ベッドで仰向けに寝そべる黒子は、自分の両頬を手で包みこみ、目を閉じすっかりご満悦の表情でうっそりと言った。
「はあ……すっごいよかったです」
火神にねっとりかわいがってもらっているうちに、いつの間にか衣服は全部滑り落ち、黒子はシーツに溶け込みそうな白い裸体を惜しげもなくさらしていた。火神は上下とも中途半端に脱げた状態で、黒子のほうに顔を向けて頬を付き、横向きに寝そべっていた。お互いに脱がすという約束をしていたので、火神は自分からは脱ぐのをやめていた。そして、興に乗った黒子が適当に火神の服の下に手を潜らせてまさぐった結果、いかにも途中経過であることがわかる服装ができあがったのである。
「そうか。満足してもらえたなら何よりだ」
「もう……先にあんまり満足させるのやめてくださいって言ってるじゃないですか。僕のほうが体力ないんですから」
頬を膨らましつつ、火神の腹筋を指先でつんつんとつつく黒子。火神は火神で、黒子の頬を人差し指で軽く弾いた。
「おまえのが体力使わないだろーが」
「そうですけど……疲れた状態で何回も、というのはしんどいんです」
「何回もって、いつもどおり二回だっただろ?」
火神の言い分に、黒子が眉をしかめる。
「はあ? とんでもない。すでに四回ですよ?」
ちゃんと僕を見ていてくれたんですか。別に本気で腹を立てたりはしないが、ある種の社交辞令として言外にそんなことを含ませる。火神は目をぱちくりさせた。
「え……そうなのか?」
あんなにあんあん言ったのに、本気で気づいていなかったんですか。黒子はため息をついた。
「まあ、男性と違ってわかりにくいですからね。回数的な限界があるわけでもないですし。……立て続けはつらいですが。しかし、なんかやけにしつこいと思ったら、気づいてなかったんですか……」
「二回はわかったぞ」
二という数字を表すために立てられた火神の人差し指と中指が、ピースサインのように見えてちょっとイラっと来る。
「ああ、そうですか……。まあ気持ちよかったからいいんですけど。ほんとすっごい疲れました」
「じゃあこのへんでやめとくか?」
「えっ」
あっさりと提案する火神に、黒子が一瞬失望で固まる。
「冗談だよ。でも、ちょっと休憩しような」
火神はすぐに笑いながら撤回すると、黒子の左側にごろりと寝転がった。自分の右腕を枕代わりにして横を向くと、ブランケットを引き上げた。黒子もまた火神のほうを向いた。淡く紅潮した頬と少し潤んで蕩けた瞳が扇情的で、視界に映すだけで体の奥の熱を煽られる。火神は黒子の腰に左手を回すと、緩く、けれどもねっとりと、汗が滲む肌の感触を楽しんだ。黒子はくすぐったそうに息を吐きながら、火神の脚に自分の両の脚を絡めた。
「火神くん、休憩はありがたいですけど……枯れちゃう前に挿れてくださいね?」
「ん」
火神は下腹部に手を移動させると、親指で陰核を潰しながら、すっかりぬかるんだ場所に中指を差し入れた。
「ぁん……」
もじり、と下半身を小さく動かす黒子だったが、火神を見上げる顔には不満がありありと浮かんでいる。
「んっ……違います、指のことじゃないです。それはもうたくさんです。さっきいっぱいいただいたので」
「まだ出るだろ。大丈夫だって」
「もう……休憩って言ったじゃないですか」
呆れた笑みを小さくこぼしつつ、黒子もまた下のほうに腕を伸ばし、火神に刺激を与えてやった。アルコールが薄くなってきたのか、散々黒子の体をいじり倒したことで盛り上がってきたのか、先刻の心配が杞憂だったと思える程度には反応してくれている。黒子は心のうちでほっと息をついた。
「んっ……。あ~……でも、結婚かあ……漠然と考えてはいたけど、いざ自分が、ってなるとなんか混乱してくるぜ。いや、もちろん嬉しいんだけど」
