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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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赤司くんとオオカミ降旗 7

 移動先はゆうべも使わせてもらった和室で、風呂上がりに彼が準備したのか、すでに布団が二組畳の上に敷かれていた。床の間の壁際には、昨日から置きっぱなしにさせてもらっている俺のキャリーバッグと、その隣に水の入ったステンレスの容器。部屋の前の廊下にはペット用のトイレ。今朝一旦片付けたのだが、再度設置してくれたらしい。いたれりつくせりで恐縮だ。でも、今夜もトイレを使う必要がありませんように。もちろん使用した場合は変身が解けたあと自分で始末するつもりだが、他人に見られたらやっぱり恥ずかしい。ていうか死ぬほど恥ずかしい。催さないよう飲食のタイミングには気をつけているから大丈夫だと思うけど。
 寝室に入ると、右側の布団の上に座るよう赤司がジェスチャーで指示した。俺は素直に従い掛け布団の上に一歩踏み入ると、足側半分ほどのスペースを使うようにして、膝を折って正座をした。彼は布団の枕側に、俺と向かい合うかたちで腰を下ろした。そして膝に体重を掛けるようにして前方にやや屈むと、すでにファスナーの下ろされている俺のジャージの合わせの左右をそれぞれの手で掴むと、まずは右手をゆるりと動かし、長袖のTシャツに包まれた俺の左肩をあらわにした。続いて右側も落とされる。軽く曲げられた肘に布が引っかかり背側でたわんでいる。
「左腕、ちょっと上げて」
「は……はい」
 言われた通り、俺は左腕をそろりと持ち上げた。脱ぎかけの上着に腕を引っ張られている感覚が落ち着かず、つい自力で腕を袖から引っこ抜こうと動きかけたが、彼の手が俺の左肘あたりを掴んで制した。無言で見つめてくる。「僕が脱がせると言っただろう?」印象的な双眸が、子供に言い聞かせるみたいに優しげに、けれどもどこか逆らえない強さでもって語りかけてくる。俺はびくんと肩を小さく跳ねさせたあと、言葉もなくかすかにうなずくと、腕を動かすのをやめた。上着の内側に彼の左手が侵入し、脇に親指を差し入れるようにして二の腕を押さえた。けっして強い力ではないが、布越しにはっきりと他人から加えられる圧力を感じ、緊張が背を走る。
「もっと楽にしていろ。これじゃ腕が抜けない」
「ご、ごめん」
 腕を動かさないようにと意識するあまり力が入りすぎてしまい、逆に彼の動きを妨げていたようだ。しかし、楽にしていろと言われてできるような状況でもないような。彼との接触にびびりすぎないようにするための訓練の一環なのかもしれないが、彼に対して恐怖感を抱いていない人間にしたって、この状況の異様さには緊張するのではないだろうか。赤司に服を脱がされるとか……。
 力を抜け、力を抜け、力を抜け。目を閉じてひたすらそう念じることに意識が向いている間に、彼はうまいこと俺の左腕を上着の袖から抜いてくれた。片方が脱げてしまえば、反対側の腕は簡単だ。上着が脱げると、次はTシャツ。プルオーバーなので、脱ぐには着ているほうの協力も必要だ。その下の半袖のインナーもまとめて脱ぐことになった。他人に脱衣を手伝ってもらうなんて子供のとき以来……と思ったが、そうでもなかった。部活をはじめたばかりのころとか、合宿の二日目とか、酷使した肉体が金切り声と軋みを上げ、衣服の着脱にも苦労するほどの筋肉痛に見舞われ、仲間同士脱いだり着たりを手伝ったものだ。手伝うほうも大なり小なり筋肉痛なので、お互い痛い痛いと悲鳴を上げつつ苦笑いしていた。そう考えると、いまのこの状況はその亜流みたいなもので、そこまで特殊ではないのかもしれない。……いや、やっぱりおかしいだろう、自力で脱げる状態なのに他人に介助してもらうのは。いっそ本当に体が痛ければ仕方ないと割りきれただろうが。
 シャツとインナーが無事首と腕から抜けたところでほっと息を吐くが、露出した上半身に外気が触れ、寒いわけでもないのにぞくりとした。少し鳥肌が立ったのだろう、まるめたシャツを片手に彼が眉をしかめる。
「何をそんなに緊張している。毛皮の話が怖かったのか?」
「い、いや……そういうわけじゃ……」
 だったらどういうわけなのかについて説明できる気がせず、俺はしどろもどろになった。しかし彼は追及せず、Tシャツからインナーを分離し簡単に畳んで枕元に置いていた。と、彼の手が俺の頭に置かれた。
「とりあえず上は脱げたな」
