※今回の話の元ネタは『アストロベリー』です。
「彼の中にはじめて指をうずめたとき、これまでの人生で一度も感じたことのない感覚を得た。それを言葉にして表すのは難しい。しかしあえて表現するのなら……そう……幸福感、だろうか。体表から伝わる体温より熱く、皮膚とはまったく違う感触。この時点ではまだ衛生面で彼の抵抗感が強かったので指にコンドームをつけての挿入だったのだが、人工の皮膜越しでさえ彼の体内から伝わる感覚は僕の心を震わせるに十分なものだった。幸福感に少し遅れてやって来たのはやはり圧倒的な性欲だった。小指の第一関節まで挿入したにすぎなかったが、それでも彼の内部を知ることができたという事実はいままでにない苛烈なまでのリビドーを呼び起こした。
『んっ……』
彼が小さく喉を鳴らす。
『痛いか?』
『う、ううん……大丈夫。でも、やっぱり……は、入ってるの、わかるから……ふぇ……は、恥ずかしくて……』
『本当に大丈夫なのか。心拍数がかなり上がっている。やはり苦しいのでは?』
彼の心臓は音として聞こえてきそうなほど早鐘を打っており、僕の肩口に伏せられた顔の、わずかにのぞく頬は見事に染まり、また体の表面のそこかしこが汗ばんでいた。だがその汗の感触すらしっとりとした滑らかさをもたらすようだった。運動によるものとは違う汗のにおいが鼻腔をくすぐるのがひどく心地よい。しかし彼の身体の状態を顧みると、交感神経が極度に興奮しているのは明白だった。彼が緊張しやすい性質であることは理解して久しかったので、あまり無理をさせるべきではない。そう思ったものの、はじめて触れる彼の体内の温かさに僕は酩酊のごとくくらくらしていた。彼のそこはただ静かに僕の小指を食んでいるだけだったが、呼吸に合わせてわずかな収縮が感じられた。それは体の動きとして自然なものであり、何かの意図があるわけでないことはわかっていた。わかっていたのだが……まるでもっと先へといざなわれているような錯覚が生じ、僕はなかば無意識のうちに指を動かしていた。円を描くように。
『あっ……!』
吐息とともに彼が小さな悲鳴を上げ、喉を反らした。
『すまない、痛むか?』
『え……えと、あの……痛い、とかじゃなくて……なんかすごい、恥ずかしい……』
『恥ずかしい? なぜ?』
『なぜって……』
『嫌ということか?』
『そ、そういう意味じゃないよ。ただ、その……ひ、広げられる、感覚が……なんかすごい、恥ずかしいんだよ……』
彼は途切れがちにそう答えると、僕の体にしがみつくように腕を回して、僕の肩に顔を埋めた。さらに心拍数があがり、それに伴い血流が増したのか、耳介まで真っ赤に染まっていた。早まる呼吸に合わせ、僕の指を包む粘膜がひくりひくりと収縮した。彼の心臓の音に導かれるように、僕の性欲もまた増大してゆくのを、どこか他人ごとのように感じている自分がいた――」
相変わらず気持ち悪いです本当にありがとうございました。
この話聞くの、本日二度目なわけですが、一度耐え忍んだからといって二度目が楽になるということはなく、むしろアナフィラキシーショックを起こしそうでした。昨日のハーレクイン爆撃を食らったときも感じたことですが、赤司くん、セックスの最中ちょっとやかましすぎやしませんか。いえ、喘ぎ声がとかいう話ではなく、相手に直接質問をしすぎているという意味で。逐一痛くないか苦しくないか尋ねずにいられないのは彼の優しさや思いやりに起因するのだとは思いますし、降旗くんの反応から察しろと助言したところで、『言語による確実な意思の疎通を――』だのなんだの言い出すのは目に見えているので、このようなうっとうしい質問の数々は、赤司くんの価値観からすればわだかまりのないセックスを行うために必要な行為なのでしょう。ただ、降旗くん視点からすると多分羞恥プレイに近いのではないかと思われます。いちいち自分のあそこの状態を報告させられたり、それを自分がどう感じているのか言わされたり、きっとたまったものではなかったでしょう。僕が火神くんにそんなことされたら興奮しちゃいますけど。……降旗くんもいまや赤司くんの無自覚言葉攻めに悶えつつも燃えるようになってしまっているのでしょうか。昨日のテレフォンセックスといい、アパートでのペッティングといい、恥ずかしがりながらも赤司くんの質問に素直に答えていたところを見るに、おそらくすでに調教済みということでいいのでしょうか。お互いそれで楽しいんならいいんですけどね……。ただ、ふたりの世界だけで完結させてほしいところです。お願いだから僕や火神くんを巻き込まないで……!
