珍しい冬の嵐がもたらした停電の夜から一週間、クリスマスの終わった街は一夜にして年末モードに切り替わり、カレンダーの最後のページもいよいよわずかな数字を残すだけとなった。最寄りのスーパーに同居している百円ショップでは数日前まで大々的に販売されていたツリーの装飾品やサンタクロースの赤い帽子といったクリスマスグッズは姿を消し、見るからに安っぽいつくりのおもちゃの鏡餅や門松、しめ縄といった正月を彩るアイテムが一番目立つディスプレイに並べられている。多くの年中行事が宗教の色を薄れさせている現代日本だが、やはり舶来の行事に比べれば年末年始は伝統という名の民俗宗教の面影を残しているように感じられる。とはいえ、伝統と呼ぶのなら旧正月を祝うべきなのだが。
多くの日本人にとってクリスマスはイブで終わるので、二十五日にスーパーに寄ったところ、アルコール類の棚の手前に置かれたワゴンに、クリスマス仕様のパッケージに包まれたお遊びレベルのシャンパンが正規の値札の上に値落ちした額のシールを貼られてぽつぽつ残っていた。アルコール度数一パーセント未満。ほとんどジュースだ。というより法律上、酒には含まれない。酒税法ではアルコール分が一パーセント未満のものは酒とみなされないからだ。要するにこのシャンパンはただの甘い炭酸水。こんなものに数百円支払うのはもったいないと、染み付いた貧乏性が即座に訴えかけてくる。しかし俺は少しの迷いのあと、ワゴンの中ほどにあったボトルを一本手に取り買い物籠に移した。この週末はこちらで練習を行う。そして一週間後はすでに年明けで、ちょうど正月休みの只中だ。つまり今週末が今年最後の練習日。はっきりと確認はしていないが、さすがに年末年始の休暇中は通常のトレーニング予定は組めないし、向こうもそれを求めたりはしないだろう。年明けの練習までそれほど長い時間が空くわけではないが、師走に入ってやっと平常の練習ペースに戻ったのに、またすぐ空きの期間が発生するかと思うと、ちょっぴり残念な気持ちがよぎる。それでセンチメンタルな気分になるほどの感受性は持ち合わせていないつもりだが、スーパーで安売りのシャンパンが目に入ったのも何かの縁、彼と囲む今年最後の夕食にちょっとしたアクセントを添えてみようという気になった。俺も赤司も酒にはあまり興味がなく、一般人に比べはるかに強度の運動をこなしていることもあり、普段アルコールは摂取しない。とはいえ俺は体質的には飲めるので、職場の飲み会や友人との飲みで少々酒を頼むことはある。赤司は下戸とまではいかないが、アルコールは不得手らしい。分解酵素の働きが鈍い、パッチテストをすると時間差で皮膚が赤くなるタイプだと思われるが、度数一パーセント未満のシャンパンなら問題ないだろう。シャンパンもどきの飲み物を出すなら洋食がいいかな、と週末のメニューに思考を巡らせながら売り場を歩く。結局無難にクリームシチューに決め、自分基準でいつもよりグレードと値段の高いルウを選ぶ。多めにつくっておけば翌日の朝食にもなるし。シチューに鶏肉を入れるのでメインには白身魚のムニエルを据えようかと思ったが、クリーム系とバターの組み合わせは日本人の舌にはくどいかもしれない。ここは洋にこだわらず塩焼きあたりがいいか、塩ならよっぽどほかの料理と不調和を起こさないし、と鯖の切り身を探していたところでノルウェー産のサーモンの切り身が目に留まる。あ、鮭のカルパッチョにしよう、レモン果汁でさっぱり風味にすればシチューと味がかぶらないし、サラダも兼ねることができるし。今年は秋からレタスの値段が下がらなくてキャベツに偏りがちだったけど、たまにはレタスを使おう。思い立った瞬間に白のトレイにパックされたサーモンを手に取り、グラム数と値段を確認しながら適量のものを選び、籠に入れた。それから野菜売り場に引き返しレタスを一玉。遅れてクリスマスを祝うなんて意識はないけれど、ちょっとだけイベント気分に浮かれている自分を自覚した。忘年会と呼ぶにはささやかすぎる……まあ一年お疲れ様会といったところか。すでにルーティンになって久しい週末練習がなんだか待ち遠しく感じられた。