 よしよしと撫でられる。ええと……褒めてくれてるのかこれ? 正の行動に報酬を与える感じ? え? 犬の躾? トイレに関連して俺が食事制限していなかったら、それこそ一行動ごとに食べ物くれていたのではないだろうか。
 もしかして赤司、俺のことを狼に変身する人間ではなくて、人間に変身する狼……に似た犬だと思ってるんじゃ? 俺への態度はけっして威圧的ではなく、むしろ第一印象からはおよそつながらないくらい優しく感じることさえあるのだが、その優しさがなんというか、小学校の動物委員会でウサギの世話をしている女の子の慈愛のような。あるいはもっと普遍的には、生き物を大事にしよう的な。俺、本体は狼じゃなくて人間なんだけどな――胸中でそう主張しつつ、しかし俺は赤司の態度を侮辱だとはとらえなかった。彼の感情や思考なんて俺には想像の及ばない世界だが、彼が真剣であることは伝わってくるのだ。方向性はともあれ、彼は俺のために行動してくれている。その尽くしてもらっている感に恐縮こそすれ、文句なんて言えるものか。
「次はズボンだ。一度膝立ちになろうか」
 促されるまま、俺はその場で膝をついて尻を持ち上げた。ウエストの内側に指が差し込まれ、ゴムがわずかに引っ張られながら下へ下へとスウェット生地が滑っていく。太腿の上半分が露出したところで、今度は布団に尻をついて座るよう指示される。そして脚を浮かされ、円筒状の布から一本ずつ引き抜かれていった。これで残すはボクサーブリーフ一枚。さすがにこの先はないよな、と勝手に判断し一息入れたところで、
「よし、次で最後だな。もう一度膝立ちになれ」
「えっ」
 まさかの続行の意思表明。膝立ちになれってことは、ズボンと同じ要領で脱がすってことだよな。ってことは……ちんこ堂々とさらけ出せと!?
「パ、パンツも脱がすの?」
 あからさまに狼狽して声を上擦らせる俺とは対照的に、彼は俺が驚いているのを不思議がるようにきょとんとしながら首を軽く横に傾けた。
「全裸のほうが都合がいいのだろう?」
「そうだけど……は、恥ずかしい」
 婉曲にお断りの意志を伝えてみるものの、
「昨日散々見たから気にならない」
 彼はまったくの真顔だった。しかし、さすがの俺もここは全面的に従順とはいかない。
「お、俺は気になるよ」
 あくまで遠まわしに抵抗を試みる。と、彼は困ったようにふっと息を吐いたかと思うと、おもむろに俺の肩に手を置いた。ぐら、と重心が傾く深部感覚が生じる。視界があっという間に入れ替わる。驚くくらい衝撃がなかったが、正面を見ていたはずの目線の延長線上に天井の木目があったので、自分が仰向けになったことが理解できた。すっと視界に影が差す。人影。どういう技術を用いたのか、ほとんど音も衝撃も感じさせず俺を布団に倒した赤司が、左腕を俺の顔の横につき、なかば覆いかぶさるようなかっこうでこちらを見下ろしていた。
「え……あ、あか、し……?」
「見られていると恥ずかしいということだろう?」
 困惑する俺に彼がなんでもないことのように問う。もっとも、その実質は疑問ではなく断定的な言い聞かせだったが。
 いや、見る見られる以前に、脱がされることがそもそも気まずいというか変な感じがするというか。俺は目をぱちぱちさせながら、そういう問題じゃないんですがと訴えるが、彼は俺の視線に取り合うことなく、布団についた左腕をそのまま支えにして上体を後ろへひねった。右腕を後方へ伸ばしているらしい。何か掴もうとしているのか? 俺は別段体を痛めたりしていないし押さえられてもいなかったが、何がなんだかわからず、動けないでいた。と、腹や太腿に軽く何かが掠める気配。顎を引いて視線を下げると、へそから下に布が掛けられていた。
「三秒くらいでいいから腰を浮かせ。ちょっとで構わない」
 この状態で? 一瞬戸惑ったがものの、彼の言葉はある種魔力的な作用があるのか、俺は両肘を布団につき、肩と両の足の裏で体重を支えるようにしてわずかに腰を持ち上げた。腰や尻の皮膚を乾いた柔らかいものが滑っていく感触。
「よし。今度は脚を上げて。膝は曲げたままでいい」
 命令というよりはこれから行う動作の事前説明だったようで、彼は俺が自発的に脚を上げるよりも先に俺の膝を揃えて抱えた。それに伴い腰から下が浮き上がる。自分の意志によらない力の加わり方と不安定さに惑っていると、太腿そして下腿へと布が肌の上を這って移動していくのがわかった。ちょっ……パンツ下ろされてる! この段になってようやく事態を把握し、俺は驚きに身を捩らせた。目線は自分の下半身だが、腹から下、抱えられている脚を含め、布がかぶせられており、視覚では状況を確かめられない。自分の体なので、どのような体勢なのかはもちろん把握できるけれど。
 確かにこれなら俺からも彼からも、大事なところは見えないだろう。見えないけど、見えないけどさ……!
