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『黒子のバスケ』の二次創作小説置場。pixivに投稿した作品を保管しています。腐向け。主なCPは火黒、赤降。たまにシモいかもしれません。

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降旗くんのちょっとした非日常

赤司×降旗?です。珍しく黒子が入らないCPです。
「誠凛高校のアホな日常」とリンクした話。降旗くんのピンチを救う赤司くん。しかしまったくかっこよくないです。



「なるほど、きみのスクールライフが大変充実していることはよくわかった。さぞかしすばらしい学校なのだろう。仲間にも恵まれていると思う。……が、いまこの場できみがその話を僕にする理由はなんなんだ?」
「ええと……」
 このあり得ない現状を前に、俺は心の底から思った。
 黒子、あのとき笑いまくって本当にごめん! これまじで笑えないな! 自分の身に降りかかってはじめて理解した。
 現状を説明しよう。
 俺こと降旗は、チームメイトがよく食べているカロリーメイトとSOYJOYの安売りチラシが入った大手ドラッグストアのチェーン店に買い出しに来ていた。ちょっとだけ遠乗りだったが、普段あまり行かない区域を自転車で走り抜けるのは楽しかった。到着後、トイレに寄ったのだが、用を済ませて手を洗っていると、照明がちかちかと点滅しはじめ、消えてしまった。ここで素直に店員に知らせればよかったのだが、普段の庶民心というか貧乏臭さが出てしまい、一回緩めて締め直せば接触が変わってまた点くかも、と考えた。壁のスイッチを切り、足で踏み抜いてしまわないよう蓋と便座を上げ、陶器の縁に足を乗せて天井に腕を伸ばしたとき――
 はい、言うまでもないですね。あのときの黒子と同じ状況再来ですよ。
 便器に尻がすっぽり嵌まって抜けなくなってしまいました!
 これが非常にやばいことは、部活の先輩たちを巻き込んだあの事件で学んでいたので、俺は恥を忍んで誰かに助けを求めることにした。しかし携帯を仕舞ってある鞄はドアのフックに掛かっており、この体勢の俺にとってははるか上空の存在だ。仕方ないので誰か来てくれるのを待った。三十分ほど間抜けな、けれどもことによればカントクのストレッチメニューよりもしんどい姿勢のまま我慢した。やがて、人の気配がした。すみません、いま大変なことになっているので助けてください。店員さん呼んでください。ドア越しに俺が叫ぶと、姿の見えない誰かが若干警戒のうかがえる声で、どうしたんですかと聞いてきた。このとき、声の正体に気づくべきだった。一応肉声を聞いたことがあったのに。しかし便器から脱出することしか頭になかった俺は、こともあろうかその人に助けを求めてしまった。とにかく大変なんです、嵌まって抜けなくなりました。……なんだろう、この意味不明な説明は。しかし俺の必死過ぎる声が警戒より心配を煽ったのか、彼は要請に応じてくれた。
 ――どうしたんですか。嵌まったとは?
 この時点では彼は敬語だった。個室の中の馬鹿が年上である可能性を考慮したのだろう。
 ――あの、便器に嵌まってしまって。
 ――意味を理解しかねるのですが。
 そうですね。俺も意味がわかりません。
 ――すみません、便器にケツが嵌まって、抜けだせなくなってしまったんです。わけわからないと思いますが、これが状況のすべてなんです。
 ――状況をこの目で確かめてもいいですか。
 ――はい。でも、ちょっと鍵に手が届かなくて。
 ――では上から失礼します。
 ――え? 上?
 と見上げたときには、赤い髪に目立つ瞳のあの人と目が合った。
 ――あ、あああああ、あああ!?
 赤司!? 赤司だよなこの人!?
 最初に思ったのは、彼もトイレで用を足すなんて人間らしい行為が必要なんだという妙な感慨と、腕力すげえという純粋な感嘆だった。これ、懸垂の要領で覗き込んでるんだよな?
 ――……確かにこれは……これが状況のすべてとしか言いようがないな。いったいなんでこんなことに?
 言いながら、彼は軽快な身のこなしでドアを越えると、個室の中に降り立った。ここがトイレでなかったなら、大変絵になる優雅な動きだった。
 ――あの、笑わないの?
