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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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赤司くんとオオカミ降旗 2

 うわぁぁぁぁぁ、視線が痛い……。
 ガン見してる! めっちゃガン見してるよ! 赤司が俺を凝視している!
 いや、正確には視線が逸らせないというか、呆気にとられて固まっているのだと思う。そりゃそうだろう、目の前で狼が人間に変化した上、全裸の男が出現したとあっては驚かないほうがおかしい。さすがの赤司だってこれは常識の範疇外ということだろう、呆然として返す言葉に困っている様子だ。俺もまた、かたちばかりの自己紹介のあとどう続けていいのかわからずうつむいたままだ。もっともそれ以上に、狼化したいという衝動に堪えるのに必死だった。狼になれば裸でも変ではないというか毛皮を着ているので恥ずかしくないのだが、人間の姿で全裸は恥ずかしい。全裸で生活するのが当たり前の文化で育ったのならともかく、俺は現代日本で生まれ育った人間だ。別に露出狂でも何でもない。そのあたりの感覚は一般的な日本人である。狼になればしゃべらなくてすむよなという甘えと、いまのうちになんか弁明しておけという自分への叱咤がせめぎ合う。俺が正座のまま緊張に硬直している横で、この場で唯一通常運転の黒子が口を開く。
「どうです赤司くん、おわかりいただけましたか?」
「あ、ああ……?」
 赤司は信じられないというよりは何が起きたのか理解できないといった表情で、彼にしては珍しいであろうはっきりしない返事をした。と、ギィと何かが軋む音が聞こえたかと思うと、視界がわずかに翳った。はっとして顔を上げると、赤司がパソコンチェアから腰を上げかけていた。視線はやはり俺に向けられている。え? こっちに近づいてくる? その可能性が頭に浮かんだ瞬間、びくんと体が跳ねた。と同時に、
「うぇ!?」
 反射的に素っ頓狂な声が漏れる。やばい逃げなきゃ逃げたい。それだけがこのときの俺の思考を支配するものだった。多分、逃げ腰になったときにはもう、狼に変化していたのだと思う。獣の姿に逆戻りした俺は黒子の背中側に一足で移動すると、成人と大差ない図体を縮こまらせて隠れた。黒子は驚いたふうもなく余裕のある動作で肩越しに振り返ると、大丈夫ですよ、と微笑んだ。遅れて体を捻ってこちらを向くとよしよしと言いながら、抱きしめるような体勢で背を撫でてなだめてくれた。俺は親愛を込めて黒子の唇の横っちょをぺろぺろ舐めた。犬が飼い主にしばしば行う行動と同じである。黒子は嫌がらず、くすぐったそうにするだけだ。
 俺の震えが治まりかけると、黒子は体を反転させ赤司へ向き直った。彼は俺の一メートルほど前方で立っている。怖い。赤司に恐怖を覚えるのはウインターカップでの遭遇以来、すなわち知り合ってからずっとなわけで、たとえ本人がいなくても思い出すだけで怖いし、今日ここへ連行されて赤司と対面してから現在進行で怖いのだが、立ち上がられると輪をかけて恐怖を誘われる。人間てでかいんだよ。いや、狼の俺もかなりでかく、体重は人間時との比で多分八十パーセント程度、後ろ足だけで立ち上がった場合、顔の位置が直立の黒子に届くほどだ。なのでいまの俺も成人男子と変わらないくらいの大きさがあるのだが、四足なので目線の高さは低い。対して人間は直立二足歩行。すなわち垂直方向に大きく目線が高い。だから目の前にいる直立の人間というのは平均的な身長であっても、はるか高くそびえているように感じられて、相手によってはそれだけで威圧感を受ける。いまがまさにそんな状態で、赤司が近くで立位を保っているというだけで余計に怖い。
「ほら、赤司くんが急に動くから降旗くん怖がって狼になっちゃったじゃないですか」
「いや……立っただけなんだが」
「彼にとってはそれさえ怖いんですよ。突然攻撃されるかもって思っちゃうんです、あの最悪の第一印象のせいで。ほら、人間に乱暴なことをされた経験のある動物は、たとえ別の善良な人間が相手であっても、接近されると怖がったりするでしょう? 個体によっては威嚇行動や攻撃に出たりしますが、それも恐怖心が原因です。まあ降旗くんは人間の理性をもっていますので、そのような行動には出ませんが。……きみが彼にしたのはそういうことなんですよ、赤司くん」
「そうなのか」
 やや大仰に説教くさく語る黒子に赤司は平静にそれだけ言ってうなずくと、その場に片膝をついて座り込んだ。え、もしかして目線を下げてくれたのか?
