輪をつくる赤司の親指と残りの四指が降旗の陰茎に絡み付き次第に刺激を強める。寝転んだ赤司の上に倒れ込まないよう必死に突っ張る降旗の腕はすでにがくがく震えている。そろそろいいかい? 赤司が目線だけで尋ねてくる。降旗がきつく閉じていたまぶたを上げると、視界の真ん中にリング状の皺がよった小さなビニールの包みが提示されていた。その直接的な誘いに降旗が言葉を失い口をパクパクさせると、赤司は愉快げに笑った。「つけてあげようか?」言葉そのものより、音を紡ぐふたつの赤い三日月がひどく扇情的だ。いよいよ彼を抱くんだ。彼のなかに自分を埋めるんだ。改めてそう思ったとき、降旗はなぜか、鍋で茹でられるタコの気持ちはかくや、なんて色気も素っ気もないことを考えてしまった。実際、その顔は首から耳まで真っ赤に染まっていたのだけれど。
じ、自分でできます、と緊張のあまりつい敬語になりながら、降旗は赤司の手からコンドームを受け取った。受け渡しの際、赤司の指が降旗の手の平を小指の中手骨に沿って撫でた。そのかすかな接触さえ、降旗はぶるりと身を震わせた。赤司の視界から隠れるように少し体の向きを変え、手の中の小さな包みの切り口を両手の指で摘んだが、その動きはかじかんでいるかのように鈍臭い。もちろん使うのははじめてではないが、ちょっと久しぶりな感がある。やばい、付け方忘れてたらどうしよう、なんて不安がよぎらないでもなかったが、開封して中身を取り出してしまえばどうとでもなった。空気が入らないよう慎重に伸ばしている最中、赤司から、それイチゴの香り付きだそうだ、確かにちょっと甘いにおいがするな、とノイズにしかならない無意味な情報をもたらされ、危うく手元が狂いかけた。慌てる降旗だが、自分の下半身の感覚に大きな変化がないことにほっとする。よかった、萎えていない。以前ならゴムのつけようがなかっただろうに、俺も成長したよなー、と場違いな感動に胸を打つ。
装着を終え、降旗がおずおずと振り返ると、最終確認とばかりに自分で自分をほぐしている赤司と目が合った。なぜか妙に得意げで、ふふんと鼻を鳴らしそうな雰囲気さえある。ローションでぐしょ濡れになった指を引き抜くと、赤司が挑発的に手招きする。
「そろそろお互いよさそうだ。光樹、大丈夫だ。おいで」
「う、うん」
協力すると事前に宣言したとおり、赤司は惜しげもなく自ら脚を広げて腰を浮かせた。降旗は緊張と期待に唇を引き結びながら、入り口に先端をあてがった。先刻、指先で感じた収縮が、より敏感な部位から伝わってくる。上下に擦る動きをすると、長年に渡り馴染みのある快感が立ち上ってくる。先端がくぼみにすっぽりとはまり込むように落ち着くと、軽く前に押して、すぐに退く。自分が彼にしてもらうときの動きを思い出しながら、降旗は数回押したり緩めたりを繰り返した。たいして力は込めていないので、指で押されていたときよりも楽なのだろう、赤司が余裕そうに口の端を柔らかい笑みのかたちに持ち上げている。
「もう少し強く」
「うん……」
恐る恐る力を込める。くぼみが呼吸でもするようにひくひく動いているのがわかり、降旗は妙に気恥ずかしくなった。俺のあそこもこんなふうに動いてるってことだよな……。
まだ固さが残る入り口だが、時折ふっと力が緩む瞬間があった。そのタイミングに合わせれば入るということだろうか。ちら、と顔を上げて赤司をうかがうと、彼は正解を褒めるように微笑みながらこくんとうなずいた。降旗は彼の体のかすかな動きの変化を捉えようと集中を試みるが、変に意識して緊張が高まるのを自覚した。駄目だ、考えすぎるとわけがわからなくなる。彼が自分に挿れてくれようとするとき、どんな感じだっけ……?