 うっかりため口で聞いてしまった。いや、同学年だからいいんだろうけど、なんか敬語使わないと、という気になる。
 ――わけがわからなすぎて笑いを通り越した。なんだろう、いっそ感心したよ。よくこんな漫画みたいな状況をつくれるものだと。
 ――そ、そうですか……。
 このあと俺は、彼に問われるがまま、こうなった事情を説明したのだが、テンパりすぎて頭の中が、くぁwせdrftgyふじこlp……になっていたせいで、余計なことまで言ってしまった。つまり、俺の友人が以前学校で同じような状態に陥ったということを。昔の仲間が高校でこんな馬鹿をやっているとこの人に知れたら黒子に被害が行くのではと懸念し、ぎりぎりの理性で、黒子=友人(小)、火神=友人(大)として話した。かなり冗長でまとまりがない上、よくわからない焦燥に駆られどもりながら早口でしゃべったので、聞いているほうは苦痛でしかなかっただろうが、赤司は意外にも途中で口を挟まなかった。マシンガントークのごとくしゃべり終えた俺は、訪れた沈黙にはっとした。こんな意味不明な話を延々聞かされ、赤司苛立ってすげぇ怒ってるんじゃ……?
 恐る恐る見上げると、赤司は呆れたような苦笑を漏らし、冒頭にあるような、実に冷静な台詞を返したのだった。
「きみも友人たちの真似をしたくなったのか? こんなところで? もしかして連れがいるのか?」
「いえ、ひとりです……。あの、別にそういう目的はないです。なんていうか……俺のは純然たる事故です」
「事故?」
「はい……」
「事情を聞いても? いや、そんなことより現状打破が先か……」
 え、もしかして本当に助けてくれるつもり? てっきり鼻で笑われて見捨てられるかと思ったんだけど……。ていうか、むしろ見捨ててくださいお願いします。あなたさまに助けていただくなんて、そんな、恐ろしい。身に余る光栄すぎて死にそうです。
「あ、い、いえ! そんな畏れ多い! あっ、赤司くんの手を煩わせるまでもないです! 自力でなんとかしますんで!」
 助けを求めたほうが手の平返すとはどういうことだと自分でも思うが、これ以上彼と同じ空間にいるのは耐えられない。別に俺に敵意や害意を向けているわけではないのだが、なんか異様に威圧感あるんだよこの人。ほんとに同い年なんだろうか。いっそ数百年生きている仙人と言われたほうが納得できる気がする。
 なんとかお引き取り願おうと、俺があたふた遠慮の言葉を連発していると、彼はちょっと眉間に皺を寄せて考え込んでいた。そして、不審そうなまなざしを俺に向けた。
「……名乗ったか?」
「え、あ、いえ……その……」
 しまった、自己紹介なんてしていなかった。いや、この状況で自己紹介を交わし合うのもおかしな話だが。一応顔を合わせたことはあるのだが、彼が俺を覚えているはずない。名前だって知らないだろう。赤司は雑誌や新聞に載ることもある人物だが、甲子園児みたいに取り上げられているわけではないし、若手プロで稼いでいるわけでもない、あくまで優秀な高校生だ。誰もが知っているほど有名ではない。
 どう弁明しよう。実は会ったことありますって言う?……駄目だ、あのときのことを思い出すと俺のほうがびびって、ますます舌が回らなくなりそうだ。
「多少は顔と名を知られている自覚はあるが。きみはバスケ部なのか」
 だよな、バスケ関係者だと思うよな。彼の前で嘘をつき通す自信も根性ないし、嘘について追及されたらもっと怖いので、ここは素直に答えるしかあるまい。
「は、はい……そうです」
「もしかして誠凛?」
「はい……」
 やばい、思い出された?