 黒子はちょっと不思議そうに目をしばたたかせたあと、
「赤司くん、もしかしてちょっぴりショックだったりします? 何もしていないのにこんなに怯えられて」
 意外そうにそう尋ねた。いや、それはないだろ、と俺は即座に突っ込んだ。もちろん心の中で。赤司は黒子からの質問には答えず、俺と黒子を交互にまじまじと観察した。俺たちだけでなく、部屋の出入り口や窓などにも視線を送っていたと思うと、
「テツヤ、将来の夢はマジシャンなのか?」
 唐突にそんな質問をしてきた。やっぱり信じてもらえなかったか。まあそうだよな、狼男なんて一般的な人間にとってはフィクション臭すぎて、取り合う気にもならないだろう。黒子は、赤司の質問の意図を察しないではないだろうに、あえてストレートに答えた。
「いいえ。そんな不安定な将来選びませんよ」
「しかしいまの奇術は驚いたぞ。まったくタネがわからなかった」
「僕だってわかりませんよ。わかるのは、きみがこんなにも愛らしい降旗くんをめちゃくちゃ怖がらせてるってことだけです」
「テツヤ、声に険がありすぎる。攻撃的な姿勢は人間関係をいたずらに損なうぞ」
「どの口が言うんですかそれ!?」
 ちょ、黒子、急にでかい声出すな、びびるだろ! おまえ声張るの苦手だっつってただろ。それとも、苦手ゆえに大声を出す機会がない分、いざするとなるとコントロールが効かないのか?
 赤司の指摘通り、いまの黒子はかつてないほど刺々しい態度だ。口調は相変わらず丁寧だが、当てつけっぽいというか、慇懃無礼というか。このひとにこんな態度とって大丈夫なのかと心配になるくらい。目が合うのは怖いがそろりと顔を上げて赤司をうかがう。彼はやはり俺を注視していた。
「テツヤ、その降旗くんがおまえの剣幕に怯えているように見えるが」
 正直ふたりとも怖いです。
「ああ! すみません降旗くん、いきなり大きい声はびっくりしちゃいますよね。狼はナイーブですから」
 黒子は左手で俺の頭部から頸部を撫で、右手で顎の下をさすった。謝りつつ、小声でもふもふ~とちょっぴり幸せそうに呟いている。赤司はなぜかその光景にご満悦の様子だ。いや、顔は無表情に近いのだが、こう、雰囲気で多分そんな感じだと察せられる。狼のときのほうが他人の空気の変化に敏感らしい。
「動物といえどマジシャンにとってはパートナーだろう。大切にすべきだ」
 なるほど、俺が黒子のマジックの相棒だと解釈した上で、パートナーとして信頼関係を築いていることに一定の満足を得たようだ。悪い意味ではなく上から目線である。なんか黒子の同級生というよりは先輩か先生のようだ。よくそんなオーラ満載の相手に噛み付いた姿勢を見せられるものだと黒子に感心すると同時に、だからこそ安心してそのような態度を取れるのかもしれないとも思う。性格的な相性の良し悪しは別問題として、互いの間にきちんとした信頼がなければこのようなやりとりはできまい。このふたり、俺が想像していたよりは険悪な間柄ではないようだ。
「だからマジックじゃないんですってば」
「そうか失礼。イリュージョンだな。おまえはきっとイリュージョニストになるために生を受けたのだろう。やはりデビュー最初のイリュージョンは、ゴールリングを通過したボールがおまえに変化するというものか?」
「なんでちょっとわくわくしてるんですかっ」
 うん、会話は噛み合っていないし黒子は本気でイライラしているが、剣呑な雰囲気ではない。赤司にいたっては楽しそうでさえある。黒子もそれを感じ取らないではないようで、疲労を表現するように額を押さえた。
「もう……きみと漫才やる気にはなれません。赤司くん、信じられない気持ちはわかりますけれど、この子は本当に元は人間なんです。さっき見た男の子、あれがこの子の本来の姿なんです。疑り深いきみに信じてもらうため、全裸に首輪なんて倒錯的な格好を晒したんですよ? 十六歳の若い身空で泣ける話じゃないですか」
 おまえのせいだろうが黒子。ただのマッパならともかく、首輪とリードはやばい。それも人間の娯楽用ではなく(言っておくが俺は娯楽で首輪をしているのではない)、ホームセンターのペットコーナーで売っている、正真正銘の犬用グッズである。加えて大型犬用なので、革が厚く硬く、見た目がごつい。事情を知らない人間に見られたら、弁明しようがない変態さんである。なんだろう、革フェチで首輪愛好家の露出狂?……嫌だ、そんなハイレベルな高校生は嫌すぎる。一応事情を知らせてあり、冷静沈着なはずの赤司でさえ狼狽を見せたくらいだ。表情にはさほど表れていなかったが、きっと彼も内心ではドン引きしていたに違いない。ああぁぁぁぁ……思い出すとへこむ。俺、なんて姿を晒してしまったんだ! 男の全裸ってだけで視覚への暴力なのに、その上高校生にはまだ早いんじゃないですか、なプレイじみたアイテムがくっついているとか。普通に気持ち悪いよドン引きだよ、絶対赤司の不興買ったよ!