「降旗くんとの関係はずいぶん進展したようで……」
昼食を食べたばかりだというのにさっそくエネルギーをごっそり持っていかれた僕は、げっそりしながら適当に当たり障りのなさそうなコメントを入れておきました。赤司くんは例に漏れず真顔ですが、どこかすっきりしたように見えなくもありません。……うん、やっぱり赤司くんのハーレクインって、オナニーの特殊形式だと思います。
「ああ。真太郎ではないが、日々尽くせるだけの努力は尽くすことが結局は目的達成のための最短距離ということだろう」
「緑間くんもこんなことで引き合いに出されるなんて思ってもいないでしょうね」
こんな嘆かわしい努力家も珍しいです本当に。恋愛に関する赤司くんの努力は、空回るにもほどがあるというものです。もし赤司くんの真意が降旗くんを自分好みに調教することだとしたらこの上なく有効な手を打っていることになりますが……これまでのコントみたいな試行錯誤を聞くに、本人は降旗くんと至って真面目にセックスしたいと思っているだけなんでしょうね。第三者からすると、宇宙人が地球人を洗脳していく過程を聞かされているようですが。
「今後の学習についてだが」
すっかり冷えた梅昆布茶を飲み干したあと、赤司くんがようやく無意味なハーレクインから離れてくれました。
「午前中いっぱい使わせてもらっておいてなんだが、さらなる理解のためにはもう少し研究と学習に時間を割いたほうがよさそうだと思う。疑似体験とはいえ、学ぶべき点は多いように感じる」
「ええ、そのほうがいいと思います……。くれぐれも正しく学んでいただけるとありがたいのですが」
学ぶべき点が多いというより、学ばなくてもよい点がひとつもないといったほうがいい気がします。この宇宙人の人知を超えた情緒と思考回路に比べたら、ギャルゲーのテンプレであっても正統な恋愛と呼ぶに値するでしょう。
「よかったらこのままうちで続けます? 場所くらいなら貸しますよ」
「お、おい、黒子……」
勝手な判断で赤司くんに場所提供を申し出た僕に、火神くんがぎょっとしたように目を剥きます。火神くんからしたら、一刻も早くこの災厄を我が家から追い出したいでしょうから、にらんでくる気持ちもわからないではありません。しかし……。
「(すみません火神くん。でも、赤司くんを野放しにしたとして、何かの事情で降旗くんに会ってうっかり変なこと口走ったらまずいでしょう? 小金井先輩の件とか小金井先輩の件とか小金井先輩の件とか)」
「(お、おう……そうだな。うちで見張ったほうが安心か)」
いま赤司くんを野に放つのは危険だし無責任というものです。いえ、僕たちが責任を追わなくてはならないいわれ何もないのですが、関わってしまった以上、被害が予測できるうちは放置もできません。赤司くんが無関係の一般人に危害を加えることはないでしょうが、関係者たる降旗くんと何らかの理由で接触し、中途半端な恋愛知識や突拍子もない分析を繰り広げるのはさらなる誤解と混乱を招きかねません。特に危険なのが小金井先輩の件です。一応保留にしてくれたものの、アイデア自体は生きている様子なので、何かの間違いで降旗くんに対し、小金井先輩とセックスするつもりだとか、そのために連絡先を知りたいと思っているとか、そのようなことを口走ってしまったりしたら……お、恐ろしい! 赤司くんのことなので絶対に誤解を招く言い回しになるのが想像に難くない上、仮に誤解なく伝わったとしても、降旗くんを外見で値踏みするかのような行為にあたるわけですから、結局降旗くんが傷つくのは避けられないでしょう。しかも、まったくの無関係で何の責任もない小金井先輩との関係にもひびが入りかねません。この件が降旗くんに伝わることによるプラス効果は何もないと考えられます。
