ちびっこ狼、あの子と出会う
あの子と出会ったのは十年くらい前の夏だった。場所は東京ではなく長野県。小学校に上がる前の俺にとって、夏のイメージは自宅のある東京の街並みではなく、山々と木々に囲まれた遠い地だった。というのも、母方の曾祖父母の家がそちらにあり、毎年夏になると一ヶ月くらい母と一緒にそちらに滞在することになっていたから。母親の実家ではなく曾祖父母――つまり母親の祖父母――の家に泊まっていたのは、そこが人口の少ない田舎で自然に囲まれたロケーションだったことが大きい。俺が狼の姿で走り回るには、東京みたいな都会は不向きだ。目撃されたら大騒ぎになりかねない。いまはすっかりインドア派の座敷犬で、変身しても家の中でゴロゴロするだけという状況にこれといった不満はないのだけれど、子供の頃はそうはいかず、人間の幼児よりはるかに勝る運動能力を持て余し、また好奇心も手伝って、何かと外を走りたがった。でも当時から小心だったから、ひとりで勝手に外をうろついたりはできなかった。だから知らない間にどこかに行ってしまうということはなかったんだけど、代わりに狼姿で表に出たいときは、連れてって連れてって、って親にいっぱいせがんだんだ。親もできるだけそれを叶えてくれて、犬のふりをしてリード付きで散歩に出掛けたものだった。狼の目線で外を出歩くのは、人間の子供とは全然違う感覚で、すでによく知っているはずの場所も新鮮に感じたものだった。でもそれだけじゃ物足りなくて、やっぱり自由に走り回りたかった。それで、夏の間だけでも、って曾祖父母の家に泊まらせてもらうようになったんだ。そこなら、庭だけでも十分な広さがあるし、穴掘りもOKだったから、俺は夏が来るのが待ち遠しかった。……あ、実は穴掘り好きなんだよ、俺。人間のときに考えると何が楽しいのかさっぱりなんだけど、狼のときに穴をホジホジしていると、言いようもない幸福感に包まれるんだ。野生暮らしをしているわけじゃないから穴掘って住処や寝床を確保する必要性がないのはわかるんだけど、DNAに染み付いた習性ってことなのか、自分でもどうしようもないんだよなあ。ペットの犬がむやみに穴掘りたがっても叱らないでやってほしいな。穴掘りは……うん、楽しいんだ。
曾祖父母の家は田舎の一軒家というほどではないものの、民家が密集していない集落の中にあり、庭の先をずっと歩いて行くと森みたいな山に入ってしまうようなところだった。極端な例を挙げると『となりのトトロ』の草壁さんちみたいな。あそこまで昭和な雰囲気ではなかったけれど、家屋自体は古く、典型的な日本の木造建築だった。俺の変身体質は父親由来で、父方の親族も山地に大きな土地を所有していたりするのだが、夏の長い期間、俺と一緒に田舎暮らしをして面倒を見るのは母親だから、母方の親族の家に厄介になっていた。姻族宅じゃ母的に居づらいからさ。近しい親族には俺や父親の変身体質を明かしてあったから、曾祖父母の家で俺が変身するのは構わなかった。幸い犬嫌いなひとはいなかったから、かわいがってもらえたよ。もう死んじゃったけど、メスの白い和系犬が飼われていて、その犬とも一緒に遊んだ。というより、向こうが子狼の遊びにつき合ってくれていたということなんだろうけど。概ね八月いっぱいくらい曾祖父母宅で寝泊まりし、父親は送迎のため最初と最後の数日間を一緒に過ごすくらいだった。日本じゃ長い休みは取れないからね。
