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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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思い出にかわるまで 6

 あんなことを言っていたものの、黒子が俺に当たるような真似をすることはなかった。あいつは悲しいほどに冷静で理性的で、そして優しい。あいつが置かれた状況を想像する――高校や大学の思い出の一部を失い、事故後のことはほとんど覚えられず、一時間前の出来事を思い出せない。軽度とはいえ体の自由には制限が掛かり、なんてことのない音や光や振動がときに耐え難い苦痛をもたらす。複雑な行動が取れず、無秩序で無意味な行為をする。そしてその奇妙さを自覚する。……想像しきれないというのが正直なところだった。いまのあいつにとって、世界はどれほどの騒がしさと不快感に満ちているのだろうか。
 一度あいつに、おまえが正気を保っているのが不思議だと面と向って言ったことがある。俺の質問に、あいつは目をぱちくりさせていた。
「そうですか? 別におかしくはないですよ。確かに自分が変だなって思うときはこれまで多々あったことでしょう。けれどもそう感じたことさえ、そのひとつひとつは僕の記憶に残りませんから。仮に変な考えが頭をよぎったところで、すぐに忘れてしまいます。忘却が僕を苛む一方で、救いもする。皮肉なことです」
 あいつの部屋でローテーブルを挟み、あいつの母親が用意してくれた紅茶を飲みながら、ダージリンのさわやかな香りに似つかわしくない話をした。あいつは舌が子供のままなので、コーヒーを好まないとのことだった。
「衝動に駆られたことは?」
「あったかもしれませんし、なかったかもしれません。自傷の痕跡は……いまわかる範囲では見つかりませんね」
 ティーカップを受け皿に置くと、あいつは不器用な動作でちょっと苦労しながら袖のボタンを外し、腕まくりをした。色素がきわめて薄い自分の両腕の内側をじろじろと観察する。
 パフォーマンスとも言えるオーバーな確認に、俺は返す言葉を失い、無神経な質問をしてしまったと後悔した。しかしあいつは気を悪くしたふうでもなく、視線を飲みかけの紅茶の水面に落とした俺を尻目に、開襟シャツのボタンを外しはじめた。先ほどのカフスほどではないが、神経系の異常による手先の不器用さのために、指の動きはもたついていた。
 水色の開襟シャツの前を開いて袖を抜き去ると、薄いグレーの半袖のTシャツ姿になった。何事かと虚を突かれていると、あいつはさらにぎょっとするような行動に出た。もぞもぞとTシャツとインナーを脱いで上半身を露わにしたのだ。
「お、おい、黒子……」
「どうぞ。自分の目で確かめてみてください」
 静止する間もなく、今度は黒の綿パンツを脱ぎ出した。下着一枚になったあいつは、最後に体に残った布に手を掛けたところではたと止まった。
「さすがにここは見る意味ないでしょうか。僕としては別にお見せしても構いませんが……見せられるほうは見たくないでしょうね」
 独り言ののちにそこはなんとか踏みとどまってくれたものの、あいつは羞恥の欠片も窺わせず、ほとんど裸に近い格好で俺のほうへ移動してきた。俺の家に泊まりで来たときに裸なんぞ飽きるほど見ているので、いまさら裸そのものに照れることはないのだが、この状況は気まずい。なまじ俺のほうから話を振っただけに、全力で止めに入るのもはばかられる。
「どうぞ、見てください」
 あいつはいつもどおりの平坦な口調で、しかし有無を言わせぬ迫力をちらつかせながらそう迫った。怒っているのか? 残念ながら表情は読めない。
「火神くん?」
 戸惑う俺に、あいつは右腕を差し出してきた。拒絶するのもあいつの真摯さを裏切るような気がして、俺はひどく申し訳ない気持ちを抱えながら、あいつの体を見ていった。きれいなものだった。傷らしい傷といえば、右の肩口に肉のえぐれが治癒したらしいいびつな盛り上がりが小さく残っているくらいだった。交通事故で重体となった経験のある人間の体とは思えない。その分神経を中心として内部がやられているのかと考えると、息が苦しくなる。本当に、見た目ではわからないんだな……。こんなにきれいなのに、おまえの内側は驚くほどたくさんの症状に蝕まれているというのか。
「悪ぃ……変なこと聞いちまったな。おまえの気持ち、もっと考えるべきだった」