「火神くんもいいっていってくれてますので、どうです? うちでもうちょっと勉強されていっては?」
いつまでもうちに置いておくことは不可能ですが、時間を置くというのは大切です。ショックを受けたばかりの降旗くんにいますぐ追い打ちを掛けることはなんとしてでも回避しなければ。友のため、僕と火神くんはこの厄介な客人をいましばらく我が家に留めることにしました。
「いいのか? おまえたち、いちゃつきたいのでは?」
「いえ、ゆうべ存分にいちゃつきましたので大丈夫です。お気遣いなく」
時刻はそろそろ午後の二時になろうかというところでした。こんなにぐだぐだと長く昼食の席についていることも珍しい。まあ、概ね赤司くんの無駄なハーレクイン語りのせいなんですけど。めいめい椅子から腰を上げると、赤司くんが僕の部屋に戻っていくのを見届けてから、僕と火神くんで食器の片付けをはじめました。
「なあ……どうすりゃいいんだ? 降旗のこと。赤司がとんでもない説明をしたせいで、降旗のやつ、俺らと赤司がセックスしたって思っちまってるんだよな……?」
「赤司くんからの説明だけでは判断しかねますが、おそらくそのような不名誉な誤解が生じている可能性は高いかと」
冷静に考えるとものすごく嫌です、赤司くんとセックスしたと思われるなんて。ていうか、僕には火神くん、火神くんには僕、という構図を信じてください降旗くん。……昨日、演技とはいえ僕が降旗くんに手を出しかけたせいで、彼の中でその構図が揺らいでしまったのでしょうか。あるいは単純に、僕や火神くんより赤司くんのほうを信頼しているということかもしれません。あれはもう完全にめろめろでしたから。
「降旗に連絡とってみるか? 放置はできねえだろ」
「いずれ話は必要でしょうが、もう少し時間を置いたほうがいよいかと。僕たちは事の真相を知っているのでいいですが、降旗くんの立場からしたら、とても冷静に僕たちに会うことはできないでしょうから。正直な話、僕もいま降旗くんに会う勇気が湧いてきません」
「だよなあ……」
このカオスとも言える現状を整理することも打開策を講じることもできないまま、時間だけはいつもどおり淡々と流れていきます。日が暮れるまでの間、僕はちょくちょく自分の部屋をのぞきに行きましたが、いつ見ても赤司くんはメモを片手に熱心に攻略サイトを見てはゲームを進めていました。途中でディスプレイに映る女の子の絵柄が替わっていたので、別のソフトにも挑戦しはじめたようです。三本ほど推薦しておいたので、その中から合いそうなものを選んだのだと思われます。
迷惑な来訪者とはいえ客人を放置して自分たちだけで食事を取るわけにはいきませんので、夕飯も赤司くんを交えて食卓を囲むこととなりました。メニューは冷やし蕎麦と天ぷらというシンプルなもの。味付けらしい味付けと言ったら市販の麺つゆくらいなので、そう舌に合わないということはないでしょう。火神くんは揚げ物も上手なので、天ぷらの出来栄えは問題ありません。ぱりっとした食感がグーです。僕は中学時代に慣れているので赤司くんと食事を共にすること自体に抵抗はないのですが、もともと反りが合わない上に理不尽なライバル視を受けている火神くんは落ち着かない様子で、蕎麦がうまくすすれていません。日本的な麺類の食べ方は身につけている火神くんですが、緊張状態だと動作を忘れてしまうようです。僕もはじめて知りました。
「戦果は上がりましたか?」
