誕生日を過ぎても、俺の日常にこれといった変化はなかった。自覚がないだけで魔力自体はすでに備わっていますよ、そのままもう少し魔力を体に馴染ませてください。誕生日の日の夜、食卓を囲みながら黒子がそうアドバイスをしてきたが、何をすればいいのかわからない。首を傾げる俺に黒子は、そのまま普通に生活していてください、と投げやりなのかシンプルなのかわからない助言を付け加えた。
魔法使い云々という意味での変化はまるで感じない日常を送っていた俺だったが、生活拠点が移ったこともあり、いままでと同じように日々を過ごしたわけではなかった。もちろん、朝起きて学校に行って、三食食べて、夜は寝るといった基本リズムがそのままだし、学校での生活や人間関係も維持されている。ただ、いま暮らしているこの家の中では変化があった。黒子とはもともと友人関係だったので、合宿の延長みたいな感覚で共同生活を送っている。だから黒子との関係は、魔法や魔界についてちょくちょく話を聞く以外にはこれといって変わりがなかった。大きな違いといったらずばり猫。犬は以前飼っていたことがあったが、猫はたまに野良猫やどこかの飼い猫が道をうろついているのを見かけるくらいで、身近な存在ではなく、特別好きという感情もなかった。しかしこの家で出会った黒猫は、大層見目がよい上に懐っこく、初対面の数分後には俺はめろめろになってしまった。居候をはじめたばかりで不慣れなはずのこの家にも、猫を媒介として愛着を感じつつあった。家に帰ったらアカシに会えると考えれば、この家に足を向けるのも満更ではない、むしろ早く帰りたいとさえ思えるのだった。黒子によればあまり愛想のよくないクールな猫だという話だが、何かの間違いなんじゃないかと疑いたくなるくらい、アカシは俺に懐いてきて、存分にいちゃつかせてくれた。俺が居間で黒子と一緒にテレビを見たり課題をこなしたりしていると、廊下や隣室の戸を器用にもひとりで開けて入ってきたアカシが足音もなく忍び寄り、番組や問題集に集中している俺の横まで来てちょこんと座り、注意を引きたがるように前脚を伸ばしてちょんちょんと俺の膝頭を軽く叩く。そして目が合うと同時に、みゃあう、と甘えた声を立てるのだ。どうした、退屈だった? 一方的にしゃべりながら俺が片手をアカシの顔の前まで差し出すと、彼はクンと少しだけにおいを嗅いだあと、すりすり頭を擦りつけたり、指を両の前脚で抱えるようにして挟み込んでからざらついた舌を這わせたり、甘えるように指先を吸ったり甘噛みをしたりする。あまりの愛らしさに俺の頭からはテレビも課題も消え去り、目の前の黒猫をなでなでしたいという欲求に支配される。こっちに来てよ、と俺が自分の膝を叩くと、アカシはそれを合図にして俺の股ぐらに入り込み、体を伏せる。温かいし柔らかいし毛は滑らかで気持ちいいしで、俺はうっとり彼の背中を撫でるのだった。猫の抱き方なんてさっぱりな俺にもアカシはおとなしく抱っこされてくれて、ぎこちない姿勢と動きをする俺の腕の中でもなんら動じることがなかった。たまに俺の腕に尻尾を絡ませてくることがあるのだが、その動きがまたかわいくてたまらない。アカシを抱っこしているというのに、思わず床に転げ回って身悶えたくなるくらいだ。もう、自分の胸の中でキューン! って音が鳴るのがわかるほどだ。
また、各々が自室に引き上げる時間帯になると、はじめて一緒に寝てくれたあの夜以来、彼は俺の就寝時刻を見計らうようにして俺の部屋までやって来て、廊下側からかりかりと戸を掻いたり、来訪を告げる鳴き声を上げたりする。招き入れると布団まですっ飛んでいって枕横に座り、早く寝ようよというようにじぃっと俺を見つめてくる。そんな目で見られたら夜更かしなんてできないさ! 照明を落としいそいそと布団に潜り込み、掛け布団の端をちょこっと持ち上げてアカシを入れてやる。俺が布団の中をのぞき込みながらおやすみを告げると、彼は挨拶代わりだというように俺の鼻頭に自分の鼻を押し付けた。なんかちゅーでもされているみたいだ。童顔の黒猫の仕草はどれもいちいちかわいくて、俺はついつい赤ちゃん言葉で「もー! かわいいでちゅね~!」なんて悦に入ってしまうのだった。猫やべえマジ萌える。幸せ。