――んぁっ……あ、いま、入った……?
――入った。がんばったな。
――えへ……。
――痛くないか?
――ん、気持ちいい。征くん入ってきたんだぁ……。なんか嬉しい……。
……やべえ全然わかんない。具体的に何をどうやって挿れたんだ? 征くん慎重なんだけど、やるときはやるっていうか、スマートかつスムーズなんだよなあ。ていうか、がんばったってよく褒めてくれるけど、どう考えてもがんばってるの征くんじゃん? 自分がこっちやってみて実感した。これは難しい……。いつも挿れてもらうとき痛くないけど(違和感はもちろんあるんだけど)、それだけ征くんが上手ってことだよな。俺がやって大丈夫かな。征くん痛くないかな。
赤司に抱いてもらっているときの快感と幸福感を思い出すにつけ、降旗は不安を煽られてならなかった。自分はちゃんとできるのだろうかと。彼ほどうまくできるとは思っていないが、せめて彼の苦痛が少ないようにしなければいけない、いや、そうしたいと思う。しかし、考えるほどに自分にプレッシャーを与えてしまう。どうしよう。どうしよう。すでに手順のことなんて頭から吹き飛び掛けている。ぐるぐると視界が回りそうな勢いだ。
と、ふと名前を呼ばれていることに気づく。
「光樹、光樹」
「あ……せ、征くん」
はっとして赤司のほうへ視線をやる。少しの間動きが止まっていたとの自覚があるので、もしかして怒ってる!? と降旗は震え上がりそうになった。しかし赤司はほんのり上機嫌そうな表情で、自分の口元を指さしていた。
「キスしたい」
「え」
突然の要求に戸惑う降旗を、赤司の手が導く。
「口寂しいんだ。……こっちへ」
何度も吸い合いすっかり赤くなった唇は途方もなく淫靡だ。降旗は走光性の下等生物のようにふらふらと彼のもとへ吸い寄せられた。体の脇に手をつき、自分の体重を支えながら彼に唇を寄せる。ちゅぱちゅぱと幼稚な音を立てながら、互いに口内を弄り合う。一分ほど貪り合ったあと、赤司が降旗の頬に手を添え、まぶたを半分下ろしたとろんとした目でささやく。
「上手だ、光樹」
「ん……気持ちいい……」
「ああ、僕もだ。きみの舌をもらっていたら、ますますほしくなってしまった。……あっちのほうも」
「せ、征くん……」
「そろそろくれないか? ちょっと焦れてきた」
「が、がんばります……」
「いい子だ」
完全に誘導されている。が、それが降旗にとっては安心材料になった。主導権を赤司に任せていいのだと開き直ると、にわかに気が楽になった。若干情けない気持ちがしないでもないが、個人の向き不向きや相性の問題なのだと割り切ることにした。無理せず彼に任せたほうが双方気持ちよくなれる気がする。
名残惜しさを感じつつ上体を離し、下半身の動きを再開する。キスがリラックス要因になったのか、先ほどより自然に力の緩急がつけられた。また、赤司のほうも体が弛緩しやすくなっているようで、何度か入り口を押しているうちに、
「あっ……」
「……っん!」
するりと内部に導き込まれる瞬間があった。視覚よりも先に、接触箇所から伝わる体温や圧でそのことがわかった。それまでの過程はなんだったのかというくらいの呆気なさに、降旗は信じられない思いで局部をまじまじと見た。確かに挿入できている。彼のなかに自分の一部が埋まっている。
「は、入った……」
「そのようだな」
「よかったぁ……」
