まったくエロくないのですが、八割方乳繰り合っていますのでお気をつけください。
インターホンもこんばんはの呼びかけも携帯による事前通知もなく、他人のアパートの扉の前でさも自宅の玄関であるかのようなナチュラルさで合鍵を取り出す赤司くん。実に手慣れたものです。しかしながらその動作にはあからさまな焦燥が滲み、キーホルダーを取り落としたり、鍵を逆向きにしているのに気づかず鍵穴に入らないことに無言で慌てていたり、解錠の際に不必要にがちゃがちゃと金属音を立てたりと、およそ普段の彼からは想像もつかないような不格好さ、もとい手際の悪さが目白押しです。赤司くん……本当に降旗くんのことが心配なんですね。
地下鉄の駅で自然解散という名の逃避行を試みた僕と火神くんですが、赤司くんの「もたもたするな」の一言及び肩越しの一瞥に逆らえるはずもなく、結局彼に従うかたちで改札を出ることになりました。運動音痴な女の子の短距離走など目ではないスピードで歩きながら、僕たちはまっすぐ目的地に向かいました。言うまでもなく降旗くんのアパートです。軽く息が上がるほどの速度でしたが、徒歩での移動中は無言でしたので、ハーレクイン攻撃を受けることはありませんでした。運動によって肉体的には疲労が蓄積したものの、精神は多少リフレッシュされたかもしれません。まあ、その先にもっと大変な爆撃が待ち受けているであろうことは想像に難くなかったのですが。降旗くんの部屋の前に到着した僕と火神くんが互いに顔を見合わせ、覚悟はできているかと聞かんばかりに生唾を同時に飲み込んだのは申し上げるまでもないでしょう。この扉の向こう側に、赤司くんの言うところの、性欲が発散できずに苦しがっている降旗くんがいるのです。あの、赤司くんに命じられるがままここまで来てしまったわけですが、正直なところ、僕たちどんな顔をして彼に会えばいいんでしょうか。多分降旗くん、赤司くんが僕たちふたりを連れてくるなんて夢にも思っていないですよね。それもセックスの監視役として。赤司くんの報告という名の三流ハーレクイン・ロマンスによれば、降旗くんは電話の時点で赤司くんがどこで何をしていたのか、はっきり確認していなかった様子です。そのときの状況はといえば、赤司くんはラブホにて火神くんと僕相手に降旗くんとのセックスルポを繰り広げ、しかも全員パンイチという、カオスを体現したかのような光景が展開されていました。めちゃくちゃすぎてどこから説明したらいいのかわかりません。むしろしないほうがいいでしょう。好きな相手が自分以外のひとと一緒にラブホに入っていたら、事情がなんであれ、まずはショックを受けるでしょうから。
それらしい説明が浮かばないまま、時間と事態は着々と進んでいきます。せかせか動いている割にはもたついていた赤司くんですが、ようやく扉を開放することに成功すると、蝶番の可動範囲の限界まで無意味に押し開き、慌ただしく中へ入りました。僕と火神くんは敷居の手前で立ち止まり、それぞれ扉の両サイドにこっそりと陣取り、赤司くん越しに中の様子をうかがいます。開けたドアは火神くんが背中で押さえていてくれました。あ、キッチンの照明がつけられたようです。ということは、降旗くんがこちらのほうにやってきているということでしょう。……ええと、赤司くんはともかく、僕と火神くんはどうしたらいいんですかね。
「光樹、僕だ」
このアパートは1Kなので、玄関はキッチンと直接つながっているというか、同一の空間です。よって玄関を開け放つと視界にはコンロや水場、冷蔵庫が飛び込んできます。が、それより何より最初に目についたのは、
「せ、征くん……!」
シンクに片手をつき、いまにもくずおれそうな膝で立ったまま、玄関を向いている降旗くんの姿だったわけですが……それがもう大変なことになっていました。
