※この話は、「金玉強打の痛みを委細を尽くして表現するスレ」を元にしています。
都内某所のファミレス。
なんともカラフルなメンバーが一堂に介しました。久しぶりのような、そこまで久しぶりでもないような。招集者は例によって赤司くんでした。メールは至って簡潔、重要な相談があるということでした。ただ珍しいことに、男子に限り友人等の同伴を許可する、むしろ奨励するという旨の但し書きがありました。この書き方は、誰か連れてこいという意味だと思い、火神くん及び降旗くんを誘ったのですが、案の定断固拒否されました。まあそうですよね、被害者ですもんね。部内には赤司くんの危険性が十分すぎるほど伝わっていましたから、ほかも誰ひとり応じてくれませんでした。こればっかりは強制できませんので、僕はあの但し書きが努力義務であることを願い、ひとり集合場所へ向かいました。さすがに部の仲間を生贄に差し出すような真似はできません。なお、結局集まったメンバーには誰も同伴者がいませんでした。友達がいないのか、いるがゆえに犠牲を強いることができないのかは確かめていないのでわかりません。やってきたのは例の面々です。名前の紹介は必要ないでしょう。なお女性である桃井さんは呼ばれていません。どうも、異性がいるとまずい話が出てくる雰囲気です。
八人がけのテーブルに六人で座りましたが、平均的な体格の人間がふたりだけで、あとは規格外のサイズの人たちだったので、とても狭かったです。いえ、物理的にそこまで圧迫されたわけではないのですが、空間のせせこましさに息苦しさを覚えます。僕を覗いて唯一常識的なサイズの赤司くんは、存在するだけで威圧感を放っているので、これまた緩和要素どころかただの相乗効果です。
全員集まったところで、赤司くんがメニューも見ないまま勝手に飲み物だけを注文したのですが(ドリンクバーです)、誰も取りに行くことなく、給仕された水を各自体の前に置いていました。僕はいつもどおりもらえませんでしたが、黄瀬くんが自分の分を寄越してくれました。別になくてもいいといいますか、代わりに飲み物を取りに行ってくださいという感じです。しかし、すでに席を立てる雰囲気ではなかったので致し方ありません。なぜなら赤司くんがテーブルに肘をついて両手を組み、どこかの司令よろしく難しい、ともすると不機嫌な表情を浮かべていたからです。
店内の喧騒をよそに、僕達のテーブルはとんでもなく静かでした。不気味な緊張感に包まれる中、取りまとめ役の赤司くんがぼそりと言いました。
「今日ここに皆を集めたのは、重要な議題があるからだ」
「だ、誰かを粛清する……とか?」
ごく、と唾を飲み込んだあと、黄瀬くんが恐る恐る尋ねました。いや、粛清って……。多分部員の追放という意味だと思いますが、僕達はいま全員所属校が異なるので、わざわざそんな相談を持ちかけたりはしないでしょう。洛山の事情なんて他校生は知りませんよ。別に中学時代だってこんな相談はありませんでしたが。やるときは自分の判断と責任でやってしまうお方なので。
「そんな不穏な話をするわけないだろう。ここは現代日本だぞ。時代錯誤もほどほどにしろ」
「あ、赤司っちがまともなことを――」
「当事者にとってさえそれとわからないような方法で排除するのが現代民主主義にふさわしいやり方だろう」
「――悪化してた!」
やっぱり赤司くんはまだ完治していないようです。治る見込みがある気がしません。民主主義に対するアイロニーととらえることもできるわけですけれど。しかしだとすると、また別の方向でおかしくなっているということです。変な思想家にならないといいんですが……。こう、政治運動系の。
しかしまあ、相変わらずであることにちょっとほっとしたのも事実です。いきなり九条教を患っていたらそれはそれで背筋が凍る話です。
「まずおまえたち全員に質問をしたい」
と軽く前置きをしてから、赤司くんが続けます。
「股間を強打した経験はあるか?」
「……は?」
誰からともなく、というか、満場一致できょとん顔になりました。彼の言動に脈絡がないのはいつものことなんですが、今日は特にふるっているようです。
「強打でなくても構わない。たとえば踏みつけられるとか押しつぶされそうになるとか握り込まれるとか、とにかく強い外圧を加えられた経験はあるか」
「やめて赤ちん、痛くないけど痛い」
「……動詞を聞いただけでなんだか痛くなってくるのだが」
「やめてやめて痛い! 痛いっス!」
自らの質問に具体例を付け加える赤司くん。それを聞いた他のメンバーは、一斉に青ざめました。そりゃそうです。玉へのダメージの話です。男性なら誰もが恐れ戦く痛みですよ。なお青峰くんが無言なのは、前日桃井さんと喧嘩して金的アタックを食らったばかりだからです。思い出して痛みが蘇り、ぞっとしていたのでしょう。
赤司くんはひと通りみんなを見渡しました。
「いまの反応でおおよそ回答は把握した。……テツヤは? 影が薄いとそれさえ無効化できるものなのか?」
僕も正直ウワァと思っていたのですが、何もコメントしなかったのは、三人がおおよそすべてを代弁してくれたため、特に言うことがなくなってしまったからです。
「まさか。ありますよ。無効化どころか、気づかれないので危険です。赤司くんはあるんですか」
あるわけないですよね、だからそれを知りたくてこんな質問をしたんでしょう? そう思ったのですが、
「ある」
予想外にも肯定の即答が返ってきました。え? 聞き違い?