 そこに考えが至ると、俺は不可抗力とはいえ己が演じた失態を呪い、そこから派生する結果を想像して絶望した。俺、ここから生きてみんなのところに帰れるのかな……。
 が、俺の恐れとは裏腹に、赤司は機嫌を損ねたふうではなかった。どちらかというと労るようなまなざしを感じるのだが……
「まあ……さっきのが本物の降旗くんだったとして、彼の尊厳の犠牲に哀悼の意を表明し、ひとまずそのファンタジー設定を前提に話を進めよう。このままだとおまえたちずっと居座りそうだし」
 労りではなく憐れみだったようです。そうですね、趣味でもないのに首輪にリードをつけられた人間はかわいそうですよね。もっとも、自宅以外で狼姿になるときは飼い犬に偽装しないと大変なことになりかねないので、首輪なしで外を出歩くのは控えたい。リードもついているとなおよしだ。……趣味じゃないぞ?
 赤司は不本意ながら一応対話の姿勢を見せてくれるようで、床に両膝をついて俺に向き合った。動物に対する警戒はやはりあるようで、防御、回避行動を取りやすくするためか、尻を浮かせ重心を移動させやすいように体勢を調整しているのがわかった。ち、近い……。本能的に逃げたくなるが、せっかく話し合いの席についてくれた、それも彼にとっては意味不明すぎる内容につき合ってくれようとしているのに、話題を持ち込んだこちらが逃亡するのはそれこそ無礼極まりなく、今度こそ不興を買うに違いない。
「まずは、僕が狼の訓練を引き受けるかどうかという話についてだが――」
「なんで訓練ってことになってるんですか。治療です。ち・りょ・う」
「器質的、生理的な疾病があるわけではあるまい。心理的な治療は換言すれば訓練だ」
「えー……」
「絶対に協力しないと頭ごなしに拒否するつもりはないが、僕も暇ではない。彼がヒトと共生可能な最低限の資質を有しているか見極めねばなるまい。訓練適性のない個体というのはどうしても生じるものだ。それは確率の問題であり、存在すること自体について誰かに責を問うつもりはない。しかし、適性に欠ける個体に無理に訓練を施すのは人間のエゴであろう。労力の無駄だし、ストレスにより個体がますます制御困難になり不利益をもたらしかねない」
 なんか真面目なことを語ってらっしゃる……。どうやらからかい半分で俺たちにつき合ってやると考えているのではなさそうだ。取り組むからには真剣に、ということだろうか。
「ヒトと共生っていうか、ヒトですから、降旗くんは。人間として生活している時間のほうが長いですから」
 黒子が呆れまなこでぼそりと突っ込む。確かに、赤司の口ぶりからすると、俺を動物扱いしていそうだ。まあそれについては仕方がないだろう。ここを訪れて以来、俺はほとんどずっと狼で、人型でいたのはカップラーメンができ上がるくらいの短い時間なのだから。
 ふいにヒゲに何かが当たる感覚を覚え、口吻がぴくんと動いた。人間の髭と違い、いわゆる動物のヒゲは感覚器なので、接触には敏感だ。触れてきたのは赤司の左手だった。頭上からではなく、下から顔の横辺りに向かって腕が伸ばされたようだ。まったく勢いはついていないが、何かされるのでは、と俺は緊張に身を固くした。
「警戒しなくていい。危害は加えない」
 と赤司は真摯な目でそう宣言してから、
「口を開けろ」
 唐突にそんな命令を下した。く、口を開ける? なんで? 単純に疑問に思いつつ、ヒゲに手が当たる感覚が落ち着かず、思わず反対方向にふいっと顔を逸らした。
「赤司くん?」
 黒子もまた不思議そう、というより不審そうに顔をしかめている。赤司は黒子のほうに視線をやりながら尋ねた。
「テツヤ、彼は狼のときは日本語というか人間の言葉が通じないのか?」
「いえ、通じます。発声発語器官が人間のものとは違いますので、人語は話せませんが、こちらの言うことは理解しますし、五十音表なんかがあれば、彼のほうから意思を伝えることができます。手間はかかりますが」
