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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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赤司くんとオオカミ降旗 3

 春分を迎えたものの、時間的にもうすっかり暗く、外灯がアスファルトを照らしている。裏玄関から続く公道を歩く黒子の背中は、最初の曲がり角で視界から消えた。心細さにローテンションの俺をなだめてくれていた赤司は、黒子の姿が見えなくなったところで立ち上がって建物のほうへ体を反転させようとしたが、俺はなおも鼻を上に向けて空気をくんくんと嗅いでいた。嗅覚では正確な距離を測ることはできないが、においを感じる程度の近さには黒子がまだいるのだとわかる。ミスディレクションはもちろん黒子自身の影の薄さも、第一には視認能力に働きかけるものなので、嗅覚優位の動物にとってはさして有効ではない。黒子は体臭が薄いほうだが、狼の鼻なら普通に感知できる。だから姿は見えずとも俺にはいまだ黒子のにおいが感じられるのだ。しかしそれも次第に薄まっていく。心細さに道路のほうをいつまでも向いていた俺だったが、ふいにリードを軽く引っ張られるのを感じ、そちらを振り返った。
「そろそろ戻るぞ。寒い」
 多少は待っていてくれたらしい赤司に声を掛けられる。そこに苛立ちの響きは感じなかったが、彼が嫌いなものは『言うことを聞かない犬』ですので、との黒子の言葉が蘇り、俺は一瞬びくんと体を震わせると、即座に立ち上がって建物のほうへ体を向けた。逆らってはいけない。とにかくこのひとに逆らってはいけない。黒子に忠告されるまでもなく、動物の本能が俺にそう命じている。俺は躾のされた犬のように、彼より前にけっして出ることなく、彼に従いついていった。庭園のちょっとした石畳を抜け、テレビでしか見たことのないような典型的な縁側にたどり着くと、ウエットティッシュのボックスが置かれていた。あらかじめ黒子が用意しておいたのだろう。屋外から屋内に上がるとき、肉球を拭くためのグッズだ。家の中でも靴のまま生活する文化圏だったら必要ないかもしれないが、狼が複数いる我が家もやはり日本人向けの家屋ではあるので、ウェットティッシュは常備してある。でかいし見た目が怖いので、飼い犬のようにおいそれと散歩に連れて行ってもらえるわけではないのだが、たまに外に出してもらえるとやっぱり嬉しい。もちろん首輪をした上で家族の誰かにリードは持っていてもらう。
 赤司が広げたウエットティッシュを几帳面に四つ折りしたタイミングで、俺は右の前足をお手の仕草のようにして差し出した。なるほどよく躾けられている、との感想をこぼしながら赤司が肉球を拭いてくれた。うんまあ……躾の一環といってしまえばそうなんだろうけど……。
「蹠球がずいぶん大きいな。人間の手とあまり変わらない」
 ショキュウなんて単語ははじめて聞いたが、肉球の正式な呼び方だろう。体のサイズに合わせ、脚が太く当然足の裏も大きい。女の人が手の平を広げたくらいの大きさがあるので、大型犬を見慣れないひとは驚くかもしれない。なお、弾力はあるが表面が厚く硬いので、ぷにぷに感を楽しむには向かない。触ったときの第一印象は「ざらざら」である。父親の肉球を触ったときにそう感じたので、間違いない。
 四本の足すべての肉球を拭かれたところで「入ってよし」の合図をもらい、俺は縁側に飛び乗った。先刻三人で話をしていた洋室に戻ると、赤司は黒子が置いていったキャリーバッグの中身を確認しはじめた。俺のお泊りアイテムが収められているらしいが、自分で用意した覚えはない。しかし鞄は俺の、というか俺のうちにあるものと同じである。多分、黒子に今回の計画について聞かされたうちの親が、頼まれるままに荷詰めしたのだろう。本人のいないところで何勝手に話進めてくれてるんだよ……。こんな危険人物のところに息子を預けるとかひどくない? まあ、俺の親はこの世でもっとも俺のびびり癖を承知している人物なので、俺が必要以上に赤司のことを恐れているだけで実際の赤司くんはちょっとやんちゃな男のコ☆……くらいにとらえているのかもしれない。冗談じゃないぞ。このひとがやんちゃの一言で収まるなら、この世のたいていの男は草食系どころか無機物系になるに違いない。冗談じゃないのは、いきなり狼人間の世話を押し付けられた赤司のほうも同じだろうけど。