「……ほんとですか?」
「ああ」
「い、いったいどういう状況で?」
「知らない」
なんだか声が低いです。機嫌が悪いのでしょうか、それとも単に彼自身、あの恐るべき苦痛を思い出していたのでしょうか。思い出すだけでテンション下がりますからねあれ。
「すみません、触れちゃいけなかったようで」
「いや、覚えていないだけだ」
「覚えていない?」
「前後の記憶がないから答えようがない」
「え」
なんですかそれは。僕が目をぱちくりさせていると、赤司くんが説明をくれました。
「死ぬほど苦しかったのは覚えているのだが、その前後の記憶がまったくないのでな、どういう状況でそうなったのかまるでわからないんだ」
「それはまた……大変だったようで」
どれだけ大ダメージを受けたんでしょう。めちゃくちゃ痛いとはいえ、普通記憶が消えたりはしないと思います。もしかして悶絶した挙句意識を失ったということでしょうか。いやそれでも、ダメージを受ける前のことは覚えていてもよさそうです。いったい彼の身に何があったというのでしょう。おおいに好奇心を刺激されましたが、追求する勇気はありませんでした。僕にも、誰にも。
「しかし、なんでいきなりそんな質問を? どうあがいてもローテンションにならざるを得ないので、話を盛り上げるにはいささか不向きかと」
「問題が発生したからだ」
「問題?」
「いや、たいしたことではないのだが……」
と、彼は腕を引くと、今度は体の前で組みました。ちょっとうつむき加減のまま話を続けます。
「わが校のバスケ部に、ひとり少々変わった人物がいる」
赤司くん以上に変わった人なんて存在しないと思いますが。まあ確かに、ちょっと普通じゃない人たちが集まっている気はしますが、赤司くんを超える強者はいなかったと思います。っていうか、ごく普通の善良な一般人のことを指しているんじゃないでしょうか。反対側にいる人間同士はお互いをおかしいと言い合うものです。
「名前や身体的特徴を出すのは控えるが、幾分こう……女性的な雰囲気のある生徒だ」
「ああ、実渕のおねえさんですね」
「実渕の姐さんっスね」
「実渕女史だな」
「実渕のおねーちゃんだね」
「実渕のねーちゃんだろ」
赤司くんがちょっとしゃべった瞬間、五人同時に同じ内容の言葉が飛び出しました。赤司くんはちょっと驚いたように目をしばたたかせました。
「……うっかり名前を出したか?」
いや、だって……そんなの実渕さん以外誰が該当するというんですか。
なんで頭いいのに変なところで鈍いんでしょうか赤司くんは。
いや、もしかしたら洛山のバスケ部には女性的な部員が複数名いて、赤司くん的には候補がたくさんいたということなのかもしれません。……嫌ですねそんな部活。いえ、実渕のおねえさんは人間的にはいい人なんだろうと思います。おねえさんというだけで。自分のおねえさんだったらきっととても頼りになると思います。僕に姉萌え属性はありませんが。でも彼女、いえ、彼のような部員が五人も六人もいる部活はやっぱりちょっと怖いと思います。
「いえ、そんな端的な説明されたら、確定的明らかというだけです」
「誤解があるといけないから断っておく。彼は男子だ」
「わかってますよ。でもおねえさんでしょう?」
「……そうだな」
実渕さんは、赤司くんも認めるおねえさんのようです。
「おねえさんがどうかしたんですか?」
「彼女……いや失礼、彼がちょっと問題行動を取ることがある」
いま思いっきり彼女って言いましたよね。三人称言い直しましたよね。赤司くんの認識でも、実渕のおねえさんは限りなく女性であるようです。
「彼は繊細で神経質なところがあり、全体的にがさつになりがちな男子部においては、気を立たせることがしばしばある。彼は一見するとたおやかなのだが、やはり男性であることに違いはないので、なかなかパワーに優れている。うちのレギュラーと取っ組み合いをして勝てる程度には」
それは結構すごいと思いますが、考えるまでもなく上背のあるスポーツ選手ですから、細身とはいえ力そのものは強いでしょう。しかし取っ組み合いはいただけません。暴力反対。
「赤司くんのいる部活でそんなこと起きるんですか?」
即刻制裁を発動しそうなのに。
「ガス抜き程度には許容している。僕も最初は驚いたが、彼らなりのスキンシップだと認識してからは、基本的に黙認だ。じゃれあっているだけで、怪我を負わせるようなことは誰もしていない」