俺が五歳の夏、日付は覚えていないけれど、七月の終わりか八月のはじめの週末、車で長野の曾祖父母のうちに出掛けた。ひいじいちゃんちでいっぱい遊べる! と思うと心は躍ったけど、長野までの数時間の旅路は子供にはとんでもなく長く感じられ、親の運転する車内で昼寝したりお菓子を食べたりしているだけなのに、到着する頃には移動の疲れでぐったりしていた。目的地に到着したあともしばらくは、一年に一度くらいしか会わない親族に挨拶したり声を掛けられたりして緊張していたけれど、お茶菓子を食べたあと母親に手を引かれ、庭で遊びましょう、と言われたときにはもう疲れや緊張なんて吹っ飛んで顔を輝かせた。いそいそと服を脱いで狼に変化すると、山間に差し込む夕日に照らされた庭を跳ねるようにして走り回った。母親がボール投げで相手をしてくれたほか、遅れてやってきた父親に遊んで遊んでとねだり、変身した父親と一緒に庭を走った。跳ね回っているうちにいつしか庭の奥、雑木林みたいになっている場所まで移動していた。四足で踏みしめる地面はやや傾斜がついており、山の斜面に続いているようだった。昨年までは庭と林の境目辺りまでが行動範囲で、その先に何が広がっているのかは未知の世界だった。この先には何があるの? 隣に立つ父親に視線を向ける。そして、もうちょっと進みたいと訴えるように前足を一歩踏み出そうとした。しかし父親の大きな口にマズルをがぶりとくわえられ、駄目だと制止される。まだ子供だったので上位個体に対する厳格な服従性が備わっていたわけではないが、もともと聞き分けはいいほうだったので、俺はちょっぴりがっかりしつつも素直に従い、その日は雑木林の浅い部分を父親と一緒にうろつき、日が暮れる頃に庭へと戻った。そのまま変身を解かず夜を迎えると、何の味付けもされていない肉の塊をもらって食べた。確か加熱調理されていたと思う。生でも食べられるというか生食のほうが本来はいいのだろうけど、普段は人間として公衆衛生の発達した現代社会で暮らしているのだから、寄生虫なんかの衛生面が心配なんだ。あとはまあ、気分的に食べづらいっていうのもあるかな。哺乳類の生肉を食べるのが一般的な文化圏じゃないからね。でも、父親の口周りを舐めて吐き戻しをねだるという行動はなぜかときどきしていた。吐いたものを食べるなんてこっちのほうがよっぽど気分的に食べにくいというのに、不思議なものだよ。お父さんにご飯もらえる、っていうのが嬉しかったのかも。父親は大変だっただろうけど。でも、俺のおねだりに応えてせっせと肉を分けてくれたよ。食事のあとは親戚の大人たちに撫でられたりしてかわいがってもらっていた。大きくなったなー、なんてありきたりだけれど感慨深げな言葉を聞きながら。
夜は和室の畳にビニールのシートを敷き、父親とふたりで転がった。冬はくっついて寝ることもあるけれど、夏はたいてい距離をとった。だって暑いから。とはいえ、東京だったら夏の夜を狼の姿で過ごすのは暑くてつらいのだが、標高の高い内陸の山間地の夜は涼しく、なかなか快適だった。翌朝起きると変身を解いて父親と一緒に風呂に入り、人間姿でみんなと食卓を囲んだ。人間のほうもでっかくなったなー、とやっぱりここでも同じような感想を親戚からもらった。
年の近い親族は近くに住んでいなかったし滞在してもいなかったので、俺は身内の大人たちに囲まれて過ごすことになった。父は翌日仕事があるのでこの日の晩には単身東京に戻らなければならなかった。しばらく父とは会えなくなるから目いっぱい一緒に遊んでおこうと、家族で車に乗って近くの川まで出掛け、浅い場所で水遊びをした。川は底が突然深くなるし、見た目より流れが早いから、流されちゃったら大変だよ、あっという間にどこかに行っちゃうよ、と親に脅されていたので、川に入ろうとする俺の足取りはびくついてしまい、絶えず父親にひっつくようにして行動していた。体を沈めるなんて怖くてできなかったけれど、足を濡らす上流の澄んだ水は冷たくて気持ちがよかった。