 と、黒子は持参した大きめの手提げバッグから大きい透明なプラスチックの板を二枚取り出した。正確には板ではなく、間に紙が挟めるようなケース構造になっている。二枚のうち、一枚は平仮名の五十音表、もう一枚は算用数字や「はい・いいえ」、「水がほしい」、「眠い」、「暑い」などのごく短い語句が並んだ紙が挟まれている。狼のときにこちらから意志を言語情報として伝達したいときの道具だが、実はほとんど活用していない。黒子のアイデアでつくったものの、尻尾を振ったりじっと見つめたり特定の方向に誘導しようとしたりと、なんらかの行動やジェスチャーで概ね察してもらえるので、五十音表でおしゃべりなんて時間と手間を掛ける必要はあまりない。
 赤司はプラスチックボードを一瞥したあと、俺のほうに視線を戻した。
「そうか、では口を開けろ」
 再度同じ命令。あの……逆らおうという気はないのですが、意図を教えてもらえないでしょうか。俺の思考を読んでか、あるいは黒子も俺と同じ心境なのか、
「何言ってんですか赤司くん」
 すかさず代弁してくれた。うん、何言ってるんだよ赤司。
「彼は反抗的な性格なのか?」
「いえ、むしろ従順です。脈絡もない命令にびっくりしてるだけです。……降旗くん、赤司くんの言うとおりにしてください。逆らわないほうがいいです」
 黒子がこそっと耳打ちしてくる。呼気が掠めるくすぐったさに耳介がぴくぴく動く。赤司の命令に不信感は拭えないものの、逆らってはいけない雰囲気をぷんぷん感じるのはもっともなので、仕方なくおずおずと下顎を下げた。と、突然口腔に圧迫を感じる。赤司が左手を俺の口に突っ込んできたのだ。奥までではなく、前歯にあたる部分に手の平を挟むようなかたちで。呼吸が阻害されることはないが……苦しい。何が苦しいって、犬歯が当たらないように顎を思い切り開かなければならないことが。人間の犬歯とは違い正真正銘の牙なので、かなり鋭い。加えてイエイヌよりも咀嚼力が強い。噛むつもりがなくても、ちょっと顎を閉じただけで怪我をさせてしまうのではないかと俺は戦々恐々とした。バスケやってんなら手を大事にしてください! と胸中で叫びながら、俺は閉じそうになる下顎をなんとか抑えた。しかし苦しい。思わず訴えるような呻き声が漏れる。すると、赤司の行動に呆気にとられていた黒子が我に返って彼を制止してくれた。
「赤司くん!? 何するんですかっ! やめてあげてください、苦しがっています」
「噛み付かないな」
 赤司はなおも俺の口に手を挟んだまま悠長にそんな報告を黒子にした。
「当たり前でしょう、中身は人間なんですよ」
「狼と言うが、躾の行き届いたレトリバーのようだ。ここへ来てからも怯えを見せてはいるが挙動不審にあちこち動きまわったりしない。なるほど、すでによく訓練されているらしいな。おとなしい」
 赤司は俺に対してポジティブと思しき評価を下すと、口から手を抜き、続いて俺の顎の下や首を撫でてきた。唾液拭われてる……? しかし、左手だけでなく右手もいつの間にか頭の後ろに回されて、先ほど黒子がやったみたいな要領でよしよしと撫でている。えーと……褒めていただいているのでしょうか?
「あの……なんか珍しく動物に萌えっと来てらっしゃるようですが……彼、僕らと同い年ですからね。平均的な背丈の男子高生ですからね。さっきご覧いただいたとおり」
 黒子をはじめ誠凛のみんなにもこんなようなことされてるけどな? いや、いいんだけど。狼のときに撫でてもらうの好きだから。でも赤司だとやっぱり怖い。危険人物に接触されることそのものへの恐怖感と、このひとが動物に友好的な姿を見せていることに対する言い知れぬ不気味さがこうひしひしと。 
 黒子から遠まわしな注意を受けた赤司は、ふと何かを思い出したように動きを止めると、上体を少し下げて斜め前方に傾けた。
「失礼」
 と一言入れたあと、頭を俺の後ろ足の位置まで落とした。
「確かにオスだ。間違いない」
 ぎゃっ! 直接確認された!