彼の支配者としてのセンスにはますます磨きがかかっているようです。それに赤司くんのところ、やけに仲良さげですから、どんな感じなのかはだいたい想像がつきます。
「しかしときどき、問題行動が生じる。名前が割れてしまったようなのではっきり言うが、玲央――実渕が少々過激な行動に出るんだ」
「というと?」
「金的攻撃を辞さない」
なんということでしょう。
それはいけません。男同士のノンバーバルな語り合いにおいて暗黙の了解じゃないですか。あそこを狙ってはいけません。大惨事になりますよ。
「いけませんね」
「……それは駄目っスね」
「許されることではないのだよ」
「そういうのは駄目だよー」
「ぜってー許さねえ!」
青峰くんの語気が荒ぶっています。桃井さんから受けた攻撃に相当腹が立っているようです。しかし、彼女とて滅多なことではそんな残酷な行為はしないと思うので、これは青峰くんに非があるということでしょうか。いや、それでも金的はいけません。絶対にです。場合によっては昇天します。文字通りの意味で。
「僕もそう思う。さすがにあれは看過できない。僕だってよっぽどのことがなければ相手に対しての使用を自粛している禁じ手だ。あれは本当にシャレにならない。だからこの件に関しては有無を言わせず介入することにしているのだが――」
「さすがキャプテン!」
黄瀬くんが指を鳴らしましたが、赤司くんはそこで力なくがっくりとうなだれました。はじめて見ましたよ、こんな赤司くん。
「何度叱っても、実渕がわかってくれないんだ。きょとんとするばかりで。男なら誰だって理解できると思ったのだが……性格が女性的だと、わからないものなんだろうか」
彼は手の平を頬に添え、はあ、と大きくため息をつきました。かなりお悩みのようです。主将業も大変です。
「いやいやいや、それはねえよ。絶対わかるって。体が男なら」
「もしかして実渕女史は、男性ではないのでは?」
緑間くんが微妙に変な日本語を使っていますが、全員スルーです。なんか意味が通っているような通っていないような……どう判定すべきなのでしょうか。
「いや、男のはずだ。仮に強打の経験がなくとも、あの攻撃が自粛レベルであることは理解してよさそうなものなのだが、彼女……いや、彼にはまるでピンと来る気配がない」
また力の限り言い間違えました。赤司くん、完全に実渕のおねえさんのこと女性だと思ってませんかこれ。
「体に教えちまえよ。蹴るなり握るなりしときゃ、一発で理解するって」
「暴力的手段に訴えるのは避けたい。暴力を止めるために暴力を行使しても説得力に欠ける」
「いや、これ以上ない説得力だと思うぜ?」
「駄目だ。それでは解決しない」
青峰くんが実力行使案を出しますが、赤司くんは首を縦に振りません。彼からしたら仲間ですから、傷めつけるつもりはないのでしょう。やっぱり男としては気が引けますしね、そんな非人道的な攻撃を仕掛けるのは。あるいは百八十度違う発想をすると、赤司くん的におねえさんは女性カテゴリなんでしょうか。さすがの赤司くんも女性に物理的暴力を加えるのは嫌なのかもしれません。
「そこでおまえたちの知恵を借りたい。実渕に対し、股間強打が男にとりいかに重大かつ深刻なダメージであるのかを言語的に説明したいと思っている。そのための表現を皆から集めたい次第だ」
「ええと……金的ダメージがどれだけつらいのか、言葉で表現しろってことですか?」
「そうだ」
またすごい要請をされたものです。くだらないにも程がある……と言いたいところですが、赤司くんが深刻になるのもわからないではありません。部員のじゃれあいが、一歩見誤ればデスマッチに発展しかねないわけですから。全面禁止していないということは、コミュニケーションとしての役割の高さを認めているということでしょう。
「……事情はわかったが、俺達を招集してまで話し合うことか? 洛山にも部員はたくさんいるだろう」
もっともな意見の緑間くん。赤司くんは腕を広げて肩をすくめます。
「散々手を講じたが無理だった。だからこうやって恥を忍び、外部の協力を得ようとしているんだ」
「平和なようでのっぴきならない恥もあったものですね……」