感慨深げに漏らす火神に、黒子がすかさず訂正を入れる。
「いえ、だから結婚を迫ってはいませんって。とりあえず子供についてですね」
「いや、結婚が先だろ」
「僕にこだわりはありません。火神くんはこちらで忙しい身ですし、あまり煩わせるのは僕の本意ではありません。ただ年に数えるくらいしか会えないので、このままだとどんどん期を逃していってしまうかと考えまして。結婚は所詮人間がつくり出した契約のひとつに過ぎません。極端な話、婚姻届を出すのはおじいちゃんおばあちゃんになってからでもできるんですから、生物的な限界の見える生殖を先に済ませるのが賢明ではないかと」
「け、賢明なのか、それは……?」
もっともな突っ込みを入れる火神だが、黒子は相変わらずわが道を突き進む弁を述べるばかりだ。
「とはいえ、火神くんにも体裁というものがありますからね、無理そうだったら僕がひとりで産みますよ。っていうか産むのはどのみち僕がひとりでがんばるわけですが」
「なお悪いじゃねえか。いや、シングルマザーを否定する気はないが、結婚に否定的見解や不都合のないカップルがわざわざ取る選択肢でもないだろ。その手の主義に生きてるわけでもないんだし。もともと結婚願望はあるんだし、そこで子供ができたなら、いよいよおまえと結婚しない理由が俺にはないんだぜ? なんであえて順番逆にするのを望むんだよおまえは。そんなに結婚したくないのか?」
「していただけるならもちろんしたいですよ。でも結婚は、法的には紙っぺらで可能ですが、実際は相応の時間がかかりますから。現状の僕らは超遠距離なのでなおさらです。それに、そろそろ両親の『孫の顔が見たい』攻撃がうざくなってくる頃なんですよ」
「……とりあえず挨拶に行くか?」
双方の親公認でつき合っているし、とりあえず交際相手として紹介済みなのだが、結婚を視野に入れている云々の話を直接したことはいまだない。そろそろその時期になったか、と火神は仕事のスケジュールを頭の中で思い起こした。……こいつが帰国するときに一緒についていけそうか?
思考活動が本能に根ざした行動を上回り、意図せず火神の手が止まる。黒子は彼の指を自分の体内からそろりと抜くと、ブランケットの内側で起き上がった。
「いえ、火神くん忙しいからいいです。それにうちの両親はそこそこ寛大なので、挨拶とか遅くても大丈夫ですよ。紹介自体はとっくにしているんですし。両親は僕の結婚より孫の顔のほうが優先順位が高いみたいで、今回アメリカに発つ前、母なんて『火神くんに種付けしてもらってから帰ってきなさい』とか言って排卵検査薬渡してきましたよ。期待に目をキラキラさせながら。わざわざ海外からネット注文で購入したそうです。父はさすが複雑そうでしたが」
「親父さんがまともそうでよかった……」
黒子の性格はきっと母親からの遺伝と養育なんだろうな――火神がしみじみしていると、
「まあそういうわけなので、火神くん」
知らぬ間に起き上がっていた黒子が、火神の頭の両側に手を付き、ずいっと顔を接近させてきた。
「な、なんだ?」
「子づくりしましょう」
「へ……?」
いまさら改めて言葉に出して誘われずとも、とっくにセックスの過程には入っているわけだが、ここでいう子づくりとは、つまり――
「慌てなくても、すでにこの状況ですから、今後の行動に少々の変更点を加えるだけで事足ります」
「ちょ、え、ま、待て……それって……」
火神はベッドの外に腕を伸ばした。目的の場所は、引き出し。が、黒子がその手首を掴む。
「喜んでください、避妊について何も気にせず存分にできるんですよ」
「ま、待て。そんないきなり……」
首を横に振る火神。黒子はじっと彼を見つめている。とてつもなく真剣なまなざしで。
「待てません。今夜お願いします」
「だからなんでそんな急に」
「チャンスだからです」