 寝かされてパンツ下ろされるよりは、ズボンと同じやり方で脱がせてもらったほうが恥ずかしくなかったかもしれない。完全にあとの祭りだったけれど。
「終わった」
 合図とともに彼が手を差し出してくる。起き上がれという意味らしい。俺はなかば反射のように彼の手を掴むと、引っ張られながら上半身を起こした。布団の上に座り込む格好になると、腰回りがひどく心もとない感じがした。薄い布一枚とはいえ下着の包容力は偉大なのだ。結局全部脱がされちゃった……。改めて羞恥心が湧き上がる一方で、ミッション終了的な安堵感もちょっとだけだが到来した。ほっと息を吐き、解放された心地でようやくのことほっと息を吐く。と、自分の腰から下に掛けられている布の色にそこではじめて気づく。渋い濃紺。かすかなグラデーションのような斑。慣れない手触りは麻混じりだろうか。広々とした布は一見ただの掛け物のようだが、
「あ……浴衣」
 手にとって見ると、布の端に特有の厚い構造と縫製があり、それが浴衣の衣紋や合わせ衿の部分であることがわかった。ひょっとして、と思いながら視線を上げて灯を見る。彼もまた同じ紺色の上質そうな浴衣を着ている。
「和服は裁断が単純だから、洋服よりは体に掛けやすいだろう。袖が広いから、腕を通しておいたとしても抜きやすい」
「借りていいの?」
「ああ。暖房を効かせてあるとはいえ、さすがに人間の姿で全裸は寒いだろう」
「ありがとう」
 俺はありがたく彼と揃いの就寝用の浴衣を借りると、ゆうべ一度変身が解けたときにジャージを借りたようなかたちで肩から羽織った。ジャージのジャケットに比べると格段に布の面積が広く長いので、腰まできっちり隠れてくれる。ノーパンの心理的な冷っこさは消せないが、とりあえず一見しての裸っぽさがなくなりほっとする。そうか、浴衣なら帯さえ結んでおかなければささっと脱げるよな。頭いいなー、と彼の発想と配慮に感心する。変身体質十六年の俺がなぜこのことにいままで気づかなかったかというと、「いつ変身するかわからないけどそのうち確実に変身するだろうから裸になって待ち構える」という現状が例外的な事態だからだ。一瞬、帰ったらお父さんに教えてあげよう、なんて考えてしまったが、父親は変身コントロールに問題を抱えていないのでこのような知恵は不要だろう。まあそれ以前に、人んちに泊まって服脱がせてもらったというわけのわからないシチュエーションを混乱や誤解なく第三者に伝えられる説明力が自分にあるとは思えないから、話しようがないのだが。
「羽織もあるが、掛けるだけならこちらのほうがいいか」
 と、彼はきれいに畳まれた羽織の下から別の繊維の塊を取り出して俺の前に軽く放った。
「ゆうべの毛布? また借りていいの?」
「ああ、構わない」
 渡されたのは、昨夜洋室で変身した俺に赤司が持ってきてくれた子供用のブランケットだ。赤司が乳幼児の頃に使っていたという、ある意味とってもレアな品である。それを手にした俺が真っ先にとった行動は、においを嗅ぐことだった。もっとも、これについてはイヌ科の習性としてではなく、ひとつ気がかりなことがあったからだ。不定形に丸めた毛布に鼻先をうずめて呼気よりも吸気を鋭くしながらくんくんと尾行いっぱいににおいの粒子を取り入れる。当たり前だが狼に比べると人間の嗅覚の低さは桁違いなので明確なにおいは感じないが、防虫剤独特のやや刺激のある臭気に混じり、嗅ぎ慣れた動物臭を感知する。
「ごめん、においついちゃった。やっぱちょっと獣臭いや。洗えば落ちると思うけど……」
 毛布には、狼の自分の体臭がついていた。ゆうべ習性に負けて、ちょっとだが体を擦り付けにおいをつけるような行動をしてしまったから当然といえば当然だ。