こうして俺は黒猫アカシを交えた黒子宅での新生活をなんだかんだで満喫しはじめていたのだが、その矢先、俺のささやかな幸福をメッタ刺しにするような出来事が起きたのだった。
居候をはじめて以来、俺は黒子からちょくちょく魔法や魔界についての解説を受けていた。といっても込み入ったものではなく、ごくさわりだけ。いわく、まだ魔法使いの自覚のない俺にくどくど説明したところで、『ハリー・ポッター』シリーズの設定を聞くのと感覚的には変わらないだろうから、ということだった。確かに魔法とか言われても俺にとっては完全にファンタジーの世界のことだから、虚構の話を聞いているのと大差ないかもしれない。もっとも、初日のお役所の印象からすると、黒子たちの言う魔法の世界というのは、人間の夢と想像をぶち壊しにする、世俗的で人間臭い世界のように感じられるけれど。
魔法使いたちの世界は日本語で魔界と呼称されるが、英語だとマジックソサエティと言うらしい。言語を変えただけでいきなりポップな印象になる不思議。魔界だとおどろおどろしいが、マジックソサエティというとさしずめテーマパークじゃないか。アリスとかいそうだな……。完全なる俺の独り言に対し黒子が「彼女はいま著名なアニマルトレーナーとして魔界で成功をおさめてらっしゃいますよ。現在の人間界で言うシーザー・ミランですね」なんて唐突な説明を加えてきた。え、アリス実在すんの? しかも動物のトレーナーとか……なんかいろいろひどくない? またひとつ、俺の中にある夢が壊された気分だった。人間の夢想するところの『魔法』と実在の『魔法』とのギャップに言い知れぬ失望を感じるのを止められない。しかし、そもそも人間が勝手に魔法というものに夢を見ているだけのことだから、現実の魔法使いに対し、なんか違うと思うんですけど、と文句をつけても仕方ない。俺が遠い異国の人間に「なんで日本人なのに忍者じゃないの?」と言われても困るのと同じことだろう。しかしやっぱり、落胆と失望の影が払拭できないわけで。
「魔法使いとか意味わかんねーっての」
風呂上がり、俺は居間の畳の上でごろごろしながら、猫相手に不満を愚痴っていた。ここでの生活についてというよりは、魔法使いのイメージがあんまりなことについての愚痴が多かったが、いきなり魔法の世界に足を踏み入れることになった現状についてもぶつぶつ呟いた。親を恨む気はないが、もうちょっと事前になんとかならなかったものかとはやっぱり思うわけだ。魔界の掟だか法律だかが絡んでいる以上、個人の努力でどうこうなる問題でないというのは理解できなくはないのだが、ある日突然当事者となった身としては、納得がいかないというものだ。
「やっぱりこれ、盛大なドッキリなんじゃねえ? 俺を騙して得するやつがいるとは思えないけど……」
猫が人語を解さないのをいいことに、委員会の職員や黒子には面と向かって言えない不満やぼやきを垂れ流す。黒子は俺と入れ替わりで風呂に行ったので、この部屋にはいま俺とアカシしかいない。アカシは愚痴っぽい人間を嫌がることなく、おとなしく俺の腕に抱かれていてくれた。
「文句ばっか漏らしててごめんな。おまえくらいにしか思いっきりしゃべれなくてさ」
通じないとわかっていつつ、愚痴につき合わせていることに申し訳なさを感じ、俺は胸に抱いた黒猫の顔を見下ろしながら軽く謝罪した。おまえがいてくれてよかったよー、なんて続けながら、俺は赤ん坊をあやすように上体を揺らしはじめた。と、静かに抱っこされていたアカシが急にこちらを振り返ってきたかと思うと、
「きみの混乱は想像できないでもない。しかしきみが魔法使いであることは事実なのだから、時間をかけてでもそれは受け入れなければならない。なぜなら今後のきみの人生において、魔法は大きなウエイトを占めるからだ」
聞き覚えのない若い男の声が滑らかに言葉を紡いだ。
え? 誰? 誰の声? どこから?