 改めて室内を観察すると、パソコンや学習机、本棚はあったがベッドや小さなテーブルといったくつろげるような家具は置かれていない。書斎に近い印象だ。寝る部屋は別にあるということだろうか。確かに赤司のにおいは感じるが、それほど強くない。高校入学後の生活拠点は京都だから、それも当然だろうけど。
「荷物の中身は概ね着替えのようだ。ここで広げても仕方ないから、ひとまず寝室においてこよう。一応案内するからついてこい」
 キャリーバッグを提げた赤司のあとに再びついていく。寝室だと紹介された部屋は六畳ほどの和室で、床の間もついていた。まだイ草の香りが残っている。何が書かれているのか狼の視力ではよくわからないが、掛け軸が飾ってあった。キャスターが畳を痛めないよう、赤司は床の部分にバッグを置いた。もしかして寝るとき、ここに連れてこられるのか? 俺、ネコ科と違って爪の出し入れできないんだけど、いいのかなあ。カットされた自分の爪を見下ろしながら思う。まだ新しそうな畳を傷つけるのが怖くて、入り口手前の廊下で立ち止まったままだ。部屋から出てきた赤司が感心したように俺を見下ろした。
「行儀がいいな。気になるならあとで新聞紙でも敷いておこう」
 赤司の手が俺の首周りを撫でる。褒めてくれるときの撫で方と一緒だ。嫌いだっていう割には扱いがうまいような。っていうか普通に気持ちいいです。
 洋室に戻るために短い距離を歩いて行く。俺は赤司の後ろに続きながら、単純な犬嫌いというわけではないのだろうか、それとも狼と犬は別物という扱いなのか、いやでも、このひと完全に俺のこと犬だと思ってるよなあ……などと訝った。黒子の無茶苦茶な説明と要求に嫌な顔をしていた割には、俺に対してぞんざいな態度は取っていないのが不思議だ。引き受けたからには任務を完遂するという義務感があるのだろうか。しかし彼にとっての任務=俺の調教という認識らしいので、彼がやる気に満ち溢れているというのはそれはそれで恐ろしい。俺、どんなふうに調教されちゃうの……?
 わずかに不安な思考を展開しながら四足で歩いていたはずの俺だが、ふと足が止まっていることに気づいた。それは、前を行く赤司が止まったからだ。あ、部屋の前に戻ったんだと視線を上げると、肩越しに彼がこちらを見下ろしていた。なんとも形容しがたい表情をしている。一番近いのは……引き攣っている? え、俺、何かやからした? 自分の失態の可能性を考えどきりとしたとき、赤司が困惑した声音で言った。
「……人間に肛門腺はないぞ?」
 肛門腺とは主に食肉目の動物に存在する分泌腺で、簡単に言うとにおい袋である。その名のとおり肛門の近くに開いている。犬が尻を嗅ぎ合うのは、ここから発するにおいを嗅ぐことで個体情報を得るからである。人間の場合は顔や体つきを見て年齢推測したりさまざまな印象受けたりするじゃん? それを嗅覚から得るような感じだ。イヌがにおいを嗅ぐのは、人間がものを見るのと同じくらい大事なことなのである。
 ……つまり俺が何をしていたかというと。
 赤司の尻に鼻くっつけてくんくん嗅いでいました……!
 なぁにやっちゃってんの俺!? 失態にもほどがあるだろうが!
 いや、やましい意味なんて全然ないんだぜ!? 俺、赤司のことウインターカップの会場での姿しか知らないから、赤司ってどんなひとなんだろうってぼけーっと思っていたら、つい狼の習性が発動しちゃってただけなんだよ! 情報を得たいと思っていたらつい、ね!? 赤司の指摘どおり人間に肛門腺はないので尻のにおいを集中的に嗅いでも狼や犬同士のように情報が得られるはずはないのだが、うん、これが習性ってやつなんだよな。あな恐ろしや。
 心の中で言い訳しながら、俺は赤司の視線にいたたまれなさと恐怖を覚え、恐る恐るあとずさった。無論尻尾は後ろ脚の間にすっぽり収まっている。怯える俺を眺めながら、赤司は部屋の扉の前で困ったようにため息をついた。
「イヌ科の習性だというのは理解するが……中身がさっきの男子だと思うとなんか落ち着かないな」
 そうですね。さっきの光景を人型で再現したら間違いなく変態行為ですよね。
 望んでもいないのに脳内に、全裸に首輪姿で赤司の尻を嗅ぐ自分の姿がイメージングされた。やめて俺の脳みそ! 気持ち悪いにもほどがある!
