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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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思い出にかわるまで 9

 母親の説明によれば、やはり家族のほうもあいつの精神状態が悪いことに気づいていたということだ。あいつは今週は施設には行かず自宅で休んでおり、今日の夕方に受診予約が入っていた。ところが家を出る時間になってあいつを呼びに部屋へ行くともぬけの殻だったらしい。そのときは騒然として原因も思い当たらなかったそうだが、あとになってこいつが俺のところへ来ていると判明したてから、気づいたことがあるという。
 病院へ行く前、今回も入院になると思うから支度しなさいと言って、放っておいたのがいけなかったんでしょうね。あの子、よっぽどひどい状態でなければ自分で入院の身支度をするし、特に嫌がったりもしないんです。必要なことだと理解しているから。今回も、あの段階ではそれなりに自分のことは自分でできていましたから、私も油断していました。ほら、金曜日はよく火神くんのお宅にお邪魔しているでしょう? 入院になったらしばらくそれも無理だから……あの子焦ってしまったんでしょうね。私のほうから、火神くんに連絡しておきなさいと一言言っておけばよかったかもしれません。あのときのテツヤに、メールで連絡するなんて発想はできなかったんだと思います。会えなくなる前に、あなたに会いに行かなければという一心で、飛び出してしまったのではないかと。
 ああ、ごめんなさい。これではあなたを責めているようになってしまいますね。すみません、そういう意図はなかったんです。どうかお気を悪くしないでください。また、気にしないでください。あなたには本当に感謝しています。こんなにも根気よく丁寧に、扱いやすいとは言えないいまのテツヤにつき合ってくれているのだから……。
 診療室から処置室へ移ったあいつを待つ間、母親の語った言葉を胸の内で反芻した。
 彼女の推測は一面では当たっているのだろう。しかしそれだけが理由でないことは、俺の部屋でたくさんの不安を訴えて泣いていたあいつの姿から俺にはわかった。緑間同様あいつの母親も、あいつがこうなってしまうことの原因が具体的な誰かや何かにあるわけではないと言っていた。それは俺に気を遣ってのことではなく、繰り返されてきた事態から導き出されたひとつの事実なのだろう。しかし今回の件に関しては、やはり俺が一因として噛んでいるのではないかと思った。俺は数か月前にあいつと再会したばかりで、彼らほどあいつの状況を知らないし、これまでのいきさつも直接見ていない。だからどこかでまずい対応をしてしまったのではないかという疑念を振り払えない。あいつは俺に不安と恐怖を訴え、また一方で俺を忘れるかもしれないことにひどい罪悪感を持っているようだった。俺は何か、あいつの心に引っかかるような言動をしたのだろうか。あるいはもしかしたら、過去の――あいつの記憶の中の、高校生の俺なのか。学生時代、あいつを傷つけたことがないとは言えない。いや、たくさんあったと思う。もしそうだとしたら、それはもう取り返しがつかない。終わってしまったことは元には戻せないし、あいつの記憶にある俺は、あいつにしか認識できない存在で、俺自身ですらどうすることもできない。
 わかるのは、あいつが俺にこだわっているところがあるということだ。バスケでかけがえのないチームメイトだったから? 光と影という、表裏の関係で組んでいたから? 確かにあいつとの関係は俺にとってかけがえのないものだ。それほど長い間ではなかったが、俺もプロの世界にいた。しかし後にも先にも、あいつほどの相棒はいなかった。あいつはやっぱり特別だったのだと実感したものだ。あいつも同じように感じてくれていたと信じたい。だがそうだとしても、それだけでは説明がつかない気がした。それだけでは、あいつが俺に見せる執着の輪郭を垣間見るには弱い。何か別の要因があるように思えるが、それが見えてこない。