人の上に立つのって大変なんだなあと改めて思いました。よくやっていられるものです。適正があるということでしょう。赤司くん、世話焼きなんですよね。方向性はともかくとして。それにしても洛山の皆さん総出でそんなことやっているとは。要するにおねえさんに対し、金的攻撃の危険性を説いているわけでしょう? 赤司くんを筆頭に。想像するとシュール過ぎるのですが。それでも笑えないのは、男である僕にとってもまた死活問題として感じられるからでしょう。
僕がおかしな想像をしている一方で、赤司くんはさっさと話を進めます。
「ではまずは敦」
「え、俺?」
「おまえにとって、股間強打はどれほどの苦しみだ? わかりやすく言葉で説明してみろ」
一番に指名された紫原くんは、大きな体を丸め、こめかみのあたりを量の人差し指で押さえました。一休さんを彷彿とさせます。
「う、うーんと……に、日本列島!」
「日本列島?」
「日本列島があるじゃん? イメージとしては天気予報の写真みたいなの。あれがこう……ちょっとズレる感じ、かなあ。五センチくらい」
「そのたとえはわかりにくいだろ」
まさかの地学ネタ。あまりにもスケールの大きな比喩に、青峰くんが呆れています。地軸の傾きが変わるというよりはいいのではないでしょうか。それだと宇宙物理学とかになりそうです。赤司くんはどこからか取り出したメモをめくると、早速紫原くんの意見を書き留めている様子でした。
「プレートテクトニクスと絡めたよい比喩だ。参考にしよう。では次、真太郎」
「え!? お、俺か? そうだな……臀部を駆け上るような鈍く鋭い痛み、とでもいえばいいか」
「それは同感です」
安直ですがわかりやすいです。と、隣の席の青峰くんが僕にこそっと聞いてきました。
「でんぶってなんだ?」
「お尻のことですよ」
「なんでケツがでんぶなんだ?」
「人体の解剖学的名称なんです。ものの名前なんですから、そう呼ぶって決まっているだけです」
モノと名称の間に必然性なんてないのですから、そういうものだと納得してください。仮にあったとしても、青峰くんに説明するのは不毛だと思いますし。
「涼太はどうだ。いい表現はあるか」
「え~……そうっスねえ……浜辺のスイカ?」
「事前か? それとも事後?」
「もちろん事後っス!」
「おおう……」
黄瀬くんの勢いのよい回答のあと、周囲からは動揺のため息が漏れました。事後のスイカって大変な状態ですよ。中身飛び散ってます。緑間くんが青ざめながら眼鏡の位置を直します。
「地味にスプラッタなことを言うのはやめてほしいのだよ」
「それは取り返しのつかないレベルの強打をしたときだな。少々表現がきつすぎる。テツヤ、おまえはどうだ?」
今度は僕に振られました。まあ順番ということでしょう。
「タンスの角で打った小指をまた打っちゃった感じ、でしょうか」
無難なたとえをしただけですが、向かいの黄瀬くんがテーブルを叩いて騒ぎます。
「痛いっス! 黒子っちそれ痛い!」
「殺スイカ現場よりはましでしょう」
臓物が飛び出るレベルの比喩をした人に言われる筋合いはありません。
「なんかさー、腹痛くなんね?」
と、ここで青峰くんが別の視点から話を切り出しました。痛みのレベルではなく、範囲についてです。
「あー、なるなる」
ええ、なります。当たった場所はお腹じゃないのに、腹痛が発生するんですよ、奇妙なことに。
「なんで金玉打って腹が痛くなるんだ? 玉が痛いのはわかるけど。なんか納得いかねえ……」
「しかし、単純な腹痛というわけでもないのだよ。腰が抜けて立てなくなり、頭が真っ白になる」
「そうですね、なんか普通の痛みとは種類が違うんですよね。歯の神経に触っちゃった感じ、が近いでしょうか」
「黒子っちさっきから痛い、まじ痛い! 何なんスか、その表現力」
「さすがテツヤ、いい仕事をする」
赤司くんにお褒めの言葉をいただきましたが、特に嬉しくはありません。議題が議題なので。
「なんか腹痛いのに加えて、段々気が遠くなってくな。そんでもって気持ち悪い。乗り物酔いしたときみたいな? 俺酔わねえから知らねーけど」
青峰くんは前日被弾したばかりなので、話すたびにげっそりした表情になります。かわいそうに。
「ん~、お腹が痛いから、気持ち悪くなるのかも? 胃腸風邪のときも、お腹痛くて気持ち悪いし」
紫原くんが下腹部をさすりながら呟きました。
「確かに、感覚として似ている気がしないでもない。症状はまったく別物だが」