 俺は廊下の隅っこで尻尾を下げられるだけ下げてガタガタ震えた。赤司はしばらくドアの前で立っていたが、やがて呆れたように一息吐くと、
「さっさと来い。別に怒ってない」
 と手招きをした。そう言われたら従わないわけにもいかず、俺はそろそろとした足取りで洋室の中へ入った。

*****

 書斎のような勉強部屋で赤司はデスクトップ型のパソコンをいじっていた。まずはお互い慣れることからはじめようという意味なのか、俺は赤司の足元で伏せていた。座るならここにしろと彼に指示されたのである。俺の体高ではデスクの下でお座りはできないので勝手な判断で伏せさせてもらったが、別段不興は買わなかった。正直まったくくつろげないが、逆らうなんて怖くてできない。しばらくの間、彼は俺に一瞥もくれることなくパソコンのディスプレイに集中していた。狼の知識を多少なりとも得たい、ということでインターネットで情報収集を行っている。真剣だ。ものすごく真剣だ。押し掛けた挙句プライベートを狼の勉強に使わせてしまった申し訳ないと感じると同時に、ここまで真摯な姿勢を見せているということは、相応の成果を出さなければならないというプレッシャーに襲われる。成果とはつまり、俺の赤司に対する恐怖を消失させ、変身を制御できるようにするということなのだが……彼が真剣であればあるほどむしろ恐怖が増大するような。だってそれって、俺を調教する気満々ってことだろ……。ついでにペットの躾け方マニュアルのホームページでも見ているのだろうか。気にはなったが、おとなしくしているよう命じられたので、俺は時折耳介をぴくぴく動かす以外、床に伏せたまま微動だにしなかった。と、ふいに体の上で気配が動くのがわかった。顔を持ち上げると、赤司がデスクの下をのぞき込んでいた。
「きみはどの種のオオカミなんだ? ニホンオオカミでないのは確実だと思うが……」
 呟きながら、赤司はパソコンチェアから降り、俺の横に膝をついた。な、なんでしょうか……。思わず身じろぎ、後ろへ下がりたくなった。狭いのでほとんど移動できないが。赤司が、ちょっと出ておいで、というように小さく手招きする。デスク下から這い出ると、俺は椅子の横に座った。赤司もまた椅子に戻ると、左手を俺の顔の横に添え、右手でマウスを操作しながらディスプレイと俺を交互に見た。
「テツヤはヨーロッパ系だと言っていたが、だとするとタイリクオオカミかその亜種か。ヨーロッパオオカミ? しかしニホンオオカミも同じくタイリクオオカミの亜種ということだから、範囲が広すぎるな。大きさからすると、北方の生き物っぽいが。この写真の狼は割ときみに似ているように見える。ハイイロオオカミか……タイリクオオカミのことだな」
 狼を扱ったホームページや画像を見比べ、俺がどの種にあたるのか特定しようとしているようだ。実は俺も正解はわからない。というのも、俺は狼人間であって狼そのものではないからだ。異なる種類の生物なのだから、実在の狼に該当するものがなくてもおかしくはない。ただ、少なくともニホンオオカミでないことは確かだと思う。研究が進む前に絶滅してしまった(とされる)ので生態についてあまりよくわかっていないらしいのだが、島国で体が小さくなりやすい傾向にある日本の在来種がここまで大型ということはなかっただろう。赤司が指摘するとおり、狼時の俺や父親の外見はタイリクオオカミに近い。とはいえ動物園以外で本物の狼を見たことはないので、結局自分でもよくわからない。なお、生態は完全に座敷犬なので野生の狼のようなかっこよさはまるでない。母の膝に寄りかかって甘える狼姿の父は実にだらしがない。威厳なんてあったものではない。もうデレデレである。もちろん尻尾は限界まで振りまくるし、腹を見せて絶対服従の姿勢も取る。まあ、俺も同じなわけですが。生まれたときから世話をしてくれているだけあって、母の撫で方が一番上手で気持ちいい。……マザコンじゃないぞ? デレデレに甘えるのは変身中だけだし。
「しかし、きみもテツヤも警戒心というか、危機管理意識が薄いんじゃないか?」
 と、赤司が俺の頭にぽんぽんと手を乗せながら呟いた。どういう意味だろう。そりゃ野生種に比べればぬくぬく現代人育ちの俺の警戒心なんてないに等しいけれど。家だと無防備に腹丸出しで寝るくらい。赤司は呆れた生温い笑みを浮かべながら、
「僕がマッドサイエンティスト気質でありで、きみのような珍奇きわまりない生命体に目がなく、研究という名の好奇心を満たす活動の一環で、きみに諸々の人体実験動物実験を実施するような危険人物だったらどうする気だったんだ。誠凛バスケ部のメンバーの脳内が花畑だったから気が緩んでいるのか?」
 なんか恐ろしいこと言ってきた! え、なに、そういうことする気で依頼を引き受けたの!? 俺実験されちゃう!?