あまり、というかほとんど期待せず、それでも一応赤司くんに午後の学習進度を尋ねてみました。麺つゆではなく塩で天ぷらを食していた赤司くんは、口元の油をハンカチで拭きました。こういうところを見ると、育ちのいいひとだなあ、と感心するわけですが、その中身が宇宙人だということを思い出すと、途端に残念な気持ちになります。
「そうだな、半日近く学習に集中できる環境を用意してもらったことには感謝せねばなるまい。僕ひとりだったら一枚目のソフトで延々堂々巡りになっていたかもしれない。テツヤの的確なアドバイスには実に助けられた。後日礼をせねば」
「いえ、そんな気を遣っていただかなくていいですよ。友人からレクチャー料とったりしませんから」
降旗くんとの関係を安定させ、二度と周囲を巻き込まないようにしてくれるのが一番のお礼です。頼むから早く平穏にくっついてください。
「で、赤司、おまえ降旗のことでなんかピンと来るとこあったか? その、好いた惚れたとかでよ」
「その件に関してだが、小太郎から借りた学習ソフトで擬似的な恋愛を体験するうち、気づいたことがある」
「それは……?」
「ソフトによれば、特定の相手と何らかの目的を持って同じ場所で同じ時間を過ごすことを繰り返すことにより、親密度が上がり、恋愛へとつながるようだ。ソフト内では、この繰り返し行われる行為はデートであると定義されていた」
「相変わらず無駄に難しく表現してくれてますけど……あれ全部恋シミュですからね?」
世俗が高尚の皮をかぶるテクニックを垣間見た気持ちです。こうやって世の怪しげな宗教団体は拝金主義を隠して信者を獲得していくのでしょう。いや、赤司くんが降旗くんを騙そうとしているという意味ではありませんが。方向性がおかしいのはもはやお約束だから考えないこととして、彼は相手に大変一途かつストレートです。セックスしたい理由を性欲を刺激されるからとダイレクトに言ってしまうくらいには。
「デートを繰り返すことがもっとも効果的かつ効率的であることは明白だったが、どうもそれだけでは決定打に欠けるらしい。シミュレーションの中である一定の条件を満たすことで――場合によってはランダムに――特殊なイベントが発生する。そのイベントの中で、対象キャラクターはプレイヤーキャラクターへの恋心を自覚する……といったパターンが散見された。いや、その時点ではっきり恋という単語を使った対象キャラクターは存在しなかったが、データサイトを参照にパラメータの上昇値を確認したところ、そのようなイベントにより彼女らのプレイヤーキャラクターに対する恋愛感情が決定的に増大し、彼女らがそれを自覚するに至るといった流れになるようだ。つまり、そのようなイベントに準ずるような状況を現実につくれば、僕の降旗に対する感情がどのようなものであるのか理解しやすくなるのではないだろうか。あくまでシミュレーションソフトをなぞるだけだから、具体的なラベリングはできないかもしれないが、少なくとも恋愛感情か否かの判断材料にはなろう」
つまり、恋愛感情を自覚する契機となる出来事を発生させることにより、自分の感情を理解する助けにしようということですか。意図的に発生させるようなものではないと思いますが、偶発的な出来事ではこの超絶鈍感男の脳みそには響かないかもしれませんので、あらかじめ心構えをつくっておくのは悪い案ではないかもしれません。
「なるほど、なかなかよい着眼点を持っていただけたようで。それで、具体的にどんなことをするんです?」
「うむ。学習ソフトは、恋愛感情の確認には性欲を刺激するのが有効打であると説いていた」
え? なんですって? 性欲を刺激する……?
……。
…………。
結局それですか! どう足掻いても性欲に行き着いちゃうんですか!