「痛みももちろんありますけど、何よりこう、不安になりませんか? いままでの思い出が頭の中をメリーゴーランドみたいにくるくる回るんですよ。走馬灯ってあんな感じなのかもしれません。あと、肝が冷えるというか、体温が下がる気がします。気持ち悪いというのもわかります。痛みそのものの表現としては……甲子園出場レベルのピッチャーが放った剛速球がお腹に当たった感じでしょうか」
「打撃の強度自体はたいしたことがなくても、そのくらいのダメージだな、感覚的に」
緑間くんの同意が得られました。変人極まりない彼ですが、感覚は常人のようです。
「まじでこのあと死が待ち構えてるんじゃねえかって思うな。んで、絶対死にたくないと思う。絶対だ。しかしそんな生きることへの執着より、玉が痛いって思いがエンドレスだ。声も出ない苦しみだ。出たとしても、あー、とか、うー、しか言えねえ。そんで立ってるのも無理になる」
きっと昨日まさにそんな苦しみを味わったのでしょうね、青峰くん、すごく力の入った解説です。語彙は貧困ですが。
「表現の拙さはさておき、その心理には同意する。命の危機すら覚えるのだよ」
「実際の体験談としては何かあるか?」
メモを取りながら赤司くんが司会を続けます。すると、黄瀬くんがはいはいとばかりに手を挙げました。
「中学の体育でソフトボールやって、バウンドしたボールが股間に直撃したときは天地がひっくり返ったっス」
「黄瀬くんあのときほんとにひっくり返ってましたよ」
「え! 見てたんスか!?」
ええ見ていましたとも。世紀の一瞬をこの目でとらえましたとも。
「クラスは違いましたが、体育は合同だったでしょう」
「うわー、恥ずかしいっス」
恥ずかしくないですよ。あれは同情の一言しかありません。
「黄瀬ちんもお腹痛かった?」
「十分くらい立つことすらできなかったかなあ。そのあと三十分くらいは腹痛が続いたよ。もちろん体育の授業はずっと見学。その後の授業も死んでたっス。部活には出られたけど、あの日は終始調子が悪かった。さすがの赤司っちも心配してメニュー減らしたくらい」
「ああ……もしかしてあのときか。体調不良なのは明らかにわかったが、そんな事情だったとは」
「はい。そういう事情だったんス。体も微妙におかしかったけど、それより何よりすげー憂鬱だったなあ、あのときは」
そういえば黄瀬くん、あのとき沈んでいました。体のダメージもさることながら、なんかすごく落ち込むんですよね、股間打つと。なぜかと言われても答えようがないのですが、大変憂鬱になります。女性が月経前にわけもなくブルーになることがあると聞きますが、そういった類の憂鬱感でしょうか。
「俺は、なんでもいいから叫びたくなるかなー。ぐわぁぁぁぁぁ! って。でも実際声出ないんだよね。なんでこんな目に遭うんだろうって、神様がいるとしたら呪いたくなる。そんで、なんで俺、よりによって今日この場所にいてこんな行動をしちゃったんだろうって激しく後悔する。朝起きてからそれまでの行動、全部やり直して、なんとしてでも玉打つのを避ける努力をしたくなる」
紫原くんの話に一同うなずき合いました。そうなんです、やり直せるものならやり直したくなるんです。玉強打の悲劇の部分だけでも。
「腹痛を感じるのは皆共通のようだが、具体的にどのあたりと言うべきだろう?」
「股間を中心として鈍い痛みがじわじわ広がる感じでしょうか。それとともに気持ち悪さが込み上げてきます」
「そうっスね。やっぱ下のほうが痛いっス」
このあたりの見解も全員一致でした。まあ人体ですから、個人間のスペックの違いはあれど、基本構造は同じです。内蔵は鍛えられませんしね。天才も所詮は人間なのです。男性である以上、股間にとてつもない弱点を抱えているのです。
「感覚以外……感情としては何を感じる?」
「喜怒哀楽で表現できるものではないのだよ」
「不安と絶望です」
「ああ、確かに。絶望するな、あれは」
と、赤司くんが遠い目をしました。彼が絶望を感じた経験があるとは思いませんでした。やはり赤司くんも生体的には普通の人間の男性ということでしょう。あの絶望感はなかば生理的なものなので、どれほど強靭な精神をもっていようとも避けられないのだと思います。
「あと将来に対する不安感かな。潰れちゃったかも? とかそういう心配をする以前に、とにかく未来に暗雲が立ち込める感じ」
「脳が絶望物質を出しているとしか思えません」