川遊びのあと、どのタイミングなのかは定かではないが、俺は眠ってしまったようで、気がつけば曾祖父母の家の和室に敷かれた布団の上だった。父も疲れたのか、あるいは俺の子守を言いつけられていたのか、隣で横になっていた。お父さん、と呼び掛けながらちょっと揺すってみたが、寝息が返ってくるだけだった。母親を探して和室を出て廊下を歩いていると、曾祖母に見つかり手を引かれ、居間まで連れて行かれた。台所から出てきた母親に飲み物をもらい、目やにをタオルで拭かれた。お父さん寝てたよ。母に告げると、休ませておいてあげて、夜いっぱい運転しないといけないから、と言われた。当時はどういう意味なのかわからなかったけれど、とりあえず無理に父親を起こしたら駄目だということは理解できた。
家は特別広いわけではなかったと思うが、当時住んでいた東京の家族用アパートに比べるとずっと部屋数があり、また俺にとっては珍しい日本家屋だったので、好奇心に動かされるがまま、探検気分であちこち回った。この年にはじめて訪れたわけではなかったけれど、普段の住まいでない土地と空間はやっぱり物珍しく、子供の興味を十分にそそるものだった。
時刻は夕暮れが近づいていたのだろう、空にかすかな茜の気配が及んでいたような気がする。廊下を歩いていると、前日に父と走り回った庭とその先の雑木林が網戸の向こうに見えた。むず、と変身したい衝動が突然湧き上がった。狼になって、力いっぱい走りたい。昨日父親に止められた林の先まで行ってみたい。そんな欲求が身の内側を衝いたときにはすでに床の木目の上に子供用の小さな衣服が散らばっていた。狼化した俺は、前足を網戸のサッシに掛けて開けると、廊下から庭へとぴょんと飛び降り、着地と同時に林のほうへ駆けていった。狼の体はもっぱら長距離走行用にできていて、一般的なネコ科の動物に比べると瞬発力が低く、ほかの動物と比べてもさほど足の速いほうではない。それでも四足の趾行性動物のため、人間よりはずっと速い。保育園での駆けっこはいつも微妙な位置づけの俺だったが、変身中は人間では考えられないくらいの速度を出すことができ、疾走して風を受ける感覚が気持ちよかった。あっという間に庭を抜けて雑木林に踏み入り少し進んだところで減速し、歩く動きに変えた。木々の幹や根が障害物になるから平地を走るようにはいかなかったし、前日に父親に伴われてうろついたくらいの慣れない場所だったから、自然足取りは慎重にならざるを得ない。奥のほうは完全に未知の領域だったしね。見知らぬ空間への警戒心とともに好奇心が湧き、しきりに耳介を動かして音を収集したり地面や宙のにおいを嗅ぎながら、ゆっくりと林の中を進んだ。セミたちの自己主張の強い鳴き声に混じり、名前のわからない昆虫の声や樹上に停まっていると思しき鳥の歌声が聞こえてくる。足元では幾重にも重なった落ち葉が微生物に分解されかたちを失いかけ、それらが栄養に富む焦げ茶色の土をつくっていた。人間の姿では感じることのできない数々の、そして複雑に入り混じった土や植物、そして動物たちのにおい。そのときは姿も気配も感じなかったけれど、このあたりに棲息していると思しき哺乳類――イタチあたりかな?――が残していったにおいをいくつも感じた。人間の前に不用意に出てこないというだけで、動物たちはそこかしこに住んでいるらしい。くんくんと地面のにおいを確かめながら進んでいると、やがて自分の体が少し傾いていることに気がついた。斜面を登りはじめていたんだ。はじめのほう、つまり下部は傾斜が緩やかだったけれど、上に進むにつれ勾配がきつくなっていった。よじ登るほどの代物ではなかったと思うものの、大人でも上がるには苦労しそうな急斜面で、狼化していなかったら絶対に先に進むことなんてできなかっただろう。当時の俺は狼としても妖獣だったけれど、それでも人間の幼児よりはずっと運動能力が高かったので、四足ということもあり、さほど難儀することなく上へと進んでいけた。