「あ、洗って返すね」
「いや、いい。そのくらい自宅で洗えるし」
「でも……」
「洗って返すと言っても、どうする気なんだ。僕は普段京都だぞ。家の者に渡すにしても、事情の説明が面倒だ」
「あ……そ、そうか」
 衣類ならともかく、子供用毛布を借りたから洗って返すというのは、事情を知らない人間には不可解に映るだろう。長いこと使い道がなかったであろうこの毛布をいまになって洗濯するというのもそれはそれで不自然な気がするが、彼の所有物を彼が洗うならまだ説明をでっち上げようがある。少なくとも赤の他人が外部に持ちだしたという事実が発生するよりはずっと処理しやすい。とすると、この狼臭い毛布はこのまま彼に返却するのか……。申し訳ないのと同時に、ちょっと恥ずかしい。自分のにおいがついているとわかっているものを堂々と他人の手に渡すなんて。ヒトにとっては微々たるにおいなので、普通の人間には気にならないというか気づかないかもしれないが。心理的ににおいに敏感なのは俺が嗅覚優位の動物の感覚を知っているからだろうか。
「家では寝具等の扱いはどうしているんだ」
「狼のとき用の毛布とかちっちゃいカーペットとかあるから、それ使ってるんだ。もちろん定期的に洗うよ。暑い季節は冷感マットかな。一枚しかないから、変身の時期が重なった場合は父親と一緒に寝てる。いい年して何やってんだって感じだけど」
 へへ、と照れ笑いしながら答えたあと、俺は自宅で利用しているお勧めの洗剤や柔軟剤を説明した。家事は母親に頼り切りで俺はせいぜい家庭科の調理実習で習った程度の料理しかできないが、ペットの世話部門みたいな内容については洗濯を含めある程度行うことができる。ペットの世話も何も自分の生活のための行動なのだから、覚えて当たり前なのだけれど。彼は床の間の小さな木製のラックから筆記用具を取り出し、律儀にも俺の伝えた内容をメモに取った。
 洗濯の話が一段落したところでなんとはなしに目線を落とすと、借りた毛布の柄がふと視界に入った。太い黒のラインが何かの輪郭を描いており、内側の境界線を堺に白とオレンジに配色が分かれている。これはもしかして、と思い毛布を広げてみると、そこには極限までシンプルな線によって表された有名なキャラクターが、無表情以外に説明しようのない無機的な顔でこちらを見つめていた。ゆうべ貸してもらったときは狼の状態だったこともあり、柄や色には関心がいかず、毛布に描かれたキャラクターに気づいていなかった。
「あ、この毛布、ミッフィーだったんだ」
 ブルーナの絵本の主人公ミッフィーが、毛布の中央やや下で、赤に近いオレンジ色のワンピースを着て、黄色の風船を持っている。ハイライトのない楕円の瞳とバツの記号みたいな口は、単純なのにひと目で彼女とわかる。いや、このシリーズの登場人物はミッフィーくらいしかまともにわからないので、この兎が実はミッフィーの身内か同族の誰かだという可能性もあるが、幼児用グッズのイラストに選ばれるくらいだから、多分素直にミッフィー本人でいいと思う。あの文字のない絵本、昔うちにもあったなあ、いまどうしちゃったんだろう。捨てちゃった? お母さんのことだから、思い出にとってあるかな。表情がないのにかわいらしい兎のイラストに、懐かしい暖かさを喚起される。毛布にはミッフィーのほか、どこかで見たような気のする幾何学的な印象の黄色い鳥と、垂れ耳の茶色い犬がいた。
「わあ、懐かしい。かわいい。へえ……」
「どうした」
 感慨深気な声を漏らす俺に、赤司が目をしばたたかせた。ミッフィーの何にそんなに心を揺すられているんだ? というように。