俺は驚きのあまり周囲を見回すことさえできず、アカシを見下ろした格好のまま硬直した。と、視界の真ん中あたりで黒猫の口が何やらせわしなく動いているのがわかった。
「魔法使いであるということは、職業ではなく人種のようなものだ。すなわち自己の意志でなることもできなければやめることもできない。いわば体の一部なのだから、きみはこの先魔法とつき合いながら生きていくことになる」
学校の先生みたいな妙に慣れた感じのお説教口調。その滑らかな言葉は、猫の口の動きに合わせて届けられているように見えた。
猫の口の動きって……猫が言葉をしゃべってんの?
「しゃ、しゃべった!? アカシがしゃべった!?」
う、嘘!? 嘘だよな!? アカシ猫じゃん!? 猫がしゃべるわけ……。
「しゃべるさ。元はきみと同じ人間型の魔法使いだからね」
「え、え……ええっ!?」
驚きのあまりばたつきかける俺の腕の動きをいち早く察知したらしいアカシが、ぴょんと軽々俺の胸の前から畳へと跳んで移動する。わずかな柔らかい着地音のあと、猫はその場でくるりと一回転してから、すっと背筋を伸ばして座った。『魔女の宅急便』に出てくる黒猫のぬいぐるみみたいに。色違いの双眸がまっすぐに俺をとらえたかと思うと、
「やあ、紹介が遅れてすまなかった。改めて自己紹介しよう。僕は赤司征十郎。魔界福祉委員会から、きみの魔法指導員として任命された者だ」
先ほどと同じさわやかな青年の声で、そんな自己紹介が流れる。猫の口はやっぱり動いていた。
や、やっぱりアカシがしゃべってんのこれ!?
あとで冷静になって考えてみれば、魔法なんてファンタジックな設定が出てきた時点で、動物が人語を解する可能性くらい思いついてもよかったような気もする。でも、このときはそんな発想は欠片ももっていなかった俺は、
「くっ……黒子! 黒子、黒子っ……くろこぉぉぉぉぉぉ!!」
混乱のまま、現状でもっとも身近な人物の名前を力いっぱい叫んだ。それはもう、必死に。俺の悲鳴に、しかし黒猫はまったく動じることなく、置物みたいにきれいに座ったままだった。
*****
助けを求める俺の声を聞きつけた黒子が慌てて風呂から出てきてから小一時間は経過しただろうか。混乱のまま思わず抱きついた俺に黒子は、まずは座りましょうと冷静に座布団を勧めた。そして卓袱台の上にフェルト製の小さな敷物を置いた。なんだろうと思っていたら、アカシがひょいとその上に乗り、隣り合う俺と黒子に対面するかたちで座った。しゃべる猫、という架空のキャラクターとしては珍しくもない生き物を目の前にした俺は、見た目が怖いわけでもない黒猫に得体のしれなさを覚え、びびり全開で黒子のパジャマの袖を掴んだ。びくつく俺の背をさすりながら、黒子がゆっくりと説明をはじめた。初日にちょこっとだけ聞いてそれきりになっていた魔法インストラクターの件について。一向に姿を見せないと思っていたその人物のその正体は、いま目の前にいる黒猫のアカシだということだ。つまり、最初にここを訪れたときからすでに俺は師に出会っていたということになる。これまで黙っていたのは、まずは俺を新生活に慣れさせることを優先したかったから、ということだ。それから、俺の性格ではいきなりしゃべる猫には馴染めないだろうから、まずは普通の猫として親しみをもってもらいたかった、とも。その分析は多分正しい。いきなり人語をしゃべる猫と師弟関係を築けだなどと言われたら、俺はそれこそ全力で実家に帰りますモードになっていたことだろう。インストラクターの選定には、俺の現住所や所属校、性格などが考慮されており、その結果候補に上がったのがアカシらしい。俺と黒子が友人関係であることも一考されたようだ。黒子の弁を信じるなら、黒子と俺が親しくなったのは偶然であり、そこには委員会の思惑は絡んでいないということだった。そのあたりの真偽はいま気にしても仕方がないし、第一俺の頭はしゃべる猫から受けた衝撃が大きすぎて黒子の件など些末事に思えたので、突っ込んで話を聞こうという発想も出て来なかった。いまこのとき、俺が気になることといったら――
「な、なんで猫……? 元は人間? なんだよな?」