 ない頭で考え過ぎたせいか、あいつの処置に追われた緊張が切れたせいか、鈍い頭痛を覚える。今日はもうこれ以上思考できそうにないと諦め、切り上げの合図のようにため息をついたとき、カラカラと乾いた音が近づいてきた。処置を終えたあいつがストレッチャーに乗せられ、廊下に出てきた。病室に移動するようだ。俺は立ち上がると、呼ばれもしないのに後についていった。
 病室は個室だった。相部屋には向かない病状なのか、単に空きがここしかなかったのかはわからない。なんにせよ、ほかの患者に気を遣わなくていいのは楽だ。
 入院用の荷物を用意する暇がなかったと言って、母親は俺にあいつの付き添いを任せて一度帰宅した。病室にはあいつと俺だけになった。あいつは浅い角度のついたベッドに横たわり、左腕には点滴の管がつながっていた。比較的大きなパックがぶら下がっている。おそらく水分と栄養補給のための輸液だろう。袋の表面にマジックで何か書かれているが、俺には理解できなかった。
 思ったより遅い時間ではなかったが、病棟の消灯時刻は過ぎているようで、廊下は病院特有のほの暗さで包まれていた。この病室の灯りも落としてあるが、廊下の非常灯の光が漏れてくるため、目が慣れれば視界にはそれほど困らない。
 付き添いを了承したものの、内心俺は怖かった。もしあいつが目を覚まして俺を見たとき、また興奮状態に陥ったりしないだろうか。ここは病院なのですぐに対応してもらえるが、そのせいで入院が長引いたら……。処置室でそれなりの投薬を受けたはずなので大丈夫だろうか。
 また、別の不安もあった。あいつは不調時の精神状態によっては記憶障害の程度に違いが出るらしい。俺のことが、わかるだろうか。元の安定水準――高三の初頭の記憶――までは回復すると聞かされているが、一時的であれそういう反応をされたら、正直俺もショックを受けるだろうと思った。
「へっ、情けねえ……」
 それくらいなんだというんだ。あいつはそれをはるかに上回る苦痛に耐えてきたんだ。
 足が震えるのは、疲労に呼応して少々傷が痛むからだ。
 そう自分に言い聞かせると、俺は音を立てないよう丸椅子をベッドサイドに寄せて腰掛ける。負傷した足がやはり少し痛みを訴えるのを感じた。と、そのとき、
「足……痛いんですか?」
 あいつの声に驚いた。てっきり眠っているものだと思っていた。
「起きてたのか」
「足、痛むんですか?」
 あいつはもう一度繰り返す。意外としっかりした声だ。視線もさまよってはいない。そのことにまずは安堵する。
 しかしよく気づいたものだと感心する。感づかれたということは、否定しても信じないだろう。
「少し、な。疲れたときなんかに痛みが出ることがあるだけだ。ほら、雨とか寒さで古傷が痛むって話、あるだろ。あんなようなもんだ」
 別に悪化したわけじゃないと言外に伝えるが、あいつはしょぼんと俯くと、
「すみません、多分僕、いっぱいきみに迷惑掛けちゃいましたよね……」
 弱々しい声でそう呟いた。俺は軽くかぶりを振ると、椅子をベッドに近づけ、あいつの顔を覗き込んだ。暗いため顔色はわからないが、手の甲で頬に触れると、十分温かいのが感じ取れた。
「ちょっとは気分、落ち着いたか?」
「はい、大丈夫です。少しぼうっとしますが……。薬が効いているんだと思います。ちょっと、眠たいです……」
 数時間前の錯乱に近い状態からすると、見違えたように落ち着いている。投与された薬に眠気と弛緩の作用があるのだろう、体は沈み込み、目はとろんとしている。
「眠ったほうがいいんじゃないか」
「はい。でも、その前に、少しだけ……きみとお話したいです」
「無理は駄目だぞ」
 あいつはこくりと頷くと、残念そうに言った。
「僕はこのまましばらく入院になります。帰れる状態じゃなさそうなので」
 おもむろにあいつが体を起こそうと動いた。留めようとするが、自分の体がどの程度動くのか知りたいのか、あいつは力の入らないだろう腕を突っ張って上体を起こした。