「うーん……腹下してトイレにこもったとき、神様にすがりたくなる心境に似てるかなあ」
「ああ……『神様助けてもう悪いことしないからぁ!』って感じか。わかる、すげーわかるわそれ」
「ボール当たったあと、まさにそう思ってたっス」
青峰くんは桃井さんに攻撃されたあと、彼女に向かって多分そんなことを言ったのでしょうね。やけに実感がこもっていました。
メモ帳にすらすらとペン先を走らせたあと、新しいページに移ると、赤司くんが次の質問を投げかけます。
「痛みの種類としては何が一番近いと思う?」
「聞くところによると、女性の生理痛に近い性質の痛みらしいのだよ。経験しようがないのでわからないが」
「なるほど。それを言えば実渕も理解しやすいかも?」
緑間くんの発言に、神妙な顔でうなずく赤司くん。なに大真面目に箇条書きしてるんですか。
「落ち着いてください赤司くん。おねえさんは男性でしょう。……いま僕、あからさまに矛盾した日本語言っちゃった気がします。火神くんだってこんな日本語使いませんよ」
先ほどの緑間くんの変な日本語を笑えませんねこれでは。
「生理痛だと、説明する俺らのほうが理解できなくて、かえって説得力がないんじゃないっスかね」
おねえさんがごく普通の男性の体をもっているという前提で考えれば、黄瀬くんの意見ももっともです。
「やはり表現を尽くすしかないでしょう。僕としては、全身の神経細胞が繊細なガラス細工になったとして、それが一斉に砕け散るような感覚がします」
「すばらしい国語力だ、テツヤ」
僕の隣では、青峰くんが深刻な顔つきで珍しく考え込んでいました。彼の中にも伝えたいというか訴えたい思いはあるのでしょうが、ボキャブラリーの貧困さがそれを妨害しているのかもしれません。
「なんかこう、外から攻撃されたってのに、怪我の痛みとは違うんだよな。体の中が痛ぇ」
「当たった瞬間は痛くない……というか、痛みが脳に届くまで時間があると思う。その間たっぷり後悔する。次の瞬間には悶絶するが」
青峰くんのシンプルな表現を緑間くんがフォローします。と、再び黄瀬くんが手を挙げました。模範的な小学生のようです。
「俺は、ええっとっスね……あ、やべ……と思ったあと、遅れてグワァァァァァァァァアアアアアアアアアァァァァァァァァァァウァウアゥウアウアウアウアってなるっス」
まさかの青峰くんを下回る表現力。採点競技だったら間違いなく零点です。
黄瀬くんの原始的すぎる形容に赤司くんはちょっとたじろぎ気味でした。
「オノマトペに頼りすぎるのはよくないが……気持ちはしかと伝わった」
「まあ確かに、これ以上ないほど伝わってきましたね」
「股間の付け根より少し上のエリアが急激に重くなったように感じるのだよ。擬音語を使うと……ぬぐぐぐぐぐぐぐぐ……?」
「真太郎は普通の言葉で表現したほうがいいな……」
緑間くんは逆に幼稚な表現が苦手なようです。これはこれでおもしろい現象かもしれません。
「赤司、おまえはどうなのだよ。さっきからひとの意見を聞いているばかりだが、おまえも打った経験があるのだろう?」
そういえば赤司くんは司会役を遂行するのみで、これといって自分の意見を述べていません。赤司くんの頭脳があの苦痛をどのようにとらえ表現するのか興味を惹かれます。ぜひともお聞かせくださいとばかりに、僕を含めた五人が赤司くんに視線を注ぎます。期待に満ち溢れたまなざしですが、その内容は、金的の痛みを語ることへの期待ですから、ろくなものではありません。僕たちは本当に馬鹿だなあと思わざるを得ませんでした。
赤司くな三十秒ほど考えたあと、そろりと口を開きました。
「そうだな……記憶が飛んでいるのであまり確かなことは言えないのだが、覚えている範囲で説明すると……まずは皮膚の表面に痛みが走る。これはまあ当たり前だ、外部から圧力が加わったのだから。これ自体は大きな問題ではない。ほかの部位を打ったときと同じ種類のものだ。しかし、そのあとが恐ろしい。たとえ過去に一度も強打の経験がなくとも、打った瞬間に理解する。これから地獄の苦しみが這い上がってくることを。その未知の、しかし圧倒的であろう苦痛を想像しただけで恐怖に震えるしかない。冷や汗がじわじわと滲んでくる。頭の中には『やばい』という単語しか浮かばない。一拍おいてから睾丸から輸送管を伝って上へ、また陰茎の付け根から肛門にかけて円を描くようへ横へ、屈強なピザ職人が体の中をこねくり回すような鈍く、それでいて鋭い痛みが走る。