 キャインキャインと小さく鳴きながら、俺は部屋の扉の前まで逃げた。ドアノブをなんとか回そうとするが、爪が滑ってうまくいかない。レバータイプなら開けられるのだが。そうしている間にも、ゆらりと剣呑な気配が忍び寄る。赤司の手がドアノブに覆いかぶさる。いよいよ逃げ場なし。どうしよう、誰か助けて!
 怯える尻尾のまま、俺は赤司を見上げ、きゅうきゅう鳴いた。人間の目には牙を向いてぐるぐる唸って威嚇しているように映るだろうが、実際は怖がって鳴いているだけである。
「きゅ~……」
 うおぉ、いま珍しくかわいい声が出た。情けない声ともいうが。
 狼の恐ろしい、あるいは精悍なイメージをぶち壊しにする犬そのものな俺を前に、赤司はやれやれとため息をついた。
「いまのはもののたとえにすぎない。そんなに怯えなくてもいいだろう。実験なんてしないし解剖もしないから」
 赤司は俺のそばに腰を下ろすと、両手で背中や胸を撫でてなだめた。いぢめる? とアライグマくんに尋ねるシマリスくんのように首を斜めにしてみる。その仕草をどう解釈したのか、赤司は数秒動きを止めたあと、先ほどより素早く撫でてきた。な、なんかモフられてる……?
「きみは毛並みがいいな。まあ元がヒトという時点で野生ではないしな。家のひとにブラッシングしてもらっているのか」
 うわー、なんかめっちゃ触られてる、モフられてる。毛のふかふかがお気に召したのでしょうか……まさか毛皮剥いだりしないよな? 被害妄想が頭を掠めるが、彼の手つきは優しくて気持ちがよかった。人間が基本型であるため動物としての警戒心ユルユルな俺は、温室育ちで人間大好きな飼い犬よろしく、気持ちよさに負けてつい腹を出して「ここも撫でて」とアピールしたくなった。まあ赤司怖いし、逆らう気なんて起きっこないし、すでに現時点でほぼ服従しているようなものなのだが。この状態で優しく触ってくれたら、そりゃおなかだって見せちゃうよ。あ、やばい、体ふにゃふにゃしてきた。あー、もー、おなか見せたい!
 お座りの状態から左半身を下に横になる。これで上方の右半身を開いたら絶対服従完成だ。さっそくやっちゃう? 今日の今日で? 遅かれ早かれそうなるだろうから、さっさと覚悟決めちゃったほうが楽かも、との考えがよぎる。俺の理性も本能も、この人物に逆らっては駄目だ、むしろ服従せよと告げている。でもやっぱりまだ怖いし……。せめぎあう感情の中、しかしやっぱり心地よさに勝てずこてんと仰向けになろうと体をひねる。さあどうぞ、と腹を見せたつもりだが、赤司の手はそこへは降りて来なかった。
 おなかさわってくれないの……?
 がっかりした気持ちで赤司を見つめる。……あれ? なんか突然色が鮮やかに見える。色覚では霊長類に劣るはずなのに。
「降旗くん……?」
 赤司の目がこれでもかと見開かれている。やめてその眼怖いんですってまじで!
