が電話に出る可能性は高いと見た。しかし通話ボタンを押そうとしたところで、
「ちょ、ちょちょちょちょ、待って! 征ちゃんストップ! 早まらないで!」
玲央が携帯ごと僕の右手を掴んで制止してきた。尋常でないくらい焦燥に駆られた声音とともに。
「どうした玲央、急に声を荒げて」
「や……さすがにその件で降旗くんに問い合わせをするのはどうかと」
僕の手と携帯を片手の中に握りこんだまま、玲央が髪を乱しながらぶんぶんと左右に首を振った。
「なぜだ」
「だって征ちゃん、降旗くんとセックスするような関係なんでしょ?」
「そうだが、それが何か」
「彼は多重交際を容認するタイプなの?」
玲央は複数の相手と性的接触を持つことによるリスクを懸念しているようだった。
「感染症の心配か。無論安全性には細心の注意を払うつもりでいる」
「いや、それもあるけど、それ以前の問題としてね……あのさ、征ちゃん、降旗くんとは完全に割りきったドライなセフレ関係なの?」
せっかくだから性感染症やセーファーセックスについて意見を出し合いたいと思ったのだが、玲央はすぐに次の話題に移ってしまった。行為の安全性確保に関して、僕は玲央から信頼をもらったと解釈してよいのだろうか。
なんにせよ、玲央は僕に質問したいことがあるらしい。降旗への連絡はとりあえず後回しにしようと僕はズボンのポケットに携帯を仕舞い込んだ。
「まず質問の確認からしたい。何をもってドライなセフレ関係と呼ぶんだ?」
「何を、って言われてもねえ……お互い性欲の発散のためにセックスをするんだってことで納得済みで、かつ、お互い以外の相手とつき合ったりセックスしてもOKって取り決めになっている……とか?」
「第三者との性的な交友関係についての取り決めは特にないが、干渉や詮索を行ったことはない」
「一応聞いとくけど、征ちゃん、降旗くんとセックスするようになってから、ほかのひととセックスしたりしたことある?」
「ない。いまのところ彼以外の人間に性欲を刺激されることはない」
もっといえば、これまで彼以外に性欲を刺激されたことはない。よって彼は僕がいままで知り合った人間の中でもっともイレギュラーな存在であると言える。彼が対面するものすべてを性的に魅了する性質を持ち合わせた人物であるならばまだ納得がいくが、知る範囲では、僕を除いてこんなにも彼に性欲を掻き立てられる者はいないようだ。なぜ彼はあれほどまでに僕の性欲を刺激するのか。彼のセックスアピールは異常を通り越してもはや不条理だとさえ言える。
「降旗くんのほうは?」
「詳しく聞いたことはないが、恋人は一年以上いないということだ。僕がセックスを要請した時点ですでに破局してからそれなりの時間が経っていたようだ。セックスフレンドに該当する人物がほかにいるかはわからない。それから前者の質問に関してだが、性欲の発散という側面があるのは事実だ。しかしそれは結果であって目的ではない。目的はあくまで、彼がなぜ僕の性欲を刺激してやまないのか、理由を突き止めることにある」
僕が彼に性欲を刺激され、彼とセックスを行うことによってその性欲が満たされるのは確かだ。だが僕の知的好奇心、難題の解を求める探究心はまるで満たされない。しかし謎を追い求めれば求めるほど彼に近づくことになり、それは必然的に僕の性欲を刺激する。情けないことに僕はこのスパイラルから抜け出せないでいるが、目的を忘れてはいない。僕はいまも変わらず彼に性的刺激を受ける理由を知りたいと思っている。
「降旗くんに性欲を感じるからセックスに誘ったってこと、降旗くん本人には話したの?」
「無論最初に説明をした」
「いったいどのツラ下げて……いえ、どうやって説明したのよ、そんなトンチキな理由」
「そのままだ。包み隠さず飾らず、明快かつシンプルに説明した」
「そのままって……降旗くんに性欲を感じるから、僕とセックスしてくれって感じで?」
玲央は立て続けに質問をしてきた。彼女、いや彼は下世話な恋バナを好むのだが、セックスそのものの話題は品に欠けるとしていい顔をしないタイプだと思ったのだが、この日は妙に食いつきがよかった。とはいえ玲央が下品な物言いや揶揄を行うような性格でないことには確信があり、これらの質問も彼なりに思うところがあってのことだろうと解釈し、僕もまた回答を続けた。
「そうだ。もっとも、あくまで交渉として臨んだため、それほどフランクな言い回しにはならなかったが」