土曜の夜、いつも麦茶を飲む色気のない耐久ガラスのコップにうっすら色づいた液体を注ぐと、何に対してとは言わず、お疲れ様でしたー、と控えめな乾杯をしてから甘く弱い炭酸水を口に含んだ。風味をつけた砂糖水のような、なんとも締りのない味だ。クリスマスの在庫処理品なんてみみっちいことはせず、ちゃんとした酒にすればよかったかと思ってしまう。しかし赤司はそんな俺の心境を読んで先回りするがごとく、お酒じゃなくてよかったよ、と微苦笑した。これまで機会がなかったこともありあまり酒の話をしたことはなかったのだが、どうやら彼は体質的な問題だけでなく、アルコールの刺激を好まないらしい。そのことについてわずかながら自嘲気味の表情を見せたことは意外だった。アルコールは毒だ、生体にとって摂取の必要性などない、くらいの心意気で平然と構えていそうな性格だと思っていたから。
シチューから立ち上る湯気にはブイヨンとクリームの香りが混じり鼻孔をくすぐる。ルウの値が張るだけあり、普段自宅で食べるシチューよりも濃厚な味だ。きっとおいしいのだろうが、安いルウに慣れ親しんだ舌は相対的に薄いいつもの味をちょっと恋しがった。
「そっか、赤司も年末年始は帰省するんだ」
今日が年内最後の練習日ということで、必然的に今後の予定が話題に上る。俺が三十日に実家に帰ると伝えると、僕もそのへんで帰ることになる、と赤司が言った。
「ああ。さすがに正月は顔を出さないと。親族も集まってくることだし」
「忙しい?」
「というか慌ただしい。挨拶を受けたりこちらから行ったり。ここ数年、初詣は辞退という名目で免除されているが。あんなところではぐれたら大変だ。あっという間に方向感覚を失ってしまう」
赤司の家庭事情はよく知らないが、どう考えてもよい家柄の出に見受けられるから、挨拶回りやら接待やら、年始はある種のお仕事モードなのかもしれない。考慮はされているだろうが、目が不自由な身で一年に一度のイベントをこなすのは大変だろう。なんとなくだが、正月は和装で固めていそうなイメージがあるし。
「場所によるんだろうけど、初詣は基本混み合うもんなあ。うちはたいてい寝正月だから、初詣の混雑っていうとテレビのニュースで見るくらいだけど、大変そうだなって思うよ」
「寝正月か。憧れるな」
ロールパンを片手に彼が心底羨ましそうなため息をつく。俺は彼の忙しさなど知らないが、寝正月が贅沢であることはわからないではない。あれはまさにくつろぎの時間だ。
「まあ、実家でごろごろできるってのはありがたいかな。母親のありがたみが身にしみるよ。だから初売りの荷物持ちくらいはつき合わないとって気になる」
「正月はお母さんとショッピング?」
問われ、俺は特にためらうでもなくうなずいた。十代だったら母親と一緒に買い物なんて恥ずかしくてひとに言えなかっただろうが、社会に出て親の偉大さを感じ改めて感謝の念を抱くようになってからは、たまにはつき合わないとなー、と軽い義務感に駆られる。
「多分一回はどこかのモールに行くことになりそう。あくまで母親のお供として行くだけだからあんまりあてになりそうにないけど、時間がとれたらキッチン用品の売り場のぞいてくるよ。卓上のならクッキングヒーターあるかもしれないから。まあ、日を改めて家電量販店に行ったほうが確実なんだけど。冷蔵庫も見たいし」
互いの誕生日プレゼントとして卓上IHコンロを折半で購入すると決めたものの、まだネットなどで品定めはしていない。年末休暇に入ってからでいいやと緩く構えているうちにあっという間に年の瀬が迫ってしまった。俺のことだから、休暇に入ったらだらけるあまりいろいろなことを先延ばしにした挙句いくつかは忘れてしまいそうだ。ネットだといつでも見られるという気楽さが仇になり結局見ずじまいで年明けを迎えそうな気がするので、正月中に一度店頭に赴いて直に下調べをしようという算段でいる。
「冷蔵庫? 新調するのか?」
「うん。いまうちにあるやつ中古でさ、そろそろ寿命が来そうだから、壊れる前に買い換えたいと思って。夏は中身の入れ替えが大変だから、買い換えるなら冬かなーって。ボーナス出るの待ってたんだ。久しぶりに大きな買い物だよ」
