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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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思い出にかわるまで 8

 どれくらいそうしていただろう。俺はずっとあいつの肩を手の平でぽんぽんと一定のリズムで叩いていた。ようやく嗚咽が聞こえなくなったのは、あいつが泣き疲れて寝てしまったからだった。泣き腫らしたまぶたを閉じ、なかば気絶するように眠りの世界に落ちたあいつの体をぎゅっと抱き締め、首筋に顔を埋める。
「ごめん……ごめんな……俺、おまえに何もできなかった。怖いんだな、苦しいんだな……。おまえがあんなに苦しんでたのに、俺は何の力にもなれなかった。ごめん……ほんとごめん」
 無力感に打ちひしがれる。本当に俺は、何もできないのだ。あんなに苦しみを訴えていたあいつを泣かせる以外、術がなかった。事故で傷を負った頭と体で何年も必死に生きてきて、こいつの心身は疲れ果ててぼろぼろに違いない。けれども寝息だけは穏やかだった。そうでなくては困る。いまのあいつにとって、起きている間のこの世界は悪夢に似ていることだろう。傷ついたあいつの脳がどんな夢をあいつに見せるかはわからない。でも睡眠の中でしか安らげないのであれば、せめてその間だけでもゆっくり休んでほしいと願った。
 身体面でも精神面でも病的なまでに弱気な――などという言葉で表していいのかわからないが――ところを見せたあいつに呆然としていたが、俺はふと思った。
 これはもしかして、緑間が注意を呼び掛けていた、抑うつ状態ではないのか。一番厄介だと言っていた――
 その単語から漠然と、恐ろしく悲観的になったり死にたがったりという症状をイメージしていたのだが、緑間は黒子の主症状は精神活動の低下だと言っていた気がする。ベッドでの無反応、飲み物を認識すらしなかったこと――心身の自発性が乏しくなっていたのは、それが原因ではないのか。思考がぐちゃぐちゃになって話の脈絡がなくなることがあったのも。今日は特に自分を責める言動が顕著だったが、少し前からその徴候はあったじゃないか。さっきひどく怯えながら必死になって訴えていた記憶障害の重症化も、それに引きずられて起こったのでは?
「……くそっ!」
 ここまで来てようやくその可能性に思い当たり、舌打ちする。
 もっと……もっと早く気づけたのではないか? 今日ほど露骨ではないが、あいつの最近の言動には、何とも言えない違和感――こちらの焦燥感を駆り立てる何かがあった。そうだ、不安定さだ。精神の不安定さがあいつを覆っていた。
 何だ? 何がいけなかった? 俺はあいつを傷つけるようなことをしてしまったのか? 
 いや、確か、ああいう状態に陥るのにきっかけや理由はないということだった。たまたまそういう時期が来てしまったというだけなのだろうか。しかし、だとしても、もう少し早く気づいて、対処してやれればよかったのではないか? 家族がいままで気づかなかったのは、俺といるときにもっとも症状が顕著だったということか? だとしたらやはり俺が原因なのか。
 ……いや、いまそんなことを考えても仕方ない。こうなってしまった以上、自分の行動に原因を見出そうとしても意味がない。手遅れだ。でも、もしそうなら俺が気づいてやらなければいけなかったんじゃないのか。憂鬱感に襲われはじめたのは昨日今日の話ではなく、ここ数週間前兆のようなものは見え隠れしていたじゃないか。症状は徐々に悪化しているようだっただろうが。その間あいつはずっと苦しんでいたはずだ。それも苦痛は段々とひどくなっていったんだ。そして、ついにはあいつにとって最後の砦であるはずの過去の記憶まで侵されはじめた。どれだけ不安で怖かったことか。あんなにも怯えて、震えて、泣いて!
 ……だが、それでもあいつは助けてとは言わなかった。誰も救いの手を差し伸べられないと、本能的にわかっていたのだろうか。でも、こうして俺のところにきて必死に訴えた。自分が何を恐れているのかを。いつも整然と話すあいつが支離滅裂になるくらい、引っかき回されぐちゃぐちゃになった思考で、それでもなんとか俺に訴えかけようとしていた。自分が過去の記憶を失いつつあると知られることもまた、怖かっただろうに、それでも失いゆくことの恐怖に耐えきれずにやって来た。だが俺は何もしてやれなかった。怯えながらも忘却に必死に抵抗するあいつを眼前にして、完全に無力だった。ああ、やはりもう少し、あと少しでも早く気づいていれば! そうしたら、あいつの苦しみを長引かせずに済んだかもしれない。早く治療を開始すれば、ここまで悪化させずに済んだかもしれない。そうしたら、あれほど苦しまなくてよかっただろうに。なんで俺は気づいてやれなかったんだ! あんなに近くにいたのに!