「セックスを求める理由としてはある意味この上なくシンプルではあるけど……シンプル過ぎて逆に難易度高そうだわ」
「うむ、僕としては簡潔に説明したつもりなのだが、彼にはなかなか理解できなかったようで、僕は何度も説明を繰り返す必要があった」
「なんて言ったの?」
「『きみは僕の性欲を刺激する。よってセックスを要求する』だが」
前にテツヤに話したとおり、変に気を利かせすぎて装飾過剰な言葉で求めた結果誤解が生じていたら元も子もない。やはりシンプルかつ実直な言い回しに勝るものはないだろう。
と、ここで無視していたのか静観していたのか単にボーっとしていたのかは知らないが、炬燵というわけでもないのにテーブルの下に体をうずめてごろごろしていた小太郎が急に上半身を起こした。そして玲央とともに目をまんまるにして僕のほうを見つめてきた。
「はい……?」
「は……?」
言葉にもならない短い声だったが、疑問符が付加されているように感じられた。聞き取れなかったらしい。ごく普通の話声できちんと発音したつもりだったのだが。
「だから、『きみは僕の性欲を刺激する。よってセックスを要求する』だ。無論一字も違えず繰り返したわけではないが、基軸はこれだと思ってもらっていい」
意識的にやや遅めかつ一音一音を明瞭に発音した。これならば大丈夫だろうと思ったのだが、彼らはやはり目を見開いたままだった。動きが固まっているようでもあった。
「どうしたんだ、ふたりとも」
訝る僕に対し先に反応を返してきたのは小太郎だった。
「ちょ……待て、赤司、おまえ、そんな誘い方したのかよ。よくそれで相手応じてくれたな」
「何度も根気よく説明を行い、数時間に渡って交渉したからな、彼にも僕の真摯な志が伝わったのだろう」
「志って……セックスの?」
小太郎は胡散臭げに眉をひそめた。確かに人間社会において倫理的な観点から性欲は抑圧されがちな欲求だ。しかし、小太郎がそのような保守的な観念の持ち主だったとは思っていなかったので少々驚いた。
「性欲を刺激される謎を解き明かしたいという情熱のことだ。まあセックス絡みには違いないが」
「どういうイカサマを使ったらあの台詞でセックスに持ち込めるんだよ」
「イカサマもトリックも使っていない。僕はただ正面から堂々と交渉しただけだ――」
(――現在赤司先生が荒ぶってらっしゃいます。しばらくお待ちください――)
やらかした! この宇宙人、関西でもハーレクインやらかしてた! 古都にまで赴いて何やらかしてんですかこのひとは。西日本まで汚染して帰ってくるとは何事です。
にしても、なぜすでに一度僕に概要を伝え、京都でも語り尽くした内容をここでまた僕たちに向けて語りまくってくるんですか。迷惑ですやめてください。……まあそんなことを聞き入れてくれる赤司くんのはずがないのですが。聞き入れるどうの以前に、僕たちの悲痛な叫びは彼の耳に届いてさえいないでしょう。何しろハーレクインスピーカーと化した赤司くんは常にない興奮状態に陥っているのですから。やっぱりこれ、欲求不満の捌け口なんじゃないですかね。ゆうべも結局セックスしなかったみたいですし。
えー、現在、回想を語る自分を回想として語るという劇中劇のような話が赤司くんによって繰り広げられております。マジバで最初に赤司くんから降旗くんとの関係を聞かされたときは免れることができた性的ファーストコンタクトの場面についても、ばっちり語られてしまいました。もちろん気色の悪いハーレクイン全開です。やはり降旗くんは最初かなり消極的というか、イヤイヤだった感に溢れています。赤司くんの押しの強さに負けちゃったんですね……ほろり。しかし人間はどんなことにも慣れる生き物だという格言は真実のようで、降旗くんは徐々に環境に適応しはじめます。次第に濃厚になる触りっこを経て降旗くんの乳首が開発されていく過程や、後ろを解しはじめた頃の様子といったセックスシーンはもちろんのこと、渋谷で恋人つなぎ事件やらスーパーで試食品の食べさせ合いっこ、マイバッグの協力持ち(水物買って重いからって、取っ手を片っぽずつ持って一緒に歩いて帰ったそうです)など、時代遅れのトレンディドラマのワンシーンだとしても芝居臭すぎると批判されそうな甘酸っぱいエピソード満載です。火神くん、砂糖を、砂糖を捨ててください……! 今日の晩御飯味気なくなっちゃってもいいので!