「……ということは、さっきの話で便器にはまっていたのはテツヤか。友人(小)がテツヤで、友人(大)が火神あたりなんだろう。まったく……愚かなことだ」
「そのとおりです、俺は愚か者の大間抜けです」
「まあ、テツヤにつき合っている時点できみも馬鹿の類なのだとは思うが……この状況になったのは不可抗力だろう。自分を責めることはない」
 黒子のトイレ事件に呆れたのか、赤司は頭が痛そうにため息をついた。
「あの、なぜ誠凛だとわかったんでしょうか?」
「オフィスラブごっこだろう? 僕も中学のときにやったものだ。懐かしい。テツヤも当時はまっていたからな、もしかしてと思ったんだ」
「ええぇぇぇぇぇ!?」
「中学生なんて馬鹿だからな、思いつきでくだらないことをするものだ」
 まじかよ、このひとそんなことまでしてたのか。想像もつかないんだけど。
 けど、黒子の話やあの携帯の画像フォルダを見る限り、妙なところでお茶目というかノリのいいところもあるようなので、彼が率先してオフィスラブごっこをやっていたとしても、おかしくはないか。……が、目の前にいるこの人物がそんなことをしていたなんて、やはり信じられない。だってこの人、結構な危険人物じゃん……? 被害者は主に火神だが、あのときの衝撃は忘れられない。……駄目だ、思い出すとほんとに身の毛がよだつ。怖い、怖すぎる。そんな人物と狭い空間でふたりっきりとか……。ああ、現状を改めて認識するとますます恐怖が湧いてきた。俺、あの赤司と人気のないトイレでふたりきりなんだよな。しかもあまつさえ、助けを求めたりしちゃったんだよな。うわぁぁぁぁぁ……。
「大丈夫か、何を興奮している。心配しなくてもここで見捨てたりしないし、いまさら大笑いしたりもしない。……おい、本当に大丈夫か。息が荒いぞ」
 目の前の彼というより記憶の中の彼の姿が圧倒的な恐怖をもたらしたせいか、俺はこの状況を耐えがたく感じ、気づけば呼吸がひどく乱れていた。やばい、このままじゃ過呼吸になりかねない。
「そう不安がることはない。救出の手立てはある」
 迷いのない声でそう言うと、彼は膝を折って間抜けな姿勢の俺に目線を合わせた。ためらいもなくトイレのタイルに膝をついて。
「あ、あの、そんな、膝ついたりしたら、き、汚いですよ!」
「洗えば済む話だ」
 それはそうなんだけど、不衛生だし気分的に不快だと思う。なんか申し訳ない。しかし、顔が近づいたことで余計に圧迫感を覚える。どうしよう……。
「あの、ところでなんでこんなところに? 学校、京都ですよね?」
 言葉に困った挙句質問してしまった。会話したいわけでもないのに。
「ゆえあって上京中だ。家はこっちだし」
「でも、なんでこんな……薬局に?」
「買い物だが」
「か、買い物?」
 いや、彼だって買い物くらいするだろうが、こんな一般庶民の店に? と思う。しかもドラッグストア……生活用品のオンパレード。主な客層は主婦の方々じゃないだろうか。
「デンタルケア用品を調達に。関西と関東ではラインナップが微妙に違うんだ」
「さ、さすが……」
 歯というか口腔の状態は全身の健康に影響するという。トップアスリートは歯のケアにすごく気を遣うらしいが、彼もまたそのあたりまで抜かりないのだろう。ものすごくきっちり健康管理していそうだ。気に入る品が見つかるまであちこち回るのかもしれない。それなら俺が買い物に来るようなドラッグストアにいても、そんなに不思議ではないか。フロスなどは結構な消耗品だから、ある程度流通しているものがいいだろうし。
「まあ雑談は置いておこう。優先すべきはきみの救出だ。きみの先ほどの話だと、テツヤは部員ふたり掛かりで救出されたとのことだったが」
「う、うん。俺が脚を、先輩が上半身を持って、ちょっと斜めにひねって真上に持ち上げたらなんとか抜けたんだ……抜けました」
「その作戦は使えないと思う」
 あっさり却下される。人数的に無理なのはわかる。
「ほ、ほかに応援呼べないかな。店員さんとか」
「いや、人員を増やしたところで同じだ。骨盤のほうがわずかに便器の縁より大きく、完全にはまり込んでいる。下手にひねれば腰椎を痛める。運が悪ければヘルニアになりかねない。外部からの力はなるべく加えないほうがいいだろう」