汗を含んだ状態で寝転がっていたのでしょう、頭髪の一部は癖がついて一方向になびいており、目は潤み、目尻は涙に濡れ、そればかりでなく、すっかり上気した頬の上には幾筋もの涙の軌跡が描かれていました。目元の紅潮具合とは対照的に、まぶたには腫れぼったさがなかったので、泣いていたわけではなく、生理的に流れ落ちた涙であることが察せられました。呼吸は荒いというほどではありませんでしたが、肩や胸が浅い動きで上下しているのがはっきりと見て取れました。素肌にボタン全開のカッターシャツを羽織り、下は部屋着用と思しき少しくたびれた感のあるハーフパンツというちぐはぐな服装です。カッターシャツはおそらく赤司くんのものでしょう。完全に左右に開いたシャツの合わせからは、充血してぷっくりとたち上がった乳首がちらちらとのぞいています。首と鎖骨の下には鬱血の痕がひとつずつ。これが、赤司くんが無意識の嫉妬でやらかしてしまったというキスマークですね。火神くんの言った通り、僕が唇で吸った位置と多分一致しています。赤司くんの第六感恐るべし。ハーフパンツはきっちりウエストまで上がっていますが、裾から覗いている膝には、液体の伝ったらしい痕跡が何本か残っており、照明を反射しててらてらと光っています。乾きかけのローションだと思われます。どういう体勢だったのか具体的にはわかりませんが、膝下まで濡れるくらいには使用したようです。うっかり太腿にこぼしちゃった、という可能性もありますが、そうだとしても降旗くんが自らローションを使用するような自慰及びテレフォンセックスをしていたことは揺るぎないでしょう。この呼吸の浅さからすると、赤司くんとのテレフォンセックスを終了させたあとも、自慰を続けていたのではないでしょうか。少し距離があるので僕の視力では細かいところまで観察できないのですが、瞳はさぞ情欲に潤んでいることでしょう。
色っぽいを通り越してダイレクトにエロいですよ降旗くん。いったいどうしちゃったというんですか。なんかキャラ違ってませんか。これが一年にわたる赤司くんの手練手管の結果なのかと思うと、僕は涙で床を濡らしたくなりました。火神くんも同様の心境なのか、片手で自分の顔を覆ってうつむいています。
赤司くんが立てた物音に反応してキッチンまで出てきたらしい降旗くんですが、山登りでもやらされたあとのように膝ががくがくで、支えなしでの直立は難しそうな様子でした。勃起はしていないと思うので、きっと中途半端な性感がつらくてたまらないのでしょう。彼は僕と火神くんの存在には気づかないまま、赤司くんだけを見つめました。その顔には歓喜と安堵がありありと浮かんでいました。
「征くん来てくれたんだ! ご、ごめんね、迷惑かけて……で、でも俺……」
二歩、三歩とふらつく足取りで進んだ降旗くんですが、すでに限界だというように赤司くんの手前で膝をがくりと折り、床に座り込んでしまいました。赤司くんもまた彼に合わせて床に膝立ちになると、彼の肩に両手を置きます。
「謝ることはない。僕が一方的にきみを置いて立ち去ったのだから」
「よかった、来てくれて……。ありがとう……征くん、あ、会いたかったぁ……」
なんという甘え声。最後の一言は、性欲処理の期待だけでなく、もっとこう、深遠なものを感じます。恋しさの果てにようやく想い人に会えたときのような。……惚れてるんですね。惚れてるんでしょう降旗くん、赤司くんに。早く自覚してほしいと思う反面、赤司くんに侵される(誤字ではありません)ことによって降旗くんがどんどんエロいことになっていくかと思うと複雑でなりません。できることならお互い好きだと確認し合ってからそういう関係になったほうがよかったのにという夢見がちな老婆心がいまさらのように騒ぎますが、これに関しては概ね赤司くんが悪いので、降旗くんを責めるのはお門違いというものでしょう。ほんと、なんてことしてくれたんですか、赤司くん。
降旗くんは赤司くんの首に両腕を絡めると、待ち切れないとばかりに自ら顔を寄せました。
「せいくん……」
「光樹……」
僕の位置からは赤司くんの斜め後ろ姿と、その向こうにある降旗くんの体がちらちら見えるだけなのですが、頭の傾きと、その直後から延々聞こえてくるちゅっちゅっという遠慮のない湿っぽい音から、彼らが口づけを交わしていることは明白でした。怖いもの見たさで上半身を室内に伸ばしてのぞき込むと、ふたりはかわいらしいバードキスを繰り返していました。しかしそれは見た目だけで、不必要に生々しく粘膜を打ち付けあって馴らすリップ音には、性的な響きが露骨に含まれています。
「んぁっ……ふっ……」
「んんっ……」