「いや……赤司くんもこういうの使ってたんだと思うと、不思議で」
 ミッフィーは小さな子供向けの絵本のキャラクターなのだから、赤ちゃんだった彼に親や親族がこのような毛布を与えるのはおかしなことではない。しかし、彼がミッフィー毛布を使っていたという過去の事実がどうにも想像できないのだ。この毛布にくるまれて、ちっちゃな赤司がお昼寝とかしてたということか……うん、無理だ、俺の貧困な想像力が即刻白旗を揚げている。そもそも彼の乳幼児期を想像することからして不可能だ。最初からこのくらいの姿で発生しました、みたいな突拍子のないSF設定のほうが納得が行く気さえする。狼人間があり得るなら、最初から成体の生命体があってもよさそうじゃないか? しかし一方で、顔のつくりのよい彼のことだから、子供の頃もきっとかわいかったのだろうなとも思う。そうだとすると、この兎の女の子の毛布も似合っていたのかも? いや、やっぱり想像できない。ミッフィーと赤司ってどんなコラボだよ。
 想像を絶するあまり、ほえぇぇぇ、と変な声を漏らす俺に赤司がちょっと眉をしかめる。
「子供というか乳幼児用なんだから、たいていのデザインはかわいいだろう」
 もしかして、かわいい毛布を使っていたと指摘されるのが嫌なのだろうか。男子はかわいいという言葉を喜ばないもんな。いや、かわいいのは兎のほうなんだけど。
「まあそうだよね。うちもブルーナ関連のタオルケットとかあった気がする。何枚も噛んで穴開けちゃったなあ」
 ミッフィーだけでなくいろいろなキャラクターや子供向けのデフォルメされたイラストの用品があったけれど、その多くは子狼という破壊神の犠牲になった。俺はけっして乱暴な子供ではなかったが、変身中はいろいろなものを噛んでは穴を開けていた。もちろんじゃれているだけであって、凶暴性の発露ではないのだが、ある種の子犬のやんちゃっぷりを思い起こしてもらえば、その被害のほどはある程度想像できるのではないだろうか。
「噛むのか?」
「あ、子供の頃だよ。子狼。子犬と一緒で、何かとガジガジ噛んじゃうんだ。布類だけじゃなく、家具も容赦なく噛んでたなあ。あ、いまはもうやらないから大丈夫だよ」
「子供といえど、狼の顎の力なら被害も大きかったのでは?」
「らしいよ。いまだに親に言われる、最近は噛まなくなったなあって」
 いまはもう落ち着いてるから、この毛布に穴を開けるようなことはないよ、安心して。幼少時の思い出を語るときにつきまとう特有の面映さを紛らわすようにそう告げる。と、毛布に触れていた指先がふと微妙に異なる感触をとらえ、手を浮かした。手の下には茶色の犬のイラスト。ミッフィーや名前のわからない鳥に比べ、犬の部分の手触りは柔らかさがなく、また背景は全面同じだろうに、その周囲だけ褪色しているように見えた。
「……なんか、犬のとこだけ繊維が薄いというか禿げてる?」
 十年以上も前の毛布なのだから、繊維の傷みがあるのはおかしなことではないのだが、部分的に集中しているのが解せない。俺が首を傾げていると、赤司が犬のイラストに指を這わせながら説明をくれた。
「ああ、これか。自分ではよく覚えていないんだが、僕はその毛布のスナッフィーがお気に入りだったらしい。いつもその部分を掴んでは撫でたり顔を擦りつけたりしたせいで、そこだけ禿げてしまったそうだ」
「え……」
 思わず目をぱちくりさせた。だってあの赤司がそんな行動をしていたなんて。毛布の絵を撫でたり顔を擦りつけたり? 確かにちっちゃい子はそういうことするけど……赤司が? あの赤司がそんなことをしていたというのか?