この恐るべきハーレクインルポタージュが赤司くんの京都滞在中に行われたということは、僕たちより一足先に被害者が発生していたということになります。実渕のお姉さんに葉山さん、ご愁傷さまです。同じ被害者として同情と親近感を覚えます。もっとも、一番の被害者は裸の写真を勝手に他人に晒されたり、自分と赤司くんのセックスをハーレクインフィルターを通して語られまくっている降旗くんでしょうが。ことによっては名誉毀損になるのでは。降旗くん、このような事実を知っても赤司くんに幻滅せずにいられるでしょうか。お話することで彼らの縁を切ることができるのなら……と僕の中のよろしくない心――あるいはもしかしたら友を思う心かもしれません――ささやきます。しかし、降旗くんがショックを受けることがわかりきっているのに正直に伝えてしまうのが果たして妥当な判断なのかどうか……。そしてまた、僕たちがそのような話をすでに聞いてしまっていると彼が知ったとき、僕たちの関係は百均で売られている安物の綿糸よりも収拾がつかないほどこんがらがってしまうのではないかと心配せずににはいられません。
(――赤司先生が一応の落ち着きを取り戻したようです。しかし油断は禁物です。この先もお気をつけください――)
「……このような流れにより、僕は彼と性的関係を持ち現在に至っている」
かなり端折り気味ではあったが、僕と彼の現在に至るまでの関係及びその中で行われたやりとりの必要部分を抽出し、玲央と小太郎に説明した。かなりいろいろなものをこそぎ落としたのだが、それでも小一時間ほど経過してしまった。途中で気づいて卓上コンロは消火したが、鍋はすっかり煮詰まって味が濃くなってしまったようだった。野菜もイギリスの伝統的調理法を実践したかのごとくくたくたのどろどろになってしまっていた。
「玲央? 小太郎? どうした?」
不可解なことに、ふたりは間抜けっぽく口をあんぐりと開けて天井を向いていた。若干長話になったので疲れて集中力が切れたのかと思ったが、それにしては不可解な姿勢だった。長時間に及べば頚椎を痛めかねない。
僕の声にふたりははっとしたように首を小刻みに振った。
「お、終わった……? 終わったのか……? レオ姉、ハーレクイン完結した?」
「た、多分……そうだと信じたいわ」
彼らは互いに顔を見合わせると、まるで遭難から生還した同志であるかのようにがっちりと手を握り合った。
「どうしたんだふたりとも、ひどく疲れているようだが。話を聞いているだけで何もしていないというのに。洛山でも、指導はしたが僕達自身は激しいトレーニングは行わなかっただろう。精神的な疲労はわからないでもないが。指導監督もまたハードな役割だ」
すると、小太郎は額にわかりやすい汗を浮かべながら、それを前腕で拭う仕草をした。
「いやー、これなら正直おまえの鬼メニューこなしたほうが百万倍マシな気がするわ……」
「名前の呼び方変えるくだりがすごかったわ……。あの手のベッタベタなシチュエーションにはフィクションで慣れていたつもりだけど……やはり現実と虚構の壁は厚いということかしら。征ちゃんが当事者だと思うだけですごくそら寒くなってきちゃったわ。ノンフィクション怖い」
「いやいやレオ姉、あれくらいはいいほうだろ。はじめて指挿れたときの話が一番強烈だったじゃん?」
「そんな具体的な話あったっけ?……駄目だわ、多分途中で脳みそが強制停止状態になったんだと思う。なんか記憶が飛び飛びな気がする」
「大丈夫かよ? レオ姉のが耐性ありそうなのに」
「そりゃ映画見たり小説読んだりするだけならいいけどね、本人に実体験を音声で語られたのよ?」
「確かに、音声伝達のダメージはでかいよな……」