 俺は思わずぎゅっと目を閉じた。と、上から彼の上擦った声が落ちてくる。
「……戻ったのか。テツヤは近くにいないし……本当に変身する体質なのかきみは」
 赤司はきょろきょろと周囲を確認している。黒子がすでに近辺にいないことは俺にもわかる。というかこれについては赤司の視覚聴覚より俺の狼としての聴覚嗅覚のほうが正確だろう。視覚はさすがに人間のほうが強いんだよなー……と思ったが、動体視力は狼のときのほうが圧倒的にいいんだった。赤司も動体視力高そうだけど。彼もテレビがパラパラ漫画に見えたりするのだろうか。だとしたら逆に不便な気がしないでもない。そのへんは任意でコントロールできるのかな。
 ……ってか赤司さん、いまなんとおっしゃいました?
 戻った? 戻ったって……? ま、まさか。
 俺は恐る恐る自分の体を見下ろした。視界に広がる黄味がかった白っぽい肌色。体毛はあるが、もちろん動物とは桁違いに薄い。ふかふかなどどこにもない。むしろ裸の猿である。そう、裸の……。
「へ? え、え……? う、うわぁぁぁぁぁ!?」
 変身が解けてる! なんでどうしていつの間に!?
 しかも仰向けの状態で! 言うまでもなく首輪以外全裸である。そりゃ赤司が触ってこないはずだよ。人間の男の腹なんて触りたくないよ。それ以前に硬直するよ。体勢的に股間丸見えだしさあ……。
「わぁぁぁぁぁぁ……」
 あまりの情けなさと恥ずかしさに半べそになりながら、俺は体を起き上がらせると、カーペットに正座して両手で股間を隠した。どう考えても全部見られたあとだからいまさらだけど、開き直って堂々と晒すような勇気はない。多分、いま俺は真っ赤になっていることだろう。ついでに涙も滲んでいるに違いない。いきなり他人の家に来て二度も全裸公開とか、何やってんだよ俺。自分が情けなさすぎて本気で泣けてくる。
「あ、あかし、くん……」
 俺は涙混じりの蚊の鳴くような弱々しい声で赤司を呼んだ。彼はすでに平静を取り戻したのか、元の落ち着いた声音で返してくる。
「なんだ」
「あ、あの……ご、ごめんね?」
「何について謝っている。全裸ならば気にすることはない。すでに一度見ているし、仕方がないと理解している。人間の衣服を四足の動物に着せるのは無理がある」
 ああぁぁぁぁぁ……その物分かりのよさが逆に心に痛いです。不可抗力を責める気はないとばかりに優しげなトーンが俺の心をえぐってやまない。俺は内腿の間に手を挟んだままぼそぼそと謝った。
「う……。こ、この格好についても、その、見苦しいもの見せてごめんなさいなんだけど……あの、いきなり押しかけて、泊めてもらうとか……。しかもわけわからない説明だっただろうし。迷惑かけてごめんなさい」
 とてもではないが相手の目を見ることはできず、終始うつむいたままだった。すると、赤司の手がすっと俺のほうへ伸ばされた。な、なに? 引っ叩かれる? 態度悪かった?