 あいつの両腕を手に取り、俺は素直に謝った。ところどころ骨のかたちがわかるくらいやせた色白の体が、いまさらながら痛々しい。色素の薄さは生来のもので事故とは無関係なのだが、あいつの線の細さと相俟って、ことさら病弱そうな印象を強める要因のひとつとなっていた。
「いいえ、構いません。きみがそういった疑問を持つのも、無理からぬことかもしれませんので。それに――」
 俺の謝罪を受け取る代わりに、あいつは膝立ちになって俺の肩に両腕を回した。猫背ぎみに床に座っている俺より目線が高くなり、視点の関係が普段と逆転した。
 俺の首の後ろであいつの手が組まれる。あいつの腕の中に囲い込まれるかたちになった。
「そうやって火神くんが心配してくれるの、僕は嬉しいんですよ?」
 あいつは優しげに微笑んで――そうかと思ったら、急に腕を解き、両の手の平を俺の肩に押し付け、体重を掛けてきた。当然の結果として、俺は後方に倒れ込むようにして重心を崩した。力自体は弱かったし勢いもなかったため、難なく腕をついて上半身を支えることはできた。
「ど、どうした、突然」
 俺の体に覆いかぶさるように、あいつの体が落ちてくる。支えきれなくはないが、転がってしまったほうが楽だと判断し、俺はゆっくり腕の位置をずらし、あいつの頭を抱えたまま床に仰向けになった。急に降下するとあいつが落下の感覚に怯えるかもしれないので、そろそろと、慎重に。さっきまでのある種の威勢の良さはどこへやら、あいつはぐったりと俺にもたれかかっいる。こんな状況だが、俺の傷めた足に負担を掛けないよう、あいつは体の位置を調整しているようだった。
「黒子?」
「すみません、ちょっと……」
「具合、悪いのか?」
「いえ、そういうわけでは」
 体調が悪くて倒れ込んだわけではないというのはわかった。先刻俺を倒した黒子の腕には、確かな意志があった。不可抗力にくず折れたのとは違う。
 しかし、こうして倒れ掛かってきた姿を見ると、やはりどこか不調があるように思えてくる。あいつは俺の胸の中心付近に片頬を押し付けたまま動かない。不安に思って髪に指を差し入れると、ぴくりと肩がはねた。
「心臓の音が聞こえます。火神くんの心音が」
 あいつはうっとりとした声音で呟いた。他人の心音に安心しているのだろうか。子供、というより乳児のようだ。
「そりゃ生きてるからな」
「はい……」
 消え入りそうな声でそう答えるあいつにどきりとする。なんだろう、この嫌な感じは。
 得体の知れない不安感に襲われ、胸元に横たわるあいつが本当に消えてしまうような錯覚を覚え、裸の背中に手を触れさせた。少し体が冷えていた。
「風邪ひくぞ。服着ろ、服」
「はい、すみませんでした。変なことしちゃって」
 言いつつも、退く気配はない。
「別にいまさら気にはならないが……お袋さんが来たら仰天するぞ」
「そうかもしれませんね。でも、もう少し、もう少しだけ……」
 俺の服の襟元を掴み、あいつはますます強く俺の胸に顔を押し付けた。甘えている……だけではない何かを感じる。しかしその正体まではわからない。
 腕を伸ばし、あいつが脱ぎ散らかした服をなんとかかき集めると、上着を肩に羽織らせた。布が一枚あるだけでも違うだろう。
 五分ほどもそうしていただろうか。ふいにあいつが声をこぼした。
「火神くん、ごめんなさい」
「何が」
 急に何を謝るのか。顎の下にあるあいつのつむじを見下ろす。
「僕、これ以上よくはならないと思うんです。体の動きはましになっていくかもしれませんし、慣れることで日常生活への適応も改善されるかもしれません。でも、消えてしまった記憶は戻ってこないし、覚えられない状態は今後も続くと思います。……治らないんです。僕はこの先、この頭と体と一緒に生きていかざるを得ません。死ぬまで、ずっと」
 なぜ突然そんなことを言い出すのか。思い詰めたようなあいつの声に焦燥感が湧く。どうしたんだ、本当に。
 記憶障害があるとはいえ、短時間であればあいつの会話は健常者と変わりない質のものだ。けれども今日は言動につながりのなさを感じた。
 不安のよぎる頭で、あいつの言葉を反芻する。
 治らないからこその、残り続けるからこその後遺症であり、障害なのだ。それは克服の対象ではなく、ある意味でともに歩んでいく存在だ。この先ずっと、未来が断絶されたまま生き続けなければならないなんて、ひどい話もあったものだ。と同時に、治ってほしいと考えるのもまた残酷なことではないかと思う。神や天にそれを祈るだけならいいだろう。しかしあいつにそれを求めるのは、不可能を可能にしろと迫っているのと同じことで、無茶ぶりというものではないだろうか。