鼻から漏れる音だけでは、どちらがどちらの声なのか判別がつきませんが、双方ともに快感に潤んだ声でした。一分ほど、唇を食み合っては数センチ距離を取り、角度を変えて再び接触させることを繰り返していましたが、やがて唇同士が吸い付き合って離れなくなりました。唇だけでなく、頬も目に見えて動いています。
「あっ……ん、むっ……」
「ぁ……ん……」
見ることはできませんが、舌を絡ませ合って遊んでいるようです。ふたりとも息苦しいのか、少しばかり眉間に皺を寄せていますが、離れようとはせず、むしろもっともっとと言うように顎を小さく上下させ、互いを貪っています。降旗くんの口の端から、つ、と透明な液体が伝い落ちました。唾液には、赤司くんのものもきっと含まれていることでしょう。さすがに呼吸が苦しくなったのか、一旦顔を離して見つめ合うと、今度はほぼ同時に舌を突き出し、舌先をぶつけ、交互にくすぐりはじめました。そうしているうちにまたしてもねっとりと絡みだし、当然の帰結として、唇と唇が触れ、別の生き物のように蠢いていた赤い舌が見えなくなりました。くちゅくちゅと艶かしい水音が空気を震わせます。時折唇を離すことはありますが、ブレスのためだけで、すぐに互いに引かれ合います。やがて口だけでは物足りなくなったようで、赤司くんの手が降旗くんの脇腹に伸び、徐々に上へと張って行きました。降旗くんもまた呼応するかのように赤司くんのワイシャツのボタンを外しにかかりました。ごそごそ動いているうちに重心が崩れ、降旗くんは赤司くんのシャツの胸元を掴んだまま、ゆっくり後方へ倒れようとしました。当然ながらそれにバランスを失うような赤司くんではなく、彼は降旗くんの負担にならないよう慎重な動作で上体を傾け、左腕を床について覆いかぶさりました。ちょっと、ちょっと、ここ台所ですよ。っていうか玄関開けっぱですよ。ここで致しちゃう気ですか?
すでに相手しか見えていないらしいふたりは、その体勢のままキスを続け体を触り合いました。赤司くんの右手が降旗くんの胸元で細かく動いています。体の影になってしまった目視はできませんが、降旗くんの乳首をいじっているようです。小刻みに腕が前後していますので、指先でこねているのではないでしょうか。
「ああっ……!」
途端に降旗くんから短い悲鳴が上がります。この反応の速さ、相当敏感になっています。赤司くんが来るまでの間、自分でたっぷり触っていたのでしょう。キスの合間に小さな喘ぎを漏らしながら、降旗くんは自分もというように赤司くんの胸に手を当てました。赤司くんはまだワイシャツを着たままなのでインナー越しのはずですが、構わず手の平を押し当て弄るように撫でています。たまに指先が蠢き、わずかなラグのあと赤司くんが鼻声を漏らします。降旗くんもまた赤司くんの乳首を刺激しているみたいです。頼んでもいないのにハーレクイン語りの中で生々しい再現をされたせいで赤司くんの感じている声というのは擬似的に耳にしてはいたのですが、まさか生でお聞かせ願えるとは……。ちっともありがたくないです。まあ、赤司くんも割と普通に性的快感を得るんだなあ、とういことがわかってちょっと安心はしましたが。彼、宇宙人ですから、およそ人類には考えもつかないような手段でないと性感を得られないのではないかと危惧していたのです。それから、赤司くんの声真似が本人レベルであることもわかりました。降旗くんの喘ぎ声、赤司くんの演技とまったく同じです。……これを僕たちの前のみならず、地下鉄の中で再現されていたなんて知ったら、降旗くん、恥ずかしさといたたまれなさで死んじゃうんじゃないでしょうか。
「あ……はっ……せ、せい、くん……」
熱心に乳繰り合っていたふたりですが、自慰とテレフォンセックスですっかり高められたというかおそらくすでに準備万端であろう降旗くんは、次第に我慢できなくなったのか、赤司くんの前腕の袖をすがるように掴みました。じっと赤司くんを見つめているようです。きっと、すごーくものほしげな目をしていることと思われます。赤司くんはすっと上半身を起こすと、数秒の沈黙のあと、わずかな呼吸の乱れがうかがえる気息混じりの低い声で言いました。
「光樹、セックスしたい」
出た! 直球誘い文句!