ふたりは口々にコメントを出し合っていた。玲央の脳が活動を拒むということは、かなりの疲労状態だと考えられる。彼らの体力が十代の頃と比し低下したとは考えにくいので、精神的疲労によると思われる。高校時代は僕がリーダーシップをとっていたため、彼らは指導的役割に慣れていないのだろう。僕も当時は所詮ティーンエイジャーに過ぎなかったからな、長期的視点から将来の指導者育成の種を撒くことまでは頭が回っていなかったということだ。加齢という名の経験の積み重ねはひとを成長させるようだ。
「どうした、僕の話し方に問題があったか。……やはり臨場感を伝えるには不十分だったか」
情報伝達を濃縮するために端折ったのだが、それがかえって伝達能力の低下につながったのか。僕は必要と思われるエピソードについてもう一度最初から、より詳細に語ろうと構えたのだが、
「いえ、十分です! 十分すぎるほどわかりました!」
なぜかふたり声を揃えて丁寧語でそう言った。僕としてはもう一度同じ話をするくらいの手間はやぶさかではなかったのだが。
「赤司、いまの話聞く限り、おまえ降旗とは結局セックスしてないんだよな? あ、セックスって合体のことな」
すっかりぬるくなった綾鷹の二リットル入りペットボトルを傾けてグラスに中身を注ぎながら、小太郎が尋ねてきた。
「狭義でのセックスは行っていない」
「じゃあさじゃあさ、おまえって童貞ってことになんの?」
「セックスの定義を性器の挿入だと解釈するならそうだ。また性器と性器の結合とした場合、そもそも同性間での性行為は成立し得ないことになる。立法は原則この立場だな」
「何のためらいもなく断言できるあたりがイカスぜ赤司」
小太郎が意味不明なコメントとともに親指を突き立てぐっとこちらに押し出してきた。
「あんたなにデリカシーのないこと聞いてんのよ」
「いや、一応聞いとかないと不安で。赤司のイメージが守られてよかったと思わねえ?」
「決まったパートナーと濃厚なオーラルセックスだのペッティングだのやってたら童貞の価値なんてないでしょー」
彼らは再びぐだぐだと何やら言い合いをはじめた。僕はその間、喉を潤すための冷たい飲み物を求め、冷蔵庫から麦茶を出した。しかし、グラスに注ごうとしたところで、これは果たしていつ沸かされたものなのだろうと疑問と危機感を覚え、飲むのを思いとどまった。小太郎は生活力がないわけではないのだが、随所がいい加減なんだ。多少腐りかけた飲食物を摂取したところでただちに健康に影響が出るほど軟弱な肉体でないことが、不精に拍車を掛けているのだろう。本人的に不都合がなければ干渉するようなことではないのだが、自分がこの麦茶を飲むのはためらわれた。またすでに封を開けられていたミネラルウォーターに対しても不安感を覚えた。これならば水道水のほうが健康的だろうと、僕は水道の蛇口を捻り、溜まっていた水をしばらく流してからコップに入れた。
水分補給を終え僕が席に戻ると、彼らもまたぬるい液体で一服していた。もう誰も鍋の中身には興味を示さなかった。というより存在を認知したくなかったのだろう。食べられなくはないが限りなく生ゴミに近い物体が、工業排水のごとく濁った液体に浮いているのだから。ただ、見た目が悪く煮詰まったせいで味が濃いだけで、味付けそのものが兵器化しているわけではないため、そこに鎮座していることに恐怖感を抱くことはなかった。
「赤司さー、降旗のどんなところに魅力を感じるわけよ?」
空にしたグラスをテーブルに置くと、小太郎がそんな質問をしてきた。彼の性的魅力の壮絶さは十分に語ったつもりなのだが、やはり途中途中の省略がいけなかったのか、小太郎には理解されていない様子だった。
「すべてだ」
語るべき言葉は山のようにあるが、まずは端的に表すべく、そのような答え方をした。ずいぶん漠然としていると感じられるかもしれないし、実際「すべて」など曖昧きわまりない単語だと思う。しかし、この文脈において僕にとってこれ以上ふさわしい説明の言葉はなかった。そう、彼のすべてが僕の性欲を刺激する。
「すべて? そいつ、そんなにすげぇの?」
「ああ、言葉に表しきれないほどの強烈なセックスアピールだ」