この説明は矛盾しているようだが、このふたつの痛みはそれぞれ別種の痛みとして同時に駆け巡り、区別がつかない感じだな。殴られるような痛み、そして引っ張られるような痛みが下腹部全体に津波のように襲い掛かってくる。この痛みは拍動と連動してやってくる。まさに波だ。一波、二波、三波と、回数を重ねるごとに痛みは増強し、留まるところを知らない。テツヤの言った走馬灯はここで現れる。思い出のアルバムとともに、まぶたの裏が赤く点滅する。星のような白っぽい光も見える。比喩でなく。きれいだった。感動するはずもないが。呼吸が苦しくなる……というか、息がしづらくなってくる。このあたりになると、無意味な乾ききった笑いが漏れてきそうになる。しかし余裕だからではない。限界を超える痛みに体の反応が狂っているだけだ。傍観者は、笑っているから余裕があるなどと判断してはいけない。本人は死にかけている。脂汗で全身べとべとだ。頭の中では股間を押さえて転げ回る自分のイメージが流れるのだが、実際のところ、まったく動けなかった。せいぜい震えたというか、痙攣したくらいか。ただただ痛みが治まるのを待つしかなかった。時間にしてどれくらいかはわからないが、少なからぬ時間、動けなかったと思う。意識を手放す瞬間、次に目を覚ましたら三途の川が見えるのだろうとぼんやり感じた。そこで記憶は途切れた。次の記憶が再開するのは数日後だ。そんなに意識不明だったわけではないだろうが、記憶としては残っていない。前後数日分の記憶が吹き飛んだらしい。それでいてあの地獄の苦痛は覚えているときた。不可解なことに。まあ、今後ゆめゆめ注意せよという警告なのかもしれないな」
す、すごい……!
やたらと長く詳細で丁寧な表現でもって語り尽くしてくれました。さすが僕たちのリーダーです。あの苦しみをこれほどまでに詳しく冷静に把握し、ひとに伝えることができるとは。彼は間違いなく天才だと改めて感じました。まったく無意味な才能のような気がしないでもないですが、いまこのときの感動において、そんなことは関係ありません!
「い、痛い痛い痛い痛い痛い! 赤司っち! それ痛すぎ! なんか途中で自分の股間まで痛くなってきた!」
黄瀬くんは相手が語る表現力に乗せられた心境をコピーする能力でもあるのでしょうか、やたらと痛がっています。
「さすが赤司くんです。そこまで詳細に語り尽くせるとは……」
「俺、途中から意識飛んじゃったよ」
「あ? おまえらなにそんな青ざめてんだ? 赤司よぉ、もうちょっと短く説明できねえのか? なんかよくわからんかった」
「幸せだな青峰よ……」
青峰くんの脳みそには赤司くんの言葉は届かなかったようです。というか、キャパオーバーなのだと思います。話、長かったので。
「実渕も大輝のような感想を言っていた。彼女、いや彼は頭は悪くないので、理解できない理由は違うのだろうが」
どうやら赤司くんはすでにおねえさんに先ほどの詳細なる説明を語り尽くしたことがあるようです。
「あんだよ、だったらあらすじだけまとめてみろよ」
「青峰、いい加減歳相応の理解力を習得するのだよ。……打撃のあと一瞬の間があり、これはやばいと思っている間に痛みがせり上がってきて腹に広がり、その後も耐えることなく痛みの波に襲われ続け、動けなくなるのだよ」
「あー、だいたいわかった、かも?」
相変わらず無駄ツンデレ緑間くん。しかし彼がフォローしてくれるおかげで青峰くんが僕にしつこく説明を求めてくることがないので、こちらとしては大助かりです。
「しかし、赤司くんの説明でわからなかったら、もうどうしようもないのでは?」
「もうちょっとフィーリングに訴えるような表現はどうっスか?」
黄瀬くんがアーティスティックな提案をしました。モデルさんなので、そのへんの感覚は普通より優れているかもしれません。
「なんか頭の中で音楽聞こえないっスか? 効果音というより、もっと場を盛り上げる的な」
「BGMのようなものか?」
「あ、そうそう、そんな感じ。BGM。えーと、俺の脳内BGMは……えんだあああああああああああああああああああああああいやあああああああああああああああああああああああああああいやアアアアあああああああああああああああああああああああああああ……っスね」
こ、これはわかりやすい……!