実際には直線距離をまっすぐ移動したわけではなく、周囲の警戒と観察を兼ね緩く蛇行しながら登っていったのだと思う。積もり重なった古い落ち葉を踏みしめながら林の中を歩いて行くと、登り切ったということなのか、やがて地面が平坦になった。空から差し込む光が少し強くなったように感じた。木々の密度が小さくなったということだろう。あれ、もしかして林を出ちゃう? 雑木林の広がり方や周囲の地形を知らなかった俺は、この先に進んだら何があるのかまったくわからなかった。曾祖父母の家の方向や距離については感覚があったので、少なくとも一周回って元の庭まで戻ってきたわけでないことは理解していた。林の終わりに興味は惹かれたけれど、そこまで進むのはちょっと気が引けた。というのも、ほかの人間に変身のこと、狼の姿のことを知られないように、と物心ついたときから教え込まれ、細かい理由はわからずとも、うっかり他人に目撃されるのは回避しなければならないことだと深く信じていたからだ。変身時の外出は東京でも行なっていたが、単独で出ることはなく、必ず親同伴で首輪とハーネスとリードを装着し、犬の散歩という体裁で歩いていた。好奇心に突き動かされるようにして、家族に内緒で林の中を歩き回った俺だったが、ここに来て急に怖くなってきた。
もし林を抜けた先に街があって、人間がたくさんいたら? 捕まってどこかに連れて行かれてしまうかも? お母さんやお父さんに会えなくなっちゃうかも?
そう考えた途端、俺の尻尾はテンションの下降そのままに、そろそろと後ろ脚の間に入り込んでしまった。帰らなきゃ。思い立ったが早いか、俺は体を反転させ、それまでの進行方向の逆を辿ろうとした。が、ふいに後方、すなわち林が拓ける方向に小さな物音をとらえた。自然、耳介がぴくんと動く。足の運びに気をつけながら身を低くし、再度体を反転させる。音源定位のため耳は不規則に外側を向いたり垂直になったりを繰り返した。空気中を漂うにおいの中には人間のそれが混じっていることにはすでに気づいていたが、林の中とはいえもともと人間の住む集落の一部のような場所なので、ひとのにおいがするのはおかしなことではない。林を抜けたところに何があるのかはわからなかったが、民家にせよ道路にせよ、人間の活動する空間が存在するであろうことはおぼろげながら想像がついた。慌てて逃げ帰って気配に勘付かれるのはまずいと思い、俺は足音を忍ばせながら幹の太い木のそばに移動し、盛り上がった根っこに隠れるようにして体を伏せさせた。音源の数と方向はだいたいわかったので、俺は首を伸ばしてちらちらとそちらをうかがった。俺の耳を騒がせているのは人間の足音だった。音自体は小さかったが、不安定で重い印象を受けた。重いといっても歩くものの体重という意味ではなく、軽やかさに欠けるという意味だ。覚束ない感じ、といったほうがいいだろうか。直感的に、小さい子の足音かな、と感じた。自分も人間の姿ではこんな足音なんだろうなと思いながら。しばらくすると、十数メートル前方の木の影から縦に細長いものがひょこっと飛び出てくるのが見えた。動体視力に比べると静止視力は悪いので、遠くの物体のかたちを識別するのは得意ではないのだが、それが人影、すなわち人間であることはすぐに察しがついた。人間社会の中で人間に囲まれて暮らす時間が圧倒的に長く、また変身中もたいてい人間の姿を誰かしら見ているので、ほかのどんな生き物より人間の体には見慣れている。ただ、普段の変身中にそばにいるのはもっぱら両親すなわち大人なので、狼の目で俺が感じるスタンダードな人間の姿は成人のそれだった。しかしこのとき目撃した人影はそれよりずっと小さく、感覚としては半分くらいしかないように感じられた。