火神くん、そして赤司くん本人からも聞かされていて、なんてセンスのないどストレートな誘い方だと呆れていたのですが……認識を改めなければならないかもしれません。なんというあだっぽい声でしょう。惚れた相手にこんな官能溢れる声でセックスを求められたなら、そりゃもうがぱっと脚開いちゃいますよ。ああ、火神くんに誘われたい、火神くん、エロい声出してお願いです。僕を誘ってください。思わず火神くんとのセックスを思い出し、赤司くんの無差別爆撃によってあわや再起不能かと思われていた下半身が、意外と早く回復しそうな気がしてきました。けっして赤司くんの声に反応したわけではありません。あれはただのきっかけです。僕が元気を取り戻しかけているのは、火神くんのセクシーボイスを脳内で蘇らせることに成功したからです。……火神くん、なにひとりで頭抱えてるんですか。きみも監視係としてここに連行されたんでしょうが。僕ひとりに押し付けないでください。
さて、セックスを求められた降旗くんは、
「うん、うん……! しよう、しようよ、ねえ、俺、きみとセックスしたい」
感激の声音でそう答えると、上半身を起こし、赤司くんに抱きつきました。
「征くん、俺、嬉しい……やっときみとセックスできるんだぁ……」
積年の思いがようやく、というと大袈裟すぎますが、いまの降旗くんの心境としてはまさしくそんな感じなのでしょう、実に幸せそうに呟きながら、赤司くんの肩に額を擦り付け甘えています。身も心もすっかり蕩けているようで、どこを触られても感じるのでしょう、赤司くんに背を撫でられ、気持ちよさげにうっとりとした声を漏らします。降旗くんも赤司くんの背を撫で返しつつ、再びキスでもしたくなったのか顔を上げました。いけない、視界に入る。僕はさっと上体を引っ込めました。もっとも、注意力散漫になっているであろう降旗くんが僕を視認することは不可能だと思いますが。……もしかして堂々とキッチンに上がり込んでもばれないでしょうか。自分の影の薄さを信じもう一度のぞき込んだそのとき、
「……あれ、かがみ……? なんで……?」
降旗くんが不思議そうな声でぽつりと呟きました。火神くんの体格では物陰に隠れきることができなかったようで、あっさり降旗くんに視線に捕捉されてしまったのです。
「(ど、どうしよう黒子!? とんだ出歯亀じゃねえか俺ら!?)」
「(気づかれたのは火神くんだけです。このまま注意を引きつつうまく取り繕ってください。その隙に僕が中に入ります)」
「(ちょ……待て! まだ見学する気か!? 俺もう限界なんだけど!)」
「(僕だって正直きっついですよ! でもこのひとたち、ちゃんと見届けてあげないとまたしても――)」
小声というよりほとんどテレパシーのようなアイコンタクト言い合う僕と火神くん。すばらしいツーカーぶりです。しかし自分たちのつき合いの深さを自画自讃するより先に、
「も、もしかしてずっと外にいた!? ご、ごめん!」
降旗くんが現実に立ち戻ったトーンで慌て出しました。いえ、こちらこそいいところに水をさしてすみませんでした。どうぞこのまま赤司くんとのセックスを完遂してください。ここまで来たらヤケです。きみたちの初セックスを脳という記憶媒体にしっかりと刻み込みましょう。だから今日こそ本懐を遂げてくださいよ。焦らしやお預けは駄目ですからね、赤司くん。ちゃんと抱いてあげるんですよ?