「……赤司くん? え、ちょ……なんでそこに戻っちゃうんですか。なんですか、性欲を刺激するのが有効って。もしかして延々エロソフトで遊んでたんですか?」
いい線に行ったかと思った途端にスタート地点に戻ってしまった赤司くんにたとえようもない脱力感と徒労感を覚えつつ、僕は彼がなぜそんなことを言い出したのか訝りました。性欲がどうこうってことは、やっぱりセックス絡みのイベントが発生したということですよね? ゲームの性質上、完全に清いものを探すのは難しかったので、お勧めソフトをひねり出す際に多少のエロ要素は看過したのですが、そんな肉欲ずっぷりなゲームを推薦した覚えはないのですが……。
驚きのあまり瞬きを忘れる僕に赤司くんが真剣な目を向けてきます。しかし、語る内容と言ったら、
「それらのイベントの中では、プレイヤーキャラクターの意図しないところで対象キャラクターの性欲を刺激するという要素がほぼ共通項として見られた」
やはり性欲です。なんでそんなに性欲にこだわるんですかこのひとは。自己判断の結果とはいえなかなか降旗くんと合体できなくてフラストレーションが溜まっているんですか。
「あ、あの……赤司くん? 僕がお勧めしたソフト以外もやっちゃったんですか? その、レーティング以外にもいろいろハードな要素がありそうなものとか……」
「いや、おまえが厳選したソフトだけに絞って学習した。教材のつまみ食いは、詳しい分野であれば有効だろうが、僕にとってはほぼ未知の分野だ、ここは自分の勘に頼るよりおまえの助言に従うのが賢明だと判断した」
「そんな性欲にまみれた内容のものをお勧めした記憶はないんですけども……。あの、きみはいったいどんなイベントを目撃したというんですか?」
もしかして、僕がチェックしきれなかっただけで、隠し要素としてとんでもないエロイベントが存在していたのでしょうか。にわかに胸が騒ぎはじめる僕の前で、赤司くんが大真面目な顔で淡々と説明をくれました。
「そうだな、たとえば……ある程度親密度が上がった状態において、どういうわけか何もないところでプレイヤーキャラクターが転倒し、不甲斐なくもろくに受け身も取れず対象キャラクターに伸し掛かる態勢になったとき、突いた手が偶然彼女の乳房を掴み、それに性欲を刺激された彼女は自分の胸を掴んだプレイヤーを恋愛対象であると意識するようになる……といったパターンを三度ほど見た」
「え……ラ、ラッキースケベイベント!?」
前世紀から使い古された、転んだ拍子におっぱい揉んじゃいました、系のイベントのことですか? 確かに年若い男性読者視聴者であればそんなちょっとしたエロにさえ性欲を刺激されるのかもしれませんが……揉まれた女性の性欲が刺激されるというのが第一解釈になるのはある意味斬新です。ギャルゲーであることを鑑みると、そのような超展開が存在する可能性も否めませんけれども……でも、赤司くんの脳みそがおかしい可能性のほうが高いと思います。
「また別のケースでは、対象キャラクターが暗所で寝転がっているプレイヤーキャラクターの存在に気づかず、その上にうっかり腰を下ろしかけてしまい、スカートを彼の頭にかぶせるというハプニングが生じた。彼女は股間に彼の呼吸を感じたことにより性欲を刺激され――」
「なんかエライいかがわしいイベントに仕立てようとしてくれてますけど、多分絵面で見たら割とかわいい感じのイベントですよねそうですよね!?」
「天候の変化がきっかけとなったケースもあった。学校からの帰宅途中に雨が降り出し雨宿り先を探すことになったのだが、その候補のひとつに攻略対象キャラクターが先客としていた。雨脚は最初から強く、彼も彼女もすでに濡れネズミに近い状態だった。ぽつりぽつりと会話を交わすふたり。が、途中で急に彼女の挙動がおかしくなる。その後の言動から、彼女は濡れた白いブラウスが肌に張り付き、下着の柄が透けて見えたりストラップのラインが浮いてしまうのを恥じていたようだった。彼の視線の意図はともかくとして、そのような状態で異性と近距離を保っていることに羞恥心をかられ、その羞恥が彼女の性欲を喚起する呼び水となったようだ」
「きみが説明すると全部AVのシチュエーションに聞こえてくるのはなんででしょうね」
実際のゲーム内の女性キャラクターの反応は羞恥に顔を赤らめるとか恥じ入るとかだったのではないかと推測します。仮に赤司くんが主張する通り、彼女らが性欲を刺激されたとしても、せいぜいちょっとエッチな気分になっちゃった、くらいのものではないかと。それを赤司くんの言語野を通すと、なぜかとてつもなくいかがわしいイベントであったかのように聞こえてしまいます。理不尽です。