露骨に安堵の吐息を漏らす降旗を、赤司が苦笑混じりに促す。
「これで終わりか?」
「え、あ、いや……」
「おいで、光樹。もっと」
赤司は両足を浮かせると、膝頭で降旗の胴を挟み、くいっと自分のほうへ引き寄せた。降旗はこくんと首を縦に振ると、彼の脚を支えた。ゆっくりと慎重に腰を進める。やっと一センチ程度深くなったかというところで、両者から吐息とともに声が漏れる。
「んっ……」
「あ、あっ……だ、大丈夫、征くん?」
「ああ。きみが入ってきているのがわかる」
「う、うん……俺、征くんのなかに、いるね……」
そう言葉にすると、降旗はぽわっと胸に温かさ染みるのを感じた。それはきっと幸福感だ。赤司に抱かれて、彼が自分のなかにいると知覚するときに得るのと同質の感情。自分が彼のなかにあるときもやはり同じものを感じるらしい。ということは、彼も自分を抱くときにこんな幸福感を感じてくれているということだろうか。そう考えると、降旗は一層幸せな気持ちになった。セックスまっただ中だというのに、呑気で平和なぽわぽわが胸の中に次々と咲くのがちょっとおかしかった。
赤司の呼吸に合わせながら、ゆっくりと自身を埋めていく。陰茎の半分ほどが隠れたところで、ふいに苦しげな声が上がった。
「うっ……あっ……」
見やれば、彼が奥歯を強く噛み締めながら眉間に皺を寄せ、固く目を瞑っていた。目尻がかすかに濡れており、肩で息をしている。はじめて目の当たりにする彼の姿に降旗が途端に声を上擦らせる。
「せ、せいくん!? ご、ごめん、痛かった!? や、やっぱやめるね!」
慌てて腰を退こうとするが、
「うろたえるな。大丈夫だ」
赤司が左脚を持ち上げ降旗の腰に回してとらえた。降旗は後退するのはやめたものの、困惑を全面に浮かべ、どうすればいいのかと視線をさまよわせる。
「で、でも……」
「きみだって、僕が途中で退こうとすると喚くだろう」
「そ、それは……」
――やだぁっ! 行っちゃだめ……。
――苦しいんだろう? 無理はするな。
――やー、だめ……。
――光樹。
――ごめん……気を遣ってくれてるのわかるよ。でも、せ、征くんに……最後までしてほしくて。
最近はあまりないが、挿入に慣れない頃は頻繁に、侵入の感覚に惑乱し、恐慌状態とまではいかないが、拒絶に近い反応が出てしまうことがあった。降旗の反応にブレーキを掛けられるのか、赤司はすぐに中断を申し出た。しかし降旗の行動はなかば反射的なもので、やめてほしいなどと思っているわけではないので、そのあたりについて赤司を説得するのは多少骨が折れた。苦しがっても最後まで来てという降旗と、苦痛を与えるのは嫌だという赤司の意見は当然対立した。この点では降旗は彼にしては珍しく粘り、やはり駄目だという赤司の主張が通る機会と、どうしても征くんがほしいと泣き落としに掛かる降旗の努力が実る機会は、五分五分というところだった。なお後者の場合、赤司は煽られてくらくらになっており、そんな彼の状態に降旗のほうもまた触発され、ふたり揃って酒も飲んでいないのに酩酊状態で求め合うことになる。
苦しそうな顔だからといってそこでやめてしまうのが相手への最善の思いやりでないことは降旗も身に沁みている。だから、退こうとする自分を制止する赤司の気持ちもわかる。それと同時に、自分が少しでも痛がったり苦しがったりすると止まってしまう彼の気持ちもいまなら理解できる気がした。つらそうな顔されたら気がひけちゃうよ……。