 そりゃ丸出しですけど! 別にいまさら恥ずかしいとは思いませんけど! 狼がパンツ穿いてたらそっちのほうが不自然だからね!?
 でも、こうあからさまにのぞき込まれた上で確かめられると、最初からないはずの羞恥心が湧き上がってきてしまう。
「赤司くん、それセクハラです」
 黒子の冷静な指摘に、しかし赤司もまた冷静に応じる。
「おまえは、カバに似た妖精に露出狂のレッテルを貼るようなつまらない感性の持ち主なのか?」
「いや、降旗くん人間ですから……」
 黒子の突っ込みはことごとくかわされる。というかハナから掠ってもいないようだ。赤司は再び体を起こすと、俺の胸腹部の毛を軽く押さえつけるように手の平を這わせてきた。
「ふかふかしている」
「ええ、ふかふかのもふもふです。いまは冬毛ですし。癖になります、この手触り。魅惑のもふもふです」
「確かに……ふかふかしていて、それでいてもふもふしている」
「はい、ふかふかで、もふもふしています」
 よくわからないがふたりは擬音語で通じ合ったらしく、その後三分ほど、俺は無言の中で彼らにモフられ続けた。どうすりゃいいんだよこれ……。あまりのシュールさに俺はその場で硬直するしかなかった。
「しかし、普段はどうしているんだ? 家以外の場所でいきなり狼化したら大騒ぎだろう」
 背中や腹を覆う体毛をひとしきり触り、なんかよくわからんがとりあえず満足したらしい赤司は、おもむろに口を開いた。俺はしゃべれないので当然黒子に答えてもらう。黒子はいつの間にかブラシを取り出しており、ブラッシングしてくれている。みんなが代わる代わる手入れしてくれるので、俺の毛はツヤツヤだ。
「ここ三ヶ月の困難は置いておくとして……いままでは自分でかなりの程度コントロールできていたので大丈夫です。夜行性だからか、昼間は変化しづらいとのことです。本人が言うには、だいたい一ヶ月周期で変身しやすい時期が来るようです」
「女性の月経のようなものか……?」
 月経て。なんですかそのたとえは。セクハラまがいの低俗な揶揄ではなく、真面目に受け止めた挙句の連想だとは思うが……でも生理はちょっと。男として微妙というか複雑というか。
「いえ、それよりはコントロールが効くみたいです。別にその時期でなくても変身自体は任意でできるとのことですし、時期に当たったとしても多少ずらしたり抑えたりはできるようです。ただ、なんらかのきっかけで強制的に変身してしまうことがありまして」
「それがいまの状況か」
「はい、その場合、戻りたくても簡単には戻れないとのことです。コントロール不全を起こしているという意味なので。元々コントロールはきちんとできていたんですが、ウインターカップ以来、周期も制御も乱れがひどくて」
「生理不順のようだな」
「そのたとえはやめてあげてください。男の子なんですから」
 立て続けに生理扱いされたことでちょっぴりしょぼくれた俺の頭を、黒子の手が慰めるように撫でた。
「今日ここへ来る前に変身したということだったが……しばらくこのままなのか?」
「いえ、朝になれば一旦戻るかと」
「では、何らかの刺激が加えられたり、夜になるとまた狼になるということか」
「だと思います。ここ三ヶ月くらい不安定なので、断定はできませんが」
「学校内で変身してしまったことも?」
「授業中は大丈夫です。なので一般の生徒にはバレていません。問題は部活でして、基礎練ならいいんですが、いわゆる『バスケをやる』というときになると不安定になるようで……」
 そう、変身がコントロール困難に陥っているとはいえ、あらゆる外部刺激に平等に反応するわけではない。明らかな選好というか偏りがある。自宅滞在中は狼でもあまり不都合はないのでノーカンとして(多少課題に差し支えはあったが、学年末考査の期間は安定していた)、問題は学校を含め外に出ているときである。道路や廊下でひとにぶつかったり大きな物音が聞こえてきたくらいで変身衝動が生じることはまずないのだが、部活となると一気に不安定さが増す。毎日ではないものの頻繁に狼化してしまうため、予定通りの練習ができない上、場合によってはゲームを中断したり、空いている部員に飼い犬アピール用の首輪をつけてもらったりと、ほかのひとの手も煩わせている。