「なるほど。確かに暑い季節だと冷蔵庫の中身が心配だな」
「まあ、急ぎのもんじゃないし、よさげなのがなかったら見送るけど。もし新調したらちゃんと案内っていうか説明するよ。飲み物の位置とかわかんないと困るだろうし」
「ああ。頼むよ」
洋食の体裁を整えた夕食を終え、もともとたいした量のないシャンパンのボトルは空になった。入浴前のひと休みとして、ふたりで炬燵に脚を突っ込み緑茶をすする。音量を絞ったテレビでは、暦よりも一足早くはじまった年末特番が流れており、こうして一服しながら眺めていると、ああ、もうすぐ一年が終わるんだな、としみじみしてくる。
「次に会うのは年明けかあ……」
湯呑みを卓袱台に置いたとき、自然、そんな言葉が口から漏れた。
「どうした?」
「いや……大会のあとやっと練習再開できたと思ったら、すぐまた一時中断になっちゃって、なんていうか……」
なんと表せばいいんだろう、この気持ち。一ヶ月近い休養期間を経て、最近また彼と以前のように泊まりの練習をするようになって、きっと俺は心弾んでいた。十一月中もひとりで軽いトレーニングはしていたが、それだけでは物足りなかったのは練習量が少なかったことのみが理由だろうか。
「なんかさ、せっかくまたふたりで練習できるようになったのに……」
口を開いてみたものの、やっぱり言葉が見つからず尻切れトンボになってしまう。顎を上向かせて虚空を見上げたとき、
「寂しい?」
「へ?」
彼の短い疑問調の言葉が耳に届き、俺はきょとんとした。寂しい。その形容詞が頭に響くより先に、彼がしばしばやってみせる芝居がかったトーンで言う。
「つれない反応だな。僕は寂しいのに。きみと走れなくて」
「え……あ、ああ、そっか。伴走者いないと外に走りにいけないもんな。実家にもルームランナー置いてあるんだっけ?」
赤司のマンションには室内練習用のルームランナーがあり、それとは別に実家にも一人暮らし前に使用していたものがあると、以前聞いたことがある。だから帰省中も走る練習自体はできるだろうが、彼の視力では屋外をひとりで自由にランニング、なんてことはできない。休暇中はもちろん大学も休みだから、部活もやっていないだろう。年明けの練習までは十日ほどもあるから、その間満足に表を走れないというのは彼にとって物足りないに違いない。
「ルームランナーとロードワークじゃ全然違うもんなあ。年明けたらまたいっぱい外走ろうな」
励ますつもりで笑ってみたのだが、
「ほんと、つれないね……」
彼は小声で何やら呟くと、肩の上下がはっきりとわかるほどの大きなため息をついた。自由にランニングに出られる俺が言うべきことじゃなかったかな……。それとも、正月の忙しさを思ってテンションが下がったのだろうか。彼は十秒ほど目に見えて気落ちしていたが、やがて姿勢を正すと、ふふっと笑いながら、
「来年もよろしく」
「え?……あ、ああ、うん、こちらこそ。よろしくな」
フライングの挨拶を交わすことになった。その顔には失望の色はなく、穏やかな微笑が控えめな花を添えていた。
今年がはじまったとき、まさか赤司とこうして一緒に過ごすことになるなんて、誰が思い描けただろうか。今年の春まで、俺は赤司の存在さえほとんど忘れていたというのに。いや、あんな強烈な記憶をそうそう消えるはずないのだが、高校時代の友達と昔話に花を咲かせるとき以外思い出す機会がないという意味で忘れていた。俺の記憶の中の彼は、高校の部活動で少しだけ知ることになった極めて優秀なバスケットプレイヤーであり、そこで時間は止まっていたし、そこから動き出すこともないと思っていた。それが、まさかランナーとして再会し、ブラインドランナーとその伴走者というちょっと変わったかたちで一緒に走るようになるなんて。新しい学校に進学したときより、はじめて社会に出たときより、大きな変化のあった一年だったと思う。人の縁とは不思議なものだ。この縁が来年も続くといいな――俺は漠然と、そして脳天気にそんなことを考えながら残り少なくなった師走の日々を過ごした。