「セックスアピールって、色気ムンムンってこと? 写真見た限りじゃ、とてもそんなタイプには見えなかったけど……」
「僕も写真に対しては同様に感じている。だが実物が視界に入ったときに体の奥から湧き上がる抗いがたい性的衝動は恐ろしいほどだ。彼の体のあらゆるパーツ、一挙手一投足が僕の性欲を刺激する」
「で、その性欲を抑えきれなくなって降旗に迫っちゃったってわけか」
「彼のセックスアピールの前では自己抑制の類は焼け石に水ほどの効果もない。走行性の羽虫のごとく、僕のリビドーはまっすぐ彼に向かう」
「へ、へえ……」
小太郎も彼のセックスアピールの恐ろしさに想像がつきはじめたのか、上擦った声とともにぶるりと背筋を震わせた。と、沈黙に陥った小太郎に代わり今度は玲央が口を開いた。
「降旗くんのほうはそんな性欲ガンガンってわけじゃないのよね?」
「むしろおとなしすぎるくらいだ。彼は僕の求めに応じようとはするのだが、うまくいくことは少ない。緊張もあるのだろうが……やはり僕にはセックスアピールが決定的に不足しているようだ」
「でも征ちゃん、降旗くんには大分ご奉仕っていうか、いろいろ優しく触ってあげてるんでしょう?」
「そのつもりだ。当初は消極的という言葉を具現化したかのような態度の彼だったが、次第に、わずかながら積極性を見せるようになった。後ろに指を挿れることへの抵抗感が薄れ、少しずつ慣らして広げるといった行為を繰り返していた頃、僕は彼の体に異変を感知した。当時すでに彼の家で一夜を明かすのが習慣化していた。夜の帳がすっかり落ち、省エネ仕様のわずかに明度の低い室内灯が照らす部屋の中、入浴を終えた彼と僕は部屋着を着たまま互いの体に触れ合っていた。彼のTシャツの裾は鎖骨の近くまでめくれ上がり、指先の刺激ですでにピンと尖った乳首が普段より赤みを増して存在を主張していた。上半身をさすっていた右の手の平を徐々に脇腹、背、腰と蛇行させながら這わせていき、背中側から下着のウエストに差し込んだ。そのまましばらく臀部や鼠径部、そして陰茎に緩い刺激を与えた。そして再び後ろ側に手を移動させ入り口を中指の先で軽くつつくと、応えるようにひくりと動き、ほんのわずかだが開こうとしているように感じられた。
『あ……せ、せいくん……』
『光樹……』
うっすらと開いた彼の口に吸い付きながらも、服の中をまさぐる手は休めなかった。くちゅくちゅと互いの口内をくすぐる傍ら、彼の体をゆっくりと倒していき、またズボンに触れていた手に布を掴ませ、下着ごと少しずつ引きずり下ろしていった。彼も協力的に腰を浮かしたり体をひねったりした。左右一本ずつ、脚を衣服から引き抜いていき、下半身の布をすべて取り払った状態で彼は仰向けになった。緊張に強張った表情で僕のほうを見つめながらも、彼は自らおずおずと両の膝を立てた。僕は彼の前に右手を差し出すと、左手でローションのボトルを傾け、右手を濡らした。きちんとローションを使用することを彼に見せ安心させるために。彼の目の前でやや粘度のある液体を指にしっかりと絡ませてから、脚の間へと右手をやった。睾丸の裏側や会陰に柔らかく触れたあと、狭間に指を押し当てた。やはりそこはひくひくとうごめいた。しかし、そこで僕ははたと気づいた――爪の先を半分ほど埋めたとき、違和感を覚えたんだ。もしやと思い一度指を抜き、彼の膝を抱えて深く折り曲げさせ、秘部を明かりに照らし観察した。そこはいつもよりやや充血しているように感じられた。
『せ、征くん……? あ、あの……この格好……』
『ああ、すまない、苦しいか』
『苦しいっていうか……は、恥ずかしい……』
彼は消え入りそうな声でそう言うと、緩慢に脚をばたつかせた。僕は浮かせた腰をマットにつけ脚を下ろさせてやったが、膝を閉じないよう手で軽く固定した。
『光樹……自分でしたのか?』
『へ……?』
彼は僕の質問の意味が理解できなかったようで、きょとんとしながらまばたきをした。