「死ぬほど意外ですって顔に書いてあるぞ、降旗くん」
 こちらの胸中を読んだかのように彼が指摘する。いや、読むも何も思い切り表情に出ていたということだが。素直すぎる自分の表情筋に舌打ちすると、俺はどもりながら取り繕うように尋ねた。
「え、あ、あー……ええと……。こ、この犬、スナッフィー? っていうんだ? そんなに好きだったの?」
 この垂れ耳の犬は見覚えがあるが、名前がついているとは知らなかった。まあ、関心を惹かれたのは犬の名前ではなく、もっぱら赤司がこの犬を気に入っていたという事実なのだが。
「キャラクターそのものが好きだったというより、その毛布にプリントされたその茶色い犬が好きだったんだ。だからほかのブランケットやグッズのスナッフィーにはあまり反応しなかったらしい。ライナスの毛布というやつだな」
「ライナ……?」
 またはじめて聞く名前が出てきた。黄色い鳥の名前……ではなさそうな感じだけど。
「移行対象のことだ。発達心理学の用語だから聞き慣れないかもしれないが、内容を聞けばなんとなく想像できると思う」
 うお、なんか難しい話? 発達心理学ってなんだよ。高校生の知識として必要なものじゃないよな? 唐突に出された学術的な話に俺が疑問符を飛ばしていると、彼が説明をはじめた。
「小さい子供が母親との分離不安などから来るストレスをやり過ごすため、特定の毛布やぬいぐるみみたいなものに強い愛着を見せる現象があり、その愛着の対象のことを移行対象と呼ぶ。病的な執着ではなく、幼児の成長過程でよく見られる現象だそうだ。きみも親御さんに聞いたらそういうエピソード、出てくるかもしれないぞ。ライナスの毛布という呼び方は、『ピーナッツ』のキャラクターから来ている」
「ピーナッツ?」
 キャラクターと言っているくらいだから、食べ物の落花生を指しているわけではなさそうだというのはわかるが、それ以上は推測が立たない。
「スヌーピーが出てくる漫画だ」
「ああ、あれかー。スヌーピーって言われないとピンと来ないや。あのビーグル有名すぎ」
 スヌーピーは独立してスヌーピーというキャラクターだと思っていたが、そう言われてみれば、朝食シリアルのパッケージでウッドストック以外にも人間のキャラクターと一緒に描かれているのを見たことがあるような気がしないでもない。かなりうろ覚えだけれど。
「正直なところ僕も『ピーナッツ』の内容はあまり知らないのだが、ライナスというキャラクターがいつも毛布を持っているところから、ライナスの毛布という呼び方が出てきたらしい。安心毛布といったほうがわかりやすいか」
 日本人には馴染みのないキャラクター名に戸惑いはしたが、彼の説明の内容そのものはわかりやすいものだった。子供がすごく愛着を示すモノか……確かに聞いたことがあるような。俺も覚えていないだけでそういうお気に入りの毛布とか何かがあったのだろうか。
「じゃあ、ちっちゃいきみは、このスナッフィーがお気に入りだったんだ」
「らしい。洗濯なんかで取り上げられると、毛布を恋しがって泣いたそうだ」
「えっ……なんか想像できないや」
 毛布取り上げられて泣いちゃってたの? このひとが?
「乳幼児なんだからそういう行動も取るだろう」
「そりゃそうだろうけど……」
 想像を超えるにもほどがあるんですけど。……でも、彼にもそんな時期があったかと思うとなんだかとっても微笑ましい気持ちになる。と同時に、時の流れは残酷だと痛感せざるを得ない。何をどうしたらこんな高校生になってしまったのだろう。
「それにしても、この犬がメスだと知ったときはびっくりした」
「え!? 女の子なんだ!?」
 オスメス区別しようがないデザインだし性別なんて気にしていなかったが、ちゃんと設定されているのだということに驚く。
「子供が生まれた話を見たことがある。妊娠中から描かれていたから、メスという認識でいいのだろう」
 しかもお母さんなのか。
「意外な知識を手に入れてしまった……」
 毛布に描かれた、繊維が潰れてちょっと汚くなってしまっているスナッフィーを、しかし俺はどこか暖かい気持ちで見つめた。傷んでいるということは、ぞんざいに扱われたのではなくその逆で、すごく大事にされたということなのだろう。そしてこの茶色の犬もまたちっちゃかった彼のそばにいてあげた存在なのだ。
「でも、そんなお気に入りの毛布、貸してくれちゃってよかったの?」
 話を聞いていたらやっぱり自分がつけてしまったにおいが気になり、俺はもう一度毛布に鼻を押し付けてくんくんと嗅いだ。赤司は肩をすくめながら、
「昔の話だ。いまとなっては、何がそんなに好きだったのか自分でも理解に苦しむ」
 やれやれと昔の自分に呆れるように答えたが、芝居じみた仕草と表情の中にあるまなざしは優しかったから、幼すぎて覚えていなくても、きっといい思い出として無意識の記憶の中に収められているのだろう。
 幼い彼にとって安心の品だった毛布の、茶色い犬の部分に改めて触れてみる。このシリーズのキャラクターに共通する無表情だったが、子供向けにデザインされたというだけあって、暖かくこちらを見つめてくれているような気がして、あ、確かにちょっと安心かも、と漠然と感じた。

 

 

 

 

 

 

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