人間の子供だ。多分、当時の俺と同じくらいの大きさだったと思う。その子は何かを探しているかのように、ゆっくりとした足取りで頻繁に立ち止まりながら木々の根本を見下ろしたり、そうかと思うと頭上の樹の枝を眺めたりもしていた。何をしているんだろう? 虫捕りかなと思ったけど、捕虫網や籠の類は持っていない様子だった。あとで知ったことだけれど、彼は――あ、この子、男の子だったんだよ――どうやら森の生き物を観察していたらしい。植物中心に。その年頃の男の子としてはちょっと変わっている気がするよね。変ってこともないけれど。きっと知識欲に溢れる子だったんじゃないかな。でも、まさか日本の森で狼に遭遇するなんて思いもよらなかっただろうね。
俺はどういうわけなのかわからないかれど――いまもわからないままだ――なんだかその子のことがすごく気になりだして、伏せていた体をいつの間にか起こし、耳をぴくつかせつつくんくんと空気に混ざるにおいを嗅いだ。うん、やっぱり子供のにおいだ。なんか甘いにおいも混じっている。お菓子? おやつで食べたのかな。多分男の子だ。においに引き寄せられるがまま、俺はずいっと首を伸ばし、のみならず勝手に体が動いていた。脚が前に進んでしまっていた。ふいに小さく、かさ、と落ち葉を踏みしめる音が間近で聞こえてはっとした。それは自分の前足が立てた音だった。いけない、と思ったと同時に前方から似たような種類の音が届いてきた。嗅覚に集中するあまり視覚情報への意識が疎かになっていたようで、前方に存在する人物の影が先ほどより大きく見えていることに気がつくのと、彼と目が合うのはほとんど同じタイミングだった。西日の中にぽっかり浮かび上がるようにしてその子は立っていた。静寂なようでいて実はにぎやかな、湿度の高く鬱蒼とした林の入り口で。そのときは輪郭くらいしか目で確認できるものはなかったけれど、その姿はとても印象的だった。一瞬あらゆる警戒を忘れてぼぅっと見つめてしまうほどに。ちょっと語弊がある表現だけど、見とれていた、って感じかな。彼はこちらを引き寄せる何かをもっているかのようだった。狼姿で嗅覚優位になっていたにもかかわらず、俺はその子の姿に視線をとらえられてしまったんだ。
……は? なんだよ黒子、一目惚れですか、って。や、一目惚れはさすがに語弊がありすぎるだろ。気になって無意識に注視しちゃったってだけだよ。そりゃ俺はその子のこと好きだったけど……ってなんでみんなそこで騒ぐんですか、感嘆の声上げるんですか。……だから、そういう話じゃないですって。あの子は男の子だったし、それにお互い、小学校に上がるか上がらないかの子供だったんですよ。好きだったっていうのは……それはまあ、もうちょっとあとで。いま話すとごたごたでわけわかんなくなりそうなんで。
ゆうに十メートルは離れていたから、相手の目がはっきり見えたわけじゃないのだけれど、それでも確かに視線がぶつかり合うのを感じた。視線がぶつかるということは、すなわち向こうもまた俺に注目しているということだ。
ひとりでいるときにほかの人間に見られちゃった。
どうしよう、との狼狽はすぐさま身体反応として現れ、俺の四肢はまるで痙攣するみたいにびくっと揺れ、思わずその場で跳ねてしまった。しかし体が硬直してしまわなかったのは幸いだった。自分の体がちゃんと動いてくれることがわかったから。俺はなかば強迫的な、逃げなきゃ、帰らなきゃ、との思考に支配されながら、その場所からあとずさろうと脚を小刻みに動かした。ほんの数歩だったけれど後退することに成功し、よしこのままとばかりに踵を返した。でも、反転させた体をいざ家の方向に向けて進めようとしたとき、変に後ろが気になってしまった。