*****
赤司に話したとおり、俺の一年は寝正月ではじまった。実家の俺の部屋は荷物は少ないながらそのまま残っており、家電も概ね揃っている。アパートから持ってきたノートパソコンで家電の通販サイトを眺めつつ、正月恒例のマラソンや箱根駅伝の中継をちらちら見た。マラソンのトップレーサーを追うカメラに、やっぱりテレビだとスピード感が伝わってこないなとちょっと残念に思う。箱根駅伝は選手が非常に苦しそうで、見ているこっちも気分的に苦しくなってくる。一種の伝統行事だけに、背負うものやしがらみもたくさんあるんだろうな、なんて競技外のところに想像が行ってしまう。一介の市民ランナーである俺にはわからない世界だし、大きなお世話だろうと自覚はするけれど。
母の買い物のつき合い、旧友との飲み、家電量販店のリサーチなど、寝正月なりに外に出る機会はあり、あれよあれよと休暇は過ぎ去り、すぐに仕事はじめとなった。一年を通して節電モードの市役所は、照明が絞られ薄暗く、そして寒い。休暇明けの体にはきついなあ、と同僚と呟き合いながら、また一年がはじまる。とはいえ、年度の切り替えは四月だから、むしろこれから終わりに向かっていくような気分ではある。
練習再開は翌週末からで、土曜日に大学で練習したあと赤司のマンションに泊まった。翌日、俺はレンタカーを借り助手席に赤司を乗せ、郊外のショッピングモールへと出掛けた。共同で相互の誕生日プレゼントである卓上コンロを買うために。家電量販店にしなかったのは、俺の家の調理器具がIH対応でないため、少なくとも鍋をひとつ一緒に購入しなければ意味がなかったからだ。視力の低い彼に商品を説明するのは、実際に触れさせて操作させる必要もあり時間が掛かったが、午後一時過ぎには目当ての品を揃えることができた。音声案内機能付きの卓上クッキングヒーターと、鍋とフライパンを兼用した電磁対応パン。レンタカーを利用したのは荷物がかさばるのを見越してのことだった。赤司を休憩所に残し、急ぎ足で駐車場へ行って荷物を積み込み、引き換えに後部座席の自分の荷物から、ラッピングされた軽い包みを取り出す。包装紙がちょっとゆがんでしまったが、影響を受けるような中身ではないので大丈夫だろう。足早に休憩所に戻る頃には午後一時半を回っており、モール内の飲食店で遅い昼食を取ることになった。その後彼を自宅に送り届けるついでに俺も上がらせてもらい、本日の支払いの半分を渡した。彼がそれを確認しきちんと納めたのを確認すると、俺は椅子の足下に置いた自分の泊まり用バッグからティッシュ箱をひしゃげたくらいの大きさの軽いビニールの包みを取り出した。きれいにラッピングされていたはずのそれは、鞄の中で押しつぶされ、包装が少々破綻してしまったが、中身に影響はないはずだ。食卓の向かいで紅茶を飲んでいた彼は、ガサガサとあからさまに響く紙と布の音に訝しげな顔をしている。
「赤司……あの、渡したいものがあるんだけど、いいかな」
言いながら、俺はテーブルの上に包みを置いた。ラッピングに使用されているビニールの袋は不透明なピンク色。彼にかわいい呼ばわりされていることへの意趣返しというわけではなく、無料サービスのためラッピングの種類を選べなかったというだけだ。
「なんだ?」
ことり、と赤司がテーブルにティーカップを置く。
「ええと……すっごく遅れちゃったけど、誕生日プレゼント」
と、俺は包みをテーブルの上でスライドさせるようにして前方に送った。赤司は音でプレゼントの存在と位置を大雑把に把握したようで顔を下の向けたが、腕を伸ばそうとはせず、目をぱちくりさせている。
「今日卓上コンロを買ったじゃないか、共同出資で」
「そうだけど、実質俺の私物にさせてもらうことになるからさ、やっぱり半々じゃ悪いなーと思って。正月休みにちょこっと買い物に行ったんだ」
プレゼントを買ったのは今日ではなく、年始休暇中に母の買い物につき合ったときだ。例年気乗りしない初売りだが、今年は目的意識をもって売り場を巡り、いくらか悩んだのち、このプレゼントに決めたのだった。昨日のうちに渡してしまわなかったのは、先にプレゼントしてしまうと差額に関わらず彼が今日の支払いを全部受け持つと言い出してしまうような気がしたから。現に彼は金額の端数を負担してくれた。