なんで猫が先生なのかということである。いや、うろ覚えではあるが先ほどの赤司の言葉からすると、大元は人間の姿だということだから、疑問点としてはなぜ猫が講師なのかではなく、講師がなぜ猫の姿をしているのか、ということだろう。いまだ黒子の服を袖を掴んだままおっかなびっくりな口調で尋ねる俺に、黒猫が落ち着いた調子で答える。
「ちょっとばかり込み入った事情があってね。まあはぐらかしても仕方ないから最初に言っておこうか。実は僕、服役囚なんだ」
「ふくえきしゅう?」
あまり馴染みのない単語をとっさに漢字変換できず、オウム返しにする俺に、アカシもとい赤司が事情を話しはじめた。幼く愛らしい外見を裏切るイケメンボイスで。
「五百年ほど前、若気の至りから地球征服計画を企て、若さゆえの軽率さから魔界警察のお縄になってしまってね、裁判の結果、千年間猫の刑を言い渡された。そうして魔法を封じられた上、行動範囲も原則この家の中に制限されている。つまりここは僕にとっての獄中になる。まあ、快適に過ごさせてもらっているわけだがね。刑には社会奉仕活動が定められており、議会の要請の応じて不定期に行うことになっている。僕がきみの講師に任命されたのは、そのシステムによってのことだ」
なに言ってんのこのひと? いや、この猫? あ、やっぱりひと?
突拍子がないにもほどがある説明を俺はすぐには呑み込めなかった。なに、地球征服計画って。いつの時代の悪役ですかあなた。フィクションのネタだとしても古過ぎるとしか思えない。しかし、彼の言葉を反芻するうち、別の単語がぽんぽんと流れてきた――警察、裁判、刑、獄中。
ええと、これって、これって……。
「は、は……犯罪者……!?」
突飛すぎて犯罪の内容は正直想像がつかないのだが、彼が罪を犯して服役中の身だということは伝わった。えっ……ちょっ……しゅ、囚人!? 囚人が俺の魔法の先生なの!? なにそれハードル高すぎやしませんか!?
「若かったんだよ。ほら、当時大航海時代だったり戦国時代だったりで、スケールの大きなことをするのが流行っていた時期だから、僕もつい……。いまのきみたちの言葉で言うと中二病というやつだったのさ。……ああ、恥ずかしい」
大航海時代!? 戦国時代!? えっと……それって十五、六世紀頃だっけ? 五百年くらい前? なにそれ、このひと何歳なの? こないだ黒子が明治維新の生き証人を自称していたが、もはや維新ってレベルじゃないぞ。江戸幕府さえ成立していなかった時代じゃないか。魔法使いは人間に比べると大分長生きだということなので、彼が五百歳のおじいちゃん(?)だというのは事実なのかもしれないが、十六歳の俺は年月の壮大さについていけそうにない。まあ、そのへんは魔法使いだからの一言で割り切ることにしよう。うん、素直にファンタジックでいいじゃないか。しかし、だとしても地球征服はぶっ飛んでいるというか、歴史というよりSFな印象を受ける。
「え、なに、天下統一すっ飛ばして世界征服に乗り出しちゃったの!? スケールでかっ!?」
「やめてくれ恥ずかしい。いまは猛省している。もっと密やかにやるべきだったと」
「それ、罪自体は反省してないよな!?」
しおらしくうなだれながらしみじみと呟く赤司だが、その言葉の内容は開き直ったものだった。反省すべき点はそこじゃないだろう。といっても、何を反省するべきなのか、そもそも世界征服のどのあたりが具体的に悪いのかはイメージが湧かない。当たり前だけど、よく聞くような罪状じゃないもんな。国家転覆罪みたいな、政治犯的な罪にあたるのか? しかし、政治犯だと危険かつ高次の印象だが、世界征服と聞くと途端に中二病臭い空気を感じる。本人もこれは認めていたけれど。
魔法使いもそんなの患うことがあるのか、なんて明後日な感心を抱いていると、
「若さとはときに嘆かわしいものということです」
横に座る黒子が盛大なため息とともに呟いた。
「何を他人ごとのように、テツヤ。おまえも乗り気だったじゃないか」
「だから嘆いてるんですよ、あの頃の自分の愚かさを」
「え……黒子も犯罪者!?」
黒子の同調が、過去の己への羞恥だったと知り、俺は驚きの声を上げた。黒子が世界征服……? 全然結びつかないんだけど。黒子にもそんな時期があったのか?