 手の平に爪の先が食い込むのにも気づかないくらい、俺はきつく拳を握り締めた。後悔ばかりが胸に渦巻く。
 ……緑間だったらとっくに気づいただろうに。
 そんな思いが胸をよぎったとき、はっとする。そうだ、ひとりで考え込んでいる場合か。医学的知識もなければ、これまでこいつがこういう状態になったのを見たことのない俺に、ひとりで何ができると言うんだ。
「緑間……っ!」
 ズボンのポケットに突っ込んであった携帯を引きずり出し、緑間に電話を掛ける。発信そのものは届くが、出ない。あいつも医療関係者のはしくれだから、自由に携帯を持ち歩くことはできないのかもしれない。
 とりあえずメールだけでも打っておくか。黒子の様子がおかしい、とだけでも……ああ、駄目だ、動揺で指がうまく動かない。なんて情けないんだ。
 自分の駄目さ加減に呆れを通して苛立っていたそのとき、携帯が高い電子音を伝えた。俺はディスプレイに表示された名前を確認することもなく、とっさに通話ボタンを押した。
「緑間!?」
『ああ、俺だ。……もしかして黒子に何かあったのか』
 慌てふためいた俺の声は、言葉以上に雄弁だったのだろう、電話の向こうの男はすぐに察してくれた。もっとも、俺がやつに電話するとしたら、黒子絡みしかないのだが。
「あ、ああ……それが、さっきあいつがひとりでうちに来て――」
 早い折り返しに感謝するいとまもなく、俺は緑間に帰宅から今までの間に起きた出来事を早口で伝えた。俺自身前後があやふやになっていたので、かなりわかりにくかっただろうに、緑間は文句を挟まず聞いていた。そして、ひと通り話し終えた俺に、冷静な言葉が投げられる。
『火神、俺に電話などしている場合じゃない。早く黒子の家族に連絡を取り、すぐに病院へ連れて行くのだよ。お父さんが来られないなら、おまえがついていってやれ。お母さんでは運べないだろうから』
「あ、ああ……そうだよな」
 あいつを発見した最初のときはそれを考えていたのだが、もうすっかり失念していた。左右別々のスニーカーを履いて出かけるくらい頭が働かなくなっていたあいつのことだ、書き置きなんて残していないだろう。健康体ではない息子が家から姿を消し、いまごろ大騒ぎになっているのかもしれない。こいつは夜ひとりで歩き回れるような体ではないのだから。携帯も家に置いてきた可能性が高い。なりふり構わず飛び出して、ここまでたどり着いたのだろう。なぜ俺の自宅まで来たのかという疑問は残るが、それより、こいつが無事に到着したということの幸運に感謝する。どう考えてもまともな精神状態ではなかっただろうに、本当に、よく無事に来られたものだ。体もかなり衰弱していることを考慮すると、俺が帰るのがあと少し遅かったら、危なかったかもしれない。残業がなかったこと、買い物等の用事がなかったこと、外食に誘われなかったこと(このところ金曜の夜のつき合いが悪かったため、誘われずに済んだのかもしれない)、いくつもの偶然が幸運として積み重なった結果だろう。最悪の事態にならず、本当によかった。
 ……しかし、だとすると、いま家族はこいつと連絡を取る手段がないことになる。緑間の言うとおりだ、早く連絡しなければ。
『黒子から目を離すなよ。普段いくらおとなしいやつでも、錯乱状態では何をするかわからない。……黒子はいまどうしている?』
「泣き疲れたのか眠っちまって……俺がずっと腕に抱いてる。体温が少し低かったから、毛布かぶせてある。暖房もつけた。いまは大丈夫そうだけど……」
『そうか。連絡のことはともかく、最初の処置は妥当だったと思う。直接見ていないから確定的なことは言いようがないが、おそらく低血糖の症状だろう』
「飯……食ってないっぽい。食べたけど吐いたかもって言ってた」
『そうか……食欲不振だけでなく、拒食が現れることもあったな』
「なんか食べさせたほうがよかったか?」
『胃が受け付けない可能性がある。それで嘔吐したらただでさえ少ない体力を余計に消耗する。とりあえず低血糖を脱せたならいい』
「そ、そうか……」
 大きなミスをせずに済んだことにほっとする。緑間と話したことで気が抜けたのか、俺はそれ以上会話する気力を失い、言葉が出なかった。
 沈黙に何を感じたのか、緑間が電話口で語る。
『火神、大丈夫だ。黒子の症状はおそらく一時的なものだ。病状そのものが進行したわけではないと思う。たまに症状の揺り戻しがあるんだ。いままでにもあったことだ。多分数年前の、まだ安定していなかった時期の状態に一時的に戻ってしまっているのだろう。逆行性健忘――記憶喪失もいまは悪化しているようだが、容態が落ち着けば元の水準までならいずれ回復するはずだ。高校のときのこともちゃんと思い出す。だから、おまえまで取り乱すなよ』
「あ、ああ……」
 症状が数年前の状態に戻った……ということは、あいつは数年前、あんなひどい状態だったのか?