みんなは、慣れたし気にもならないからおまえも気にするなよと言ってはくれるのだが、やっぱり俺としては気に病まざるを得ない。狼になって練習が停滞する間に、みんなとの差がどんどん開いていくようで焦燥感を覚えるというのもある。悶々とするゆえに不安感が増し、それがさらなる不安定を呼ぶという悪循環だ。すでに来年度を見据えた練習を組まなければならないというのに。それに、学年が上がって新入生たちが入部してくるというときに、狼に変身する先輩がいるなんて大事になりかねない。いまの部員のようにユルユルな子ばかりが入ってくるとは限らないのだから。だからなんとしてでも春休み中に治しておきたい、いや、治さなければならないのだ。
 部活に悪影響が出ている現状を思い返してしょんぼりする俺を、赤司が小難しい顔をして見つめている。
「バスケ部なのにバスケができないのか」
「ええ。彼の恐怖の大元は赤司くんなわけですが、場所がウインターカップの会場で、部活の用事で訪れていて、当然きみもバスケ関係者。そのためバスケというスポーツ自体が恐怖に結びついちゃったんですね。そんなに強固ではありませんが、不安材料のひとつのようです」
「まったくバスケができないのか?」
「いいえ、そこまでではありません。恐怖症というわけではないのでバスケに対して回避行動を取ったりはしませんが、やっているとコントロールが非常に不安定になるみたいです。だからちょっとした刺激で変身してしまいます。ボールが頭にぶつかるとか、スコアボードが倒れるとか。部員は慣れているので、またかよー、という感じで流してそのまま練習を続けられるのですが、降旗くんは変身中はバスケなんてやりようがないので、見学です。狼の状態で体を鍛えたところで人間時には反映されませんし。だから、降旗くんは最近思うように練習ができていないんです。仮に変身せずに一日を終えたとしても、いつ狼化してしまうのかわからないのでは、接触や衝撃に敏感になりますから、どうしても動きが萎縮気味になってしまいます」
 黒子は赤司に告げなかったが、もうひとつ大きな問題がある。火神だ。犬嫌いというか犬恐怖症の火神にとって、大型犬の体格で鋭い目つき、おまけに声も低くて怖い狼はまさに大の苦手であるようで、俺が変身するのを見ると途端に逃げ出す。俺はなるべく火神の視界に入らないよう用具室に隠れるのだが、火神はでかい犬が同じ空間にいると思うだけで落ち着かないらしく、リズムを狂わせてしまう。エースがこの調子ではチーム全体への悪影響はお察しくださいといったところだ。
「……僕のせいで?」
「そうです。赤司くんが降旗くんを無意味に怯えさせたのがすべての発端であり元凶です」
 黒子はややもすれば辛辣なもの言いで赤司を刺す。他校とはいえバスケ部を率いる立場にある者として思うところがあるのか、赤司は顎に手を当て、難しい顔をしたまま黙り込んでしまった。五分ほどの長考ののち、彼は黒子にいくつか質問をはじめた。ウインターカップ後の俺の動向、バスケ部での具体的なハプニング、部員たちの反応、カントクの意向など。やがて、彼は俺をまっすぐとらえて言った、「わかった。責任は負わねばなるまい」と。

*****

 その後、黒子から赤司に、俺の変身体質や狼時の注意事項について改めて説明と確認がされた。赤司はB4のノートにサラサラとボールペンを走らせ、メモを取っていった。
「夕方頃になると食事をしたがらないと思いますが、無理に食べさせないでください。水は用意してあげてほしいですが。人間の姿であっても食べようとしないかもしれませんが、この場合も放置して大丈夫です。変に気を回して食事を勧めると、本人が困るでしょうから」
「もしかして生肉とかでないと食べないのか?」
「いえ、そんな野性味溢れる食事はしないとのことです。人間の食べ物を味付けなしで食べる感じとか。食事をとらせないでほしいのは、その……トイレに困るからです。中身人間ですから、そのへんで排泄するのは無理みたいです、精神的に。どうしても困ったとき用に一応トイレシートは持って来ましたが、多分使う機会はないかと」
 説明の傍ら、黒子はボストンバッグからトイレシートを一枚取り出して赤司に見せた。うー、これはちょっと恥ずかしい。レバー式ならトイレのドアを開けられるし、和式はもちろん洋式でも実は用を足せるのだが、念のためということで部室に用意してある。なお、部員のみんなは狼のトイレ使用を芸の一種だと解釈したのかいっぺん見せてくれと頼まれたが、さすがに断固拒否した。冗談じゃないよ、どんなプレイだよ。