 びくつく俺を、しかし強い衝撃が襲うことはなかった。代わりに、赤司の指の側面が俺の顎に引っ掛けられ、上を向かされる。
「……嫌味か?」
「へ?」
「テツヤの主張によれば、僕自身が蒔いた種だということだった」
「え、えと……」
 確かにそうなんだけれど、俺が臆病すぎるというのも原因の一端ではある。どう答えるべきだろうか。すでに赤司が引き受けてくれたいま、ごちゃごちゃ掘り返す意味もないかもしれない。あのときの彼の常軌を逸した行動は責められてしかるべきだとは思うが、その権利は第一には被害を受けた火神にあり、俺は間接的に巻き添えを食っただけである。火神より俺の被害が大きく、しかもこんな突拍子もないかたちで生じているなんて、さすがの赤司も予想しようがなかっただろう。彼の行為が原因とはいえ、予期できるはずがない事態への責任まで追及してよいものなのだろうか。彼はそうしてくれると言っているけれど……。
 言葉に詰まっているうち、素っ裸の体が冷えたのか、鼻がむずむずしてきた――と思ったが早いか、くしゅん! とくしゃみが出た。
「三月に裸はアグレッシブすぎるか。着替えはキャリーバッグの中だったな。取ってくる」
 全裸の俺を廊下に出すわけにはいかないということか、赤司自ら俺の着替えを持ちに行ってくれようとした。が、彼が立ち上がる前に俺が引き止める。
「あ、このままでいい……です」
 俺の制止を遠慮だと解釈したのか、赤司が眉をしかめる。
「……さすがに全裸の人間に同じ部屋にいられるとこちらが落ち着かないのだが」
「ご、ごめん……。でも、いま夜だから、多分そのうちまた変身しちゃうと思うんだ。そしたらそのへんの服散らかすことになるし……自分で回収はできるけど、畳んだりはできないんだよ。腕が前足になるから」
 何が引き金で変身が解けたのかはわからないが、人間姿のいまは狼のときよりもそわそわした感じがする。まだ変身する兆しはないが、そう時間を置かず再び狼化するような気がした。だから服を着ても結局赤司の手を煩わせることになるだけだと思ったのだが、
「……とりあえず、人間の間は何か羽織っていてくれ。ええと……」
 彼は腰を上げると、壁際の洋服掛けのところまで行き、ジャージのジャケットを二枚手にとって戻ってきた。そりゃ、俺がこのままでいいって言っても、向こうは気にするよな……。俺は自分の全身は見えないからいいけど、赤司には見えているんだから。見苦しいものはちゃんと隠しておけということだろう。
「これしかなくて悪いが。二枚あるから、一枚は上に羽織って、もう一枚は下に掛けておくといい」
 と、白と薄いブルーが基調のジャケットを受け取る。広げてみると、どこかで見たようなデザインが目に入った。
「こ、これ、帝光のジャージ……!?」
 見覚えがあると思ったら、黒子に以前見せてもらった中学時代のアルバムだ。その中に、このデザインの服を身につけた少年たちが何人もいた。一枚は汎用ジャージ、すなわち体育の授業などで使う、全生徒が持っているもの。そしてもう一枚は部活用。写真ではこちらのほうが多く映っていた。ちょ、え、これ貸してくれるっていうのか……!? 体育用はともかく、栄光あるバスケ部用のほうまで……!?
「そうだ。いまは部屋着になっている」
 そんなあっさりと。ていうか赤司が古いジャージをそんなふうに活用するなんて意外だ。俺も家だと着ることがあるが、どちらかというと父親が勝手に拝借して着ている。あまつさえその格好のままコンビニに行こうとする。せめて下だけにしてくれといつも思う。
「……いいの?」
「だから渡したのだが」
 赤司の厚意を恐る恐る受け取ると、俺は体育用ジャージを腰から下に掛け、部活用のものを肩に羽織った。腕を通さないのは、狼化した折にうまく脱げないと衣類を破ったり伸ばしたりしてしまう恐れがあるからだ。自分の服なら仕方がないで済ませられるが、借り物を傷つけるわけにはいかない。裸ジャージ+首輪というこれまた倒錯的な服装が出来上がってしまったわけだが、赤司としては全裸で座っていられるよりはましなのか、ほっと息を吐いたあと再び先ほどと同じ場所に腰を落ち着けた。
「変身の時期はいつも裸で過ごしているのか?」