「い、いや、降旗、そういうわけじゃ……」
火神くんもまたうろたえてわたわたしはじめました。うーん、ここは火神くんに撤退していただいたほうがいいでしょうか。さすがに人の目があるところで堂々とセックスするような図太さは降旗くんにはないでしょうから。僕は鏡くんに撤収の合図を出すと、自分はキッチンに忍び込み、冷蔵庫の対面に設置された洗濯機の影に隠れました。ひどい出歯亀行為ですが、命令者は赤司くんですので、文句は彼に言ってくださいという感じです。まあ、降旗くんが僕の存在に気づくことはないでしょうが。
一方、降旗くんと違い僕と火神くんの存在を知り、位置についても余さず把握している赤司くんは、少しも狼狽することなく告げます。
「光樹、彼のことは気にするな」
その命令は無茶かと。火神くんと僕をセックスさせるためにラブホのお膳立てをしちゃうような精神構造の持ち主たる赤司くんと、良識的で常識的な庶民思考の降旗くんを一緒にしてはいけません。
「え? え? で、でも……」
当たり前ですが降旗くんは戸惑っています。火神くんに見られていたらセックスなんてできないとかいう以前に、火神くんがここにいることにまず驚いているでしょうけれど。降旗くんは赤司くんが立ち去って以降の出来事を知らないのですから、まず第一に考える可能性は、火神くんがずっと自宅の前に留まっていたということでしょう。降旗くんが体の熱を持て余し、自慰やテレフォンセックスをしている間もずっとドア越しに火神くんがいた、と。……なにその怖すぎるシチュエーション。たとえ音が外部に漏れていなかったとしても気分的にぞっとします。降旗くんもそれを思い浮かべたのか、赤かったほっぺたを見る見る青ざめさせていきます。
「か、かがみ……な、なんで……?」
「光樹、彼のことは放っておけ。こちらを見ろ」
狼狽の限りを尽くす降旗くんに、赤司くんは端的に命令しました。先程までの熱で浮かされたような声とは打って変わって、なんだか不機嫌そうです。ええと、もしかしてまたしても嫉妬ですか? 降旗くんが自分以外の人間に注意を向けているのがおもしろくないんですか? まあ、セックスの最中に気を逸らされたらそう感じてしまうのも致し方ない面があるのは理解しないではないですが、火神くんは赤司くんに連行されてここまで来たのですから、それはちょっと身勝手というか、心が狭すぎやしないかと思ってしまいます。
「彼はいま壁の染みにすぎない。意識から締め出せ」
赤司くんが刺々しい口調で畳み掛けます。表情はほとんど変わっていませんが、明らかに機嫌が下降しています。心配しなくても火神くんはライバルになり得ませんよ。降旗くんをとったりしませんよ。中学時代からそれなりにつき合いのある赤司くんですが、ジェラシーが多分一番わかりやすい感情です。大人になってはじめて知りました。彼に嫉妬心が存在することも。それにしても剥き出しすぎてびっくりです。火神くんが怯えるのもわかります。まあ、赤司くん本人は自覚がない上に、これまでの人生でそのような感情を経験する機会が極めて少なかったでしょうから、取り繕い方を知らないのでしょう。
赤司くんは降旗くんの顎を片手で掴むと、ぐいっと自分のほうへ向けました。その剣呑さが怖いのか、降旗くんが少しばかり肩を跳ねさせます。赤司くんとてそこまで強引なやり方はしていないのですが、降旗くんは普段彼にとても優しくされているようなので、このような行為に出られるのに慣れていないのでしょう。赤司くんが顔を近づけると、降旗くんはぎゅっと目を瞑りました。怯え気味ではありますが、発情は続いていますので、あっさりと口を開いて赤司くんの舌を迎え入れます。
「あんっ……ふぁ……」
十秒ほど唇を吸われていた降旗くんですが、一度戻ってきた理性を再び手放すにはまだ早いようで、赤司くんの顔がわずかに離れると、肩越しにドアのほうを見やります。すでに火神くんは引っ込んでおり、扉も閉められています。しかし降旗くんは、姿が見えなくなったからといって気のせいで済ませるほど脳天気ではないようで、しきりに外を気にしています。
「そ、そう言われても……火神が……あっ、あんっ! や、やぁっ、征くん、いきなり強くしないで……」
降旗くんの突然の高い悲鳴に何事かと思ったら、赤司くんの手に乳首を摘まれたようです。赤司くんの右手の親指と人差し指が、小さな物をつまみ上げるようなかたちをつくっています。降旗くんの左胸の皮膚の伸び方からすると、少し引っ張られるように力を加えられています。敏感になっているところにこれはきついですね。赤司くんてば、降旗くんが火神くんに気を取られるのが心底不愉快なようです。だったらひとりで来てくださいよ……。