「征くん、あの……」
「大丈夫だから続けてほしい。しかし、さすがにちょっと苦しいのも事実だな……」
「痛い……?」
降旗がおずおずと聞くと、赤司は数秒の逡巡のあと、首を横に振った。嘘をつこうとしてというより、単純に、現状を表現する言葉を選ぶのに迷ったといった印象だ。
「痛みとは違うな。とにかくキツイというのがいまの感想だ。圧迫感が強すぎて、痛いのかどうかよくわからない」
「それは、わかる、かも……」
確かに、痛覚そのものというよりは、内部を満たす質量から与えられる圧迫感のほうに意識がいく。これは、回数を重ねたいまでも同じだ。ただ、その圧迫がひたすら苦しかった時期は過ぎ、いまは自分のなかが彼で満たされているという思いに幸せを感じるようになっている。それを思い出すにつけ、こうして彼のなかに自分を埋めている状況下でさえ、挿れてほしいな、なんて望んでしまう。
「ええと……ど、どうしよ……? こ、こっち触ろうか? ちょっとは紛れるかも」
降旗は彼の性器に手を伸ばした。陰茎への刺激から得られる快感は拾いやすい。実際、自分が挿入されているときに性器を触ってもらうと気持ちがよかった。降旗が陰茎を軽く握りかけたとき、赤司がその手首を掴んでやんわりと制止した。
「いや、いい。せっかくきみに挿れてもらっているのだから、いましばらく、この感覚を味わうのが礼儀だろう。こっちはまたあとで頼む」
「せ、征くんかっこいい……」
キュンという擬音が本当に聞こえた気がした。
「少し、そのまま止まってくれ。感覚に慣れれば多少はましになるだろう。……ふふ、きみのことを揶揄できないな。緊張で体が固くなっているのが自分でもわかる」
赤司は片腕を降旗の肩に残したまま、残る手足をだらんと脱力させ、ゆっくりと息を吐いた。深呼吸ではあるのだが、漏れる息はねっとりと熱い。うわ、色っぽい。降旗の背筋を悪寒に似た何かが上っていく。早く完全につながりたいという衝動がわずかに脳裏を掠めた。しかし、その衝動に身を任せられるような度胸はない。それに、彼がいつもやってくれるみたいに、ゆっくり丁寧に優しくつながりたいという思いのほうが強かった。
「む、無理しないでね……? 俺も最初は、最初は……」
と、例によって赤司とのセックスを思い返そうとした降旗だったが、
「あれ、どうだっけ?」
十秒ほどで首を傾げる結果となった。なぜか記憶が引き出せない。別に忘れているという感覚はない。非常にもどかしい思いと時間を経た末、ようやく彼と本当の意味でセックスするに至れたときの、あの何ものにも替えがたい幸福感はいまでも鮮明に心に残っている。思い出すだけでうっとりしそうだ。しかし、具体的にどんなことがあったのかと回想しようとしてもうまくいかない。出来事が存在したこと自体の記憶に確信はあるし、そこで味わった得も言われぬ幸せが圧倒的なので、詳細が出てこないからといって慌てることはないのだが、なんで思い出せないのだろうと不思議に感じる。
――せいくんありがとう。おれすっごいしあわせ。やっとせいくんとセックスできたんだなあ……。ふふふー。おれずっと、せいくんにだいてほしかったんだぁ……。
行為のあと、幸せいっぱいでかつてない上機嫌の中、舌っ足らずにそんなようなことを言ったのを覚えている。つまり意識がなくなったわけではない。それなのに、なぜ?