「いや、あの……通常は任意で変身できるから。寝る前に服脱いで狼になって、朝起きたら人間に戻るみたいなサイクルが基本。昔は宵の口から変身して、家の中ちょこちょこ走り回って遊んだり、親が外に連れて行ってくれたりしたけど、でかくなって狼っぽさが強くなるとおいそれとは外出できないし、それに学年が進むと課題やら何やら、夜やらないといけないことも増えるから、中学に入ったくらいから、変身は基本的に夜に家の中でする習慣になってる」
「夜行性ではないのか?」
「本来はそうなんだろうけど……野生じゃないし、当たり前だけど生まれてこの方ずっと人間の家に住んでるから、実質部屋飼いの犬と同じなんだ。だから人間と同じような生活サイクルで大丈夫。夜も普通に眠れるよ」
 肩からずり落ちかけるジャージを時折直しながら、俺は赤司の質問に答えた。俺にとってはきわめて日常の出来事を叙述しているにすぎないのだが……彼にとってはぶっ飛んだ発言のように響くだろう。寝る前に脱衣して変身します、って普通の人間には意味不明だよな……。
「そういえば、寝床はどうすればいい」
「寝るときは多分狼になると思うから、邪魔にならないところ指定してくれれば、そこで丸まってるよ」
「家ではどうしている」
「畳とかカーペットの上で寝たり、自分のベッドに潜ったり。あ、でも、布団なしでも全然大丈夫だから気にしないで。毛がついたり獣臭くなっちゃったら悪いし。狼になれば毛皮着てるから、外でも大丈夫といえば大丈夫だよ。寒さには強いんだ。その分日本の夏は地獄だけど。夏場は床に腹引っつけてダレてるなあ。……う、そろそろまた変身したいかも」
 室外には慣れていないからできれば屋内に置いてほしいなあと思いつつ、飼っているわけでもない大型犬サイズの動物を部屋で寝かせてくれと要求するのもわがままかと、希望は伝えずにおいた。そうこうしているうちに予想通り、変身衝動に伴う眠気が襲ってくる。変身が不安定になっているいま、やはり夜は狼が優勢のようだ。
「待て、もう少し我慢しろ。細かい話は日があけてからにするが、とりあえず今夜のことは決めておきたい。いつ全裸の人間に戻るとも知れない者を屋外に置いておくのはどうかと思うのだが」
「そ、それもそうだね。おうちのひとびっくりしちゃうよね」
 赤司の両親は現在この家にはいないらしいが、親族だかお手伝いさんだか、誰かしらは在宅しており、赤司ひとりというわけではないらしい。彼らには友人が泊まっていくとだけ告げてあり、具体的にどういう人物かまでは説明していないとのことだった。……まあ説明できないよな。友達の友達である狼男が泊まっていきますとか、頭の病院へ行け、である。
「それ以前に、寒空の下で素っ裸ではきみが凍死するぞ。暦の上では春とはいえ、夜間は冬とさして変わらない」
「あ、そ、そうか――へくちっ!」
 小さくくしゃみをすると、そら見ろとばかりに赤司が肩をすくめた。
「人間は衣類がなければ寒さには弱いしな。待ってろ、毛布か何か持ってくる」
 そう言い残すと、赤司は俺に扉の前からどくよう指示し、部屋の外へ出ていった。俺は彼のジャージを持ったまま、扉から少し離れたところに移動した。う……そろそろ駄目。変身したい、化けちゃう――強烈な衝動と睡魔が少しの間高波のように押し寄せ、すーっと引いていく。狼に変身すると、眠気とともに、人間のときに感じていたそわそわも鳴りを潜めた。あーすっきりした、と思っていると、ふわっと嗅覚を刺激された。洗剤の香りとともに赤司のにおいを感じる。彼が使っている部屋なのだから当然だが、部屋そのものについたにおいより、もう少し濃い。……あ、そうか、ジャージだ。洗濯してからそれほど着られた感じではないが、やはり所有者のにおいはついている。嗅覚の感受性も価値観も人間時とは異なるので、洗剤の人工的なフローラルな香りはどうでもよく、生き物のにおいのほうが気になるし、また敏感でもある。人間のときにはほとんど感じなかったジャージに染みた赤司のにおいが、いまははっきりとわかるのがおもしろい。確かに赤司のにおいがする。部屋着として使っているというのは本当らしい。部活用ジャージのほうがにおいが濃い。もしかして俺と黒子が押しかけるまでこれを着てくつろいでいたのだろうか。そんな想像を巡らせながら、くんくん彼のジャージのにおいを嗅いでいた。そこに臭いとかいいにおいとかいう価値観はないのだが……あとから冷静に考えると、変質的な行為かもしれないと気づいた。他人に自分の服のにおい嗅ぎまくられたら気持ち悪いよな……。いや、俺いま狼だけど。