「あとは……そうだな、展開に強引さが目立つケースとしては、プレイヤーキャラクターが対象キャラクターの上半身に接触した際、なぜか彼女のブラジャーのホックが外れたというパターンが存在した。もちろん彼女は即座にそのことに気づき、どう直そうかと慌てふためいていた。一方彼のほうはまさかそのような不自然な状況が発生しているなどとは想像だにせず、突然様子のおかしくなった彼女をしきりに心配した。しかし彼にどうしたのと聞かれ注視されるほどに、彼女は次第にその視線に性欲を刺激されたようで、段々と乳首がたち――」
ぎゃ――――! なんか細かい描写はじめようとしてる!?
「ストーップ! 赤司くん、そこまでです、そこまでにしてください!」
僕が慌てて制止に入ると、赤司くんはハーレクインのときとは打って変わってあっさり口を止め、涼しいまなざしでこちらを見ます。
「どうしたテツヤ、大声を出して。珍しい」
「赤司くん……もうちょっと自分のイメージを大切にしませんか? 聞いてていろいろつらいです」
「僕は自己を恥じなければならないような行動を取った覚えはないが」
「……ある意味すごくきみのイメージに合った回答をありがとうございます。でも、いままさに自己を恥じてほしいところなのですが……」
もしかしてムッツリさんなのでしょうか赤司くんは。いえ、これは彼女らに対し少しも心を動かされていないがゆえにできる所業でしょう。もし萌え萌えしていたら、昨日今日と繰り広げられたハーレクイン風セックスレポのごとく、誰も止められない状況になっていたでしょうから。
「あのー……赤司くん。いま語ってくれたようなイベントに重要性を見出したと言うのなら……ひょっとしてきみと降旗くんでそれに準じた状況をつくり出そうって考えてるってことですか?」
まさかそんなと一縷の望みを持ちながら僕が恐る恐る尋ねると、
「そうだ。摸倣は学習の基本だ。多少強引であれ、まずは手本に沿って進めるのがよいだろう」
即答が返ってきました。嘘ですよね嘘だと言ってください! だって、いま赤司くんが言ったようなイベントをお手本にするということは……。
「えっ、え……ええっ!? ちょ、ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください! きみ、いまの不自然きわまりない微エロイベント、降旗くん相手にやらかす気ですか!? っていうかむしろやらかしたいとか!? 降旗くんのおっぱい(そんなものは存在しませんが)掴んだり、股間に顔埋めたり、ブラジャーのライン(もちろんこれもあり得ませんが)じろじろ眺めたりしたいんですか!?」
降旗くん相手にラッキースケベをやりたいって意味になりますよ!? やりたいんですか!? そういうことなんですか!? やっぱり欲求不満が募りに募っていたということでしょうか。
僕が驚愕に打ち震え、火神くんが口の端から蕎麦を二本ほど垂らしたままあんぐりする一方、赤司くんは変わらず冷静でいます。
「テツヤ、落ち着け、何を誤解しているんだおまえな」
「ご……誤解? 誤解……でいいんですか?」
僕の早とちりが過ぎましたか? それならよいのですが。
「そうだ、僕が降旗の胸に触れるというような立場になっても意味がない。なぜならここでの目的は、僕の彼に対する感情を理解することだからだ。先に述べたイベントによれば、これらの行為によって恋愛感情を自覚するに至ったのは対象キャラクターすなわち女性だ。よって僕が担当するべきは――」
「お、女の子の役やるんですか!? 赤司くんが!? え、なに、きみ降旗くんに押し倒されておっぱい(ありませんけど)揉まれたいんですか!? 降旗くんの顔の上に腰掛けたいんですか!? 降旗くんに視姦されたいとかいう願望もっちゃってるんですか!?」
降旗くんにえっちなことを仕掛けたいのではなく、降旗くんのほうからえっちなことを仕掛けてきてほしいという方向性だったようです。それってどうなんですか……。ギャルゲーのイベントを男ふたりで再現という時点で無茶があるので、配役に関わらずきっつい絵面にしかなりません。僕の想像豊かな脳みそは、降旗くんが赤司くんに覆いかぶさって胸を揉んだり、赤司くんのお尻踏まれたりというイメージを展開しようとしてきがやりました。勘弁してください! やめて僕の脳みそ! それは自殺行為というものです!