「覚えてないのか?」
目をぱちくりさせる赤司の顔に責めるような色はないが、降旗はなんとなくばつの悪い思いでうなだれた。
「ご、ごめん……」
「まあ、半分以上正気を失っていたから、記憶が飛んでいても不思議ではないか」
「え……俺、何やったの?」
呆れ気味に苦笑を漏らす赤司のどこか楽しそうな表情に不安を駆られる。赤司はたっぷり含みのある間を取ったあと、この場に似合わぬ神妙な面持ちで思わせぶりに言った。
「光樹……世の中には知らないほうが幸せなこともあるものだ」
「え……なにそれこわい」
いったい何があったというのか。自分は何かしてしまったのだろうか。自分ではすごくいい思い出のつもりなのに、赤司にとっては違ったのだろうか。
心配になりながら上目遣いに彼をうかがうと、機嫌よさげにふふっと笑みを返された。少なくとも悪い思い出として残っているわけではなさそうだ。
「もうちょっと奥まで進めるか?」
「え。だ、大丈夫?」
「いまので幾分力が抜けた気がする」
「苦しかったら言ってね?」
「ああ。……きみも、ここから先は苦しいかもしれないが」
「え?」
「痛かったら言うんだぞ?」
くい、と赤司が脚を降旗の胴に絡ませ、来いとばかりに誘う。
赤司の忠告の意味は、それから程なくして降旗の理解するところとなった。
「ふぁっ、あっ、あっ……」
「うっ……あぁっ……」
「き、きつ、い……」
思わずそんな言葉を漏らしたのは降旗のほうだ。あと少しで全部収まるというところだが、その少しが途方もない難題として立ちはだかっていた。
きつい。これはきつい。ハードという意味もあるが、まず第一に頭に浮かぶのは、窮屈というほうの意味だ。生体本来の機能が想定していない方向に力を加えているのだから当たり前なのだが、内部の狭さは想像以上にきつく感じられた。
お、女の子と全然違う……!
比較対象に出すのはどちらに対しても失礼かなと思いつつも、最初の感想はそれだった。いや、女性経験そんなに多くないし、元カノと別れて以来女の子とする機会があるはずもなく、どんな感じだったのか記憶が薄れかけてはいるけれど……。
そりゃあ、よく考えるまでもなく、場所が違うんだから、感覚が違うのは当然なんだろう。挿入という行為自体は同じだから似たような感覚なのかと勝手に想像していたけど、別物だった。そうか、こんな感じだったんだ……。征くんってセックスのときこんな感覚を受けているんだ。彼のなかに入れたことや、そこで受ける身体的な刺激よりも、普段のセックスで彼が感じているものを知ることができたという事実に感慨を覚える。共有できたようで、ちょっと嬉しいかもしれない。
ああ、でもなんかすっごい久しぶりに、そういえば俺男だったんだなー、とかしみじみしちゃったよ。いや、別に女の子のつもりだったとか女の子になりたいなんて全然思ってないんだけど。こう、本来はこっちのが自然なんだよなー、といまさらのように思っちゃったよ……。そっかー、俺挿れるほうもできたんだよなあ……。すっかり失念してた。なんでだろ。
妙な感慨に耽る降旗だったが、そんな考えが生じる時点で自分が結構戻れないところまで来ているということには気づかなかった。彼は自身を包む締め付けの強さに苦しさの中にも強い快感が走るのを感じる一方で、でもやっぱり後ろのほうが好きかも、あっちのが気持ちいいかも……なんて無意識のうちに思ってしまっているのだった。
「あっ……うっ……はっ、あ、ん……き、きつ……」
これ以上は無理だと本気で感じ、降旗は苦しさに片目を瞑りながら赤司を見た。当然ながら彼もまた苦しさに喘いでいる。
「うぁっ……あっ、あっ、あぁっ……」
「せ、せいくん……」
「うぅっ……あ……んっ、んぁ……」