 病状が落ち着いたという現在でもかなり痛々しさを感じていたというのに、今日見せたあの姿はその比ではなかった。どれだけ大変な傷を負ってしまったんだ、あいつは。あいつの家族や緑間は、その姿を目の当たりにしてきたというのか。俺は全然知らなかった。知ろうともしなかった。それは罪ではないだろう。しかし罪悪感がこみ上げる事実ではあった。
 あいつは二十歳の頃からずっと、あんな苦しみに見舞われながらも生きてきたというのか。なんで、なんでだよ。あまりに理不尽というものじゃないか。あいつが何をしたって言うんだ。どうしてこんなに苦しまなければならないんだ。あいつに再会して以来頭から離れない疑問だが、いまこのときほど強く問うたときはない。
『見ていてつらいかもしれないが、これがあいつの現実なのだよ……。あいつはひとりで闘わなくてはならない。俺たちが、他人がしてやれることは多くない』
「くっ……」
 緑間の言うとおりだ。俺は何もできなかった。どうにもならないとわかってはいるが、自分への失望感に呻きたくなる。
『俺も時間が取れ次第病院へ向かおう。もっとも、今週末は無理だろうが……。いいか火神、落ち着いて行動するのだよ。治療と時間の経過で必ず回復する。少なくとも、あいつはおまえが知っている場所までは戻ってくる。信じてやれ』
「ああ、わかった。すまん、まじで助かった」
『では切るぞ。すぐに家族へ連絡しろ。あいつの家族は慣れているから、そう心配しなくていい。おまえよりずっとうまく対処するだろう。ただ、体調の優れない息子が勝手に行方をくらましたとあっては大事だ。いいな、すぐに連絡するんだ。ではな』
 冷静な指示を最後に、緑間との通話が切れた。
 幾分落ち着きを取り戻した頭で改めてディスプレイを見ると、あいつの母親からの着信が何度か入っており、その後彼女の携帯からメールを一通受信していた。開くまでもなく用件はわかった。
 落ち込んでいる場合じゃない。まだ、俺にとってのこの一大事は解決していない。
「悪ぃ、もう少しの辛抱な」
 腕の中でぐったりと眠るあいつを抱えたまま、俺は着信履歴の番号に折り返した。

*****

 携帯での連絡から程なくして、あいつの母親が俺のアパートへやって来た。緑間に黒子から目を離すなと言われていたことと、あいつ自身が俺の肩部分の服を握りしめていて引き離しづらかったことがあり、あいつを抱きかかえたまま玄関に出た。かなり異様な光景だっただろうが、母親は驚くことなく、まずは息子の顔を覗き込んで様子を見ていた。彼女は慌てることなく、ご迷惑をおかけしてごめんなさいと俺に一言入れてから、テツヤ、テツヤと朝寝坊の子供を起こすような調子で呼び掛けた。俺が何度呼んでも頑ななまでに開かれなかったまぶたは、母親の声と軽い揺さぶりに反応し、のろのろと持ち上がった。母の力は偉大とはこのことか。
 あいつは母親の姿を見とめると、俺の肩を掴んでいた手を離し、ずるずるとその場にくず折れた。玄関口にぺたんと座り込み、腕を突っ張って床に手をついた。しばらく彼女を凝視していたかと思うと、やがてぼろぼろと泣き出した。
 お母さん、お母さん、ごめんなさい。僕またご飯食べませんでしたか。せっかくつくってくれたのに。心配掛けてごめんなさい……。
 記憶は飛び飛びのようだが、母親の顔を見て自分が食事をとれていないことを思い起こしたのだろうか。反抗期前の子供のような素直さであいつは母親に謝り続けた。気分が落ち込んでいることで、ことさら自責の念が強く出ているのかもしれない、あいつはごめんなさいごめんなさいとなかば壊れたレコーダーのように繰り返していた。