「ええ、恥ずかしながら」
「ええと……世界征服の罪で?」
「お察しのとおりです。もっとも、首謀者ではなく加担者としてですが」
「黒子は猫にならずに済んだのか?」
尋ねながら、黒子の全身を見回す。俺と大差のないシルエット。紛れもなく人間のそれだ。赤司は猫の刑とやらを食らったらしいが、黒子は違うのか。
「まあ、赤司くんに比べれば軽い罪だったので。僕の刑は、千年間赤司くんをノミから守ることです」
「ノ、ノミから守る……? それが刑罰……?」
なんじゃそりゃ。刑として成り立つのかそれ?
なんかのギャグなんじゃないかと疑わしげに眉をひそめる俺に、黒子が心外ですというように眉根を寄せる。
「お笑いのように感じるかもしれませんけど、公衆衛生の悪かった時代は大変だったんですよ?」
「魔界の刑の基準がわからん……」
猫の刑だのノミから守るだの、およそ刑事裁判の結果言い渡される刑とは思えない。人間社会の価値観とは違うだろうから、魔法使い的には意義のある刑なのかもしれないが。しかし、千年というのはすごい刑期だ。人間だったらほぼ終身刑と同義だよな。魔法使いの寿命からすれば現実的な期間だったりするのか……?
「ピンと来ないだろうが、魔力を封じられた上、本来の姿を奪われるというのはかなりの屈辱なんだよ」
はぁぁぁぁ……と赤司が重々しく息を吐きだす。罪状に対する反省はないようだが、自分が刑を受けているという事実についてはへこむところがあるらしい。が、そんな赤司に黒子が半眼で突っ込む。
「なに神妙に言ってんですか、三食昼寝付きでのうのうと暮らしているくせに」
「精神を殺されているとも言う」
「エンジョイしてらっしゃるように見受けられますけどね、猫暮らし」
「なんかよくわかんないけど、黒子より赤司のほうが刑としては重いんだ?」
確かに猫の姿に変えられるほうが重そうな感じはするが、人間としてのしがらみが減るかもしれないと考えると、マイナスばかりではないような気もする。
「ええ、それはもう。全然違いますよ。ほかにも、犬の刑を食らった仲間なんかもいますよ」
「あいつこそ、人生よりも犬生を楽しんでいるだろう」
「まあもともと中身がアレでしたからね」
「僕と一緒におまえにノミから守ってほしいと言ってごねたな、あいつは」
「ああ……そう言ってましたね。ていうかいまだに言ってきますよ、彼は」
「テツヤと一緒なら終身刑でも構わないと叫んでいたからな」
「本人に悪気はないんでしょうけど、僕を巻き添えにする気満々でしたね」
「テツヤにデメリットが生じる上、あいつ自身にとっては刑どころかご褒美だ、議会が許すはずがない」
昔話に火がついたのか、ふたりは世界征服を企てた当時の仲間の思い出を口々に語りはじめた。彼らの人間関係など知らない俺には、猫だとか犬だとか兎だとかいった動物の刑が魔界ではメジャーっぽいということくらいしかわからなかった。屈辱的だと語った赤司だが、別にこれといった負のオーラは感じない。むしろ黒子と楽しそうに昔話に花を咲かせているようにも感じられる。黒子の言うとおり、猫ライフを満喫してんじゃね? と穿ってしまう。
話についていくことなどできるはずもなく、卓袱台の前で俺はぽつねんと座るだけだった。このときにはすでにもう、しゃべる黒猫に対する抵抗感は失せつつあった。と、ふいに赤司がこちらを振り向く。