『ここ』と僕は彼の秘部に指を置き円を描くような動きをした。ひぅ、と彼の喉から声が絞られる。『自分で慣らしたのか?』
『う、うん、さっきお風呂で準備してきたよ』
『いや、そうではなくて、それ以前……今日僕と会う前に、ここ――』
今度は中指と人差し指を両脇に添え、かすかに広げるように力を加えた。彼の膝がびくりと跳ね、反射的に閉じようとした。
『あっ!……や、やんっ……』
『いじったか?』
『あ……う、そ、その……』
彼は顔を紅潮させながら言いよどむと、左右の膝頭をくっつけ、もじもじと脚を揺らした。小さな動きではあったが、僕はひどく性欲に駆られた。いますぐ彼の中をまさぐりたいという衝動が湧き上がる泉のようにやって来たが、かろうじて堪えると、言葉を続けた。
『少し腫れている。が、真新しい感じではない』
『……う、は、はい。その……自分でしました。ごめん……』
彼は前腕で目元を覆うと、蚊の鳴くような小声でぼそりと答えた。
『謝ることはない。自ら慣らそうとするきみの努力には敬意を覚える』
『や……努力とかそんな大層なもんじゃなくて……ひとりでしてたら、その、さ、触ってみたくなっちゃって。きみがいつも触ってくれるとき、すごく気持ちいいから、その感覚を思い出して……。でも自分じゃうまく触れないね。難しかった。征くん上手なんだなあって、改めて思っちゃった』
えへ、と彼ははにかむような笑みを浮かべた。柔和な表情だったのだが、恐ろしく扇情的で、僕は激しく性欲を刺激された。もはや手が勝手に動いて彼の中に指をうずめてしまうのではないかと思ったくらいだ。僕はそれを抑制すべく右手を引くと、彼の両膝の裏側に手を差し入れ、改めてその部分を見た。
『自分では姿勢的な難しさがあるから仕方ない。しかし、いささか無茶をしたようだな。充血が目立つ』
『やぁっ……い、言わないで、恥ずかしいよ……』
彼は両手で顔を隠しながらも指の間から僕のほうを見た。隙間からのぞく目元は朱に染まり、情欲に潤んだ瞳はかすかに濡れていた。それに性欲を刺激されないはずがなく、ぞく、と悪寒と快感が交じり合った感覚が背筋を駆け抜けていった。僕は煌々と燃え盛る性欲がもたらす熱に掠れそうになる声で尋ねた。
『どのように行った?』
『え?』
『自慰でここに触れる際、どのようにして触った?』
『ど、どのようにって言われても……』
『できる範囲でいいから再現してみろ』
『ええっ!?』
いささか場にそぐわに素っ頓狂な声が上がったが、そのような場違い感もまた性欲を煽るスパイスに過ぎない。
『無茶なやり方をすれば自分の体を傷つけかねない。そのような事態にならないよう、負担の少ないやり方を覚えるべきだ。まずは自分で行うときの方法を見せてくれ。必要に応じて僕が改善点を指摘し、より適切なやり方を指導しよう』
『せ、征くんの前でオナニーするの……?』
彼は困惑気味に聞いてきた。少し幼い舌っ足らずな口調で。僕は襲い来る性欲の津波に翻弄されながらもなんとか首をうなずかせた。
『そうだ。もちろん自分で実際に行うときと同様、ローション等は遠慮なく使うといい』
ローションのボトルを彼の顔の横に置くが、彼は僕のほうに視線を固定したままだった。しかしその瞳は大きく揺れていた。
『でも……』
『でも?』
『は、恥ずかしいよ……』
『なぜ。自分で処理をするのは当然の行為だ、恥じることなどない』
僕の言葉に彼はしばし瞠目したかと思うと、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、
『せ、征くんいるのに……触ってもらえないの?』
悲しそうな声音で呟いた。それはひとの心に憐憫を呼び起こす響きだったに違いない。僕もまたその例外ではなかったのだが、それと同時に別の感情を増幅させられた。言うまでもなく性欲だ。彼の音声もそれが紡ぐ言葉も、僕の性欲を刺激してやまない。
『光樹……』
情欲に支配された頭でぼんやりと彼を見つめると、彼はびくりと肩を跳ねさせたあと、ふるりと頭を左右に小さく振った。