 なんでそこまでわかるんだろう。自信満々を通り越し、さも当然のように意見を述べる。でも、この人が言うのなら多分そのとおりなんだろうという気がしてくる。よくわからないけどすごい説得力だ。が、説得されたところでいいことは何もない。
「え、ど、どうすれば……」
 むしろ脱出の希望を失った気分で、俺はうろたえきった声を上げた。すると、彼がこれまた当たり前のように言う。
「便器を破壊してスペースをつくるのがいいだろう」
「は、破壊!?」
 ちょっと待て。なんかすごい物騒な単語が聞こえて気がする。破壊って……。
「陶器だから、割るのはそんなに難しくない。が、素人では危険だ。消防を呼ぶのが無難だと思う。しかし騒ぎ立てては風評に関わる。一度店側に知らせよう」
 途端に話のスケールが大きくなった。確かに消防はすごくお役立ちらしいけど……でも、トイレに尻の嵌まった男子高生の救出に呼んでいいのだろうか。
「消防!? や、やめて! 変に騒ぎ立てたら、迷惑になっちゃう」
「どのみち店は迷惑すると思うが」
「お店もそうだけど……」
「ああ、学校……というか部活か。別に悪いことをしたわけじゃない。ただの不運な事故だ。問題あるまい」
「そうだけど……すげえ笑いものになったらどうしようって……。俺だけならいいよ。俺が間抜けだったんだから。でも、ほかの部員に迷惑掛かっちゃったら嫌だから……」
 俺が情けない声で頼むと、彼はふっと息を吐いて肩をすくめた。
「気持ちはわからないでもない。……少し待っていろ。ああ、出入り口には一応、清掃中の立て看板を出しておく」
 そう告げると、彼はまたしてもドアを上り、外に出ていった。なんで扉を開けないのかと思ったが、俺がこの状態で中にいるのを誰かに目撃されないようにという配慮なのだろう。清掃中の札があろうと、入ってくる人は入ってきてしまうだろうから。
 またひとりぼっちになった。赤司とふたりきりはとんでもなく息苦しかったけど、ひとり取り残されればされたで、やっぱり不安になってくる。俺、ずっとこのままなのだろうか、と。不安感が増大し、早く帰って来てとさえ思うようになってしまった頃、足音がやってきて、扉越しに声を掛けられた。返事をすると、赤司がドアを越えて中に入ってきた。ほんと身軽だなこの人。内部はさすがに狭苦しいので、彼はようやく解錠しドアを開け放った。俺の姿勢は何ひとつ変わっていないが、目の前の扉がなくなっただけで、非常に解放感を覚えた。外の世界ってすばらしい。感慨に浸りかけたが、その間もなく、赤司が告げる。
「店側の許可を取った。僕が単独で救出作業をすることになった。これで納得できそうか?」
「え!?」
 赤司がひとりで助けてくれるというのか。でも、どうやって? いくら万能タイプでも、訓練もなしに救急隊員的なことはできないと思うのだが。それに、なんで彼がそこまでしてくれるのかも不可解だ。俺のわがままなど無視して、店の人に来てもらうか、それこそ消防に連絡するかしてしまえばいいのに、わざわざ自分の労力を割いてこんな馬鹿な救出劇に一役買おうなんて。
「こうすれば一応、現場を知っているのは僕だけということになるだろう?」
「それはありがたいけど……なんできみがそんなことしてくれるの? その、初対面に等しいと思うんだけど……」
「きみは、便器に嵌まった人間に助けを求められて、事情まで聞いたあと、見て見ぬふりをできるか? 知ったことではないとあっさり立ち去れるか?」
 ごもっとも。確かにとんでもなくアホな光景だが、ある程度話をした以上、見捨てにくいだろう。意外とまともな感性だ。でも、だからといって自ら助けようという気概と行動力は普通でない気がする。
「それは……で、できない、と思う」
「そういうことだ」
「でも……」
 やっぱり赤司がそんなことまでしてくれなくていいよ、と言おうと思ったのだが、
「ひあっ! な、何!?」
 突然重心が変わり、驚いて変な声が出た。自分では動けないので、いったい何事かと目をぱちくりさせていると、赤司が便器から生えた俺の右足を取り、ズボンをめくってふくらはぎを撫でていた。あの……脛毛とか普通に生えてて汚らしいと思うんですが……。しかしやけに真剣な目つきなので、茶化すに茶化せない。
「あまり時間を掛けたくない。脚の血流が悪くなっている」
 と、彼はちょっと深刻そうに言った。何かまずいことがあるのかと俺が目で問うと、説明してくれた。