 だからといって、いまのままでいいと答えるのもデリカシーに欠けるに違いない。あいつが閉塞感に満ちているであろう現状を受容しているのは、苦い諦念の果てにたどり着いた妥協的な結論だろうから。
 あいつから発せられる言葉は、とんでもない難題を俺につきつける。そしてたいてい返事に窮する。昔から勉強には向かない頭を可能な限り回転させて――それでも答えは見つからない。答えがあるのかすらわからない。
 あいつはこんな霧の中を永遠にさまようというのか。
 思考の迷路に息苦しさを覚え、俺はごまかすように腕の中の重みを掻き抱いた。脇のあたりに手の平が触れたとき、その下から、とくん、とくん、と低い震動が伝わってきた。
「おまえの鼓動も感じる」
「はい」
「生きてるんだなって実感する」
「はい」
 相手の体温はずっと感じているが、それが妙に温かいものとして感じられる気がした。
「おまえが生きててくれてよかったよ。もっと運が悪ければ、事故で死んじまってたかもしれないんだろ。そしたら俺らはこの世ではもう二度と会えなかったわけだ」
「ああ……そう思うと、すごく怖いです」
 か細い声で答えたあいつは、いっそう俺にしがみついてきた。俺もまた腕の力を強める。
「ああ、俺も怖い。おまえにまた会えてよかった。生きててくれて、ありがとよ」
「火神くん……」
 胸元の布に生暖かいぬめりがじわりと広がるのを感じる。あいつの涙、だったのだろうか。
 このところ、こんなふうに不安げなあいつを抱いて、言葉もなく過ごすことが多い気がする。
 ああ、せめてこのときに気づいてやれていたなら。

*****

 ここ何度か会ったときにあいつから受ける違和感の正体がつかめないまま、俺は平日という名の日常を過ごした。土曜日は週によって休日だったり仕事だったりまちまちで、この週は木曜日あたりになるまで予定がわからなかったので、あいつと会う約束はしなかった。結局休みということが確定したのは金曜日の午後で、あいつに連絡を入れるにはタイミングが遅すぎた。様子が知りたいから、直接会いたかったのだが。
 あとで電話をしてみるか、と考えながら帰路についた。土曜日が休みのときは、金曜の夜にあいつを連れてこの道を歩くことが多くなっていた。ただの外泊も、あいつにとっては小旅行くらいの気分なのか、一泊分の荷物を入れたボストンバックを提げて、上機嫌に俺のアパートまで向かうのだ。
 いまはひとりで歩いているのだが、ひょっとしたら気配を薄くしたあいつがすぐ近くにいるのではないかという錯覚を得て、ついあたりを見回してしまう。俺もある意味で重症かもしれないと自嘲がこぼれそうになった。
 階段を上り自室の玄関が見えたとき、俺は言葉を失った。
 ドアの前に、人がひとりいたのだ。立ってはいない。扉に背を付き、体操座りが崩れたような姿勢で膝を折り、両腕を床に投げ出している。
 ざわ、と全身の毛が逆立つのを感じる。
 すでに闇夜に満たされた空間で、人工の白っぽい灯りがそのかたまりを映し出す――
「黒子!?」
 認識した瞬間、俺は駆け出した。医師に忠告されていた膝や足首への負担のことなど頭から消えていた。どのみち階段からはわずか数歩なので問題はない。
 動揺に全身を締め付けられながら、俺は慌てて玄関前に倒れている人物に声を掛けた。間違いない、黒子だ。
「おい、しっかりしろ、黒子! どうしたんだ!?」
 何度か呼び掛けたが返事がない。
 一瞬、息をしていないのではないかという考えが頭をよぎり、心臓が冷えた。鼻と口に、塞がないようぎりぎりのところで手をかざす。呼吸はある。荒くも薄くもない。
 とりあえず生きていることにほっとするが、それも束の間、別の可能性が駆け巡る。
 事故に遭ったのか? 事件に巻き込まれたのか?
 約束をしていない日にこいつがやって来たことはなかった。俺が約束を失念していたのかとも思ったが、そうだとしても、夜間にひとりでこいつを歩かせたりしない。約束をした金曜日の夜は、必ず俺が迎えに行って、一緒にここまで来るのだから。
「黒子、黒子……! おい、おいっ……! 頼む、頼むから返事してくれ、黒子……!」
 暗くて十分な確認はできないが、顔や首など露出している場所に目立った傷痕は見当たらない。熱はないようだ。むしろ外気にさらされた体は冷えていた。いったいいつからここにいたというんだ。
 ただ静かに眠っているだけのようにも見えた。しかしその寝顔には、あまり見覚えのない苦悩の色が浮かんでいるように感じられた。
 パニックに陥りかけた頭で俺は必死に考えた。なんだ、何をすべきなんだ?