「おっと、降旗くんが置いてけぼりになってしまったようだ。僕たちの思い出話はこのへんにしておこう。彼からしたら、歴史の教科書レベルで古い話だし、ついてきようがないだろう」
「あ、そうですね。失礼しました、降旗くん」
「い、いや……なんかもう、わけわからなさが飽和しちゃってるから、多少意味不明が増えたところで変わんないかな」
いまだ具体的な魔法の効能を知らない俺だが、しゃべる猫とそいつが語るぶっ飛んだ過去話は確かにファンタジーといえばファンタジーだ。脳の処理が追いつかないのも致し方ない。あははは、と乾いた笑いを立てる俺に、赤司が居ずまいを正して向き直る。
「魔法についてだが……きみはまだ受け入れられる精神状態ではないようだが、すでにその力は目覚めている。誕生日の夜以来、睡眠中に空中浮遊をしているぞ」
「は……? 空中浮遊?」
また唐突に何を。俺が目をしばたたかせると、赤司が洗濯物の乾き具合でも告げるような呑気さで続ける。
「そうだ。眠ったまま、体が宙に浮いていた、掛け布団ごと。きみはぐっすり眠っていたから気づいていないだろうが」
僕はちゃんと見守っていたよ、きみが落っこちてしまわないか。
彼が付け加えた最後の言葉に、俺ははっとした。
「そ、そういや俺、ここんとこ赤司と一緒に寝てた……!?」
誕生日を迎えようとする日の夜、俺の部屋にやってきた赤司を布団に入れて一緒に寝た。のみならず、ちょっぴり泣き言を漏らし、慰めるみたいなことをしてもらっていた。その後も赤司と一緒に寝る日は続いていた。今日の朝までずっと。懐いてくる黒猫がかわいくてかわいくて、つい甘えた声で語りかけては、顔を押し付けたりきゃっきゃ言いながら撫でたりしていた。それらはすべて、物言わぬ愛玩動物相手の行為だった。……だったはずなのだが。
「寝顔、かわいかったよ、降旗くん?」
赤司の余分な一言に、俺はカッと頬に血が上るのを自覚した。
アカシはただの猫じゃなかった。猫の姿に変えられた、齢五百はくだらない魔法使いだった。つまり、俺の猫にめろめろな言動は、すべてこの魔法使いに向けられていたということだ。少なくとも五百歳のおっさんに!
なにそれひどい。いや、若い女の子だったらよかったのに、という意味じゃないけれど。全然ないけれど。
でもこれはあんまりじゃないか? 猫にデレデレになっているところだけならまだしも、母親と離れた心細さに目を潤ませて弱音を吐いているところまで目撃され、あまつさえ、猫の仕草とはいえ慰めてもらっちゃったんだぞ。十代男子のなけなしのプライドはズタズタだ。
恥ずかしいやら気まずいやらで呆然とする俺に、赤司がおもむろに近寄り、卓袱台の端っこに座ってこちらを見上げてくる。さらにからかわれるのかと思ったが、
「みゃあ」
さわやかな青年の声から打って変わって甘ったるい猫の声。いまさらただの猫のふりをされてもさあ……。そう思ったのだが、みゃーみゃーと甘えた声を立てる黒猫の誘惑は凄まじく、俺はそろりと右手を差し出した。赤司は俺の人差し指の背に鼻を押し付けたかと思うと、すりすりと頭を擦り付けてきた。それはもうあざといったらありゃしない。中身が世界征服を企てたおっさんかと思うとちっとも萌えないけど。……萌えないけど。
……。
…………。
ちくしょうやっぱりかわいい!
結局一分と待たず誘惑に負けた俺は、赤司の喉やら耳の間やらを撫でて、うっとりとした息を吐いたのだった。