自分の中の内的な活動とはいえ、僕はあまりの苦しみに耐えかね、大変よろしくない妄想の映像を脳内から追い払うべく、テーブルに額を打ち付けました。ゆうべも同じことをやった気がします。やっぱり痛いです。
「最後のケースはどのように再現すればいいのだろうな。パンツのゴムがいきなり切れるとか……? ホックが外れるならともかく、ゴムを切らせるなど狙ってやるのは至難の業だぞ。それともここは忠実に模倣し、ホックの外れやすいブラジャーを購入するべきなのか……? サイズに困るな……」
神妙な面持ちで独り言のように呟きながら悩む赤司くん。悩みどころが間違っていると思います。
「ブラジャー!? ブラジャー着ける気ですか!? 赤司くんが!?」
降旗くんだったらいいってわけでもないですけど!
ひぃぃぃ……なんか下着女装を企ててますよこのひと。女装それ自体はなんら悪い行為ではありませんが、それを降旗くんのためにやったとして、彼が喜ぶとは思えません。むしろ異常きわまる光景に怯え、恐怖に戦くのではないかと。だって怖すぎますよ、ランジェリーをつけた赤司くんとか。
「雨宿りのエピソードも女性でないと難しいな。下着が透けて見えるといっても、男の場合ズボンを透けさせなければならないが、そんな材質のズボンはまずない。やはりここでもブラジャーが必要か……?」
「あ、赤司くん? ちょっと正気に戻りましょう? なんかエライ方向に突っ走ろうとしてますよきみ?」
「いっそインナーをなしにして、乳首を透けさせるのが手っ取り早いか? ブラジャーよりは不自然ではあるまい」
「いやもう何もかも不自然ですからね!? ってか、きみ何気に乳首好きですよね!?」
降旗くんの乳首をいじる話にしろ、降旗くんに乳首をいじってもらった話にしろ、やけにねちねち語ってましたもんね。きっと乳首フェチなんでしょう。男性には珍しくない性癖ですね。だからといって自分がブラジャーを着けることを検討するのは発想の飛躍も甚だしいですが。
ブラジャーだの乳首だの、およそ自身のキャラに不似合いな単語をぶつぶつ繰り返す赤司くんに、僕は戦慄せずにはいられませんでした。彼が特殊な性癖の道を進むこと自体には賛成も反対もしませんが、それに降旗くんが巻き込まれるとなると、静観してよいものか……。しかし、止めようにもこの宇宙人の突き抜けた思考回路に響く言葉を見つけられそうにありません。ああ、もういったいどうすれば。意見を求めて火神くんを一瞥しますが、彼もまた困り果てたようにゆるゆると首を左右に振るだけです。そうですよね、付ける薬なんてありませんよね……。
予測不可能な方向への暴走ばかりする赤司くんを横目に、僕と火神くんはこの二日間の疲労が色濃く滲むため息を深々と吐き出しました。
と、そのとき。
ピンポーン、と典型的な音のインターホンが鳴りました。来客のようです。こんな時間帯になんでしょうか。NHKの受信料ならちゃんと払っているはずですが。
「俺が出るわ」
あ、火神くんずるい。逃げる気ですね。
僕より一足早く初動に出た火神くんは、立ち上がってダイニングの壁に設置された受話器を取ります。このアパートのインターホン設備にカメラはなく、通話機能のみです。
「はい、どちらさんで?」
特にぶっきらぼうでもなく、さりとて愛想もよくない平坦な声で応対をはじめた火神くんですが、十秒もしない間にみるみる顔色が変わっていきました。赤ではなく青の方向に。彼は唇を戦慄かせると、
「コ、コ……コガ先輩!?」
思わぬ人名を口にしました。
コガ先輩って……小金井先輩!?