「は?」
黒子の言葉に火神は目をしばたたかせた。その間にも黒子は火神の体にまたがるように構え、困惑を隠せない彼を見下ろしながら説明した。
「今回の滞在は正味五日間の予定です。で、生理は月に一回。ということはその原因となる排卵も月に一回ということになります。ここ数か月基礎体温を測り続け、場合によってはピルを服用し生理のタイミングを調節していたんです。まあ、できればもうちょっとずらしたかったのが本音ですが……。でも、母から渡された餞別の品が役立ちました。孫の顔への執念は尋常ではないということでしょうか。……ここまで言えばわかりますね?」
保健体育の知識など曖昧にしか残っていないが、この状況と黒子の話を合わせれば、意味するところは火神でもわかった。
排卵日、すなわち――
「ええと……き、危険日……ってやつか?」
「一般的にはそう言うのかもしれません。しかしいまの僕にとっては盛りの日です。サカっています、火神くんに」
しゃべり方はいつものテンションなのだが、なぜか異様な迫力を感じる。火神は焦りながら黒子の二の腕を掴んだ。火神の手が大きいことと黒子の腕が細いことが重なり、親指と人差し指が余裕で出会う。力任せに引き剥がすことはたやすいが、簡単に吹っ飛ばせるだけの歴然とした筋力差、体格差があるからこそ、乱暴に扱うのがはばかられる。結果、火神は黒子の腕に手を添えるだけになった。
「お、おい」
「卵が受精可能な時期ってすごく短いですからあまりのんびりはしていられません。月に一度のチャンスです、フル活用しましょう。今日を逃したら、次はかなり先まで直接会えないんですから」
互いを発奮させるように額に口づけを落としたかと思うと、するりと火神の手から腕を抜き、ブランケットを取り払い、下のほうへ体を移動させた。
「さ、火神くん、がんばりましょう。一刻も早く合体したいところですが、それはさすがに即物的すぎるかと思うので……とりあえずさっきの続き、しますね」
もう少し元気になってくれるといいですね、なんてのんびりいいつつ、火神のものをぱくっとくわえる。突然の感覚に、火神の背に悪寒とも快感ともつかない震えが走った。
「うっ……ま、待て、早まるな」
「僕だけ気持よくさせてもらって終わりというわけにはいきません。今度は僕がきみを気持ちよくさせてみせます」
「いや、そういう問題じゃ……」
黒子の脇に両手を差し込むと、ぐっと持ち上げ、口を離させる。脇を支えに上半身をぶらんと浮かされた黒子は、物ほしげな表情を隠そうともしない。
「火神くん……僕とするの、嫌になっちゃいましたか?」
火神の手を外させると、そのまま片方を自分の顔に近づけ、人差し指をくわえて舌でぺろりと舐めた。体の末端は神経が細かく分布していて敏感だ。黒子の表情と相俟って、ひどく刺激的に感じる。
「くっ……駄目だ、駄目だ。流されねえぞ」
「火神くん……何か月ぶりだと思ってるんですか。あんまり焦らさないでください。ほんと我慢できないんですから。だって排卵日ですよ? 発情してるに決まってるじゃないですか」
「なんか嫌な発言来た!」
びく、と火神の手が硬直する。黒子は見せつけるように舌を這わすと、
「メスの発情にオスが逆らえるとでも?」
ぎらつく光を両目に宿し、あやしげに言った。普段は物静かな黒子だが、いまこのときは、完全に捕食者の目をしている。あ、食われる。火神は本能的に察した。
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
身を引いて後ずさろうとする火神。黒子は彼の太腿を押さえ、改めて顔を下げた。
「ホモ・サピエンスも所詮は動物です。自然の摂理に逆らうのはやめ、身を任せましょう。きっと気持ちいいですよ?」