「変身中はずっと何も食べないのか?」
「自宅にいる間は、事情を知っている家族がいるので大丈夫です。でも、そこまで長時間狼になっていることはないとのことなので、飲まず食わずでもいいようです。一応野生の特性を持っていますから。野生の狼だと、狩りが成功せず何日も食べられないことってあるでしょう?」
 黒子の説明が終わると、いよいよ解散……すなわち俺を赤司のもとに残して黒子が帰宅するという段になった。せっかく協力的姿勢を見せてくれた赤司にいまさらこちらから拒否を示すことは難しいというか怖く、また俺たち誠凛バスケ部が微妙な危機にあることは確かなので、俺も腹を決めねばならない。しかし、黒子の手からリードの持ち手が外されようとするのを見て、俺はやはり不安になった。やだ、帰っちゃわないで。心細さを訴えるように俺はくーんと鳴いた。成獣に近いオス狼の声は低く、実際には怒って唸っているような響きにしかならなかったが。
「あの、赤司くん……ありがとうございます。降旗くんの治療、引き受けてくれて」
「礼は必要ない。自分の行動の後始末は自分でつけるべきだというだけだ」
「治療方針、ご理解いただけてますよね?」
「ああ、彼の僕に対する恐怖心を消去すればいいのだろう」
「上書き案は駄目ですからね?」
「わかっている。僕が彼にとって脅威でないことを身をもって理解させよう」
「自信がおありで?」
 会話をしながら黒子がリードの輪を胸の高さに掲げる。赤司はそれを受け取ると、右手をそこに通してから、紐の部分を掴んで両手で引っ張る。感触や強度を確かめているようだ。
「自信というほどではないが、五里霧中でもない。方向性はすでにイメージできている。彼はいわば僕という存在と恐怖という感情を結びつけてしまったわけだ。これは一種の学習であり、そうであるならば、無効化も不可能ではない。彼に、僕が恐怖に結びつかないことを学習させる。幸い彼はイヌ属だ。オオカミはもっとも古く家畜化された動物であり、野生下において群れ社会を形成し序列によって秩序を維持し、能力を認めれば他種である人間さえ群れのリーダーと認める。つまり元来からヒトとの親和性が高い動物だ。人間の指示をよく聞く生物なのだから、訓練すなわち学習は進めやすいと考えられる。僕は目標を達成するために必要な訓練プランを立てること、またそのための指示を他者に与える能力に秀でていると自認している。訓練という行為において僕と彼の相性はけっして悪くはないだろう。彼が無事誠凛バスケ部で正常に活動できるよう、僕が全力をもって彼の調教を行うことを約束する」
 えー……文化人類学だか動物学だかわからないけどとにかく難しそうなことを語っていただいたのですが……なんか、最後のほうにすごく不穏な単語が聞こえたような……。俺の聞き違いかと黒子を見上げる。黒子は、なんというか絶望と失望が入り混じった、見ているこっちの心が痛くなってくるような複雑な顔のゆがめ方をしていた。
「ちょ、ちょうきょう……?」
 ちょうきょうって……調教? え、なに、俺赤司に調教されるの?
 ぽかんとする俺たちの前で、赤司がうむとばかりに大きくうなずいた。
「おまえの主張では彼は従順であるとのことだ。すなわち馴致性が高いと考えられる。加えて知能は人間と同じ。頭がよくて従順であれば、短期間での目覚しい効果が期待できよう。ネコ科でなくてよかった。イヌは調教のし甲斐がある」
 再びはっきりと調教という単語を発すると、赤司はリードを持ったまましゃがみ込み、俺の背にぽんと手を置いた。
「降旗くん。きみの霊長類としての知性と、イヌ科としての性質におおいに期待する」
 な、なんか激しい誤解が生じているような。ドッグトレーナーの役を任されたと解釈してないかこのひと。
「ちょっと待ってください! なんですか調教って!」
「何を興奮しているんだ、テツヤ。別に芸を教えようという意味ではない。訓練を施すことで適切な社会性を習得させるという意味だ。人間社会においてイヌに求められる社会性を」
 それやっぱりドッグトレーナーの方向性だよな!?