え? なんで? なぜ小金井先輩がうちに? そしてなぜこのタイミングで?
小金井先輩といえば、赤司くんの非常識な計画の中の対象人物です。現状、保留にはされていますが、よりにもよって首謀者の赤司くんが滞在しているときに来てしまうなんて……下手したら飛んで火に入る夏の虫ですよこれ。
ギギ、と頚椎の軋む音が聞こえるような錯覚とともに僕が赤司くんのほうへ首を戻すと、
「客人か? 必要なら応対に出ろ。僕のことは気にしなくていい。なんなら別室に引っ込んでいよう」
彼は来客の正体に気づいていない様子でそのように言いました。火神くんの言葉が聞き取れていないのか、コガという名前を小金井の略ではなく古賀さんあたりだと認識したのかはわかりませんが、とりあえず小金井先輩が訪問してきたとは思っていないようです。
「ええと……では失礼して」
僕は狼狽で上擦りそうになる声をどうにかこうにかごまかしながら短く断りを入れると、腰を上げて玄関へと向かいました。火神くんは突然の来訪にびっくりしたのか、受話器を持ったまま固まっていました。
「いま出ます。……ええと、小金井先輩? ですよね?」
赤司くんがこちらをのぞいていないか注意しつつ、僕は小声で相手を確認した上でゆっくりと扉を開きました。拓けた視界の先には、ちょっぴり懐かしい顔が。
「こんばんは、おひさー」
この猫っぽい顔。間違いなく小金井先輩です。ああ、懐かしい。しかしいまの僕には思い出に浸る余裕がありません、残念ながら。
「お久しぶりです」
「突然来ちゃってごめんなー。いま大丈夫?」
「ええと……」
大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれれば、激しく大丈夫ではありません。主に小金井先輩の身が。しかし、あんな複雑怪奇な事情を短時間で説明するのは不可能です。
「どうされたんですか、突然。何かあったんですか?」
とりあえず先方の用件を聞くべくそう切り出すと、
「うーん……それが、正直なところ俺も何が何だかわかんないんだけど……用があるとしたら、俺よりもこいつかな」
曖昧な言葉とともに小金井先輩は首をひねりちらりと自分の背後を見やりました。彼の後ろにいたのは……
「黒子……」
「ふっ……降旗くん!?」
なんと降旗くんでした。ちょっ……え、なんでどうして降旗くんが!?
彼はひどく弱々しい表情で、体格差のない小金井先輩の陰になかば隠れるようにして縮こまっています。小金井先輩は小金井先輩で弱り果てたように降旗くんと僕を交互に見つめます。目の前の光景を見ても一体全体何がどうしてこんな現状が発生したのかまったくもって理解も推測もできませんが、ひとつだけわかるとしたら、
「カ……カモネギ!?」
彼らの来訪はカモネギにほかならないかもしれないということです。だって廊下とダイニングキッチンを隔てる扉の向こう側には、降旗くんに激しく性欲を掻き立てられ、それだけでは飽きたらず、実験的に小金井先輩にまでターゲッティングしようなんて腹でいる宇宙人がいるんですよ……? 何をどうすれば僕は大切な友人と先輩を守ることができるのでしょうか。