身をすくませる火神だが、下半身への影響はまだ出ていないようだ。黒子は空いているほうの手で陰茎を支えると、先端を舌先で押した。
「あぅっ……あ……こ、こらっ、よせ! 人間は理性の生き物だ! 落ち着け! 自分の大脳を信じろ!」
「火神くん……そんなに僕とするの、嫌なんですか?」
猛禽類か肉食獣のくせに、こういうときだけ捨てられた愛玩動物みたいな瞳をする。演技であることは明白なのだが、わかっていても火神はひるんでしまう。
「いや、そういうわけじゃねえ……ってか、その目はやめろっ! 反則だ!」
「かがみくん……一年近く会えなくて、僕すごく寂しかったんですよ? 心も体も」
大きな目がさらにうるうると揺れる。
「うっ……だ、騙されねえぞっ……」
「騙してなんかいません。合意のないセックスは犯罪です。合意はとっくに成立したじゃないですか」
確かに、やる気満々でベッドの上で戯れていたのは事実だが。
「状況が違うぞ全然」
「意外に冷静ですよね、火神くんて。流されてくれていいのに」
「絶対流されねえぞ」
「さて……男性の本能がそれを許すのでしょうか? 試してみます? 僕と一緒に」
十分反応を感じる下半身から手を退けると、黒子は火神の左の太腿に乗り、しっとりと濡れた脚の間をぺたりとつけた。
「きみがいっぱいサービスしてくれたから、こんなになっちゃってます。責任とって下さい」
しっかり接触させた状態で、すり、と腰を前後に動かす。太腿に液体が擦りつけられる感触に火神は負けそうになる。しかし、ここで流されてなるものかと、思い切り腕を伸ばし、引き出しの中の紺色の箱を掴み出す。
「ひ、避妊! 避妊させてくれ! 頼むから避妊! す、すまないが、まだ心の準備ができないんだ……!」
ピルのほうが効果は高いしアメリカでは主流なのだが、子づくりを迫る黒子にそんなことを期待するのは無茶を通り越して無謀である。何しろ排卵日だと自己申告しているくらいだ。避妊目的で薬を服用など、しているはずがない。リスクを考えれば本当はこの先に進まないほうがいいのだが、それで許される状況とも思えない。ミスのないよう丁寧に扱うことを自分に言い聞かせながら、火神はコンドームの箱を黒子の顔のすぐ手前に突き出した。黒子はうっとうしそうに火神の手を横にやる。
「駄目です、今夜は避妊なんてしません。そのまま挿れてください」
「駄目なのはおまえのほうだ。いいか、こういうことで負担やリスクが掛かるのはおまえなんだぞ。それも全面的に」
急すぎる、考え直せ、と火神は黒子の肩を掴んで説得を試みる。黒子はその手を取り、甘えるように自分の頬をすり寄せる。
「きみが僕の体のことをそうやって案じてくれているのはすごく嬉しいです。ゴムなしじゃ絶対にしようとしないきみの理性に感謝しているし、敬意を払ってもいます。これだけきっちりできる男性は、きっと多くはないでしょう。きみのようなすばらしいパートナーに出会えたことは僥倖の極みというものです。……でも、今日はそういうのナシにしちゃいましょう。さ、火神くん……はじめて、本当の意味でつながりましょう。僕もう疼いちゃって仕方ないんです。早くきみがほしいです。ね……? いいでしょう? ください」
火神の首の後ろで手を組み、ますます体を乗り上げさせる。太腿と局部が触れ、擦られるところからは、くちゅくちゅと小さな音が漏れてくる。やばい、コントロールが効かなくなる。火神は、体は熱いのに、頭からサーっと血が引いていくように感じた。
「うっ……く、くそ、流されるな、あざとすぎるだろうがっ、こんなのに流されるわけねえ!」
ぶるぶると頭を左右に振ってから、火神は黒子の細いウエストを両手で持ち、引き離そうと試みる。
その手に力が入るのかどうかは……すぐに知ることとなるに違いない。所詮彼も男なのだから。
つづく