「ちょ、ちょ、赤司くん!? 降旗くん人間ですからね!? わかってますか!?」
 やはりこのひとに話は通じなかったと嘆きながら、慌てた黒子が赤司の右手を掴む。リードを取り戻そうしてのことだろうが、赤司はがっちり紐を握って離さない。意志の強さを表すように。頼むからいますぐその強さは放棄してくださいお願いします。
「もちろん了解している。だから彼の知性に期待を寄せているんだ。仮に動物にとっては耐え難い試練であっても、知能の発達したヒトであれば克服は可能だろう。なぜならば高度に発達した大脳は問題解決能力をヒトに与え、目標という未来に向けて計画的に行動することを可能にする。すなわち現在の状況だけでなく未来を見据えた上での行動を行うことができるということだ。彼には変身制御力を回復したいという明確な目標があり、それを実現するために必要な行為と認めるのであれば、たとえ困難な課題であっても立ち向かうことができるだろう」
「何する気ですか!? 耐え難い試練って何する気ですか!?」
「テツヤ、うるさい。動物は人間以上に言葉ならぬものに敏感だ。おまえが穏やかでない雰囲気を醸して騒げば、ただでさえ臆病であるらしい彼をいたずらに興奮させ怯えさせるだろう」
「動物って言った! いま動物って言い切りましたよね!?」
「あとは僕が責任を持つ。おまえはもう帰れ。明日も練習があるのだろう。僕はおまえ及び誠凛バスケ部のさらなる飛躍を望んでいる。おまえたちの向上の妨害をするなどもってのほかだ。彼を練習に行かせるか否かは、状態を見て僕が判断する。そちらの顧問……いや事実上の取りまとめ役である女子生徒――相田リコだったか?――にそのように伝達しろ」
 すでに赤司の中で俺の治療(という名の調教)を引き受けることは決定事項であるらしく、ぎゃあぎゃあ騒ぐ黒子をものともせず、火神が聞いたら頭痛を起こしそうな小難しい言葉を弄しては、マイペースに押し切った。これがひとの上に立つ者の器なのか……。
 すでに夜と呼べる時間、日はとっくに落ちていた。小ぶりな日本庭園を抜けたところにある裏門で、俺は赤司にリードを持たれた状態で、すでに敷居の向こう側に立った黒子との別れを惜しんだ。後ろ足だけで立ち上がり、黒子の肩に前足を引っ掛けて、行かないで行っちゃやだと訴えるつもりで顔を舐めてはきゅうんと鳴く。もちろん実際の音声はそんなかわいらしいものではないが。黒子は俺の頭から尻尾の付け根の手前まで、余すことなく撫でたあと、俺の顔に片手を添え、子供に言い聞かせるように別れの挨拶をした。
「降旗くん……それではしばしのお別れです。大丈夫、赤司くんは言動は無茶苦茶ですが、理性的ではありますし、虐待的な行為を楽しむような人間ではありません。ああ見えて世話焼きですし。ただ……彼の嫌いなものは『言うことを聞かない犬』ですので……気をつけてください。降旗くんなら大丈夫だと思いますけど」
 ちょっ……なんか最後にすげぇ爆弾落としやがった! なんだよそれ初耳なんだけど!? そんな重要情報、先に教えておいてくれよ!
「心配しなくても、言うことを聞くのだったら、問題ないでしょう」
 確かに言葉そのまま解釈すればそうなるだろうけど、言うことを聞かない『犬』って、ピンポイントで犬に限定しているあたり、やっぱ犬そのものに好意的じゃないってことじゃないのか!?
「まあ降旗くんは犬じゃなくて狼だから、カテゴリー違いなんじゃないでしょうか」
 いや、俺ほとんどイヌだぜ!? それも座敷犬だよ! 人間に馴れたオオカミって、つまりはイヌだからな!? 野生なんて生まれる前から失ってるよ!
 別れ際になってキュインキュイン鳴き出した俺に、しかし黒子は無情にも踵を返すと、それでは健闘を祈りますと言って去っていった。やー! 黒子ー! 行くなぁぁぁぁ! 思わず遠吠えしたくなった。が、赤司にリードを軽く引っ張られたので自制した。やばい、声うるさかった? 怒られる? そろりと見上げると、赤司が困ったような表情をしていた。ばちりと目が合い、びくりとしかける。と、赤司はその場に膝を折ってしゃがみ、俺の顎の下から首にかけて両手で軽く揉むように撫でてきた。
「ずいぶんテツヤに懐いているようだ。分離不安を起こさなければいいが……」
 いや、黒子は俺の飼い主じゃないんだけど。やっぱり俺のこと犬だと思ってるよなこのひと……。
 少なくとも彼の東京滞在中はここに泊めてもらうことになっているが、その間どうやって過ごせというのか。黒子のにおいを感じ取れなくなると、いよいよ不安が高まってきた。でも、顎を撫でてもらうのは意外と気持ちがよく、やってもらっているうちに少しだけ気分が落ち着いた。
 こうして赤司と俺との奇妙な調教生活がはじまったのである。
 ……お願い誰か悪い夢だって言って!

 


 


 

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