 救急車を呼ぶべきか。家族に連絡すべきか。
 とりあえずそのどちらかだ。日本の救急車は911ではない、ええと……11……? 携帯を手に取ったものの、混乱のあまり番号が押せないことに焦る。救急と警察を間違えるという話は都市伝説でも何でもなく、事実であるらしい。いまそんなこと知りたくなかった。ああ、駄目だ、番号が出てこない。
 焦りが焦りを呼ぶさなか、
「……かないで」
 いまにも消えてなくなってしまいそうなか細い声を、それでも俺ははっきりと聞いた。
「黒子?」
 希望がかすかに灯った気がして、俺は縋るような情けない声であいつを呼んだ。
「黒子、黒子、気がついたか?」
 目は閉じたまま、うわごとのようにあいつは言った。
「いかないで、かがみ、くん……」
 と同時に、だらりと放り投げられていた右腕がゆるりと持ち上がる。その手は俺の二の腕に触れ、指先が服の皺を小さく摘まんだ。
「黒子? 俺がわかるか?」
 冷えた黒子の耳元に唇を寄せ、ささやくように尋ねた。声が震えているのが自分でもわかった。
 あいつは重たげにまぶたを開くと、焦点の合わない双眸で、それでもほんの刹那の時間、俺の顔をとらえた。
「かがみくん……よかった、かがみくんだ……」
「ああ、俺だ。火神だ。わかるか? わかるな?」
 反応がない。だが俺は構わず続けた。
「とりあえず、中に入るぞ。ここじゃ寒い」
「はい……かがみくんのうち……来れてよかった……」
 あいつは半分夢でも見ているように、不明瞭な声で嘯いた。意識が完全にないわけではなさそうだ。俺は急いで鍵を取り出し解錠すると、扉を開け放った。そしてあいつの体を抱き上げると、室内へと入った。靴を履いたまま、ベッドまであいつを運ぶ。その靴を脱がせようとしたところで気づく。左右ばらばらの靴を履いている。メーカーの違うスニーカーだ。右は黒、左は青。色目は似ていないことはないが、明らかにパッと見の印象も履き心地も違うだろうに、なぜ。どちらもあいつの持ち物だというのはわかった。それから、靴下も履いていなかった。
 いったい何があったんだ。
 何もかもが不可解で疑問は尽きなかったが、いまはそれどころではない。とにかく温めてやらなければと、エアコンの温度設定を上げる。外は悪天候ではなかったが、衣類自体が冷え切っていたので、着替えさせることにした。体にこれといった外傷がないことにほっとしかけたが、だからといって事態が改善するわけではないと気を引き締める。俺の部屋にはあいつが持ち込んだ服が何着か置きっぱなしになっていたので、その中から部屋着を選んで着せた。元々やせていたが、さらに細くなったように感じたのは、俺が冷静さを欠いているがゆえの錯覚だろうか。いや、いま考えても詮無いことだ。
 ブランケットと掛け布団、それから冬物のコートを引っ張り出し、あいつの体に掛けてから、俺はやかんで湯を沸かしはじめた。
 暴力を受けた形跡はない。事故に遭ったとも思えない。体温はむしろ低い。持ち物は財布だけ――つまり財布を盗られてはいなかった。携帯も、あいつの記憶代わりの手帳やメモもなかった。落としたのか盗られたのか家に置いてきたのか、そのあたりはわかるはずがない。いつものボストンバッグはない。……駄目だ、わけがわからない。わかるのは、あいつがひとりでここまで来たのであろうこと。そして、理由は不明だが意識が朦朧としており、弱っている様子であること。
 いったい何が、あんな状態のあいつをここまで来させたというんだ?
 なんであいつはあんなに弱っているんだ?
 まとまらない思考の中ひとつだけわかったのは、玄関の前であいつが死んでいるかもしれないと考えたときの、あの恐怖――もし例の交通事故のとき俺が日本にいたのなら、きっとあれの何倍もの恐怖にさらされただろうということだった。
 大丈夫だ、あいつは生きている。
 そう自分に言い聞かせながら、俺はベッドサイドへ戻った。
 あいつはもの言わずぼんやり天井を見上げていた。まばたきは時折している。意識が混濁しているのか、俺がそばに行っても反応を返さなかった。そのひどく病人然とした姿に、俺は愕然とし、ただただその場に立ち尽くした。


つづく
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