ちら、ちら、と振り返ると、子供がまだこちらを見つめていることがわかった。近づいてくる気配はなく、最初の場所に留まり、ただじぃっと俺のほうに視線を注いでいた。その視線が興味なのか警戒なのかはわからなかった。ただ、威嚇めいた剣呑さがないことは感じ取れた。俺は取り立てて褒めるようなところもない平凡な子供だったので誰かに注目されることになれておらず、男の子の視線にたじろいでしまった。多分尻尾は完全に巻かれていただろう。どうしよう、どうしよう。何をすればいいのかわからず、警戒心を保ちながらもその場に座り込んでしまった。俺のほうからも彼を見つめ返していると、彼がほんの少し身じろいだ。しかし立ち位置はそのままだった。こちらに近寄ろうとして思いとどまった、みたいな動きだった。俺が彼に興味を惹かれるのと同様、彼もまた俺に興味を示している様子だった。人間のときより視力に劣るので、音やにおいを拾おうと、耳介を動かしたり首を傾けたり、鼻をひくつかせる頻度を高めた。しばらくの間、一定の距離を保ったまま緊張に張り詰めた空気が続いていたが、ふいに男の子の体が揺れるのを感知した。こちらに一歩踏み出してきたのだった。それはゆっくりとした動作で、どう考えても攻撃性なんて欠片もなかったと思うけれど、俺はちょっとの動きにもびびって動揺してしまい、すぐさま尻を持ち上げると、尻尾を脚の間に入れたまま、じりじりと後退した。害意はないように思えたが、他人の考えることはわかりようがない。俺は漠然と、なにか怖いことが起きたら嫌だと感じ、少なくとも自分は害意を持っていないことを伝えようと、耳をぺたんと倒し、尻尾をこれでもかと脚の内側に巻いたのだった。いま思うとあの位置関係では耳はともかく尻尾は見えなかっただろうけど。俺が二、三歩下がったのを見た彼は、それ以上距離を詰めようとはしなかった。立ち姿はしっかりしていて怯えているようには感じられなかったけれど、もしかしたら彼もまた林でいきなり狼の小さいのに出くわしてして驚き怖がっていたのかもしれない。もっとも、のちのちの反応から、彼は俺のことを犬だと思い込んでいたっぽいのだけど。
俺は突然の、そしていままで遭遇したことのない事態に動揺し怯えていたのだが、一方で、見知らぬその男の子に強い興味を覚えた。なぜなのかはわからない。保護者がいない状況でまったくの他人に会うのがはじめてで、それが小心の俺にさえ好奇心と言う名の刺激を与えるものだったということだろうか。後退を止めた脚の次の運び場に惑い、警戒と興味が綯い交ぜになった気持ちのまま、男の子を凝視していたそのとき、耳の奥が独特の高い音をとらえた。それは狼の遠吠えだった。普段は早々耳にする機会がないが、俺は確かにその声を知っていた。父親が俺を呼ぶ声だ。帰ってきなさいと、遠吠えで呼びかけている。もしかして近くまで迎えに来ちゃってる? お父さんに叱られちゃうかな。心配しつつも、父親の声に俺は張り詰めていた緊張が解ける思いだった。膠着状態の突破口に困っていた俺は、親の呼び声をこれ幸いと口実にし、その場から去ることにした。
ごめんね、お父さんが呼んでるの。帰らなきゃ。
何がごめんねなのかは不明だが、そんなことを思いながら、俺はもと来た道なき道を今度こそ逆に辿ることにした。でもやっぱり男の子のことが気になってしまい、歩きながら何度か足を止めては彼のほうをちらちら見やった。男の子はその場から動かなかったけれど、俺が最後に確認したときもまだ、こちらを見ていたようだった。終始動きを監視されているようで落ち着かなかったけれど、手厚く見守ってくれているようでもあり、なんだかぽわっと心が温かくなった。俺がちゃんと家まで帰れるのか心配してくれてるように感じてしまって。