「寝てろって。ふらふらじゃないか。点滴漏れるぞ」
 首も上半身も揺れている。あいつはめまいに耐えるように顔を下に向け額に片手を当てた。
「はい、ぐらぐらします。これはちょっと……しばらく立てそうにないですね。……駄目です、起きていられません」
 そう言ってあいつはベッドに背を倒した。自分で倒れておいて、背がマットについたときにびくっと体が撥ねた。落下の感覚に襲われたのだろう。介助してやればよかった。
 あいつの呟きに、そんなに薬の作用が強いのかと心配になりかけていると、あいつは仰向けのまま首をゆるりと横に振った。
「あ、これは薬のせいじゃないです。その、いろいろ症状が悪化する時期みたいなのがありまして、体のほうにも影響が出てしまっているんだと思います。心配はいりません、一時的にぶり返しちゃっただけで、ちゃんと治りますから」
 ふう、とゆっくり息を吐くと、あいつは続けた。
「驚かせてすみませんでした。母と一緒にきみが病院まで連れてきてくれたんですよね。何があったのか覚えていないんですが、夜に受診してそのまま入院ということは、多分お騒がせしちゃったということですよね。申し訳ないです」
 あいつがしっかりと俺を認識しているようで安堵する。具体的なエピソードが思い出せるかについては、いま確認すべきことではないだろう。かりそめであろうと、ようやく落ち着いたのだから。
「体調が悪いときにそんな気を回すな。いいんだよ、具合悪いときは甘えれば」
「はい……。いまちょっと、頭の調子が悪い時期に入ってしまったみたいで。僕、たまにすごく気が滅入ってしまうことがあるんです。誰かが、何かが悪いというわけじゃなくて、ただそうなってしまうんです。こういうときは、普段よりもっと忘れっぽくなって、昔の記憶もぐちゃぐちゃしてきてしまって……いろんなことが、わからなくなってきてしまうんです」
 一連の出来事を覚えていないあいつは、そんな説明をした。俺はすでに緑間やあいつの母親から話を聞いていたし、何より実際にそうなって恐慌状態に陥った本人を目の当たりにしていたので、あいつの言葉自体に新しい情報はなかったが、あいつが不調時の自分の状態を、まさに不調のただなかであっても理解可能だということが改めてわかった。
「ひとよりずっと気ぃ張った生活してんだ、疲れちまうこともあるだろうよ。ゆっくり休め」
 親指で左目の目尻の下を軽くこする。あいつは気持ちよさげに目を閉じると、自分からわずかに俺の手に頬をすりつけた。
「火神くん、退院したら、また会ってくれますか?」
「当たり前だろ。時間が許せば、なるべく見舞いにも来る」
「いえ、お見舞いは……。眠っちゃっていることも多いと思いますので」
「寝顔見られたくないってか? いままで散々見てきたっつーの」
「火神くん……」
 離そうとする手の指先でちょんと鼻の頭に触れると、あいつはくすぐったそうに小さく笑った。
「来てくれたら嬉しいなとは思うんですけど……こうなってるときって、多分すごく格好悪いから、あんまり見せたくないんです。いまは薬がよく効いていて、自分でも具合がいいほうだなってわかります。でも、おかしくなっちゃってるときも、やっぱりあると思うんです……。いまさらって思われるかもしれませんけど、弱ってるとこ見られるの、やっぱり恥ずかしいんです。情けないんです。でも、ちゃんと治りますから、元気になったらまた会ってください。お願いです、火神くん、お願いです……」
 求めるようにあいつは右手を俺のほうに差し出した。俺は自分の右の小指をあいつが差し出してきた小指に引っ掛けた。指きりって、確かこんな感じだったよな。
「わかった、約束する。ってか、会いにいくに決まってるだろ。おまえもまた俺のうちに遊びに来いよ。そのためにも、いまはしっかり休め」
「はい」
 絡まった小指を見て、あいつはほんの少し嬉しそうな表情を浮かべた。
 互いの手が離れたとき、あいつの目に不安そうな揺れが見えた気がした。
「あの……火神くん、ひとつ、聞いてもいいですか」
「……なんだ?」