 さすが二十数年あいつの母親をやっているだけあって、扱いは手慣れたものだった。子供返りしたようにわんわん泣いて謝るあいつをなだめすかしつつ、彼女は手荷物の中からピルケースと水筒を取り出し、薬を一錠(おそらく頓用の安定剤だろう)、あっという間に飲ませてしまった。恐ろしく効率のよい手際に関心を通り越して呆気にとられた。ある種のルーチン化された動きのように思える。つまりこのような事態は、彼女にとって珍しくないということなのだろうか。
 俺はこの場では完全に部外者であらざるを得なかったが、あいつのふらつく上体を支えるため、少し後ろに引いて脇に手を添えていた。母子の間でそれなりの長さのやりとりがなされるが(ほとんどは、あいつのごめんなさいという言葉で占められていた)、最終的にあいつは病院へ行くことに同意した。それならまずは移動しなければはじまらないと、俺はあいつの胴に腕を回してずり上げた。意識はあるものの体は完全に脱力しており、とても自力で立てる状態ではなかった。黒子の母親はあいつと同じで線が細く華奢だ。標準より軽いとはいえ成人男子ひとりを支えるのは無理がある。俺は同行を申し出、あいつの体を抱き抱えて母親の車の後部座席に乗り込んだ。運転は彼女がした。俺は万一あいつが錯乱して急に暴れたりしないよう、軽い力で腕を押さえていた。もっとも、疲れているのか薬の効果か、あいつはだらりと体を弛緩させ、うとうとするばかりだった。
 移動中の車内で、運転席の母親と言葉を交わした。なんだか自分がこの事態を引き起こしてしまった気がして、俺は彼女になじられるのではないかと身構えていたが、彼女は俺があいつの面倒を見ていたことに対し謝罪と感謝を述べるだけで、俺を責めるようなことは一切なかった。
 あいつとよく似た丁寧な口調で、あいつの母親が語る。
 テツヤ、ときどきすごく気分が沈んでしまうみたいなんです。すぐによくなるときもあるんですが、一度スイッチが入ってしまうと長引いてしまうんですね。こうなるとほかの症状も悪化してしまって……。いまよりもっと悪かった時期を思い出して、私も見ているのがつらくなるときがあります。ごめんなさいね、火神くん、驚かせてしまったでしょう? しっかり説明しておくべきでした。最初の頃は私たち家族もどうしていいのかわからずうろたえていました。事故後のこの子の状態を受け入れるのは、親である私でも簡単ではありませんでしたから。
 最初は非常に戸惑っていましたが、テツヤが時折こうなってしまう理由が、いまは少しわかる気がします。この子、自分で動けてちゃんと話せて一見元気そうだけれど、頭の中は傷が残っているんですから。普段生活するだけでも、私たちよりたくさんエネルギーを使わなくてはいけないんでしょう。ただでさえ損傷のある脳を必死に働かせているんだから、ときにオーバーヒートしてしまうのも無理はないんだと思います。この子が時々こんなふうにダウンしてしまうのは、頭が疲れすぎて、これ以上は働けない、休まないといけないというサインなんだと思います。強引にでも休ませるために、心と体を動けなくしてしまうんでしょうね。普通に生活しているだけでも負担が大きいのだから、それさえさせないように……というと、このくらいの状態にならざるを得ないのでしょう……。
 彼女の説明に医学的根拠があるのかは俺の判断できることではないが、腑に落ちると思った。
 こんなかたちにでもならないと、こいつは休息すら許されないのか。
 普段から無理をしていたんだな――後部座席で四肢を投げ出しぐったりしているあいつの髪を梳く。痛々しい姿だと感じると同時に、こんなになるまでがんばっていたのかと思うと、その健気さにどうしようもなくいとおしい気持ちが湧いてくる。
「おまえ、働きすぎだってよ。たまには休まないと、な」
 額に指を触れさせそう呟く。この内側にある、傷ついて疲弊した頭の中身に――あいつの心をかたちづくっているであろうものに対して。

つづく


 

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