男の子の姿を目視できない距離まで歩くと、俺は急いで斜面を駆け下り、曽祖父母宅の庭へと向かった。雑木林の出口付近には狼に変身した父親が待ち構えていた。俺は耳も尻尾もすっかりしおれさせた状態で父親のそばに駆け寄ると、口元をぺろぺろ舐め、腹を見せた。ごめんなさいと言うように。父は何度か俺のマズルをがぶがぶ甘噛みしたあと、もう帰ろうというように庭へと鼻先を向けた。庭では母が心配そうに林の出入り口を見つめていた。俺は父の横を抜いて母の前まで走り、父にしたのと同様、ごめんなさいの仕草をした。どこ行ってたの、心配したでしょ、勝手にいなくなったりして。しゃがみこんで俺の体を抱えた母が、短い語句で説教をする。俺は母の口元を必死で舐めた。お説教をうやむやにしてやろうと思ってのことではなかったが、結果的にそうなってしまい、母は小さくはない俺の体を抱き上げると、とりあえず中に入りましょうと言いながら家屋へと歩いて行った。
家の中では当然、人間に戻るように言われそれに従ったあと、林の中まで行って何をしていたのか尋ねられた。上手な嘘をつけるような年齢ではなかったし、さりとて都合のいい事実だけを抽出して取り繕うなんて器用なこともできるはずがない。このくらいの年齢の子供は、叱られるのが怖いというただそれだけの理由で、目の前の恐怖を回避するための見え透いた嘘をついてしまいがちだ。俺は親に叱られるのが怖かったと同時に、なんとなく、林の向こうで出会ったあの男の子のことを言うのがはばかられた。なんでだろうね、どう表現したらいいのかわからないけど、あの夕方の思いがけない遭遇は、一種の夢みたいな気がしていた。シャボン玉の薄い膜に包まれた幻想的な時間。それを大人に知られるのが嫌だったのかもしれない。俺が怯えやすいのを知っている両親は、けっして威圧的な態度はとらなかったけれど、それでも俺はびくびく涙目になり掛けていた。困ったときの子供の沈黙は強情さの現れというよりは、ボキャブラリーの貧困さから他者に自分の感情や思考を伝える術がないのが理由ということが往々にしてある。俺が強情を張れるほど気が強くもなく、ぺらぺら自己主張できるほど明晰でもないことを両親はよく理解していたのだろう、言葉に困っている俺に母が、庭の向こうを走りたかったの? と助け舟的な質問をくれた。俺はぱっと顔を上げると、大仰に何度も頷きながら、うん、そうなの、あそこ(林)に行きたかったの、と繰り返した。そして、林の中を歩き回るのがとても楽しかったと伝えた。そう語った俺の表情はきっとすごく嬉しげだったのだと思う。翌日、俺は林を散策することを禁止されなかった。ただ、外に出るときはちゃんと首輪をつけること、日が暮れる前には帰ってくることを重々言い聞かせられた。当時は考えが至ることなんてなかったが、多分、夜に父が帰る前に母とふたりで話し合い、俺が長野で存分に遊び回れるための状況や条件を決めたのだろう。長野に滞在する最大の目的は、都会では抑圧されがちな狼としての俺を解放し、楽しませることだったから。俺は、林に入りたいなら事前に母に告げ、首輪をしてもらうことを条件に、その後も夕刻林の中を動き回ることを許された。日暮れ前に戻ってくることや、公道には出ないこと、人の気配を感じたらただちに引き上げることなどを条件として。……これらの条件は、結局ことごくと破ることになっちゃったけどね。俺はけっして聞き分けの悪い子供じゃなかった。どちらかと言えば従順なほうだっただろう。でもあの夏には、俺に自身のそういった性質を超えさせるものがあったんだ。
……そう急かすなよ、ちゃんと結末まで話すって。ただもうちょっと、楽しいほうの思い出話に浸らせてくれないかな。あの子と過ごした、ほんの短い、けれどもとっても幸せだった時間をさ。