「ああん……やっ……」
今度は赤司くんの人差し指の腹が、少しばかり乱暴にしてしまった降旗くんの乳首をいたわるように優しく丁寧に愛撫します。降旗くんは気持ちよさそうに鳴き、もじもじと身じろぎをしました。上半身だけでなく、太腿がぴくぴくしています。これは完全にあっちが疼いちゃってますね。
「光樹、部屋へ入ろう」
さすがに初セックスをキッチンで迎えるほど情緒に欠けるわけではないのか、あるいは降旗くんの意識を玄関から逸らしたいのか、赤司くんが優しげな声でそう誘います。しかし降旗くんの意識からはまだ先ほどの火神くんの姿が消えないようで、困惑気味に視線をさまよわせています。
「あ、でも……火神が……」
「無視しろ」
「うわぁっ!?」
どうやら降旗くんが火神くんの名前を出すのが気に入らないらしく、赤司くんは少々ご機嫌ななめな声音で短くそう命じると、降旗くんの腕を自分のほうへ引っ張り、突然彼を担いで立ち上がりました。実力行使で部屋に運ぶようです。
「ちょっ……せ、征くん!」
慌てふためく降旗くんの声を無視し、赤司くんは危なげない足取りで歩を進めます。彼は意外と筋力があるので同体格の人間を担ぐくらいは驚くに値しませんが、このときはじめてきちんと観察することのできた彼の股間がいまだテントを張っていないらしいことには驚嘆しました。赤司くんはやはり人類ではないのでしょうか。ていうかもしかして降旗くんだけじゃなく赤司くんもたたないひとなのでは? 実際、ラブホでひとり大興奮してハーレクイン爆弾を撒き散らしていたときも、股間の息子さんはおとなしいものでしたし。……だったら降旗くんがどんなに望んでも赤司くんが狭義のセックスをしないのも理解できます。たたなかったら挿れられませんから。それでもって自分がどうあがいてもたたないものだから、降旗くんのほうにたってもらって自分に挿れてもらおうと考えているのでしょうか。相談を受けたときはそのような話は聞いていませんし、自分のことを棚に上げて相手の責任を追及するようなひとではないと思うのですが……。しかし仮にそうだとしても、ネコまっしぐらな降旗くんがいまさら赤司くんを抱けるとは思えません。降旗くん、自分がネコだと信じて疑っていませんよね。
降旗くんごと部屋に移動した赤司くんはひとまず置いておいて、僕は一旦玄関に戻り、なるべく音を立てないようそっと扉を開きました。ドアの横には、しゃがみこんで頭を抱えている大きな体がありました。
「火神くん、降旗くんたち、奥の部屋に入りました。いまならキッチンに忍び込めます」
火神くんはぼりぼりと頭を搔きながらこちらを見上げました。
「なあ、もう帰ろうぜ。のぞきは悪趣味だ。それに……」
「それに?」
「これ以上はつらい。見てらんねえ。他人の恋愛沙汰にどうこういうのは野暮ってもんだが……ああ~……降旗が変なのに捕まっちまった!」
火神くんはこめかみを両手で押さえながらうずくまって嘆きました。娘が変な男に惚れちゃった父親の心境なのでしょう。僕もわからないではありません。目の当たりにしたいまでもちょっと信じられない気持ちです。しかし、彼らの言動を鑑みるに、どう控えめに見積もっても互いに惚れているのですから、ここは涙を呑んで祝福してあげましょうよ。
「おまえ、よくダチのセックスなんて見る気になれるな」
「別に見たいわけじゃないですよ。ただ心配なだけです」
「赤司のことか? どちらかっつーとこのまま見学してるほうが危険だろ。あいつ、俺に殺気飛ばしてきたんだぜ?」
「殺気だったんですか? 不機嫌だなーとは思いましたが」
僕にはちょっと機嫌が悪いくらいにしか感じ取れなかったのですが、ターゲットとされた火神くんにとってはそんなレベルではなかったようです。彼の被害妄想かもしれませんが。
「不機嫌で済まされる棘じゃなかったぞ。これ以上降旗のエロいとこ見ちまったら、あいつまじで嫉妬に狂うぞ。その場合のストッパーに連れてこられたはずの俺が、アイツ自身の嫉妬心を煽ってたら意味ねえどころか有害だろうが」
「そうですねえ……。でも、僕としても心配なことはあるんです。その、ジェラってる件だけじゃなく」