 と、程なくして赤司が戻ってきた。彼は開けたドアの手前で少しだけ動きを止めると、はあ、とため息をついた。
「もう変身してしまったか。となると不要かもしれないが……一応毛布を用意した」
 彼は左腕に温かそうな毛布を抱えていた。冬毛の狼となったいまではなくてもまったく問題ないが、うっかり人間に戻ったときのため、借りておきたいところではある。彼もそのつもりなのだろう、毛布を抱えたまま部屋の中に入り、俺のそばに座った。彼はしばし俺のほうを凝視した。な、なんですか、と俺がたじろぎかけたところで、
「……臭いか?」
 ちょっぴり不安そうに聞いてきた。一瞬、何について問われたのかわからなかったが、俺が前足で押さえつけていたジャージに彼の手が伸ばされたときにその意味を理解した。体勢からして、俺が彼のジャージのにおいを嗅いでいたことは明らかである。やばい、気味悪がられた? むかつかせた? びくりと体を固くする俺の前で彼はジャージの袖を摘むと、自分の鼻に近づけ、小鼻をひくつかせながら嗅いだ。僕には洗剤のにおいしかわからないな、と呟いたあと、
「まあ、狼の鼻的に悪臭というわけではなさそうだが……」
 ぱっと袖を離したかと思うと、俺の頭を擦るように撫でた。そうしてから手を引っ込めると、今度は俺の前に毛布を広げて見せた。デフォルメされた大きなかわいらしいイラストがついている。面積が狭く、デザインと相俟って子供用のものに思えた。
「僕が小さい頃に使っていたブランケットだ。もう使う者もいないから、においや毛がつくといったことは気にしなくていい」
 説明しながら、赤司は狼の俺の体の上にそのブランケットを掛けてくれた。赤司が子供の頃使っていたものって……そんな貴重な思い出の品、借りちゃっていいの? 掛けてもらったブランケットの下で俺が身じろぐと、赤司はその行動を別の理由だと受け取ったらしく、
「ああ、仕舞いっぱなしだったから防虫剤臭いかもしれない。いまのきみの嗅覚にはきついか? まあ、変身中はいらないだろうから、夜の間、もし人間に戻ることがあったら利用するといい」
 頭部に掛からないように上四分の一ほどを捲ってくれた。確かに刺激臭ではあるが、耐えられないようなものでもない。しかし、このまま狼の俺の体に掛けられていたら動物のにおいがついてしまう。やっぱり人間のときだけ借りることにしよう。そう思い立ち上がりかけたが、赤司の腕が俺の体へ伸びてきたことで、動きを止めざるを得なかった。今度はなんだろう。小さくだがびくつく俺の体を、赤司はブランケット越しに触れてきた。そしてわしゃわしゃと勢いよく掻き撫でる。な、なに……? いったい何のための行動?
「犬は毛布なんかに自分のにおいがついていると安心するんだろう? とっととにおいを染み込ませたら、防虫剤臭さも気にならなくなるのでは?」
 まじで獣臭くなっちゃいますよ!? 事実上室内犬だし手入れもされているから、野生に比べたらかなり薄いけど、それでも獣としての体臭はあるからね?
 そう思うのだが、赤司の厚意を拒否するわけにもいかず、俺はされるがまま、しばらく赤司の手によって毛布越しに体を撫でられ続けていた。あー……やっぱこのひと撫で方うまいや。なんでだろ? どこかで犬をかわいがった経験でもあるのかなあ? 犬好きそうじゃないのに変なの……。気持ちいいから別にいいけど。今度こそおなかを撫でてもらいたいと俺がごろんと仰向けになりかけたところで、
「じゃあ僕は風呂に入ってくるから。人間に戻ってもそのへんをうろつかないように」
 赤司は立ち上がり、再び部屋の外に出ていってしまった。
 えー、撫でてよー……なんてがっかりしてしまう俺の精神は、知能はともかくとして、完全に犬である。うん、認めるよ、俺は犬だよ。狼だけど、まあ事実上犬だよ。
 ひとりになりちょっと落ち着いたところで、中途半端に掛かっているブランケットの端をくわえて引き上げた。防虫剤臭さは相変わらずだが、狼としての自分のにおいもちょこっとついている。十年くらい前のちっちゃな赤司がこの毛布にくるまって寝ていたのかと思うと、なんだかとても不思議な心地がした。中身が強烈すぎて大変残念な感じになっている赤司だが、ルックスそのものは上等だから、子供の頃はきっとさぞかしかわいかったのだろう。

 

 


 


 

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