「血流がよどむと血栓ができることがある。場合によっては大惨事だ。剥がれた血栓が肺に飛べば、最悪死に至ることもある」
「え!?」
 なんか恐ろしい単語が出てきた。し、死ぬ? トイレの便器に嵌まった結果、死ぬの? それってあれか、エコノミークラス症候群とかいうやつ……? 死因としては最悪じゃないか、トイレに嵌まったせいとか。親戚中で語り継がれるよきっと。葬式はともかく、法事のたびに笑い話にされるよ。
 極端な想像を巡らした俺の顔色は、きっと蒼白になったことだろう。赤司は、ああ、脅すつもりじゃなかったんだが、と言ってフォローした。
「この程度ならすぐに健康に差し支えることはないだろうが、できるだけ速やかに圧迫をなくすに越したことはない。部活への影響は少なくしたいだろう?」
「う、うん」
「では急ぐとしよう」
「あの、どうするの?」
「方向性はさっき言ったとおり。便器を壊して隙間をつくる」
「でも、どうやって。消防には連絡しないでくれたんだよ……ね?」
「別に便器くらい個人でも壊せる。さすがに素手では難しいが、道具を借りてきたから何とかなると思う」
「道具?」
 赤司は個室から出て、俺からは見えないところに置いたらしい何かをがちゃがちゃといじりはじめた。金属がぶつかり合う音。多分工具だ。
 再びこちらに向き合った彼の右手には、金属製の棒が握られていた。片側が曲線を描きながらカーブしており、先端が割れている。
「バ、バール!? のようなもの!?」
「のようなものではなく、バールだ」
 これがバールか。実物ははじめて見る。中学の技術の授業で学校の備品としてちらっと目にしたくらいはあったかもしれないけど。
 ……と、感心している場合じゃない。こんな道具を持ち出したということは、すなわち。
「ええと……それを使って?」
「便器を叩き割る」
「えええぇぇぇぇぇぇ!?」
「僕は右利きだから、きみからすると左側に衝撃を加えることになる」
「ちょ、ちょ、ちょ、待って! 壊すって、壊すって! お店の人本当にいいって言ったの!?」
「それ以外に方法がないからな、交渉して許可を得た」
「でも、弁償のこととか……」
 便器っていくらくらいするんだろうか。相場なんてまったくわからない。普通に生きてきた高校生が便器の値段に詳しかったらそっちのほうが不気味だろう。
「訴訟社会たるアメリカの都市伝説に習うようで心苦しいが、モンスターカスタマーを演じ、便器の正しい使用法や注意事項について、利用者のわかりやすいところに提示されていなかったことをネタに、争うことはできるだろう」
「それって脅迫……」
 ネコちゃんIN電子レンジの都市伝説を思い出した。さすがに日本でそれは無茶なのではと思うが、この人ならやってしまいそうな気がする。しかし、便器に尻を突っ込まないよう気をつけてくださいなんて注意書きの貼ってあるトイレなんてあるのだろうか……。
「金銭のことできみが気を揉む必要はない。脱出のことだけ考えればいい」
 と、赤司はとにかく俺をここから抜け出させるのを最優先と考えているようで、腰を下ろして迷いもなく立て膝になると、軽くバールを振りかざした。やる気だ、この人、本当にやる気だ!
「ま、まま、待って!」
 嘆願しながら、俺は可能な限り腕を伸ばして赤司に抱きついた。無理やり背筋を伸ばしたのであちこち軋んで痛い。が、体を庇っている場合ではない。放っておいたらこの人ガンガンバールを打ちつけてくるに違いない。とにかく止めねば。その一心で俺は彼の肩から上ををぎゅうぎゅう抱いた。
「まだ何か?」
 少し不機嫌そうな声。そうだよな、要救助者がこんなにわがまま言っていたら、苛つくよな。だが心の準備ができない。頼むからいますぐバールの刑は勘弁してほしい。
「ご、ごめん! そこまできみがしてくれて本当にありがたいと思う。感謝してる。で、でも……」
「何だ」
「壊すって……その、便器の内側に、俺の体、嵌まってるんだけど……」
「当てるようなへまはしない」
「は、破片が飛んだりしないかな。ほ、ほら……その、大事なとこがあるし……」
 うちの息子さんが中にいらっしゃるんです。ほら、あれガードのない内臓と一緒だから、ちょっとした衝撃でも大ダメージが来るんだよ。男だったらわかるだろ? わかってくれ!