なるべく深く呼吸をしようとしているようだが、断続的に短い呻きが漏れている。右手に握られたシーツの皺の深さが彼の苦痛を物語っているようだった。どうしても浅くなりがちな呼吸の中、顎を上げて酸素を求め、それに連動して胸郭や腹筋がうごめく。気道の動きに合わせて喉仏が上下していた。彼の目から涙が流れているのを見るのははじめてだった。泣いているわけではなく、身体的な苦痛に対する反応として涙がこぼれているだけだということは理解できるが、その希少すぎる光景に降旗は陶然となった。男の人の泣き顔がこんなにきれいだなんて。
苦しさも忘れてぼうっとする降旗の様子をどうとらえたのか、赤司が左手を伸ばし彼の頬に添えた。
「はあっ、はあっ……う、こ、光樹……痛いのか?」
「え、あ、あの……。ご、ごめん……征くんのほうが大変だよね。俺下手だから……」
「どっちもどっちだろう、これは。お互いこっちははじめてなんだ」
「あの……痛い?」
完全に動きは止まっているが、赤司はなおも苦しげだ。しかし彼はふるふると頭を横に振った。
「相変わらず圧迫感と異物感が大きくて、それで苦しく感じるといったところだ。痛いかと言われると……痛みそのものではない気がする」
彼は降旗から手を離すと、指の背で自身の流した涙を拭った。まるで汗を拭くように、淡々と。涙をこぼしたことを恥じる様子は見せない。生理的な反応として割り切っているのだろう。あるいは、泣くのも涙を流すのも散々経験してきた降旗に余計な羞恥を与えないためかもしれない。ここで赤司が恥ずかしがれば、普段の降旗の反応もまた恥ずかしいことだと言っているようなものになる。
「きみは大丈夫か。そっちはそっちで苦しいと思うのだが」
「う、うん……。なんかきみのすごさを改めて実感した気がする。抱くのって大変なんだね……ごめんね征くん、いままでやってもらってばかりで。俺、征くんに甘えて楽させてもらってたんだなあ……」
降旗はマグロというわけではまったくないが、主導権は潔いまでに赤司に丸投げだ(現にいまもそうである)。自分が受け身がちあることは自覚しており、びびりですぐに緊張する自分に気を配り何かと心配を見せる赤司は、きっとすごく忙しいのだろうなと想像はしていた。実際役を入れ替えた現状では、初体験ということもあるが、彼の積極的なリードと協力があってもなお、めまぐるしいと感じてしまう。それを考慮すると、基本的に指示待ちの自分を抱く彼の苦労やいかに……と申し訳なさと感謝の念を抱かずにはいられない。
「光樹、何も泣かなくてもいいだろう。それとも痛いのか?」
「征くん、俺抱くとき、痛かった? 我慢してた? ごめんね、ごめんね……うえぇぇぇぇぇ……」
「光樹……」
ちょっとばかりスイッチが入ってしまった降旗は、赤司の体の上でめそめそと泣きだした。ぱたぱたと涙の粒が宙を落下し、彼の胸部を雨だれのように打つ。一分ほど手で顔を覆っていた降旗だったが、やがて手の甲でごしごしと目元を拭うと、へらっとした笑みで彼を見下ろした。
「征くんごめんね、でも、ありがとうね。俺、征くんが抱いてくれてること、嬉しいよ」
「まったく、どっちが抱かれているのかわかったものではないな」
赤司は片腕をマットについて上体を起こした。内部の深さはそのままに角度が変わり、その感覚にふたりして吐息だか呻きだかわからない小さな声を漏らした。不自由な体勢だが、赤司は降旗の後頭部に手を置きこちらへ近づくように指示すると、泣き濡れた顔にぺろぺろと舌を這わせた。動物が子供の毛づくろいをしてやるように。降旗は目を閉じ、気持ちよさげに彼の舌を受け止めた。しょっぱかった、ともっともな感想を漏らしながら赤司が離れる。間近で見たその秀麗な面立ちに自分と同じように涙の軌跡が光っているのがはっきりとわかった。降旗は舌を突き出すと、彼の目尻を控えめに舐めた。ほんとだしょっぱい。へへっと笑ってみせる降旗に彼は微笑ましげに目を細めた。と、そのまますっと目を閉じる。キスでも期待しているかのように。降旗はもう一度顔を近づけると、まだ彼の頬に残る塩分の跡をちろちろと舐めはじめた。赤司は降旗の肩に腕を回すと、彼ごとゆっくりとマットの上に倒れていった。