彼は数秒ぽかんと口を開けていたが、やがて複雑そうに表情をゆがめたあと、
「……きみのほうが一枚上手だったかな?」
苦笑交じりに呟いた。俺が別途プレゼントを用意するとは思っていなかったらしい。もしかしたら先手を打たれるかと警戒していたが、杞憂だったようだ。まあそれだけ俺の甲斐性は期待されていなかったということかもしれないが。
「いやそんな。気を遣って改めて何かプレゼントとか考えてくれなくていいから。高価なもんでもないし、ほんと、気持ちだけ。……受け取ってくれる?」
ある意味事前の取り決めを破るルール違反にあたると言えなくもないので、彼が気を悪くするのではないかと心配したが、彼は苦笑を濁すようにぽりぽりと頬を掻くと、今度はきれいに口角を持ち上げて微笑んだ。
「もちろん。嬉しく思う」
よかった、と俺はほっと息を吐いた。
「一応無料サービスがあったからラッピングしてもらったんだけど、どうしよう、俺が出して中身だけ渡しちゃったほうがいい?」
「そのほうが助かる。中身は何なんだ?」
「中身? ええとね――」
「あ、待て、言うな。まずはそのまま渡してくれ。当ててみる。食べ物ではないだろう?」
「うん、違うよ。直接触っても大丈夫なもの。多少力を込めても大丈夫だよ」
彼が両手を前に差し出してきたので、俺はテーブルのカップを脇に寄せてから包みの中のものを取り出し、彼に渡した。
「はい、これ。なんだと思う?」
「布……? 柔らかい。ふかふかした感触がする。防寒具の類か?」
「あ、すごい、その通り」
俺が渡したのはカテゴリとしては衣類だ。彼はそれを両手の中で軽く握ったり、縁を探るように動かして指を這わせたりした。
「手袋……ではなさそうだな。マフラーにしては短い。帽子か?……いや、ちょっと形状が違うような」
「大分近いよ。でも、そのへんのに比べるとメジャーなグッズじゃないから思いつきにくいかも。短いマフラーってのが一番近いかな」
俺がヒントを出すと、彼はすぐにピンと来たようだった。
「ああ……ネックウォーマー?」
「正解。ほかの防寒具に比べると持っていない可能性が高いかと思って。その分必要性は劣るけど。最初は無難かつ実用的にスポーツ用品にしようと思ってたんだけど、たまたまネックウォーマーが目に入ってさ、あ、こういうのもいいかもと思って」
俺が彼へのプレゼントとして選んだのは、アウトレットのカジュアル系紳士服売場で見つけたネックウォーマーだ。一応ちょっとしたブランド物だが、セール価格だったので安く買うことができた。色は黒。隅っこに小さなロゴが入っている以外は無地。汚れが目立たず、どの服にも合わせやすいだろうと思い、無難なデザインのものにした。ただひとつこだわったのは、生地だ。生地そのものが柔らかく、起毛が長すぎず短すぎず、かつきめの細かいものを探した――つまり、薄い毛布みたいなものを。
「ネックウォーマーか。使ったことがないな」
「そうなんだ。あったかいよ?」
「どうやって着ければいい?」
「あ、ええとね――」
俺は椅子から腰を上げると、彼の席の横まで移動し、その首にネックウォーマーをつけてやった。黒い生地は彼の赤い髪を際立たせ、思った以上に見栄えがよかった。いや、自分の品選びの目を褒めるわけでなく。使用者の素材が上等だから、きっとたいていのものは似合っただろうし。
「こんな感じで、ほんと首用って感じ。口ぐらいまでは伸ばせるけど。銀行強盗みたいなタイプもあったけど、見た目怪しいし耳が塞がっちゃうからやめておいたんだ。着け心地はどう? 違和感ない?」
実はイヤーマフも候補に上がっていたのだが、聴覚への妨害になりかねないと思いあたり、ネックウォーマーにしたのだった。
「平気だ。確かに暖かいな」
「こんな感じで口元を覆うとよりあったかいよ」
ネックウォーマーの上端を引き伸ばし、鼻下まで持ち上げる。
「くすぐったくない?」
「大丈夫だ」
「よかった。なるべくもふもふしてるのを選んだんだ、くすぐったくない範囲で」