「陶器とはいえ、上から落下させるわけではないから、そんなに派手に破片が散ることはないと思う。しかし、きみの心配もわからないではない。……ちょっと失礼」
 唐突に断りを入れた後、赤司は便器と俺の体の隙間を覗き込み、いきなりそこに腕を突っ込んだ。ちょ、汚い汚い! すげえ不衛生!
 ……と思った瞬間。
「ひゃあ!? な、ななななな!? なに!?」
 嫌な感覚が背筋を這いあがってきた。
 大事なとこを……握られた。
 痛いほどではなかったが、本能的な恐怖で委縮する。これは怖い。他人に力を加えられるだけでも怖いのに、その相手がよりによって赤司とか。なんだろう、今日は一生分の恐怖を味わう日なのだろうか。
 俺が身体的及び精神的な刺激にびくびくしていると、彼はしれっとした顔で腕を引っこ抜いた。
「位置は確認した。心配ない、きみの大事なところに被害が及ばないよう、すべて計算の上で割る」
 思わず全幅の信頼を寄せたくなる口調。しかしそれでもやっぱり怖い。そもそも、計算して割れるものなのか? 高度なテクノロジーを駆使した最新の機械じゃなくて、昔ながらの原始的なバールなんだけど……。
「強度を確認したい。試しに何度か叩く」
 と、彼は便器の外側をバールでこんこんと軽く叩いた。衝撃が俺の体にも伝わる。そのたびにびくんと肩が跳ねる。意図せず俺は彼の肩を掴んだ。
「放してもらえるか。動きにくい」
「ごめん、無理」
「なぜ」
「なぜって……こ、怖いから」
「怖い?」
「だって、震動が……。ちょっと叩いただけでこれって……あ、赤司、くん、がへましないっていうなら、ほんとにしないんだと思うよ? それは信じるよ? で、でも……駄目、これは怖い。理屈じゃなくて本能がそう訴えている。男の本能が、これは危険だと訴えているんだ。だ、だって……ほんとに大事なとこなんだよぉ……」
 なりふり構わず恐怖を訴える。だって万一事故ったら、俺、男として死んじゃうかもしれないんだよ……必死にもなるって。
「まあ……それはちょっとわかるかな」
 赤司もそこは普通の男子だったようで、茶化すでもなく、真剣に同意してくれた。
「うう……わかるんなら、頼むからやめてくれよ。いやだよ、ほんと怖いんだよ……」
「仕方ないな」
 はあ、と彼はこの日何度目になるのかわからないため息をついた。迷惑かけて本当に申し訳ないと思いつつ、頼むからバールで便器を叩くのは怖いからやめてくれと、ほとんど泣きつくようにして彼の右腕を抱き込むように押さえながら、肩口に顔を押し付けた。いや、体勢的にこうならざるを得ないんだ、本当に。
 肩の動きを制限されれば彼も簡単にはバールを振りかざせない。とにかくこの腕を放してなるものかと、俺は彼の体をきつく抱いた。彼はしばらく考えていたようだが、やがて俺の肩をぽんぽんと叩いた。
「ちょっと顔を上げられるか」
「なに――」
 なんだか優しい声だったので、反射的に顔を上げてしまった。すると。
 むちゅう。
 ……なんて効果音が聞こえた気がした。ついでに唇に……生暖かい何かが。柔らかかったんですけど……。
「へ、え、え?」
 もしかしていまのはアレか。……キス?
「え、え、ええぇぇぇぇ……」
 その単語が浮かんだ瞬間、パニックが頭を駆け巡った。もちろん腕の力なんて抜けてしまう。そのことに意識さえ及ばない。
 拘束から逃れた彼は、上半身を引いて俺と少し距離を取った。焦点ぎりぎりの近さにある彼の顔には、それはもうきれいな笑みが浮かんでいた。思わず現世のすべてを忘れて見とれるくらいの美しさ。
 え、俺なんかがこれを見ることを許されていいのか?
 なんて思ったのも一瞬。
 ……ガンッ!