正直なところ、赤司くんと降旗くんのセックスを見るのは自分の寿命を縮めるに等しい行為だと思います。ただ、不思議なことに赤司くん作のハーレクインよりは実物のほうがダメージは少なかった気がします。どれだけ気色悪いセンスをしてるかって話ですね、赤司くんが。あれで大分耐性がついたのか、いまのところそこまで目を覆いたくなるような気持ちにはなっていません。好奇心的な意味での見たさはないのですが、ここまでつき合わされたからにはもう、最後まで見守らなければならないというような、ある種の義務感が僕の心に湧き上がっているのです。
火神くんはアメリカ育ちらしく大仰なジェスチャーとともに、僕の説得を続けます。
「そうは言っても、このまま俺らが見学だか監視だかを続けて赤司のジェラシーを増強させたら、それこそ降旗の身が――」
「や――――――っ……!」
え? なんですかいまの悲鳴? 僕じゃないし、もちろん火神くんでもありません。聞こえてきた方向、そして聞き覚えのある声。
「い、いまのって……」
「降旗……?」
僕たちは同時にドアを振り返りました。距離が離れていますし扉や壁越しなのではっきりとは聞こえませんが、部屋の中ではばたばたと物音が立っています。
「これって……」
「赤司……何してんだ!?」
いまのいままで撤退を提案していた火神くんですが、ここでは僕に先立って腰を上げ、ドアノブに手を掛けました。火神くんは僕に比べると赤司くんへの信用が格段に低いので、同じ悲鳴に対しても感じる危険レベルが異なるのでしょう。とはいえ、降旗くんのあの悲鳴は放置できません。空気をつんざくようなものではありませんでしたが、明らかに惑乱と拒絶が入り交じっていました。隣の部屋の人が在宅だったらいまごろ不安に駆られていることでしょう。赤司くん、いったい何をやらかしちゃったんでしょうか……。
もはや扉が開閉する音になど気を配る余裕もなく、僕たちは靴を脱ぐのも後回しにし、室内に飛び込みました。キッチンの向こう、ものの数歩先にある扉は半分ほど開かれており、こちらに背を向けて横向きに寝そべっている人間の姿が目に映りました。降旗くんです。位置的に上半身しか見えませんが、カッターシャツはまだ着たままです。
「やあっ、やあっ、せいくんやめて……!」
なんか降旗くん、泣きが入ってませんかこれ!? こ、この短時間にいったい何をしたんですか赤司くん!?
「おい、あか――うぐっ!?」
引き戸を力の限り全開にして乱入しそうな火神くんでしたが、下手に存在をアピールすると逆効果になりかねないと判断した僕の手指の先が脇腹にめり込んだことにより、その場にくずおれることとなりました。スポーツをやっている男子としては非力な部類の僕ですが、指の力は強く、また指自体も見ためよりずっと頑丈ですので、ベニヤ板を打ち抜くというか、突きで破壊するくらいはできます。よって火神くんの鍛え上げられた筋肉にも、一点集中であれば攻撃として通用するのです。
「(てめ……黒子……何すんだ)」
「(気持ちはわかりますが、落ち着いてください。赤司くんの嫉妬をこれ以上煽ったらやばいと主張したのはきみでしょうが。こういうときは様子見をすべきです)」
苦悶にうめく火神くんにひそひそ声で注意をすると、僕は壁にこそっと隠れながら部屋の内部をうかがいました。少しの間声が途切れていましたが、再び物音が響き出します。シーツがぐちゃぐちゃに乱れたマットの上に寝そべる降旗くんと、その足元というかおしりのあたりで座る赤司くんの姿が見えます。……え? ま、まさかもう合体しちゃったんですか? ちょっと早すぎやしませんか? 早業っていうかそれもう神業の域ですよ。
驚いていると、降旗くんの体がじたばたと揺れはじめました。動作そのものはのろいというかぬるいですが、これは抵抗して暴れているということなのでしょうか。あれだけ赤司くんに抱かれたがっていた降旗くんですが、いざとなると怖気づいてしまったのか、はたまた赤司くんがジェラシーのあまりさっそく暴走してしまったのか。と、ハラハラする僕の胸をさらに掻き乱すような声が上がります。
「やあぁぁぁぁっ! やめっ……せいくん! こ、こわい! やだぁっ!」
あまりの急展開に僕の心臓はハツカネズミのごとく速く打っています。降旗くん、これ、ガチで怯えてませんか!?
そう案じていると、降旗くんが弾かれたように上半身を起こし、赤司くんを見上げました。その目は涙で濡れ、目尻からは新しい水の筋がくっきりと伸びていました。もしかして、赤司くんが恐れていた事態が早くも発生してしまったのでしょうか……?