確かにそんな心境になる気がします。
しかし天国のホイットニーさんもこんなことに引き合いに出されるとは思いもよらなかったでしょう。これもひとえにあなたの知名度と歌声がワールドワイドであったがためです。あなたの歌声は伝説として語り継がれていくと思います。
と、赤司くんが顎に指の側面を添えて何やら考えています。彼にも頭の中に流れるBGMがあったのでしょうか。
「僕は……ヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノヌヌネネヌヌネノ……だったな。これがエンドレスリピートだ。発狂しそうになる」
これまた上級です。延々こんなの聞いていたら気が狂うと思います。彼にこれ以上狂う余地があるのか否かは知りませんが。……まさか金的が原因で本格的に狂ったとかそういうオチなんでしょうか?
「おいやめろ、思い出させるな」
緑間くんが頭を抱えました。似たような体験をしたことがあるのでしょうか。
その後BGMについて語り合いました。意見はたくさん出るのですが、話しあえば話し合うほどテンションはだだ下がりになりました。曲調が明るかろうが暗かろうが関係ありません、あの地獄の業火に似た苦しみの中でそれらが流れることを考えるだけでげっそりしてしまうのです。
すっかりみんなが白く燃え尽きかけたところで、赤司くんがメモ帳をパタンと閉じました。
「なるほど、多角的に意見を聞けてよかった。非常に参考になった」
赤司くんは自分が持ち掛けた議題をこなすことができて満足そうでしたが、残るメンバーはせっかくの休日に金的被弾の痛みを存分に思い出した挙句記憶を増強され、身体的ダメージなどゼロだったというのに、ぼろぼろの体たらくでした。もちろん僕もです。ああ、股間が痛い。気分が沈む。
「なんか聞いてるだけでほんと金玉痛くなってきたっス」
「なんでファミレス来てこんなブルーな気持ちにならなきゃいけないんでしょうか」
「今日はもう何もする気が起きないのだよ」
「玉打つとその後一日中しおれちゃうよね」
「くっそ、蘇ってくる……さつきのやろう……」
口々に疲労とぼやきを漏らします。憂鬱な事柄があったわけではないのですが、テーブルはどんよりとした雰囲気に包まれていました。だって鬱になるんですよこの話題……。
「これだけの表現が揃えば、ひとつくらいは実渕の心の琴線に触れるものもあるだろう。おおいに助かった。礼を言う」
赤司くんだけは達成感を得たようで、このときになってようやくみんなにメニューを回してくれました。しかし全員食欲を失っていたことは想像に難くないと思います。食べられませんよ、こんな話のあとでは。
すっかり日が暮れた頃、僕たちはとぼとぼと帰途に尽きました。どんな敗北よりもつらい道中でした。誰もいない海岸線をひとり孤独に歩くような。
その後、自分を覆うブルー感に理不尽さを感じた僕は、誰かにこれをお裾分けせねばなるまいと思い立ち、火神くんの携帯にコールしました。翌日火神くんの食欲が少々減退気味だったことは言うまでもありません。そして今度は火神くんが降旗くんに話し、降旗くんが河原くんに話し……と憂鬱はまたたく間に伝染し、部内に暗い影を落としました。もちろん先輩たちも犠牲になりました。
あのおかしな会議のあと、特に連絡を取り合わなかったので、ほかのみんながどんな行動を取ったのかは知りません。もちろん赤司くんが実渕のおねえさんを説得できたのかもわかりません。今度会ったら結果だけ聞いてみようかな、くらいはぼんやり考えていますが、あえて電話やメールで詳しく経過報告を尋ねたいとは思いませんでした。だって聞くということは例の話題を再び出すということです。そんなことをしたらまたブルーが再燃しそうじゃないですか……。