「もふもふしたのを?」
「うん。好きかなーと思って。……あ、別にからかってるわけじゃないよ?」
毛布に似た手触りの生地を探したのは、もふもふ感を求めてのことだ。去年の彼の誕生日――つい先月のことだが――冬の嵐の翌朝、夢の中を漂う彼が見せたあの子供っぽく幸せそうな仕草と表情はやけに印象に残っている。毛布の顔を押し付けて、嬉しそうに緩んだ表情で頬をすりすりさせていた、あの動き。売り場でネックウォーマーを見かけたときはそんな考えは少しもなかったのだが、さまざまな品を手に取り色や手触りを比べているうち、ふかふかした触り心地の商品を手の皮膚に滑らせていたら、あのときの彼のかわいらしい仕草が脳裏に蘇り、その結果選ぶに至ったのがこのネックウォーマーだ。実はもっとふかふかもふもふした感触のものもあったのだが、毛足の長さや繊維の質によっては、口元に当たるとくすぐったかったりくしゃみを誘発されそうになったりしたので、そうならない範囲で一番柔らかくて心地よかったのがこれだった。
もふもふしたネックウォーマーを選んだと、素直にも告げてしまった俺に、彼の目がすぅっと細められる。
「ほう……」
「お、怒った?」
余計な情報だったかも、と慌てかける俺だったが、
「いや、嬉しいよ」
彼は目を閉じると、右手でネックウォーマーを押さえ頬に当てた。
「ほんとだ、もふもふしている。きみもこういうの持っているのか?」
「うん。俺のはあんま毛羽立ってないけどね。実はさ、もっとふかふかした商品もあったけど、試着したら顔がくすぐったくて。それが一番無難そうだから選んだんだ。あ、デザインも無難に無地の黒だから安心して。隅っこにロゴ入ってるけど目立たないし。フォーマルな服じゃなければ、たいてい合わせられると思う」
自力でデザインを確認できない彼に簡潔に外観の説明をする。黒の無地という以外特徴がないので、簡潔だがこれですべてといった感じだ。だからこれ以上説明しようがないのだが、彼は何を思ったか、探るようにじぃっとネックウォーマーを見下ろしている。多分黒の物体としてしかとらえられないのではないかと思うのだが。
「きみもこれ、試着してみたのか?」
「うん、買う前にちょっと試させてもらった。あ、でもちょこっとだけだから、フケとかはついてないと思うよ?……多分」
俺が試着済みというのがお気に召さなかったのかなと身構える。彼は潔癖症というわけではなかったと思うのだけど……。
「そうか……」
俺の心配とは正反対に、彼はネックウォーマーを外すどころか、顎から口元に生地を押し付けた。そして、その感触を楽しむように首を緩く左右に振った。きゅっと閉じられた目が、撫でられている最中の猫みたいに気持ちよさげだ。
「もふもふ気に入った?」
「そうだな。とても気に入った」
彼はふっと口の端を持ち上げると、突然椅子から立ち上がった。そして俺のほうに体を向けると、両手でネックウォーマーを引き上げ、顔の下半分を覆った。
「光樹」
「え? 何? どうしたの?」
首を傾げる俺の前で、彼が楽しげに目元を笑ませながら、ネックウォーマーを水平方向に小刻みに動かした。
「もふもふ!」
やけに嬉しそうな声。そして限りなく子供じみた言動。どうやらもふもふ、ひいては俺の選んだプレゼントは彼の好みに合致したようだ。彼を童心に返すほどには。
彼はよっぽどネックウォーマーが気に入ったのか、その後俺が帰るまでずっと、室内では防寒の必要なんてないのに首を暖めたままだった。まるで新品の靴を買ってもらった子供が、部屋の中でおろしたてのそれを履いて歩き回るのを楽しむかのように。プレゼントをした俺に気を遣って過剰に「気に入ったよ」パフォーマンスをしてくれていたのかもしれないが、終始上機嫌だったことから、彼を困らせるような贈り物ではなかったようだ。ネックウォーマーが彼にとって必要かどうかはわからないが、少なくともプレゼントという行為そのものに対しては、純粋に喜んでくれているように感じられ、こっちまで嬉しくなってきた。彼の上機嫌がうつったのか、俺もまた楽しい気分でレンタカーに乗って帰途についた。