「うひゃっ!?」
 金属と陶器がぶつかる乾いた音と、ほぼ同時に全身を駆け抜ける凄まじい衝撃。俺は驚きのあまり素っ頓狂な悲鳴を上げた。
 くそ、こういうことか。不意打ちでキスをかまして俺の注意を逸らし、その隙に作業を進めるという作戦か。
 理解したものの、びっくりしすぎて体はまったく動かない。
 彼はいまだ芸術的なまでのアルカイックスマイルをたたえたままだ。
「まずは一発。合計四回で割れる。もう少し我慢しろ」
 それだけ予告すると、笑顔のまま立て続けに三発、バールで便器を叩いた。
「ああっ!? ぎゃあっ! ああん!?」
 衝撃に襲われるたびに俺は変な声を出した。そしてその間ずっと、赤司は笑みを張りつけていた。菩薩のような微笑を浮かべながらバールでガンガン便器を叩くって、いったいどういう精神構造をしていればこんなことが可能になるというのか……。
「終了だ。出られるぞ」
 気がつけば、便器の左三分の一程が割れて本体から分離しており、俺はそこから体をスライドさせ、ついに脱出することができた。
「破片に気をつけろ。ここに座るのは危険だ」
 赤司は、その場でへたり込もうとした俺の脇に腕を差し込み、個室の外に出してくれた。が、俺はそこで力尽き、トイレの汚いタイルの上にべったり座り込んだ。脚を崩れたルの字に折り曲げて。
「立て……ないだろうな。痛む以前に、痺れているだろうから」
 赤司は水道で手を洗うと、先刻店員に交渉に行ったときに調達したらしいタオルを俺の腰に巻いた。甲斐甲斐しい……。が、そんな彼の姿に感動したり感謝したりする心の余裕などあるはずもなく、緊張の糸がぷっつり切れた俺は、
「う、ふぇ、え、ええぇぇぇぇぇぇぇっ……」
 恥も外聞もなく泣き出してしまった。だって、ほんとに怖かったんだよ。結局容赦なくぶっ叩くし。なんかむちゅってしてくるし。わかってるよ、全部俺を助けるためにしてくれたことだって。でも、なんか泣けてくるんだよ。
「もう大丈夫だ。いまさら泣くことは……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん! 俺嫌だって言ったのに、こっ、怖いって言ったのに……なんであんなことするんだよぉぉぉ! うわぁぁぁぁぁぁぁん! 馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!」
「落ち着け」
「わ―――――ん! 赤司の馬鹿―――――!」
 命知らずにも、俺は赤司を馬鹿馬鹿と罵り続けた。
 彼は呆れたため息しか出ない様子だったが、怒ったり放置したりはせず、なんだかんだで俺をなだめてくれていたようだった。ときどきぽんぽんと背中を叩いたり、さすったりしていたような……。あれ、もしかして、抱き締められてる?
 ……なんか記憶が曖昧だ。あれ、俺どうなったんだ?
 ………………。
 ……あれ、確かカロリーメイトとSOYJOY買いに薬局行って、それで……?
 はっと我に返ったとき、俺はどこか見覚えのある部屋にいた。自宅ではない。ここは……。
「降旗? 大丈夫か?」
「あ、火神……」
 そうだ、火神の家だ。なんで俺、火神の家にいるんだ? あれ、この服……俺のじゃないような。でも火神のでもない。サイズ合ってるし。なんかごわごわする……新品? あれ、なんか妙に腰が痛いんだけど。何これ。別に無理な運動した覚えないけど。オーバーワークは監督に怒られるし。
「なあ、おまえ、今日何してたんだ?」
 尋ねながら、火神がココアの入ったカップを渡してくれた。
「今日? ええと、朝はランニングして、ちょっと基礎トレして、そのあと溜めちゃった英語の課題やって……って感じだったかな。午後はちょっと遠くの薬局でカロリーメイトとSOYJOYが安かったから、買おうと思って……あれ? どうしたんだっけ? 俺、買い物してない? 薬局行った覚えがないような……」
 なんかいまいち記憶がはっきりしない。家を出かけたのは覚えているんだけど、火神のうちに来る予定なんてなかったはず。
 混乱してあやふやなことを言う俺を、なぜか火神が真剣な目で見つめてきた。そして、どういうわけか「何も言わなくていいぞ」と優しく告げると、ぎゅうっと俺を抱き締めてきた。
 え、なんだこれ、いったいどういうこと……? いったい俺、何があったんだ?


 

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