 少し身構える。こいつの質問は答えが難しいことが多いから。それだけこいつに対して考えを巡らす機会になるのだから、煩わしいわけではないが、大分消耗した今日の俺の頭には荷が重いかもしれない。
「なんで火神くんは、僕にこんなに優しくしてくれるんですか。申し訳ないことに、再会以来火神くんが僕に何をしてくれてきたのか、どれだけよくしてくれてきたのか、具体的なことは何も思い出せません。でも、きみが僕に優しいのはわかる。きみに会うと、僕はほっとして、温かい気持ちになります。だから、僕自身のことは思い出せなくても、きみがこれまで僕にたくさんの安心感をくれたんだなってことはわかるんです。覚えていないけど、わかるんです。僕はきみの優しさが嬉しい。でも……」
 俺は、おまえに何もできなかったよ――苦い声が頭の奥に響くが、言葉には出さない。俺の自嘲を聞かせることもあるまい。
「同情がないとは言わない。きっとそういう気持ちは消せないと思う。だって……やっぱ悲しいだろ、大切なものをなくしちまった姿ってよ」
「はい……」
「でも、それだけじゃないのは確かだ。俺は馬鹿だから、自分の気持ちひとつ満足に言葉に表せないし、自分でもよくわかんねえけど……おまえのこと、大事にしたいって思うんだよ」
 俺が答えると、あいつは目をまんまるにして、しばしまばたきを忘れた。十秒ほどの沈黙ののち、ゆっくりと目を閉じると、
「火神くん……ありがとうございます」
 かすかな涙声でそう言った。
「泣くと体力消耗するぞ」
「はい……わかってます。けど……きみがあんまりまぶしいから」
 幾分涙もろくなっている節があるのだろう、無理に泣きやませるのはかえって毒かもしれない。一分ほど鼻をすする音が続いた。それが小さくなるのを聞き届けてから、俺はもう一度念押しした。
「いいか、無理は駄目だ。絶対にだぞ」
「はい、約束します。でも……覚えていなくても、許してください」
 そう答えるあいつの姿に胸が締め付けられる。俺は顔を近づけると、あいつの額に自分のそれをこつんとくっつけた。
「馬鹿。許す許さないじゃねえよ。約束自体は忘れたって構わん。おまえが無理をしなければ、それでいいんだ。それだけで、いいんだ……」
 はい、とあいつは吐息に近い小さな声で答えた。
 互いに約束したところで、いい加減眠ったほうがいいと促す。あいつももう半分以上睡魔の虜になっている。このまま寝かしつけてしまったほうがいいだろう。
 と、顔を離しかけたとき、
「かがみくん……」
 俺を呼ぶ夢うつつの声とともに、あいつの右手が俺の後頭部に添えられた。一旦離れかけた頭が再び戻される。互いの鼻先がぶつかりかけたところで、あいつはほんの少し首を傾け接触を避けた。焦点が合わないほどの至近距離で、それでも俺は、あいつの唇がうっすらと開かれるのがわかった。
 吸い寄せられるように、俺はそこに自分の唇を押し付けた。
「んっ……」
 鼻に抜ける甘い声はどちらのものだったのか。
 あいつの薄い唇をついばんでみると、向こうも同じ仕種を返してきた。一度距離を置くと、あいつが陶然とした瞳でこちらを見ているのがわかった。誘われるように、首の傾きを変えて再び唇を軽く食む。その熱と柔らかさが気持ちよくて、離れがたいと思った。こんなことをしているのに、闇の中には奇妙な厳かさが落ちていた。静寂に包まれた病室に、濡れた音がかすかに響く――と同時に、リノリウムの床を蹴る靴の音が近づいてくるのに気づく。
 はっとして、俺は唇を離した。母親が戻って来たのかもしれない。そう思うと、急激にいたたまれない気持ちが襲ってきた。あいつは足音に気づかないのか、俺を追おうとなおも顔を近づけてくる。
 最後にもう一度、ちゅ、と音を立てて触れるだけのキスをした。さよならの合図だ。
「また……また会ってください」
「ああ、絶対だ」
 唾液に濡れた唇を親指の腹で拭ってやる。あいつはもうほとんど眠りに落ちていた。

つづく



 

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