『ご、ごめん、変なこと言っちゃって。ちゃんと自分でするから……』
と、彼は腕をマットレスについて上半身を起こすと、すでに蓋の開けらたローションのボトルを左手で掴み、右手をぐっしょりと湿らせた。その手を自身の背後に回すと、体重を左半身に寄せ、自分の尻にそっと手の平を這わせた。
『えっと、こんな感じの格好で、おしりの左側に体重かけて、右側を浮かせながら……こうやって、さ、触って……。んんっ……』
彼は悩ましげに眉根を寄せ目を固く瞑ると、自分の指先をほんのわずかだけ、自身の中に埋めた。そのまま慣れるのを待つようにしばらく止まったあと、ゆっくりと円を描きはじめた。指が小さな円を描くと同時に、腰もまた相似を成すようにゆらりと揺れた。それは体勢や角度は異なるものの、普段僕が彼のなかを慣らすときに行うのと同じ動き、同じ手順だった。それを追うようにして彼が指や腰を動かす光景はこの上なく隠微で、身のうちに散りばめられた性欲の破片がパズルのように組合わさっていくかのような錯覚を覚えた。彼はまさに、僕とセックスするときのように自慰を行なっていた。ただ、ひとりで触るには体勢に無理が生じ、またこの時点では不慣れであったため、不自然な力の加え方をしてしまい、余計な負荷が掛かっていたのだと思われる。
『光樹、手を尻の下敷きにするのは寄せ。手を痛めるし、なかのコントロールもしにくくなるだろう』
『でも……こういう感じに押さえつけておかないと、うまく同じとこ触れなくて……』
『仰向けで行うなら枕やクッションを利用したほうがいい』
僕は彼の腰の下に枕を差し入れた。そして姿勢の安定するポジションを探すと、乾きかけた右手にローションを足して濡らした。
『とりあえずこれでいいと思う。さ、続きを』
『な、なんか、余計恥ずかしくなってきちゃった……』
『恥じることなど何もない。これはきみにとって必要なことなのだから』
『う、うん……』
彼はまだ羞恥を拭えない様子だったが、小さくこくんとうなずくと、ゆっくりとした動作で自分の脚の間に右手を移動させていった。彼は僕の指示に素直に従いながら快感を追った。この一回ですべて習得するのは無理だったが、日数を掛け繰り返すうちに彼は少しずつ無理のない解し方を覚えていった。
セックスに消極的だった彼が、自ら後ろを慣らそうと努力するような積極性を見せたことに僕は感動を禁じえなかった」
うわぁぁぁぁぁ……調教されてる! 降旗くんの調教の過程がいまここに!
赤司くんてば、相手の体を気遣っていると見せかけて――いえ、彼のことだから本気で気遣ってはいるのでしょうが――まんまと降旗くんにオナニーを披露させましたよ。なんというやり手。降旗くんをけっして揶揄することなく真剣な態度で接し、手ほどきを与えることで自分好みの体に変えていったということですね……!
なるほど……こうやって降旗くんはどんどんエロいことになっていったのでしょう。謎が解けました。よかったよかった……いえ、何もよくはありませんね。降旗くんのこのような変化について、赤司くんは自覚があるかないかはともかくとして喜んだのでしょうが、僕としては降旗くんが宇宙人のキャトルミューティレーションで改造されてしまったかのような悲しみがあります。実際これ、最終目標は赤司くんと合体できるようにということでしょうから、赤司くんの赤司くんを挿れられるよう降旗くんは日々後ろを慣らしていったということですよね。……うん、ちょっとした改造ですね。まあ挿入を希望するならこのような努力も必要なわけですが。火神くんや僕だって一時期超がんばりましたし。……ねえ、火神くん?
それにしても、僕が赤司くんのハーレクインルポに驚愕の悲鳴を上げるのこれで何回目なんでしょうか。いい加減マンネリだと思うのですが。しかし、何度聞いても嬉しくない新鮮な驚きに慄かずにはいられません。マンネリなのにドキドキするなんて……よくわからないけど悔しいです。